旅立ちの予感
大変お待たせして申し訳ありません。
「ぶぅあ。うーだぁ」
「んー? どしたー?」
ゆりかごの中でパタパタと手を振って何かを訴えかけてくる愛娘に、ジンは満面に笑みを浮かべながら顔を寄せる。
「うぁう、だうどぅあ。あーきゃ」
「うんうん、そっかそっか。楽しいか。元気が良くていいぞー」
笑顔で手足をパタパタさせる愛娘レイアへ、ジンは満面の笑みで応える。意味を成さない赤ちゃん言葉なので当然会話としては成り立っていないが、ジンの『念話』からは愛娘のご機嫌な感情が伝わってきていた。
これは毎日の子育ての中で気付いたことだが、普通に会話する場合でも相手の声音から感情を読み取ることができるように、『念話』でも同じことが言えたのだ。むしろ思考での会話だけあってか、集中するとより感情がわかりやすいほどだ。
とはいえ相手の考えていることがわかるわけではないし、言葉を知らない赤ん坊の気持ちが完璧にわかるほど万能でもない。だがお互いに意識を向けあっているのであれば、なんとなく喜怒哀楽の感情くらいなら知ることができ、それだけでも子育て中のジンにとってはかなりありがたいものだった。
「お。レイアはご機嫌だな」
少し離れていたところで赤ちゃんをあやしていたエルザが、ようやく寝入った我が子を抱っこしながら戻ってきた。
「ああ。ルーはぐっすりみたいだな」
「うん、ようやく眠ってくれたよ。……ふふっ、しかし子供というのは可愛いもんだな」
エルザは改めて腕の中眠る我が子を見つめると、これ以上ないほど柔らかい笑みを浮かべる。
赤ん坊は嬉しければ笑顔を浮かべ、不快だったり悲しかったりすれば泣く。まだ言葉を知らない赤ん坊にとってはそうすることでしか自分の感情を表現することが出来ないし、「赤ん坊は泣くことが仕事」と言われることもあるほどだ。
そして子育て中の親を悩ませる一番の問題は、この子供が泣いている時、その理由がわからないということではないだろうか。おしめを替えても、あやしても抱っこしても赤ん坊が泣き止まないことなどざらにあることだ。実際何で泣いているのか、自身も理由がわかっていない場合さえ珍しくない。
今回三女ルーがぐずっていた理由はおしめの位置が気に食わなかったからだったが、流石にジンの『念話』でもその事実を正確に知ることはできなかった。だが不満や不快などといった感情を知ることができるし、嫌がっている箇所も漠然とではあるが推測することができたので、今回は比較的対処が楽だったといえる。
もちろんだからといってすぐに赤ん坊を泣き止ませることができるわけではないし、実際今回もぐずるルーを寝かしつけるまでに十分以上はかかっているだろう。だがそれでも「もしかして病気にかかったのか? どこか怪我をしたのでは?」など、これかあれかと原因を探して気をもむ必要がないだけで、親としては心労がかなり軽減されるものだった。
「ふふっ。何か飲み物でも飲む?」
同感だと微笑みで応えながら、ジンは片手でをレイアをあやしつつエルザに声をかける。まだ次女は起きているとはいえ、隣のゆりかごにいる次男も夢の中のため、今なら一息つく余裕はあった。
「ありがとう。パリッシュのジュースはある?」
「ああ」
ジンは彼女の希望通りに無限収納からパリッシュのジュースを取り出すと、腕の中にいた三女をゆりかごへと戻したエルザに渡す。そして自分の分も取り出すと、ふたりでしばしの休息を楽しんだ。
子育ては戦争だと表現する人がいるように、実際赤ん坊の世話というのは大変なものだ。真夜中の授乳や夜泣きなどで満足な睡眠がとれないことも多く、母親の負担は計り知れない。エルザたちの場合は三人共同で子供たちを育てているようなものだったし、もちろんジンも子育ては自分の仕事でもあるからと積極的に参加しているので、ある程度子育ての負担を軽減できているのが救いだった。
今はエルザとジンの二人で子供たちをみているが、まだ長男を生んで一カ月ほどのレイチェルは疲労から二階にある自分の部屋で熟睡中だったし、アリアは気晴らしとリハビリがてらファリスと近場へ冒険に出かけていた。
「……幸せだな~」
ひとしきり遊んでもらって満足したのか、ウトウトしだしたレイアの姿に目を細めながら、ジンはしみじみとつぶやく。
前世では叶わなかった結婚に加え、高レベルゆえに難しいと半ば諦めていた子供も三人も産まれてくれた。ここしばらくは『魔力熱』や『迷宮』のような差し迫った脅威もなく、実に落ち着いた日々を過ごせている。
子育てに注力するためにジンが冒険に出る頻度は減ったが、代わりに出産後体調が戻ってきたアリアやエルザが、ストレス発散にファリスと訓練したり冒険に出たりするようになった。
長女長男であるトウカやシリウスと弟妹達の関係も良好で、二人とも変に拗ねたり赤ん坊に嫉妬することもない。もちろんそれはジンたちが心配りしているからでもあるが、トウカ達の心根を考えると、元よりそんな心配は必要なかったかもしれなかった。
トウカは変わらず冒険者になるための勉強や訓練を続けていたし、シリウスもジンがいなくともファリスの冒険に同行するようになり、さらにはジン考案の訓練プログラムを嬉々としてこなしている。まだ具体的な成果がでたわけではないが、二人とも順調に成長しているといえるだろう。
ただファリスだけは、ジンたちの子育てが落ち着くまでは本格的な冒険はお預けの状況であることには変わりない。それはまだこの後も数年続くことになるだろうが、ありがたいことにそれでもファリスが不満そうな様子を見せることは一切なかった。
そうして貧乏くじを引いているはずのファリスが本気で子供たちを可愛がってくれていることがわかるからこそ、ジンはこうして心の底から平穏を感じることができていた。
「ただいまー」
そうこうしているうちに、孤児院から帰ってきたトウカの声が玄関から聞こえてきた。
現在は常に家に誰かしらがいる以上、本来トウカが孤児院に行く必要はないのだが、今日のように恩返しの意味も込めてお手伝いをするために孤児院に行くことがあった。勉強と訓練漬けの毎日を過ごしているためか、小さな子供たちの世話をするのはそれはそれで気分転換になるのだそうだ。
「ただいまー」
「「おかえりー」」
寝入った赤ん坊たちを起こさないため、改めて小声であいさつを交わす。
それが終わるとトウカはすぐに洗面所に向かい、うがいと手洗いを済ませる。それでようやく準備完了と、トウカは満を持してベビーベッドでお休み中の赤ん坊を覗き込んだ。
「ただいまー」
ほとんど声にならないくらいのささやきで、弟妹達に帰宅のあいさつをするトウカ。そして浮かべた笑顔のまま、向き直ってジンたちにもその笑顔を見せてくれた。
「眠ってるね~」
「ふふっ。そうだな」
わかりきったことをではあるが、それを嬉しそうに報告してくるトウカが可愛らしく、ジンは思わず笑みを漏らすと、そのまま可愛い長女の頭をなでる。血はつながっていなくとも、トウカは紛れもなくジンたちの娘だったし、スヤスヤと眠る赤ん坊たちの姉だった。
「……お父さんたちは休憩しなくて大丈夫?」
ひとしきりジンの掌の感触を堪能したトウカが、疲れたのではないかと父母を気遣う。子育てに奮闘する彼らの姿を間近で見ているだけあって、その大変さは彼女にもよく理解できていた。
「孤児院でも見てるし、この子たちが起きるまで私が見ていてもいいよ?」
トウカが孤児院に行く理由の一つに、小さな子供のお世話を手伝えるからというものがある。さすがに孤児院にいる子供はもう少し年齢が上だが、近い将来の予行演習にもなるので丁度よかったようだ。
「ありがとう。それならお風呂を沸かしてくれる? もう少ししたらアリアたちが帰ってくるみたいだから」
幸い二人ともそこまで疲れているわけではない。代わりと言ってはなんだが、『|地図(MAP)』で確認するとアリアたちがリエンツの街の近くまで帰って来ていることがわかったので、ジンはトウカに彼女たちのためにお風呂を沸かすように頼んだ。
「うん、わかった」
頼られたことが嬉しいのか、トウカは笑顔で風呂場へと向かう。
トウカが孤児院に行っている間もそうだが、ジンは冒険中のアリアやファリス達の状況も常に『地図』で確認している。もちろん『地図』にはカメラ機能はついていないので対象の具体的な状況を確認することはできないが、現在位置と大まかな状況、危険かそうでないかくらいは把握できていた。
(この幸せを何としても守りきらないとな)
いささか心配性がすぎるジンであったが、アリアたちの妊娠発覚後はどうしても分かれて行動することが多くなったため、親や夫、仲間としてその安全を確認できないと安心できなくなっていたようだ。今が幸せだからこそ、何か落とし穴がないか不安になったのだろう。
彼の座右の銘に『禍福は糾える縄の如し』というものがあるが、これは幸せと災いはより合わせた縄のように交互にくるものだということわざだ。それを転じて、彼は悪いことがあった時はこれも将来の糧になるとできるだけ前向きに捉え、いいことがあった時には調子に乗らないように自分を戒めるようにしていた。
結婚妊娠出産と、ここしばらくずっと幸せな毎日がつづいているからこそ、余計に注意せねばと慎重になっているのだろう。
……そしてその心構えは、少しだけ形を変えて的中する。
『父上、長が直接会って話したいことがあるって……』
ファリス達と共に冒険から帰ってきたシリウスから、その報せはもたらされる。
聖獣の長を名乗る者からの呼び出し。その理由は不明だが、同じ聖獣であるペルグリューンには先のスタンピートの時にも散々お世話になってきたし、それにおそらくは長と会うことは可愛いシリウスという息子のためにもなるはずだ。それにジンが否というはずもなかった。
だが、それは妻や娘、そして仲間や生まれて間もない赤ん坊たちとの一時の別れを意味していた。
こうしてまた新たな問題がジンに降りかかってきたようだが、それも『禍福は糾える縄の如し』。これからジンはそれなり以上に苦労するのだろうが、それでも決して悪い結果になることはないだろう。
それは確たる未来として断言できた。
改めて申し上げます。大変お待たせしてしまい申し訳ありませんでした。
ちょこちょこ私事でトラブルが続いたとはいえ、ここまで更新できなかったのは私の怠慢以外の何ものでもありません。コミック二巻も発売されているのに告知すらできず、多方面にご迷惑をかけ、反省しかありません。
現状や今後の方針、お知らせは活動報告でさせていただきます。
ありがとうございました。




