旅路の途中で
「それじゃあ今日はここまでにしようか」
徐々に夕闇が濃くなって来たこともあり、ジンはゆっくりと馬車を止める。それに続いて後ろに着いてきていたもう一台の馬車も止まった。
既に彼らが村を出発してからそれなりの日数が経っており、王都まで残すところあと半分というところまで進んでいた。
「それじゃあ、今日もいつも通りの手筈だな。いくぞ、ホープ」
「了解です。ファリス殿」
後ろの馬車から降りたファリスは、身長が二メートル近い大男に声をかけると、テキパキと慣れた様子で野営の準備を始める。
「さあ、ティア。私達も行きましょう」
「はい、姫様」
こうした野営の準備には姫であるシェスティも参加している。
シェスティは姫という立場は既に意味がないと考えており、後ろ盾を得るまでは姫という立場が必要になるので仕方がないにしても、一緒にこの世界に来た者達が落ち着いた後は自分もただの一般人として生きていくつもりだった。
この考えを聞いて旅の同行者の一人である侍女のティアも一応は納得したものの、それはそれとしてシェスティがどのような立場になろうとも仕える気なのは変わっていない。その時には現在のような主従の形ではないかもしれないが、それでも何らかの形でシェスティの役に立つつもりだ。
ティアは王族としての責務を果たそうとするシェスティのことを敬愛しており、村に残った者達の中にも同じように考える者がたくさんいた。
「私達も行きましょう」
「了解」
「トウカちゃんは私のお手伝いね」
「はーい」
アリアとエルザも野営の準備を、レイチェルとトウカは今晩の夕食作りにとりかかる。
『父上、お手伝いある?』
「いや、いいよ。行っておいで」
『了解! 見回り行ってくる!』
ジンはまだまだ走り足らなそうなシリウスに笑顔で行ってらっしゃいを伝える。
やはり少しずつ成長してきているのか、シリウスはこの旅の間はずっと馬車に併走しっぱなしだというのにこの元気の良さだ。
それはジンの頬を緩ませるのに充分であったが、同時にごく僅かではあるが心のどこかにしこりのようなものを感じさせた。
(ゆっくりでいいんだぞー)
シリウスが充分な成長をした暁には、聖獣としての役目を果たすためにジン達の元から去ることになる。ジンはシリウスの成長が嬉しかったが、同時に将来の別れを思わずにはいられず、少しだけ寂しくもあったたようだ。
「……さ、俺もやりますか!」
だが、親離れ、子離れはいわば成長の証であり、いつか必ずしなければならないものだ。
ジンはかぶりを振って己の弱気を吹き飛ばすと、気合いを入れ直して野営の準備へと取りかかるのだった。
――今回の旅には、魔人族のシェスティと竜人族のファリス、そして鬼人族からデオンの代わりにホープがそれぞれの種族の代表として同行している。
このホープは争いことを好まない穏やかな性格の術士だが、身長百九十五センチのがっしりした体格の持ち主でもあるため、個人の優秀さはもちろん他の二人に足りない迫力のある容姿であることからも選ばれていた。
シェスティがいない間のまとめ役として、それに次ぐ地位のファリスかデオンのどちらかは残る必要があったが、デオンは誰よりも早くこの世界の言語を習得しており、教師役としても最適だったこともあって彼が残ることになったのだ。
最後に侍女でありシェスティの乳兄弟でもある魔人族のティアが加えたこの四人が、ジン達と共に王都に行くメンバーだ。
本来はもう少し多くなる予定だったが、もう王女という地位は関係ないとシェスティが固辞し、護衛としてもジン達で充分と説得していた。また、移動のために必要な馬車がジン達の物以外はグレッグ達が置いていった一台しかなかったという物理的な理由もあった。
ともあれ、結果として仰々しくならない必要最低限の人数になったと言えるだろう。
何事もなく野営の準備は終わり、お楽しみの食事の時間が始まる。
今夜のメインは牛肉とタマネギの甘辛醤油炒めで、添えるのはパンではなくご飯。しかも炊きたてと、メインとの相性は抜群だ。
「お父さん、今日も美味しいよー」
「うむ。甘辛醤油味の肉とタマネギ、そして炊きたての白飯! 最高だ!」
美味しそうに食べてくれるトウカとエルザの姿に、ジンもニコニコと満面の笑みを浮かべている。
肉とタマネギはジンお手製の焼き肉のタレで炒めており、この味付けと炊きたての白ご飯のコンボはエルザの大好物だ。
「美味しいです・・・・・・」
ティアが少しだけ悔しそうなのは、侍女としてのプライドがあるからなのだろうか。ご飯を炊くのに少しコツがいるだけでメインはシンプルで簡単な料理なのだが、もしかしたらジンが持つランク4の料理スキルが微妙に仕事をしているのかもしれない。
「お醤油もお米も食べるのは久しぶりです。こういう料理の仕方もあるんですねー」
魔法のような決定的な違いもあるが、ファリス達がいた世界とこの世界との共通点は意外な程多く、醤油や米もその一つだ。とはいえ彼女達の国ではそこまでメジャーなものではなかったようだが、地域によっては米を主食とするところもあったそうだ。
「私はファリスさん達の世界のお料理にも興味があります。ティアさんはお料理もされていたんですよね?」
「はい。姫様の食事を用意するのは私の仕事でしたから」
「ティアも結構料理上手なんですよ。材料が限られているのに色々と工夫してくれて…………あれ?」
シェスティは各地に慰問に出ることも多く、野営しなければならない際の食事は主にティアが担当していた。保存性を第一に考えた限られた食材で飽きさせない料理を作るティアの腕前は、確かに料理上手と言えるだろう。
しかし、ここまでの旅路で出た食事には生肉や新鮮な野菜が多く使われており、保存食はほとんど使われていない。シェスティもようやくその違和感に気付いたようだ。
「ティアさん、良かったら今度料理を教えてくれませんか? 王都には色んな食材がありますから、もしかしたら元の世界の作物に似たものがあるかもしれませんし」
話題を変えるという意味もあったが、ジンがティア達の世界の料理について知りたいと思っているのも事実だ。
ジンは自分が異世界出身者であることは話したものの、自らの特異な能力についてはほどんど明かしていない。『鑑定』の存在に加え、自分だけが言葉が通じた訳として、翻訳スキルの能力の一部を伝えただけだ。当然魔法文字も読めることなどは話していないし、新鮮な食材を使って料理が出来る理由である『無限収納』についても同様だった。
「私でよろしければ喜んで」
ただ『無限収納』の存在は知らなくとも、その類いの秘密をジンが抱えているであろうことはシェスティ以外は気付いていた。噂が無秩序に拡散することを防ぐため、彼らはここまで一度も街によることなく来ているが、にもかかわらず今でもシャキシャキでみずみずしい野菜が食べられるのだ。不思議に思って当然だった。
「ティアさんも次から一緒に料理されますか? こちらの世界の料理にも慣れていた方が良いと思いますし」
「え? よろしいのですか?」
だからこそ、このジンの提案はティアにとっては意外なものだった。料理とジンの秘密は直接的に繋がるからこそ、自分は関わってはいけないとティアは考えていたのだ。それは少し考えすぎではあったが、それだけジンに恩を感じているということなのだろう
「わあ。それはいいですね」
「ティアお姉ちゃん、トウカも教えて欲しいです!」
レイチェルとトウカが諸手を挙げて賛成する。
「……喜んでお手伝いさせていただきます。どうぞよろしくお願いします」
そのティアの微笑みは、今までのそれよりもはるかに柔らかいものだった。
「えーっと、うん、これでいいのよね?」
「はい、姫様。これでよろしいかと」
遅ればせながらジンの秘密の一端に気付いたシェスティだったが、彼女もだからといって問いただそうという気は更々ない。戸惑いつつ自問自答する彼女に、ファリスが微笑みながら太鼓判を押していた。
「ふふっ。ああ、ホープさん、お替わりはどうですか?」
ここでジンは空っぽになった皿を切ない目で見つめていた人物に気付く。
「いただきます」
食べることに夢中なホープ君、食べ盛りの二十六才だった。
お読みいただきありがとうございます。
現在確定申告や予定外のトラブルもあって諸々かなり遅れています。
次回更新は一週間後くらいになるかもしれません。どうかご容赦ください。
ありがとうございました。