激戦
――それはまさに激戦だった。
「があっ!」
マッドエイプの腕の一振りを受け、Cランク冒険者が後方に吹き飛ぶ。
当初集団に対して数体だったCランク魔獣の数は次第に増えていき、今では眼前にいる魔獣のほぼ半分をCランク魔獣が占めている。Bランク魔獣もちらほら見られるようになっており、魔法や矢の援護のおかげで何とか持ちこたえてはいるが、魔獣を処理するスピードは確実に落ち始めていた。
「ちっ! ポーションが効かねえ!」
ポーションの連続使用により、ほとんどHPが回復しなくなってしまった者も出始めている。
「回復魔法が使える数にも限りがある! ポーションが効かなくなった者は後ろに下がれ!」
ポーションが効かない以上、失われたHPを回復する手段は回復魔法しかない。だがその回復魔法もMPを消費するし、失われたMPを回復するには自然回復を除けばポーションを使うしかない。こちらも連続使用により効果が落ちていくので、回復魔法使いのMPは可能な限り節約する必要があった。それに何より、その状態で戦い続けるのは死の危険が大きすぎる。
「ですが!」
「いいからここは任せろ! ……ふん!」
ここまでの戦いで傷つき、後方に下がっている者も出始めている。ここで自分達が離れるわけにはと、反論しようとした冒険者をグレッグが一喝し、その勢いのまま巨大なバスタードソードを横に振るう。
「デュ……」
そして声にならない断末魔と共に、二体のCランク魔獣が肉塊となって吹き飛んだ。
「さっさと下がって休め! お前達が戻ってくるまでくらいは保たせてみせるさ」
その台詞とは裏腹に、グレッグも限界が近いことを痛いほど感じていた。
――そしてその時が訪れる。
激戦が続く中、今では現れる魔獣のほとんどがCランク以上となり、Bランク魔獣の占める割合も一割を超えてきている。それに対する防衛側は損害が激しく、グレッグを始めとしたAランクの者にはまだ余裕があるが、Bランク以下はかなりギリギリの状態だ。
特に開戦当初から戦ってきたCランク上位の精鋭達に損害が激しく、死者こそ出ていないものの、後方の救護テントに担ぎ込まれた者も少なくない。その穴はCランク下位やDランク上位の者達が埋めてはいるが、比べると実力不足なのは致し方ないところだ。
総じて戦況は劣勢と言わざるを得なかったが、それでも人々は諦めることなく『暴走』に立ち向かっていた。
「あれは!?」
だが、そんな彼らを嘲笑うかのように、更なる脅威が姿を現す。
悲鳴にも似た叫び声を上げた弓手の視線の先、一塊になって移動するパラライズモスの集団。その数は五十体を超えており、それだけでも脅威だが、そこに隠れるように黒と赤の影が見え隠れしていた。
「まさか! 変異種!?」
体長六メートルはあろうかという巨大なパラライズモス。通常の倍以上の巨体とその漆黒の体にはしる赤い紋様は、まさに変異種の証だ。Cランク魔獣であるパラライズモスの変異種となれば、その実力は最低でもAランク以上となる。しかも変異の過程で何らかの特殊能力を身につけた可能性もあり、それは脅威以外の何ものでもなかった。
こうした変異種の登場は、ある意味では予想していたことではあった。
魔素が管理されている『迷宮』に変異種が出現することはないが、そうなる直前に極大魔石が壊れて魔素があふれ出たのだから、言わばその周辺が魔素溜りに近い状態になったのだろう。
Bランク以上の魔獣は、そもそも発生するために大量の魔素が必要になることもあって元々の魔素の許容量が多く、変異種になることはない。だが、Cランク以下の魔獣はその影響を大きく受けるので、こうして変異種が生まれたのだろう。
確かに最悪の予想として、変異種が誕生することは想定していた。……だが現実は想定をはるかに上回る。
「あれは……。うそだろ……」
変異種はそのパラライズモス一体で終わりではない。
高台から壁の中を見つめる射手は、漆黒に赤い紋様が集団のそこかしこに見え隠れしていることに気付く。マッドウルフ変異種にマッドボア変異種、更にはAランク相当のマッドエイプ変異種の姿まで。
その数は優に十を超えていた。
「終わりだ……」
ただでさえ手強い変異種が十数体。その事実を目にした高台の後衛達に絶望が広がる。
事実、マッドエイプ変異種一体とっても、ジンと共に戦った数カ月前、Aランクのオズワルドでさえ一対一では厳しい戦いだった。今回のマッドエイプ変異種は四本腕ではないようだが、それでもここから見る限りでさえ二体はいる。その強さの詳細を知らずとも、漆黒に赤い紋様が刻まれたその巨体は、人々の気力を萎えさせるのに十分だった。
「諦めるな!」
絶望感が広がり始めた空気を、メリンダが一喝する。
「ここで私達が諦めたら、それで全ては終わりよ! あそこで戦っている奴らは、傷つきながらもあたし達を守るために踏ん張ってるんだ! ここが女の見せどころ! ここが男の見せどころよ! 変異種だろうが何だろうが、やるしかないの!」
いつになく真剣なその姿は、それだけ事態が逼迫している証左なのだろう。しかし、その言葉は萎えかけた者達の心を再び揺り起こす。
「ここが女の見せどころ! あそこには大切な仲間達、大切な人がいるんだ!」
メリーの想い人ザックは、『巨人の両腕』の仲間達と共に前線にいる。
「ここが男の見せどころ! ようやくゲインの奴が腹を決めたんだ。ミリ―やスピカのためにもここで死なせるわけにはいかない。ついでにエイブもな!」
あいつらのフォローができるのは俺だけだと、普段は冷静なムースが叫ぶことで己の心に活を入れる。
「そうです! 大切な仲間達があそこにはいるんだ! ここが男の見せどころ!」
「ここが女の見せどころ! あたしだってそうよ! クリス達が踏ん張ってるのに、ここで折れてたまるもんですか!」
ダンがオレガノが、そしてその場にいる者達全員が叫ぶ。そうすることで恐怖を打ち消そうとしていたのだ。
「冷静に、でも絶対にあいつらを死なせない! いいわね!?」
「「「「はい!!!!」」」」
メリンダに返すその声から恐怖が完全に消えたわけではない。だが、既にそこに諦めの色はなかった。
「――おいおい、マジかよ」
前線で戦っているグレッグ達の目にも、複数の漆黒の影が映り始めていた。
「グレッグさん、俺が出てもいいですか?」
眼前のレッドベアを大斧で打ち倒しながら、オズワルドはぼやくグレッグに尋ねる。
自分達はともかく、このままでは死者が出るのも遠い話ではない。自分が突出して変異種達の注意を引くというオズワルドの提案は、オズワルドが倒れないという条件付の危険な方法ではあったが、それが可能なら確かに有効な手段の一つだ。
「いや。さすがに一人では厳しい。俺とガンツもいれて、三人で行こう」
「そうなると後の守りが……」
「まあ、そこはあいつらを信用しよう。……聞け!」
「どうやら変異種のお客さんが来ているみたいだから、俺達三人が引きつける。後の守りは任せるから、てめえらも抜かるんじゃねえぞ!」
変異種の強さは、大まかに言えば元になった魔獣の強さによって変わる。たとえばEランク魔獣の変異種であれば最低Cランク相当の強さと、元のランクから最低二ランクアップとなる。
また、魔獣のランクが低いほど変異しやすいためか、この場にいる変異種はマッドウルフやマッドボア等の比較的低ランクの魔獣が元になったものが多いが、マッドエイプやパラライズモスなどのCランク魔獣が元となったAランク相当の変異種も複数確認できる。
Bランク以下の変異種ならともかく、Aランク相当の変異種数体を同時に相手にするのは、たとえグレッグ達三人でもかなり危険な賭けになる。彼らが実力に劣る者達を守るため、自らを危険にさらそうとしているのは明白だった。
「……見せ場は若い者に譲ってくれてもいいんじゃないですか?」
その真意を悟ったエルザが、あえて冗談めかして提案する。
「そうそう、俺達だけじゃ厳しいかもしれませんが、Bランクパーティが二~三組で行けばいけるんじゃないですかね?」
「良いこと言うなザック。俺らもその話に乗るぞ」
ザックやゲインがそれに乗っかるが、それはここで最高戦力であるグレッグ達を失うわけにはいかないと、覚悟を決めたということでもあった。
「その代わりフォローは任せますから、やばくなったら交替してくださいね?」
そう冗談めかすエイブに、エルザ達も同意して笑う。彼らはあくまで仲間のために危険に身をさらすのを覚悟しただけで、決して死ぬつもりではなかった。
「くくっ。……それなら最初は俺らが行くから、やばそうだと思ったらお前らも来い」
「「「はい!」」」
今が窮地であることは事実だが、それでも誰も諦めていない。
――そしてその諦めない心は報われることになる。
『ここは任せてくれ。……「ヴォルカニックレイン」!』
スピーカで増幅された声が戦場に響き渡る。それは反撃への、そして逆転への狼煙だ。
その台詞が終わると共に、壁から出ようとしていた変異種達の頭上から炎の雨が降り注ぐ。そしてマッドエイプ変異種などの一部を残し、多くの変異種ごと魔獣の群れを焼き尽くした。
「「「「おおおおおおお!!」」」」
絶体絶命からの逆転劇。にわかには信じがたいその結果に一瞬の間が空いたが、次の瞬間には大きな歓声が空気を振るわせていた。
「待たせてごめん!」
そして歓声を上げている後方の人壁が割れると、そこをジンが駆け足で抜けてきた。再びジンは戦場へ帰ってきたのだ。
「ジン! ……大丈夫なのか?」
その復活を喜ぶグレッグ達だったが、すぐにジンの様子がいつもとは違うことに気付く。その顔色は青く、浮かべた笑顔もどこか硬かった。
「大丈夫、戦えます」
未だにジンの頭痛は止まず、倦怠感も消えたわけではない。だが痛みも倦怠感も大分マシになった。少なくとも自分の足で立つことができるようになったし、『詠唱短縮』でならば魔法も使える。
たとえ本調子にはほど遠い状態でも、こうして誰の力も借りることなく立つことができるのなら、ジンに休んだままでいるという選択はなかった。
この回復に『癒やしの角』や『快癒の指輪』がどれだけ寄与したかは定かではないが、事実として『癒やしの角』はそのサイズを減じている。今もジンは指輪だけでなく、角も紐をつけて首にかけていた。
そしてジンは己の言葉を肯定するかのように、『無限収納』を使って弓矢を呼び出すと、古代魔法でも仕留めきれなかった変異種に向けて続けざまに三連続で矢を放つ。その矢は狙いを違えることなくマッドモスの頭部に突き刺さり、それが止めとなった。
「……無理はするなよ」
グレッグは言いたいことを呑み込み、残りの変異種にとどめを刺すためにその場を離れる。ジンの古代魔法により大きなダメージを負っているとはいえ、Aランク相当の変異種が脅威であることに変わりない。
「……よく帰ってきた」
「……一緒にやるぞ」
グレッグに習い、近くにいたガンツやオズワルドらもジンの復活を喜びつつ己の役目に戻る。ジンの古代魔法でその数を減らしたものの、それは一部でしかない。まだまだ戦いは続くのだ。
「ジン!」
他の者とは逆に、エルザはジンに近づく。パーティメンバーとしても当然だったし、何より本調子ではないジンを近くでフォローするつもりだった。
「ちょっとフォローを頼むよ」
ジンはぎこちない笑顔でエルザに応えると、魔獣の対処を彼女に任せ、自らは『地図』を注視する。こうして戦いに復帰できるようになるまで、時間はたっぷりあった。ジンは思うようにならない体に焦燥感を覚えながらも、対応策を考え続けていたのだ。
「HPバーを味方全員に表示!」
イメージを固めるため、ジンはあえて口にする。その台詞が終わると共に、戦場にいる者達全員の後頭部にHPを表す棒グラフが現れた。
『後ろに見えるのはその人のHPを表している。一番右まで青ければ怪我をしていない。赤い部分が多くなるほどダメージをうけてるってことだ。バーの色が青じゃなくて緑になっていたら、それはポーションが効かなくなっている状態という意味だ。それぞれ回復魔法やポーションを使う際の目安にしてくれ!』
ジンはスピーカーで拡大した声で、主に回復役に向けて伝える。これにより、前衛の自己申告前を待つことなく、後衛の判断で適時HPを回復させることが可能になる。それはより確実に前衛の命を守ることにつながるはずだ。
「私達が絶対に死なせません! 思う存分戦ってください!」
「必ず守ります!」
レイチェルが声を張り上げ、それにメグやアシュリーのような神官や回復魔法使い、ポーションを所持した回復役のDランク冒険者達も続く。人々の後頭部に浮かぶHPバーなど、明らかに異質な現象だったが、そこに疑念を挟む者はいない。これならより確実に彼らを守れると、その士気があがっていた。
「さあ、エルザ。俺達も行こうか」
頼もしいレイチェルの言葉にジンは笑みを浮かべる。このHP表示については元の機能の延長だからか、特に負担は感じていなかった。
「ああ、いくぞ!」
ジンを心配する気持ちがなくなることはないが、それでもエルザは笑みを見せる。共にいられるのなら、何も怖いことはない。
黒魔鋼のグレイブに持ち替えたジンと共に、エルザは最前線へと走り出した。
そしてジンを中心に、連携が繋がり始める。
グレッグ達前衛組とメリンダ達後方組を結びつける伝達手段として、ジンの『拡声機能』が役に立った。
『今だアリア!』
『フレイムストーム!』
ジンの合図でアリアが古代魔法を放ち、炎の嵐が魔獣の群れを焼き払う。その威力も効果範囲もジンが使う『ヴォルカニックレイン』には劣るが、それでも火耐性を持たないCランク以下の魔獣はひとたまりもない。数少ない生き残りも、大きなダメージを受けているのですぐに片付く。
消費MPは50と少なくはないが、魔法使いとして高い素質を持つアリアの総MP量は250とジンを超えており、加えてジンが渡している複製MP回復ポーションの存在もあって、アリアなら普通の魔法使いの何倍もの回数で使用することが可能だった。
「行くぞ! エルザ!」
「おう!」
そしてジンもエルザと共に生き残った魔獣の前に向かう。アリアの魔法を受けても生き残るだけあって、そのどれもがBランク以上の魔獣だ。
エルザの大剣がレッドベアの首を刎ね、ジンのグレイブが体のあちこちが装甲で覆われたゴリラ型のBランク魔獣アーマーコングをその装甲ごと肩口から切って捨てる。そこに別のアーマーコングが襲いかかってくるが、その一撃は『無限収納』で瞬時に大盾に持ち替えたジンが防ぎ、エルザの反撃を受けて沈む。そして他の魔獣との距離が少し空くと、ジンは『無限収納』で大盾を弓矢に持ち替え、防御はエルザに任せて空中のポイズンバットをその矢で射貫く。
二人の連携はとどまることがなく、その周囲には魔獣の屍が溢れていた。
「ははっ、やるじゃねえか!」
ジンとエルザの息の合った連携に、グレッグは自らもレッドベアを仕留めつつ笑顔を見せる。ジンの『無限収納』の存在は知っていても、こうしてそれを活用した戦いを見るのはグレッグも初めてだ。その動きはとても本調子ではないとは信じられないほどで、心配していたグレッグは安堵すると共に心から頼もしさを感じていた。
「オズ! お前が稽古つけてやったんだろ? 凄えじゃねえか」
「いや、あれはあいつらの力ですよ。私も驚いています」
大槌で魔獣の頭部を叩き潰したガンツが、更なる獲物を物色しながらオズワルドを褒めたが、オズワルド自身も彼らの成長に驚いていた。特にジンと共に戦うエルザの動きは想像以上のものだ。
「くっ! 今だ!」
「おう!」
「はっ!」
そしてふと横を見れば、傷付いているとはいえ格上のBランク魔獣を相手に負けじと渡り合っているアルバート達やクリス達の姿がある。他にもたくさんの教え子達が、この戦いの最中で成長し続けている。
(これだから教えるってのは止められないんだよな)
オズワルドは彼らの援護に向かいつつ、改めて教えることの醍醐味を感じていた。
『今から魔法を放つ。残敵を掃討しつつ態勢を整えてくれ。……『ヴォルカニックレイン』!』
ジンが使う古代魔法が、壁の内側へと放たれる。その効果範囲には壁の出口付近も含まれており、魔獣が密集していることもあって効果抜群だ。多大なMPを消費するので多用はできないが、激しい戦いを続けている者達が一息入れる時間を稼ぐのにも役立っていた。
古代魔法という圧倒的な威力と範囲を持つ魔法が加わったことで、戦況は再びリエンツ側へと傾いている。このまま行けばと誰もが希望を持ち、長時間の戦闘で疲れた体に鞭を打っていた。
だが、今回のこれは単なる『暴走』ではない。なりかけの『迷宮』が崩壊することで起こったこの『暴走』は、最後に恐るべき脅威を遺していた。
「おい! あれは!」
未だ終わりの見えない魔獣の群れ。そこに一つの巨大な影が見え始める。
離れたところからでもわかるその漆黒の巨体と禍々しい赤い紋様。四つ足で移動していたそれが立ち上がったことで、更にその規格外の大きさが際立つ。
「……まさか、レッドベアの変異種なのか!?」
それは本来あり得ないとされている、Bランク魔獣の変異種の姿だった。
お読みいただきありがとうございます。
戦闘難しいです。
次回は一週間以内にお届けできると思います。
ありがとうございました。