現在の状況
正確に言うならば、完全に崩れ落ちているのはかつて門があった部分だけで、城壁の被害はその周囲で収まっているように見える。だが部分的な被害であっても、城壁がこの状態ではリエンツを守るという役目を完全に果たすことはできない。崩れ落ちた部分を囲うように防護柵が張り巡らされていたが、そこが弱点であることは間違いなかった。
『ジン、今娘達に知らせた。じきに来るだろうから、しばしそのまま待て』
動揺するジンの脳裏にペルグリューンの声が響く。
「お手数をおかけして申し訳ありませんでした。それで皆は、トウカやシリウスは無事なんでしょうか!?」
お礼や謝罪もそこそこに、ジンはペルグリューンに皆の安否を確認する。彼の念話から悲しみや憤りなどのマイナスな感情は感じられなかったが、ジンはそうせずにはいられなかった。
『うむ。無事と言ってよいかはわからぬが、怪我一つないから安心するがよい。まあ何があったかは直接きくのだな』
その言い方に若干の不安を感じないわけではなかったが、それでも皆に怪我一つないという事実にジンは大きく安堵のため息を漏らす。
『娘達が来るのにはまだ時間がかかる。それまで現在の状況について話してやろう』
まだ慌てる時間ではないと、ペルグリューンはジンが倒れた後のことを語り始めた。
『ジン! ……気絶したのか。無理もない』
ペルグリューンはそう独りごちると、自らの背に寄りかかかったまま気を失ったジンを『見えざる手』の魔法を使ってゆっくりと地面に下ろす。魔獣の大群を前に長時間戦い続けていたジンは、肉体的にはもちろん、精神的にもかなり疲労していたのだろうと、ペルグリューンはジンの健闘を称え、優しい目で見ていた。
そして体を軽く震わせたかと思うと、僅かな発光と共にその体のサイズが元に戻る。
『――しかし、まさかここまでやるとは……』
ペルグリューンは地面に横たわるジンに視線を向け、次に先ほどまで戦場だった草原を眺める。その視界に映るのは、古代魔法の余波で傷ついた草原と、徐々に形を崩しつつある無数の骸の姿だった。
自らも力を貸したとはいえ、改めて考えるとジンの為した成果は凄まじいものがある。
『古代魔法……まさかジンが使えるとはな……』
その発動には多大なMPが必要なため、かつての古代文明の時代でさえ使える者は少数だった。MPの消費量が多い分威力も高く、ものによってはBランク程度の魔獣であれば一撃で倒すことも不可能ではない。
古代文明を崩壊させた『大暴走』を引き起こす原因となった『魔力草』の乱獲は、薬で増やしたMPのおかげで使えるようになった古代魔法で高ランク魔獣を倒し、レベルアップして寿命を延ばしたいという欲望から始まった。
ある意味では、この古代魔法の存在も、多くの動植物を巻き添えにした古代文明崩壊の遠因と言えるだろう。ペルグリューンにとって、そんな『古代魔法』に対する印象が良いはずもない。
『しかし、見事に守ったではないか』
だが、ジンは古代魔法を自分のために使ったことはなく、おそらく今回のような危機がなければ、今後も使うつもりはなかったはずだとペルグリューンは感じている。
直接手を下したわけではなくとも、ペルグリューンはジンと共に戦った。だからこそジンが何を考えて己の身を危険にさらしたかは痛いほどわかる。そうである以上、ジンを褒めこそすれ、責める気にはとうていなれなかった。
『ふふっ。さすが吾が見込んだ男よ』
ペルグリューンのいななきが軽やかに響き、半透明の膜のようなものが彼とジンを覆う。そしてその場から姿を消した。
「――聖獣様!」
戦場近くから姿を消した次の瞬間、ペルグリューンとジンはリエンツへと姿を現した。
リエンツの城壁前では篝火が煌々と照らされ、たくさんの人々が忙しく動き回っている。城壁の一部が壊れてしまっているため、城壁の外側で魔獣を迎え撃つ必要があったのだ。
そんな人々が急ピッチで迎撃準備を整える中、部下や冒険者達に指示を飛ばしていたグレッグ眼に、突如出現したペルグリューンの姿が映った。
グレッグの叫び声と共に周囲の人々もペルグリューンに気付き、自然と作業の手を止めて成り行きを見守り始めた。
『グレッグだったな。まずはジンを返そう。疲れのあまり気絶してしまったが、怪我はないはずだ。次の出番まで休ませてやれ』
「は! ありがとうございます。……おい、担架だ。急げ!」
白い馬体の足下に横たわるジンの姿を見つけ、グレッグは安堵と共にペルグリューンへ深く頭を下げた。
『それではジンの代わりに状況を知らせてやろう。何、気分が良いのでな。褒美だ』
本来ならジンがグレッグに報告すべきなのだが、彼が気を失っている今、ペルグリューンしかそれができる者はいない。ただ、ジン不在でペルグリューンが関わることは極めて異例なことだ。それはジンの頑張りに対する褒美だというペルグリューンの言い様は、案外間違いでもないのかもしれない。
『まず第一波となる魔獣三千体。これについては壊滅したと言ってよいだろう。取りこぼしが現れる可能性はあるが、数は多くないはずだ』
壊滅という言葉に小さく歓声が上がる。会話の邪魔をしないようにと気を遣ってはいたが、その朗報を聞いた人々はペルグリューンに感謝の視線を向けた。
『言っておくが、魔獣を壊滅せしめたのは吾だけの力ではないぞ。このジンが為したことは吾よりも大きい』
むしろジンが全てやったのだと言いたくもあったが、ペルグリューンはジンが古代魔法を使えることは広めない方が良いと考えていたため、ここでは自分だけの力ではないと言うに留めていた。
だが、ジンが聖獣であるペルグリューンよりも戦功があると言われても、ジンの本当の力を知らない多くの冒険者にとっては想像がつきにくかったのは仕方がない。尊敬半分、疑問半分の視線がジンに向けられていた。
『……まあよい。次に第二波の状況だが、まだ洞窟内に留まったままだ。動きがあれば伝えるが、襲来までかなりの時間が稼げるようだ。準備に怠りがないようにせよ』
わかっていたこととはいえ、ペルグリューンとしてはジンに向ける冒険者達の視線に不満がないわけではない。ただ、今はジンの代わりに状況を知らせることを優先した。
『それでは吾は行く。備えるのだ。これからが本番ぞ』
その場にいたもの全てに激励の思念を残し、ペルグリューンはその場から姿を消す。
『ジンを頼むぞ』
グレッグ、アリア、エルザ、レイチェルの四人にだけは、この一言が付け加えられていた。
『――その後グレッグはお前を救護テントに寝かせ、娘達も含めて総出で迎撃準備を整えていたな。娘達はお前の側から離れたがらなかったが、吾が見ておくと約束してな』
遠く離れた場所からでも、ペルグリューンは時空魔法を使ってジンの様子を見ることはできる。アリア達が自宅で仮眠をとっていたのも、本番はこれからだと同じようにペルグリューンに諭されたからだった。
他にも深夜になって魔獣が動き出すと、ペルグリューンはグレッグにその旨を知らせてる。今は午前七時くらいだが、五時間後には二万近い数の魔獣がリエンツに到達する見込みだ。
『地震の被害が軽く済んだのも良かったのだろう。動揺は少なかったようだ』
城壁と同様にリエンツの街中も地震で被害を受けていたが、怪我人は出たものの死人は出なかったのは不幸中の幸いだった。身重のサマンサも無事で、グレッグとしてもより気合いが入ったはずだ。その報せを受けたのが深夜だったこともあり、グレッグはまだその事実を一部の人間にしか話していない。現在は災害直後の状況としては考えられないほど街は落ち着いていたし、おそらくそれはこれからも変わらないだろうとペルグリューンは話す。
『この街には吾の加護があると言う者もいるようだ』
苦笑めいた思念と共にペルグリューンは付け加える。
ペルグリューンがジンと共にこの街近くに出現した際、冒険者達以外にもリエンツの住人達が数多く迎撃準備を手伝っており、そのためペルグリューンのことは彼らの口から街の中にいた人々にも伝わっていた。
そうして更なる聖獣の出現は大きな希望となったため、地震と暴走という二つの危機的状況下にありながらも、人々は絶望に沈まずにすんだようだ。
「リエンツの被害が思っていた以上に軽かったのは良かったですが……」
崩れ落ちた城壁を見た時、ジンはリエンツの被害が甚大なものであることを覚悟した。確かに建物の被害は軽いものではないようだが、それでも死者が出なかったということは何よりの慰めになる。その事実にジンは心から安堵したが、ペルグリューンの話の中には気になるワードも含まれていた。『更なる聖獣の出現』とはどういうことかと尋ねようとする前に、自らを呼ぶ声でその思考は遮られた。
「お父さん!」
『父上!』
重なって聞こえるその声の方角を見ると、白毛青眼の聖獣に跨がったトウカがこちらへと向かってきていた。
「……シリウス?」
十歳のトウカを背に乗せられるほど大きくなったその姿には、確かにシリウスの面影がある。だが、何故急に大きくなったのか? そして、何故聖獣の姿のままなのか?
無事な姿を見ることができた喜びと共に、ジンは今の状況にやや混乱していた。
「お父さん! お父さん!」
『父上! 父上!』
混乱しつつも両手を広げて待つジンの側まで来ると、シリウスはスピードを緩め、まずその背中から降りたトウカがジンの胸に飛び込む。そしてシリウスは軽く身を震わせてワンサイズ小さな中型犬サイズに変わり、遅れてジンの胸に飛び込んだ。それでもシリウスは以前の小型犬サイズより大きく、周囲に聖獣の姿をさらしているのも変わらない。
『父上! 嬉しい! 頑張った! 褒めて!』
そして何より大きな変化は、先ほどからジンの脳裏に直接響く声。それはペルグリューンが使う『念話』と同じものだ。
「……トウカ、シリウス。無事でよかった。でも驚いたよ。シリウスは大きくなっているし、念話も使えるようになったんだな」
何よりも腕の中にあるトウカとシリウスの温もりが、彼らが無事であることをジンに実感させる。そして彼らが無事でさえあれば、それ以外の変化は些事でしかない。
ジンの混乱はすぐに収まり、自然とその顔に笑みが浮かんだ。
ひとしきり二人をよしよしと撫でるジンだったが、次第にトウカの顔から笑顔が失われていき、ついには申し訳なさそうな顔で頭を下げる。
「ごめんなさい。シリウスが聖獣だってバラしちゃった」
それは今も聖獣の姿のままのシリウスを見れば一目瞭然で、ジンもそれは推測できたことだ。何か余程のことがあったのだろうと、じんは何があったのか話すよう優しくトウカを促す。
「あのね……」
そしてトウカは約束を破ったという罪悪感で今にも泣きそうなりながらも、涙を堪えて当時の状況を語り始めた。
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