勘違いな異世界生活
「ん? いつの間にか眠っちゃってたか」
目を開けると青い空が見える。ジンは寝転んだまま軽く体を伸ばす。
「何か気持ちよかったな。しかしまさかゲームの中で熟睡するとは」
ジンは軽く笑いながら立ち上がると、もう一度大きく背伸びをして腕を回した。
本来ならひどい凝りで悩まされている体だったが、ここでは体を伸ばしても感じるのは爽快感だけで痛みはない。やっぱ健康な体は良いなと、あらためてジンは思った。
「よし、では行きますか」
そうつぶやくとジンは本編に進むためのドアを探すが、辺りを見回してもそんなものはない。 それどころかチュートリアルの時とは周囲の状況が変わっている。
ジンが立つ小高い丘の上からは、遠くにある壁で囲まれた街らしきものと、そこにつづくであろう街道が見えた。
「あれ? もう本編始まっちゃったかな?」
ジンはチュートリアル後に昼寝なんてしてしまったせいで、時間切れで強制進行されたのだろうと思った。
もう一度あらためて周囲を観察すると、さっきまでは気付かなかった周囲の様子にジンは驚かされる。
青い空に輝く太陽からは暖かな光、ジンの頬を撫でる風には爽やかだが少し土臭くもある匂いを感じる。花の群生地には蜜を求めた虫達が飛び、青々とした生命力を感じさせる雑多な植物があれば、たまに枯れかけた草も混じる。 ここにはチュートリアルとは比べ物にならないほどの圧倒的な現実があった。
「チュートリアルは本気じゃなかったって事か。仮想現実すげえ!」
ジンは自らの心に沸き立つ熱量の多さに極わずかな違和感を覚えたが、それは湧き上がった大きな興奮で塗りつぶされる。
「ふっふっふ。盛り上がってきた。早速冒険開始だ!」
浮き立つ気分そのままに、ジンはまずは街道に出ようと歩き出した。
この時ジンは様々な異常に気付いてなかった。ゲームのスタート場所は『始まりの町アレスタ』であったはずだ。決して街から遠く離れた草原の丘の上ではない。独り言の口調もどこか若々しいものに変わっていた。老人の意識は存在しつつ、見せる反応はどこか若々しかった。 他にもありえない事がいくつも起きていた。
しかし自分の身に何が起こっているのか、ジンがそれを知るにはまだもう少しの時間が必要だった。
そして、それは決して悪い事ばかりではなかったのである。
「ふんふふんふ~♪」
古いRPGゲームのフィールド曲の鼻歌をBGMに、ジンは気分良く歩みを進める。
途中立ち止まったかと思うといきなりジャンプしたり、木剣を抜いてポーズを決めてみたりと、思いのまま動く自分の体とこの世界を満喫している。
そこには先程クリスとの別れで見せた寂しげな印象はかけらもない。だがその右手の中指にはしっかりと、そしてどこか誇らしげに『快癒』の指輪が収まっていた。
そうして街道まであと数百メートルというところまで歩いた頃、ジンは視界に何やらうごめくものを捉えた。浮かれた気分を抑え、ジンは警戒して剣を抜いて目を凝らす。
そこに現れたのは1匹のスライムだった。
だがそのスライムの姿はチュートリアル時のグミ状のものではなく、所々薄汚れた灰色のゲル状の姿をしていた。
「ちょ! チュートリアルと形状変えてくるとかどこまで凝ってるんだ」
驚きながらも戦闘状態に気持ちを切り替えるジン。
さすがにチュートリアルで何度も戦闘をしていたおかげか、ジンに恐れや気負いはほとんどない。
先手必勝とばかりに素早く近づくと、スライムめがけ木剣を振り下ろした。
繰り出された剣は狙いを外すことなくスライムに命中し、その勢いのままスライムを両断した。思いのほか綺麗に決まってジンは驚いたが、クリティカルヒットみたいなものだろうかと気にしなかった。
そうして二つに分かたれたスライムは、光の粒子ほどけて消え……なかった。
2つに分かたれた姿のまま、いつまで待っても消えてドロップアイテムを残す演出は始まらない。
「嘘だろ、こんなところまでチュートリアルと違うのか?」
思いがけない事態に混乱し、ジンは無意識に右手の指輪を触りながらチュートリアルの内容を思い返す。
デフォルメされたところがあるグミ状のスライムの姿と、見た目がよろしくないゲル状のスライム。 倒されると光の粒子になって消えていく死体と、いつまでも消えずに残る死体。リアリティの追求とその危険性。
「なるほどな」
色々考えて、ジンは納得する答えに至った。
現実に近すぎる仕様だと危険性が高いのがネックだが、その安全性さえクリアできればリアリティが高いほうが良いと考えるのが普通だ。
だからチュートリアルではプレイヤーに慣れてもらうためにあえて情報を制限し、モンスターをデフォルメしたり死体を残さないなどゲーム的なシステムにしたのだろう。そうしてチュートリアルで充分にVRゲームに慣れた後に、こうして本編でリアリティ重視の仕様を解禁したのだろうとジンは考えた。
ただ、まだダメージは受けていないので確証はないが、此方が受けるダメージ処理はVRゲームの危険性に直接かかわるところだから、大きく変えてこないだろうとも予測した。
こうして根本的に大きく間違ったまま、ジンは一人で勝手に納得して落ち着いた。
「しかしドロップシステムはちょっと面倒だな」
スライムのドロップアイテムはスライムゼリーだったが、まずは何処にあるか死体をまさぐって見つけ出す必要があるようだ。面倒だなと正直思う。
スライムゼリーの買取額は、チュートリアルで得たドロップアイテムの中でも一番安い5Gだ。
もったいない精神VS面倒くさい・触りたくない連合軍の戦いは、今回は連合軍の勝利で終わった。
申し訳ない気持ちでスライムに手を合わせて拝むと、ジンはスライムの死体を放置して再度街道へと歩き出した。
「クリスも言ってたけど、色々準備しなきゃいけないものがあるな」
装備の新調だけでなく、素手で触りたくない時用の手袋や手を洗う水、タオルやモンスター図鑑みたいのもあれば欲しいなとジンは思う。欲しいもの&買う物リストを漠然と考えながら街道を目指してジンは再度歩き始めた。
そうしてそのまま次のモンスターには遭遇することもなく、無事に街道に出る事が出来た。
街道は石畳で整備されていて、幅も二車線の道路くらいはあるだろう。 両脇には高さ3メートルはあるであろう柱が街道沿いに百メートル程の間隔で建っている。おそらくなんらかの魔法的な装置なんだろうなとジンは予想した。
その予想は正解で、この柱は街道に魔物が寄り付かないようにする結界発生装置である。無論完璧とまではいかないが、街道を守るという重要な役目は充分果たしている。 実際この装置がある街道ではモンスターはほぼ出る事はない。とは言え街道の全てにこの装置が設置されているわけではなく、まだ未整備なところのほうが圧倒的に多かった。
再び街を目指して街道を歩き始めたが、結界のおかげでモンスターには出遭う事はなかった。と同時にやはり旅をするなら早朝出発が多いのか、太陽がほぼ真上にあるような時間帯では人とも出会う事は無かった。
そうしてジンはのんびりと景色を楽しみながら歩き続け、1時間程でようやく街に到着する事が出来た。
頑丈そうな石造りの壁で囲まれた街の入り口には門番が一人立っており、ジンが街に入る為に近づくと声をかけてきた。
「旅人か? 随分な軽装だな」
尋ねるその声にはどこかあきれたような、そして少しだけ訝しく思う気持ちがこもっていた。
「こんにちは。まあ自分でもちょっと寂しい格好だと思ってます。この街で色々揃えるつもりでいるんですよ」
ジンは笑顔で挨拶する。言っている事は嘘や誤魔化しでなく、本当に思っている事だ。
「なるほどな、確かにこの街は色んな所から良い物が集まってくるからな。んで、入るんなら身分を証明するものは何か持っているか?」
ジンの物言いに納得したのか、門番はそれ以上突っ込むことなく興味本位の質問は止め、自分の職務に戻った。
「申し訳ないです。持っていないです」
やっぱそういう書類がいるものなのかと軽く驚きつつも、素直に持っていない事を告げるジン。
「うん? そんな軽装で来てるくらいだから冒険者かと思ってたが違うのか? カードでも無くしたか?」
「いえ、冒険者にはこれからなるつもりなんですよ。まだ弱っちいんですけどね」
頭をかきながら答えるジン。これも素のままだ。
「一人でその格好でここまで来れるくらいだ。謙遜しなくてもいいぞ。まあ、将来有望な冒険者は歓迎だ。それじゃあ保証金として小金貨1枚を預かるが良いか? 預かった金はお前がこの街から出て行く時か、冒険者になった後にギルドカードをこちらで確認できたら返却する」
1Gが保証金って安すぎるだろうと思いつつも、問題なく街に入れそうでほっとするジン。 鞄に出したゲートから1Gを取り出すと、門番に手渡した。
「おいおい大金貨とはどこのボンボンだお前。ちょっと待ってろ、両替してこなきゃならん。あ、手数料は取られるからな、それは承知してくれよ」
そう言うと門番は門の内側にいるもう一人の門番に声をかけると、街の中に小走りで向かった。一方でジンはよくわからない展開に再び混乱していた。
「大金貨って何だ? 両替?」
ジンはボソッと独り言をもらすと、まあ待つしかないなと考える事を止め、門番の帰りを待った。
そうしてボーっと思考放棄して待っていると、この場を離れたときと同じく門番が小走りで戻ってきた。
「待たせたな」
そう言う門番の格好は、革鎧に鉄で補強を入れたスプリントアーマーだ。クリスの全身金属鎧ほどの重さはないだろうが、それでもそれなりの重さはあるだろう。そんな格好で走ったのだ。門番の息も少しだけ切れている。
「いえ、此方こそお手数かけさせて申し訳ありません。走ってまで急いでくださってありがとうございます」
最初こそ申し訳ないという気持ちではあったものの、ジンは実直な門番の人柄に触れて嬉しくなってしまい、最後は笑顔でお礼を言った。
「ん? いや、気にするな。仕事だからな。」
少し照れた様子の門番。30代半ばと思しきその顔には、仕事への誇りが感じられる。尊敬できるいい男だなと素直にジンはそう思った。
そうして門番は少し息を整えると、ジンに3つの小袋を手渡しながら言った。
「それじゃあ、お釣りの小金貨8枚と銀貨9枚、銅貨50枚だ。手数料の銅貨50枚は引いてある。確認してくれ」
(なんか増えて戻ってきた!?)
思わぬ事態に固まるジン。とりあえず失礼になっちゃいけないと小袋を受け取って鞄に入れる。動転してゲートに収納はしていない。
ゲームの最低貨幣であるはずの1Gが、何やら高額なような扱いだ。ジンは戸惑いを隠せなかった。
「どうした? 虎の子の大金貨が無くなって不安になったか? まあ心配すんな。そんだけ残ってりゃちゃんとした装備が揃うさ」
ちょっとからかうような感じで門番が話しかける。
「あははは」
と乾いた笑いで誤魔化すしかない。まさかまだ同じのを700枚以上持ってますとは言えない。
するとジンの審査は終わったと見たのか、街側から交代の門番が声をかけてきた。
「遅れてすまん、バーク。交代だ。飯行っていいぞ」
「おお、了解。っとすまん。名前の記録がまだだった。おいお前名前は?」
まだ戸惑いの状況から抜け出せず、呆然とその様をみていたジンであったが、バークの質問にあわてて答える。
「すみません。ジンといいます」
「よし、それじゃあ此処に記入を…」
「ああ、いいよいいよ。バークも腹へっているだろ、遅くなったお詫びだ、俺がやっとくよ。」
手続きを進めようとしたバークだったが、交代の門番に手を振って追い立てられる。
「すまんな。んじゃ後頼む」
苦笑してバークはそう言うと、交代の兵と軽く拳をぶつけ合った。
「よしジン。じゃあ行くか」
そうして同僚に挨拶を終えたバークは、またジンに話しかけてきた。
「え?」
「どうせお前も昼飯まだだろ? 俺が良く行く食堂でよかったら連れてってやるよ」
「あ、ありがとうございます。よろしくお願いします」
まだ事態の把握は出来ていなかったが、バークの配慮はありがたかった。
とりあえず飯食べて落ち着いてからだと自分に言い聞かせ、一旦疑問の事は忘れる事にした。
そしてジンはバークの厚意に感謝しつつ、食堂を目指して歩き出した。