絆
「ジン! 俺は……俺は嬉しいぞ!」
ほどよく酔いが回ったバークが、目を潤ませながらジンの肩をバンバンと叩く。
ジンがガンツと話をした翌日、自宅で開かれた打ち上げが始まってから約一時間が経とうとしており、既にジン達がしばらく街を離れることや、戻って来た際にはアリア、エルザ、レイチェルの三人と結婚することも参加者全員に伝えていた。そしてその結婚こそが、彼がここまでの喜びを見せる理由であった。
ジンがこの世界に来て初めて出会い、そして友誼を育んだバークは、夫婦共にアリアと浅からぬ因縁がある。
五年ほど前、冒険者だったバーク夫婦は同じ孤児院出身のアリアのことを何かと気にかけており、それなりに親しい関係を築いていた。また、アリアの弟分であったヒースもパーティに加えるようになり、その関係性は少しずつ深まりつつあった。だが、妻ベスの妊娠により二人は冒険者をしばらく休業せざるを得なくなり、そしてその間に臨時パーティを組んで活動していたヒースを含む他のパーティメンバーが冒険中に命を落としてしまったのだ。
それ以降バーク達は自分達が休業しなかったらと自分を責め、アリアはアリアで自分が彼らのパーティに参加していたらと己を責めると、お互いにお互いに罪悪感を覚えてしまい、その結果お互いのことを気にしつつも疎遠になってしまっていたのだ。ようやくそれが解消したのは一年ほど前、ジンという共通の友人の仲立ちのおかげであった。
「本当におめでとう。……アリア、幸せになるのよ」
バークの妻ベスもまた、潤んだ目で隣に座るアリアを見つめる。その手はテーブルの上に置かれたアリアの手にしっかりと重ねられていた。
その脳裏に浮かぶのは、今はもういないパーティメンバー、そしてアリアの弟分ヒースの姿だ。もし自分が妊娠しなかったら彼らが亡くなることはなかったし、アリアの心に深い傷を負わせることはなかった。そう考ていた彼女もまた、アリア同様に心に深い傷を負っていた。ジンの登場によりアリアとの関係は改善し、アリアの笑顔を再び、いやそれまで以上に見ることができるようになったことが、どれほど彼女の心を癒やしたことか。 そのアリアが、今度は結婚という幸せを得るというのだ。しかもその相手が友人であり、恩人とも言えるジンなのだから、その喜びもひとしおだった。
「……はい!」
アリアは笑えるようになった今でも、ふとした拍子に亡くなってしまった人達のことを思い出すことがある。可愛い弟分であったヒース。そして十三歳という若さで冒険者になった自分を気にかけ、何かと世話を焼いてくれたゴンゾやヘイトリッド達のことを。以前は悲しみだけだったが、今では優しい思い出として故人を偲ぶことができるようになっている。
脳裏に浮かぶ様々な想いを込め、アリアは満面の笑顔と共にただ一言で応えていた。
そんな彼らを、少し離れたところから見守る何対もの瞳があった。
「ふふっ。バークさん達の気持ちは凄くよくわかるわ。……私も感慨深いもの」
ギルドの受付嬢として働いてきたサマンサは、冒険者だったころのバーク達のことも知っていたし、アリアとは彼女が一番辛い時期を共に過ごしていた。そしてアリアがジンとで会い、少しずつ変化していく様も、すぐ近くで見守っていたのだ。
「そうだな。ジンが来て一年半くらいか? 本当にこんな日が来るとは……」
グレッグもまた感慨深げにつぶやく。グレッグがリエンツの冒険者ギルドの長となってもう二十年以上が経つ。その間にはアリアのように身内を亡くす者達の姿をいくつも見てきた。だが、アリアほど気にかけてきた者は他にはいない。
元々両親とは親しくしていたが、それくらいなら他にもいる。だが十三才という若さで冒険者になった者も、その実力を早くから開花させた者もいなかった。……そして彼女は二度目となる身内の死を経験した。落ち込む彼女を見かねて冒険者ギルドの職員として無理矢理引き込んだが、四年という歳月が過ぎても尚、アリアがその顔に笑みを浮かべることはほとんどなかった。『氷の魔女』――その字名の由来を、今のアリアから想像できるものはいないだろう。
「ほんとジン君が来てから変わったわ。アリアも、そして私達もね」
メリンダが優しい目でサマンサを見つめる。サマンサのお腹はすっかり大きくなっており、そこにはメリンダ達家族全員が待望していた子供がいるのだ。メリンダにとっては実子ではないが、気持ちとしてはそれと同然だった。
「アリアが冒険者に復帰してジンとパーティを組むようになり、そして結婚か……。お前達が言うとおりになったな」
魔力熱解決のため、ジン達と共にまだ冒険者ギルドの職員だったアリアが旅立つ際、サマンサとメリンダの二人はグレッグにそう覚悟しておくようにと話していた。
「ん~、私は姉さんとは違って、それほど自信があるわけではなかったんですよ? ただ一番近くでアリアを見ていましたから、アリアの気持ちはわかっていましたけど」
「あら、私も別に自信があったわけではないのよ? ただ勘が働いたっていうのかしら。何となくジン君が三人とも受け入れる気がしていたのよね~」
サマンサはアリアの去就について予想していただけだったが、メリンダはエルザやレイチェルの今後についても言及していた。
メリンダはエルザとは個人的に付き合いもあったのでまだ理解できるが、レイチェルについては接点がほとんどなかった。しかも三人とも娶るということは、当時はまだ無名だったDランクのジンが、それだけの伴侶を持つに相応しい功績を世間に示すだろうということも予想していることになる。恐るべきメリンダの勘の良さと言えるだろう。
「ふっ。だが、そんなお前もジンがトウカを引き取ることまでは予想できなかったな」
「そりゃそうよ。しかもジン君はまだ二十才前なのよ? さすがにあれにはビックリしたわ」
グレッグに言われるまでもなく、ジンがトウカを連れて王都から帰ってきたのはメリンダにとって完全に予想外だった。だが、普通なら障害になりかねないトウカというジンの娘をきっかけにして、アリア達は自分達の気持ちを再確認し、それでジンとの関係が一歩前に進んだのだから、何が幸いとなるかわからないものだ。
「……でも、ほんと良い子達ですよね」
自分の子もそうなって欲しいと思っているのか、サマンサは無意識に自らの大きくなったお腹をさする。彼女の視線の先には、この打ち上げに参加している子供達。ソファーに座っておしゃべりをしているトウカ、アイリス、ニルス、そして普通の子犬の姿をしたシリウスの姿があった。
「えへへ~。シリウスちゃん、いいこだね~」
アイリスがニコニコと満面の笑顔でシリウスを撫でる。地震が起こった日からまだ十日ほどしか経っていないが、その時までは小型犬だったシリウスは、その後中型犬サイズまで一気に成長している。普通なら異常な成長速度に疑問を持つところだが、アイリスは凄いなと思うだけで、特に気にした様子を見せていない。
また、地震の際にシリウスは大中小それぞれのサイズで聖獣の姿を周囲に見せていたが、その多様さから狼型の聖獣の姿は人によって思い描く姿が違っており、共通認識としては狼型の聖獣というものだけになっている。その結果、聖獣と共にいたトウカの姿は変わらないものの、その横にいる茶毛のシリウスを確信を持って聖獣と結びつける者はそれほど多くなかった。
とはいえ、そうではないかと考えている者は少なくないが、確信を持っている者も含め、幸いにして街の恩人たるジンのお願いを無視してまでトウカに確認しようとする者も、無責任に噂を広げる者もいなかった。
「ほんとにかしこい子ですね。こんなにおとなしくしている子は初めてです」
バーク達の子、ニルスもおずおずとシリウスを撫でている。打ち上げが始まってからこれまでずっとトウカの側で大人しくしていることに驚きはするものの、彼もまたシリウスが聖獣であるとは夢にも思っていない。
《アイリスも良い子。ニルスも小さいのに賢い。もっと撫でてもいい》
この満足げなシリウスの思念は、トウカにだけ聞こえている。『念話』を習得したシリウスはよくおしゃべりをするようになったが、その中でも最もよく話をするのはやはり一緒にいることが多いトウカだった。
「うふふ。シリウスは自慢の弟だからね~」
《姉上も自慢の姉上》
弟を褒められて上機嫌のトウカがそう言ってシリウスの頭を撫でると、シリウスもそれに応えてその手に頭をこすりつけて甘える。種族は違うが、その結びつきは仲の良い姉弟そのものだった。
ひとしきりシリウスを可愛がって満足したのか、しばらくすると今度はアイリスの興味がトウカに向かう。
「ねえ、トウカおねえちゃん。けっこんっておよめさんになることなんだよね? いいなーおよめさん」
「いいよねー。私もお母さんが三人もできて嬉しいんだ」
トウカも笑顔でアイリスに応える。姉と慕っていた三人が母になる。それはアイリスが夢見ていたことでもあった。
「そっかー。ジンおにいちゃんのおよめさんだから、トウカおねえちゃんのおかあさんになるんだ。いいなー。おねえちゃんたちやさしいもんね~」
迷子だった自分を助けてくれた時から、アイリスにとってジンは大好きなお兄ちゃんだったし、彼と一緒にいるアリア達も優しくしてくれるので大好きだった。そのお姉ちゃん達が母になるなら嬉しいだろうなと思うアイリスだったが、ふと疑問に思う。
「おかあさんが3にんになるの? アイリスはおかあさんひとりだけだよ?」
父オルトの妻は、母イリス一人だけだ。祖父であるシラクも妻はダーナだけなので、母親、ひいてはお嫁さんが三人という状況に幼いながら疑問を感じてしまったようだ。
「うーん。お父さんの好きな人がお姉ちゃん達三人で、お姉ちゃん達もお父さんのことが好きだから結婚するんだと思うよ?」
トウカほどの歳になるとこの世界の多夫多妻についても理解しているが、それをまだ幼いトウカに説明するのは早いだろう。わかりやすく応えたつもりのトウカだったが、それならとアイリスも思うことがあるようだ。
「ならアイリスもジンおにいちゃんとけっこんする! アイリスもおにいちゃんすきだし、おにいちゃんもアイリスをすきだもん!」
それは幼い子供にはよくある無邪気な発言だったし、真面目に受け取る必要はないだろう。だが、何故か素直に肯定することがトウカにはためらわれた。
「……結婚するには今の私よりもっと大きくならなきゃ駄目だから、アイリスちゃんが大きくなったらできるんじゃあないかな~」
「えー、おおきくならないとだめなの? なら、アイリスはやくおおきくなる! おやさいをたべたらおおきくなれるっておにいちゃんもいってたし!」
「あははは」
アイリスの意気込みが割と本気に思えたトウカは、苦笑いでごまかす。「モテる?」父親の存在が誇らしくもあり、そしてどこかモヤモヤするトウカであった。
そしてそんな微笑ましい光景は、少し離れた場所からたくさんの人に見守られていた。
「うふふ。アイリスったら、ほんとにジンさんのことが好きなのね」
「父親としてはちょっと複雑だよ。ついこの間までお父さんと結婚するって言ってたのに……」
アイリスの結婚発言を遠くから聞いていたイリスとオルトの夫婦が、それぞれ笑顔と苦笑いで会話を交わす。子供の戯れ言と一言で済ますのは簡単だが、それでもその親としては良かれ悪しかれ成長を感じるもののようだ。
「わはは。ジンなら嫁が四人になっても文句は出まい。こりゃあ将来が楽しみじゃないか」
もちろん本気ではないが、オルトの隣に座っていたガンツは愉快そうにオルトをからかう。
「いやいやガンツさん。いくらジンさんでも、そう簡単にうちの娘はやれませんよ」
一応冗談のつもりで返すオルトだったが、傍から見ると100%冗談で言っているようには見えない。その見え隠れする本音に周囲は笑いを誘われる。
「あはは。アイリスなら喜んで仲間に迎えますよ? なあ、レイチェル?」
「ええ。アイリスは私達にとっても可愛い妹みたいなものですから」
まずエルザとレイチェルが茶目っ気たっぷりにオルトをからかう。言うまでもないが、彼女達にとっては100%冗談のつもりだ。
「あら、それは嬉しいですね。その時はアイリスのことをよろしくお願いします」
そしてその冗談にイリスが乗っかる。終わると同時にクスクスと抑えきれない笑い声が漏れた。
「……えーっと。その、まさか本気ではないですよね?」
冗談だとわかってはいても、ついそう確認してしまうのはオルトが娘離れできていない証拠か。
「「「あはははっははは」」」
クスクス笑いがすぐに爆笑へと変わっていた。
「あははは。……男親ってのはどうしてこうなのかねえ。うちの人も娘にいい人ができた時は似たようなもんだったよ」
エルザの叔母、シーマが笑いの余韻を残しつつ口を開く。弓職人である彼女の夫はあまり社交性がある方ではなく、ジン達と面識はあるものの今回の誘いは辞退していた。
「わはは。儂は娘を持ったことがないから、その気持ちはわからんがな。いやー息子でよかった」
ガンツが追い打ちをかけるが、ここでやっとオルトに救いの手がさしのべられる。
「ふふっ。私は娘を持つ身でしたから、オルトさんの気持ちはよくわかりますよ」
「クラークさん!」
クラークの慈愛に満ちた微笑みに、オルトは神の癒やしを感じる。オルトにとってジンが問題なのではない。まだ幼い可愛い娘が自分の元を離れる時のことを想像するのが嫌なだけなのだ。
ようやく得られた理解者にすがるオルトだったが、次の一言で現実をつきつけられる。
「まあ、娘はとっくに結婚していますし、可愛い孫娘もこうして結婚するわけです。いずれ子供というのは旅立っていくものですよ」
「確かに」
「そうでないといけませんしね」
「あはは。確かにそうでした」
そう諭すクラークの言葉に、即座に同意するガンツとシーマ、そしてビーン。ただビーンには娘がいたのでオルトの気持ちもわかるのだろう。少しだけ申し訳なさそうな視線をオルトに向けていた。
「それはそうねんでしょうけど……」
既に子供が巣立っている経験者の共通意見にガックリと肩を落とすオルトと、穏やかに微笑むイリスの姿が対照的だ。
再びクスクスと笑い声がこぼれるが、そんなオルトに向けられている視線は微笑ましいものを見ているかのようで優しかった。
(お父さんは元気かな?)
女性達の多くは、オルトを通してそれぞれが遠く離れたところにいる自分の父親の姿を懐かしく思い浮かべていた。
「随分盛り上がってますね」
「なんだなんだ? 楽しそうじゃないか」
そして穏やかな場の雰囲気に誘われ、そこに離れて会話していたジンやグレッグ達が合流する。グレッグはまだ産まれてくる子供が男か女かはわからない状態だが、トウカという娘がいるジンはオルトの同士だ。……それと同時に、現段階ではオルトの嫉妬の対象でもある。
「ジンさ~ん」
恨めしそうにその名を呼ぶオルトの姿に、再び爆笑が巻き起こるのであった。
……娘を愛する全ての男親に幸あれ。
なんとか予定通りお届けすることができました。皆さんのご意見ご感想、本当にありがたく拝見させていただいております。
さて、ここでお知らせですが、書籍版『異世界転生に感謝を』六巻の発売日である9月30日が近づいてまいりました。本の厚みには定評のある本作ですが、今回はさらに分厚く、これまでで最大のボリュームとなっております。また、帯にはちょっとしたお知らせが書いてありますので、それもどうぞお楽しみに。
私はこのお話をいただいた時、凄く嬉しかったです。
次回更新は書籍発売後の10月頭を目指して頑張ります。
ありがとうございました。