幸せの始まり
そして毎日は過ぎていく。
期間としてはジン達がリエンツの街に帰ってきてから十日ほどしか経っていないが、ジンにとってはあっという間だった。
雲一つない青空が広がる快晴のその日。リエンツにある神殿の中で一つの結婚式が開かれようとしていた。
「この良き日に貴方達の結婚式を執り行うことが出来ることを喜ばしく思います」
この世界の式は神官の訓示から始まる。その後は新郎新婦が神に祈りを捧げ、そして参列者の祝福を受けて終了となるのが一般的だ。
そして今回、ジン達の結婚式を担当するのはやはりこの人しかいないだろう。それはこの神殿の長であり、レイチェルの祖父でもあるクラークだ。
通り一遍の訓話ではなく、クラークは自らの言葉で語り始める。
「……私が初めてジンさんと会った時に感じた印象は、年齢の割に落ち着いた方だなというものでした」
クラークはジンとの出会いを語る。神殿にある神像の前に佇む見かけない若者。彼の穏やかな雰囲気に促され、クラークは自然と自ら声をかけてしまう。
それがジンとの付き合いの始まりだった。
「その時は一人だったジンさんですが、すぐにここにいるアリアさんやエルザさん、そしてレイチェルの三人と出会い、絆を育んでいくことになります」
ラジオ体操をきっかけに知り合ったエルザに、初心者講習で親しくなったレイチェル。彼女達と臨時パーティを組んだことがきっかけとなり、ジンはまずこの二人とパーティを組んだ。そして少し遅れて、『魔力熱』を巡る一件で力を貸してくれたアリアがギルド職員を辞めてジン達のパーティに参加し、ここで『フィーレンダンク』が誕生した。
「まず最初に出会ったのはアリアさんだったそうですね。初めはギルド職員として、そしてすぐに先達や友人として貴女はジンさんを導いたと聞いております。後にパーティメンバーなった貴女が、ジンさんに並ぶ『フィーレンダンク』の支柱の一つであることは間違いないでしょう」
クラークの言葉がアリアの記憶を呼び覚ます。
弟のような存在だったヒースの死からまだ完全には立ち直れていなかった頃、アリアはジンと出会った。最初の印象は不思議な人。だがそれは決して悪い印象ではなく、むしろジンに好感を抱いていたと言える。その感情はジンとの付き合いが深まるほどに大きくなっていき、時には一緒にいるエルザやレイチェルに嫉妬めいた感情を抱いたこともあるほどだ。
そしてジンへの想いが抑えきれなくなったアリアは、これまでお世話になってきた冒険者ギルドを離れ、ジン達『フィーレンダンク』に加入することになる。
(こうしてジンさんと夫婦になれる。……なんて幸せなんでしょう)
アリアはその内心の通りに幸せそうに微笑んでいる。その彼女がかつてその無表情さから『氷の魔女』と呼ばれていたなどとは誰も信じられないだろう。
「次に出会ったのはエルザさん。今では朝の定番となった『健康体操』がきっかけだったと聞いております。すぐにジンさんと友人になった貴女でしたが、それでも冒険者の先達として自負はあったはずです。その少し後に初心者であるはずの彼の力量が自分より上であることを知ったそうですが、貴女は少しも腐ることなく強くなるための努力を続け、今ではジンさんに迫る強さを身につけました。そして今もその努力を続けています。貴女の真っ直ぐな心根と努力を忘れないその謙虚な姿勢は尊敬に値します」
エルザは自分の原点を思い出す。おしとやかな女性になって欲しいというミリアの想いとは裏腹に、強くなる、最強になるというのが口癖だった子供の頃。そして自分を産んだことで母ミリアが本来の強さを失ったことを知り、それは彼女の確たる目標となった。
だが成長して冒険者になった彼女は、厳しい現実を知る。そんな思うように上がらない技量やレベルに諦めすら感じ始めた頃に、エルザはジンと出会った。
(ジンと出会ったことで私は変わることが出来た。……そりゃあ惚れないわけがないよな)
きっかけは確かにジンであったかもしれないが、それでも諦めることなく努力を続けたのはエルザ自身だ。エルザは少しばかりの自負と多大なジンへの感謝、そしてそんな彼と結ばれる現在の幸せを噛みしめていた。
「そして三番目が私の孫でもあるレイチェルです。私は彼女がジンさんのことをもっと知りたいと言ってきた時の事は今でも忘れられません。後にジンさんと同じ冒険者になった彼女は彼のパーティの一員となり、みるみる内に成長していきます。その内面の成長はもちろん、レイチェルの癒やしの力は今では私すら超えているかもしれません。……私はこの神殿を預かる長として、そして祖父としてもレイチェルのことを誇りに思います」
レイチェルがジンの姿を初めて目にしたのは、神殿で祈っていた彼が柔らかな光に包まれた場面だった。その姿に神の存在を感じた彼女はジンに興味を持ち、初心者講習をきっかけにジンと深く知り合う。『加護持ち』故の疎外感に苦しんでいた彼女だったが、ジンと話せば話すほどその苦しみは消えていく。過去の記憶は消えなくとも、レイチェルは前向きに考えることが出来るようになっていた。
その後レイチェルは見違えるような成長を見せるが、精神面はともかく『回復魔法』の技量については少しばかり祖父馬鹿が過ぎるかもしれない。
(もう、お祖父様ったら。嬉しいけど褒めすぎです)
過大評価だと恥ずかしくなるレイチェルだったが、それはそれとして彼女も段々とジンと結婚をするという実感が湧いてきていた。
(……ふふっ。本当にお爺さんだったとは思いませんでしたね)
当初クラークのように安心できる人とジンの事を評していたレイチェルだったが、それこそ自然にいつの間にかジンのことを男性として好きになっていた。レイチェルはジンが異世界から来たことも、そして向こうでは老人だったことも知っている。このことをジンから告白された時は確かに驚いたが、そんなことよりも自分達を少なからず意識しているという告白の方がずっと驚いたし、嬉しかった。その後こうして結婚に至るまでには長い時間を要したが、今日この時をもってそれは思い出へと変わるのだ。
「そしてジンさんは新たな家族を得ます。トウカちゃんやシリウスくん。それは私にとっても驚きでしたが、守る者を得たことでジンさんはさらに強くなったのでしょう。……いえ、それはアリアさんやエルザさん、レイチェルも同じなのですね。『魔力熱』、『迷宮』、そして『暴走』。仲間や家族が増える度に、貴方達はより大きな成果を上げていきました」
ジンのすぐ隣にはトウカとシリウスが並んでいる。この結婚はアリア達三人とジンだけのものではなく、正式に彼女達の娘と息子となるトウカとシリウスのものでもある。転生者の孫であるトウカと、聖獣の幼子であるシリウス。血は繋がっていなくとも、二人はジン達にとって欠かせない家族だ。
「中でも、有角族の皆さんの到来は、私のような神殿に属する者にとって最も大きい出来事だったと言えます。そして彼らがこの世界で問題なく生きていくためにと、ジンさん達は誰に言われずとも自ら力を貸しました。私はそんな貴方達のことを心から誇りに思います」
もしジンがいなかったとしても、有角族はいずれこの世界に受け入れられただろう。だが同時にその歩みが遅かったであろうことも容易に想像がつく。たまたま有角族が出現した地域にジンがいたこと、これは偶然ではあったが、奇跡と言っても差し支えない出来事だった。
「そしてジンさん達は、その有角族の中からファリスさんという新たな仲間を得ました。私は今後の皆さんの活躍が楽しみでなりません」
ジン達とは少し距離がある参列者の席で、ファリスはこの結婚式を見守っている。いつか自分もあの場へというのはファリスの夢の一つだが、今はジン達の仲間としてここにいられるだけで満足するしかない。
(うん、頑張ろう!)
彼らの仲間として相応しい力を身につけ、そしてジンとその家族ともっと絆を深めていく。まずはここからと、ファリスは改めて努力することを誓っていた。
「今日この日をもって、貴方達は『フィーレンダンク』の仲間や友人、恋人という関係から一歩先に進むことになります。妻として、夫として、そして親として。それら新たに構築される関係が、貴方達にとってより良きものになることを私は心から願っております」
クラークは深く一礼し、式は次の段階へと移行する。
「では、これより私クラークが神の代理として貴方達の結婚の意志を確認させていただきます。ジン、アリア、エルザ、レイチェル。一歩前へお進みください」
いよいよだと、ジン達は緊張の面持ちで一歩前に出る。そしてクラークがジンに問う。
「ジンよ。汝はアリア、エルザ、レイチェルの三人を妻とし、生涯愛し続けることを誓いますか?」
「はい。誓います」
ジンはクラークの目を真っ直ぐに見つめて応える。彼にもう三人の奥さんを迎えることに対する抵抗はない。クラークもその迷いのない応えに満足そうに頷いた。
「ではアリア、エルザ、レイチェルよ。汝等はジンの妻として、そしてトウカ、シリウスの母として彼らを生涯愛し、慈しみ続けることを誓いますか?」
「「「はい、誓います」」」
アリアが、エルザが、レイチェルが、それぞれが最高の笑顔で応える。彼女達は幸せの最高潮にあった。
「よろしい。では神の元で結婚を誓いなさい」
クラークに促され、ジンはその場で片膝をつき、アリア達も少し腰をかがめる。そしてそれぞれが神に祈り始めた。
(この度、私ジンはアリア、エルザ、レイチェルの三人を妻に迎えます。……私は今とても幸せです。本当にありがとうございます)
様々な想いが溢れそうになり、ジンは想いを上手く表現できにでいた。ただ今幸せであること、そして今後もっと幸せになりますと想いを心から伝える。そして改めてこの世界に来ることができた感謝と、ここまで見守ってくれた感謝を神様に捧げた。
結婚式という一大イベントということもあってこれまでで最大の想いがこもっていたかもしれないが、それでもこの想いはある意味いつもの祈りの延長線上にある。そして、だからこそ今後ジンがこの気持ちを忘れてしまうことはないと断言できた。
――この時、祈りを捧げているジン達をいくつもの光条が照らす。それはかつてジンがこの世界で初めて祈った際にレイチェルが見た光景と同じだ。まるで祝福するかのように、どこからともなく柔らかな光が祈り続けるジン達に降り注いでいた。
「「「「おめでとう!」」」」
こうして神様への結婚の誓いをもって結婚式は終了した。指輪の交換は式の前に済ませていたし、誓いのキスについては絶対に遠慮したいとジンはその情報すら伝えていない。お嫁さん達のドレスなどこだわりはあったが、結婚式自体はこの世界の常識に沿ったものだった。
参列者達がジン達を囲み、それぞれが祝福の言葉をかける。
「しかし驚いたぞ。まさか奇跡をこの目でみることができるとは」
少し興奮気味のバーンだったが、それも無理はない。僅かな時間ではあったが、どこからともなく降り注いだ光がジン達を包んだのは紛れもない事実だ。
「実際に自分の目で見たわけじゃないからな。奇跡と言われてもピンと来ないよ」
「ふふっ。でも私は感動しましたよ? 神代ならともかく、今の時代で神様から結婚を祝福された人なんて聞いたことありませんでしたから」
「祝福……してもらえたのなら嬉しいですね」
奇跡と言われると大仰な気がしてしまうジンだったが、クラークが言うように祝って貰えたのだと考えると素直に嬉しかった。
「言うまでもないかもしれないが、さっきの光については他言無用でな」
「くくっ。まったく、次から次へとびっくり箱みたいな奴だな、ジンは」
グレッグとしてはまた秘密が増えたと頭を抱えたい気分だったが、ガンツはこの状況を笑い飛ばす。冒険者ギルドの長という責任ある立場のグレッグは違い、現在はただの自営業者であるガンツは気楽なものだ。
「はははっ。グレッグは相変わらず心配性だね」
「でしょう? まあそれがこの人の良いところでもあるけどね」
ミリアとメリンダも笑顔で旧交を温める。一応メリンダも副ギルド長という責任ある立場にあるはずだが、どうやらガンツよりの考え方らしい。
「最後の光は別にしても、いい式だったと思うわよ」
「アリア達も綺麗に着飾ってて素敵だったわ」
シーリンやヒルダも満足げに微笑んでいる。オーダーメイドのドレスとシーリンから借りたイヤリングやネックレスは、アリア達三人をいつもより何倍も魅力的にしていた。
「ぐすっ。綺麗だよ、レイチェル……」
「もう、あなたったら。何も泣かなくても」
男泣きのマクスウェルを苦笑しながらクラウディアが慰めるが、そのすぐ側にいたマキシムも泣くまではいかないものの涙ぐみながらエルザを見つめていた。
「……男親は皆こうなるものなのだろうか?」
「あれ、クルトのとこもそうだったんだ。うちも姉様が結婚する時に泣いちゃってたんだよねー」
もしかしたら将来自分もと戦々恐々とするクルトに比べ、フェルはあっけらかんとしたものだ。そしてヴィーナはというと、見ていたのは全く別のところだった。
「トウカちゃんとシリウス君もお疲れ様。二人共可愛かったわよ」
「ありがとう、ヴィーナお姉ちゃん」
《姉上は可愛い。でも、シリウスも可愛い?》
トウカは真っ白なワンピースを身に纏い、頭にも白い花を模した髪飾りをつけておめかししている。褒められて嬉しそうに笑顔を見せるトウカだったが、シリウスは可愛いと評されることが少し微妙なようだ。嬉しくないわけではなさそうだが、尻尾の振りは明らかに鈍かった。
「ふふっ。トウカとシリウスもこっちにおいで」
そんなトウカとシリウスにジンが声をかける。名残惜しいが、いつまでも神殿を独占しているわけにもいかない。ジンは家族全員で集まると、参列者の皆に向けて最後の〆となる謝辞を始める。
「皆さん、本日は私達の結婚式に参加していただき誠にありがとうございました。こうして皆さんに祝福してもらえて、私達は本当に嬉しいです」
たくさんの人々に祝福され、ジンは幸せだった。その気持ちのままに言葉を紡ぐ。
「今日私達は夫婦に、そして家族になりました。より一層しっかりしなければいけないなと、私自身身が引き締まる思いでいます。ですが、私達がまだまだ未熟であることも事実です。これまでと同様に皆さんの知恵やお力を借りることもあると思います。どうか今後ともご指導ご鞭撻のほどをよろしくお願い致します」
ここでジンは一旦言葉を切り、横に並ぶ家族へと視線を向けてから改めて口を開く。
「本日はどうもありがとうございました!」
「「「「ありがとうございました!」」」」
ジンの後にアリア達全員が続く。そしてそんな彼らを列席者達の拍手が包むのだった。
しばらくして拍手が落ち着くと、ジンは再び笑顔で口を開く。
「この後は一旦解散しますけど、お昼から『旅人の憩い亭』で打ち上げをしますので是非参加してくださいね。紹介したい人がたくさん来ますから」
この後の打ち上げには、ジン達が親しくしている人達がほぼ全員集まる予定だ。彼らはここにいる参列者同様にジン達の人生には欠かせない人々なので、特にミリアやマクスウェル達のように普段はリエンツにいない人達には紹介したかった。
「もちろんそのつもりだが、とりあえず馬車で出るところまでは見送るよ」
「そうだな。ここで解散なんて締まらないしな」
グレッグの提案にガンツはすぐ反応したが、他の参列者達も異論はない。
ジン達は派手なドレス姿のまま街を練り歩くつもりはないので、この後神殿前に待たせている馬車に乗って一旦自宅へと戻る予定だ。その後はいつもの服装に着替えてから打ち上げ会場へと移動する運びになっていた。
「ありがとうございます。それでは早速移動しましょうか」
そう言うとジンは奥さんや子供達と共に神殿の入り口へと移動し、外へと繋がる扉を開ける。その瞬間、ジン達を割れんばかりの歓声と拍手が包んだ。
「おめでとう!」
「幸せになれよ!」
「ちっくしょー。うらやましいがおめでとう!」
「きれー」
「ありがたやありがたや」
そこにいたのはエイブやクリスなどのジン達と関係が深い者達だけではない。後ほど会場で合流する予定の彼らだけでなく、ジン達が結婚式を挙げると聞いた街の人々が、街の恩人でもある彼らの結婚を自分達も祝福したいと大勢集まっていたのだ。
(こんなに祝ってもらえるなんて……)
それは思いがけない光景ではあったが、徐々にジンの心に喜びがわき上がってくる。これはジン達がこれまで積み上げてきた絆が結実した瞬間と言えるだろう。
「ありがとう! 幸せになるよ!」
満面の笑顔で手を振るジンに、より勢いを増した歓声と拍手が応える。この場には笑顔が満ちあふれ、たくさんの笑顔がジン達を包む。
リエンツの街を包み込む祝福の音色は、その後もしばらく止むことはなかった。
――そしてこれは彼らの始まりの物語でもあるのだ。
皆様の応援のおかげで、ようやくここまで来ることができました。
ありがとうございます。
次回、日曜日に更新予定のエピローグにて完結となります。
最後までお付き合いのほど、どうぞよろしくお願いします。




