トウカとシリウス
時は地震直後の時点まで遡る。
「きゃっ!」
地面が大きく揺れた時、トウカはアイリスの部屋で彼女に絵本を読んであげていた。
「おねえちゃん、こわい!」
初めての経験で一瞬パニックになりそうになったトウカだったが、アイリスという守るべき存在がいたことで自分を保つことができた。
「大丈夫だよ、アイリスちゃん。お姉ちゃんがついてるから怖くないよ」
「くぅーん」
トウカはアイリスを優しくなだめ、シリウスも泣きそうになっているアイリスの側に寄り添って慰めていた。
「ふふっ、くすぐったいよ。シリウス」
トウカの、そしてシリウスの温もりがアイリスの不安を溶かしたのだろう。アイリスは落ち着き、笑顔も見られるようになった。
「アイリス、トウカちゃん、大丈夫!?」
そして揺れも落ち着く頃、昼食の準備をしていたイリスが、慌ててアイリスの部屋に飛び込んできた。
「イリスさん、お父さんが地震の時はお家の中から一度出ておいた方が良いって言ってました。お庭に行きませんか?」
耐震性能が高い家屋の場合は当てはまらないこともあるが、基本的に地震で怖いのは家屋や家具などの倒壊に巻き込まれることだ。屋外に庭があるならその中心など、できれば家屋やブロック塀などから距離がとれる場所に一旦避難した方が無難だ。
トウカはジンから余震についても教えられており、大人であるイリスよりも地震について詳しかった。
「わかったわ。ありがとう、トウカちゃん。行きましょう」
ジンに対する信頼もあり、イリスはトウカの意見をすぐに受け入れ、アイリスを抱いて一緒に家を出る。
「これは……」
「おかあさん、怖い……」
そして玄関を出た彼女達の目に、前の家の塀の一部が倒れているのが見えた。更に周囲を見渡すと、建物の一部が崩れ落ちている家もあり、家の中にいては気づけなかった被害の大きさにイリスは息を呑み、アイリスも不安げな様子で母にしがみついていた。
「誰か……あの人が、夫がいないの!」
その声は、アイリスの家から数軒離れたところから聞こえてきた。そこにはアイリスの家と同じくらい大きな家があったはずだが、今は潰れてしまって見る影もない。埃で涙の後を残した女性が、周囲に助けを求めていた。
「イリスさんはここにいてください!」
「トウカちゃん!」
トウカはイリスに一声かけると、泣き叫ぶ女性の元へ駆けていく。その後にはシリウスが続いていた。
「これは……。奥さん、旦那さんはどのあたりにいたんだい?」
そこには無事だった近所の男達が集まっていたが、救出しようにも家屋は完全に倒壊しており、どこで瓦礫の下敷きになっているか検討がつかなかった。
「わからないの。お願い、助けて……」
闇雲に瓦礫を掘り返しても時間を浪費するばかりで、早く見つけなければ救助が間に合わなくなる可能性がある。自らも救出の困難さに気付いたのか、女性は懇願しながら泣き崩れた。
(どうしよう。どうしたらいい?)
大人達の後ろで、トウカは何か方法がないかと頭を回転させる。……だが、いくら考えてもいい方法が浮かばない。
(お父さん!)
この場にジンがいたらと、トウカは思わずにはいられない。父なら何とかしてくれるはずだと、トウカは今は遠くにいるジンを探し求めて無意識に周囲を探してしまっていた。
――そして自分を見上げるシリウスの茶色の眼と視線が合った。
「シリウス! お願い!」
「わん!」
即座にシリウスに力を借りることを決めたトウカに、シリウスも何の躊躇もなく諾と返す。そしてその体を震わせると、どこにでもいそうな茶毛の子犬は消え、代わりに白い毛皮と青い眼の聖獣が姿を現した。
「な!」
その姿を見た周囲にいた数人が驚きの声を上げるが、そんなものに気をとられることなく、シリウスは瓦礫の上へと駆け上がる。そして数秒後、ある一点でその歩みをとめ、「わん」と一声鳴いて知らせた。
「そこです! シリウスがいるところの下に人がいます!」
すかさずトウカがシリウスの意を補足し、自ら瓦礫を駆け上がって家の残骸をどかし始める。周囲の人々は最初こそいきなり目の前に現れた聖獣の姿に驚いて動けなかったが、子供のトウカが動いている姿を見てすぐに己に活を入れる。
「すまん、嬢ちゃん。あとは大人に任せてくれ!」
「おう! あとは俺達がやるよ!」
シリウスの姿は、小さくとも聖獣にしかあり得ないものだ。男達は疑うことなくその地点にあった瓦礫を片付けていく。
「――いたぞ!」
ほどなくして、瓦礫の下から傷ついて血を流している男性の姿が現れる。怪我はしているようだが、まだ息はある。歓声があがり、再び妻の女性が泣き出すが、今度はうれし涙だ。
「お手柄だったな、嬢……」
そして救出に尽力していた男達は、一番の立役者であるトウカと聖獣の姿を探すが、既にその時にはトウカ達の姿はない。ここはもう大丈夫だと判断したトウカは、シリウスと共に次の現場へと向かっていた。
――その後もトウカはいくつかの現場を回り、シリウスと共に瓦礫に埋もれた要救助者の場所を伝えては次へ移動する。
「はぁ、はぁ……」
だが、子供の足では限界があり、とても街全てをカバーできるはずもない。そしてある一画にたどり着いた時、周囲に彼女達以外の人影はなかった。
「誰か……」
たまたまその地域に住むほとんどの人が働きに出ていたのかもしれないし、あるいは他の場所に手助けにでていたのかもしれない。いずれにせよトウカ以外に人がいないという事実は変わらない。
「アウォーーーン!」
小型犬サイズのシリウスでは、手助けしようにも限界がある。小さな手で瓦礫をどかすトウカを見つめ、シリウスはここにいるぞと遠吠えで訴えた。
――そして助けは来た。
「すまん! 遅くなった」
くじけそうになるトウカの耳に、そう言って駆け寄ってくる男の声が聞こえた。そこにいたのは、父と同じ冒険者達の姿だった。
リエンツに残っていた冒険者達が、救助のために手分けして街中を廻っていたのだ。
「来てくれてありがとう! ここに埋まっていますので、後はお願いします! シリウス、次に行くよ!」
トウカにとって、彼らのように人々を助ける冒険者はヒーローと同義だ。これでここは大丈夫と、トウカは彼らに満面の笑顔を向け、シリウスと共に次の場所へ行こうとした。
「ウゥーー」
だが、シリウスはトウカの声に応えず、目をつぶって唸るばかりで動こうとしない。
「シリウス?」
どうしたのかと心配するトウカだったが、すぐにシリウスがそうしていた理由がわかった。
「ワォオオオオーン!」
シリウスが大きく吠え声を上げると、その体が柔らかな光に包まれていく。そしてその光が収まると、シリウスは小型犬の姿から、たくましい大型犬くらいの大きさに変わっていた。正確には実際の体は中型犬サイズに成長しており、今の大型犬のサイズの姿は一時的なものでしかない。だが、今はトウカを背中に乗せて走ることができるこのサイズが必要だと、シリウスは体の成長と同時に『サイズ調整』のスキルに目覚めていた。
このシリウスの成長は、すべてはシリウスがトウカの、そして人々の助けになりたいと願う一心からおきたものだ。そして体の成長に伴い、もう一つの能力が発現する。
『姉上! 乗る!』
シリウスはトウカに自分の背を向け、そしてトウカに己の思念を飛ばす。まだ拙くはあったが、それは紛れもなく『念話』だった。
「うん!」
弟の頼もしい姿に満面の笑顔を浮かべ、トウカはシリウスの背中に乗ってしがみつく。
『しっかり。つかまる!』
そしてシリウスは、トウカを乗せたまま走り出す。そのスピードはトウカの駆け足と比較にならない。これならもっと短時間で街中を廻ることができるだろう。
二人はあっという間に冒険者達の視線が届く範囲から去って行った。
「……俺達も負けてらんねえ! 絶対助けるぞ!」
「「「「おう!」」」」
冒険者達は聖獣がいたことにも驚いていたが、それ以上に二人の行動力に目を見張っていた。トウカのような子供さえ、己ができることをしている。それが聖獣の助けがあってのことだとしても、その心根こそが尊い。
その姿に発奮した冒険者達は、更に瓦礫撤去のスピードを早め、見事にその下から人を救い出すのだった。
「――その後は街中を廻ってお手伝いしたから、シリウスは皆に見られちゃったの。ごめんなさい。トウカがシリウスに頼んだから……」
『姉上! 悪くない! シリウス! 助けたかった!』
トウカの眼からは今にも涙がこぼれ落ちそうだ。シリウスのことは秘密にするとトウカはジンに約束をしていたが、その約束を破ってしまったこと、そして大好きな父に迷惑をかけてしまうことが辛かったのだろう。そしてシリウスも、自分もそうしたかったのだと姉をかばう。
だが、そんなことでジンが怒るはずも、そして迷惑に思うはずもない。少し前に到着していたアリア達も、お互いにかばい合う二人の姿を微笑ましそうに見つめていた。
「よくやった! トウカ! シリウス!」
ジンは満面の笑顔で二人の頭を撫でる。
「お前達は紛れもなくリエンツの皆を救ったんだ。怒るはずないだろう。よくやった!」
そしてジンはトウカとシリウスを抱きしめる。確かにシリウスが聖獣であることがバレた以上、厄介事は確実にやってくるだろう。だが、それでも人々を救おうとしたトウカやシリウスの心根が悪いものであるはずがない。実際彼女達のおかげで発見が早く、一命を取り留めた者も少なくない。リエンツの街を襲った地震の規模から考えると、死者をゼロで抑えられたのは確実にトウカとシリウス二人の力があっての結果だ。
ジンは心の底から二人のことを誇りに思っていた。
「後のことはお父さんに任せておけ。余計なちょっかいは出させないから」
ジンは元々この戦いにおいて自重するつもりはなかったが、ペルグリューンの存在を盾にある程度は誤魔化そうとは思っていた。だが、シリウスが聖獣であることがバレた以上、生半可な力の示し方では抑止力としては足りない可能性がある。
「お父さん、全開全力でやっちゃうよ」
愛しき我が子達がここまでやってくれたのだ。ジンは不敵な笑みを浮かべていた。
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