撤退戦
「ふん!」
ジンはペルグリューンの背からグレイブを振るう。その一撃はマッドウルフの体を易々と両断した。
(次!)
その次の瞬間、ジンの手からグレイブが消え去ると同時に中型の弓が出現する。
その複合弓は、エルザの叔母シーマの夫である一流の弓職人が作り上げたオーダーメイドの逸品だ。ジンの高いステータスに合わせて作られたこの剛弓から放たれる矢は、距離によっては並の金属鎧を軽く貫くほどの威力を誇った。
(次! 次! 次!)
ジンは矢筒からではなく、『無限収納』から直接矢を手元に出現させる。後はそのまま弓を引き絞って放つだけだ。
放てばまたすぐに次の矢が出現するので、矢筒から矢を取り出す工程が省かれる分だけ速い。その止まらない連射が次々と魔獣の体を貫いていく。じきにジンの周囲から動くものの姿が消えた。
ジンはリエンツへと急ぐ馬車達を見送った後、討伐隊の陣地としていた場所から前進し、現在は洞窟の出入り口と陣地の中間くらいの位置にいる。そこで先行していた魔獣の小集団を狩りつつ、三千体という数の本体が来るのを待ち構えていた。
「ペルグリューンさん、そろそろ陣地の方へ移動してください」
ジンの『地図』には近づきつつある大きな集団が表示されているが、最早点で表示できる数ではない。光点が重なりすぎて、まるで赤い染みのようにも見えた。
『うむ、そろそろ本番か』
ジンがここまで倒した魔獣は、ほとんどがEやFランクの低位魔獣ばかりだったが、そんな弱い魔獣が先行できたのは、単に元々洞窟の入り口近くにいただけという理由でしかない。
地震の直前まで洞窟は『迷宮』になりかけていたこともあり、奥にいた魔獣ほど強い傾向があった。ペルグリューンが言ったように、これから魔獣はどんどん強さを増していくだろう。
「はい。それじゃあ、ちょっと向きを変えます」
陣地に向けてゆっくりと移動を始めたペルグリューンの背中の上で、ジンは百八十度向きを変えて跨がり直す。この方が魔獣の集団に正対できるので都合が良く、その状態でジンは弓を引いて続けざまに新たに姿を現した二体のマッドウルフを矢で貫いた。
『……器用なものだ』
ペルグリューンが少し呆れたような思念を送るが、確かに後ろ向き馬に跨がって弓を射るという行為は、余程の熟練者でなければできないことだろう。
「ペルグリューンさんのおかげですよ。私はバランスを崩さないことだけ考えれば良いですから」
ジンはここまでの短時間で『騎乗』スキルを習得していたが、それでもスキルランクはまだ低い。普通の馬とは違い、今回は移動に関して全てペルグリューンに任せられるので、こんな無茶ができていた。
「それではここからは手筈通り、魔獣の群れを引きつけつつ、追いつかれないようにお願いします」
『了解した』
ジンの視線の先には、魔獣の大集団が見え始めている。ジンは一旦弓を収納して無手の状態になると、用意していた『ウィンドウ』を見つめながら詠唱を始めた。
魔法は便利な技術ではあるが、いくつかの制約がある。
その一つが有効射的距離だ。魔法、特に攻撃魔法は杖や手元を起点として撃ち出されるが、あまりに距離が離れすぎていると当然相手は避けることもできたし、そもそも届く距離は弓に劣っていた。かつてジン達は『吸魔花』の門番だった蔦魔獣を相手に遠距離から一方的に攻撃したことがあったが、それは蔦魔獣が移動できなかったからできたことだ。一般的に魔法が使われる距離としては、百メートルがいいところだろう。
しかし、現代では失われている『古代魔法』は、その常識を覆す。『延長』や『範囲拡大』などの魔法文字を組み合わせることで、有効射程距離は五百メートルを超えるものも存在する。ただ、その代わりに威力が落ちるのが常だが、それでも現代の魔法の威力とは一線を画している。
そしてジンの『メモ帳』には、王都にいる年嵩の友人ケントの祖先――転生者ケンが遺した古代魔法の魔法書が全てコピーされている。ケンが魔法文字の辞書と共にジンの自宅の床下に遺したこの魔法書には、射程距離だけでなく威力も桁違いな魔法が数多く収録されており、そのほとんどは使われることなく眠るはずだった。
だが、余人の目がない環境、そして強大な敵。この二つの条件下で、その封印が解かれた。
「火よ集いて炎となれ! 炎よ集いて火炎となれ! 求めるは――」
ジンの眼の前にある半透明のウィンドウには、二十を超える魔法文字が一直線に並んでいる。それを手でなぞるようにしながら、ジンは詠唱を続けていた。
本来なら使うつもりがなかったこともあり、中には勉強不足で理解が怪しい魔法文字もある。だが、それでも魔法が破綻することなく詠唱を続けられているのは、この極限状態下で集中力が増しているということなのかもしれない。
そして詠唱が終わる。
「――炎よ御身に蓄えし力を解放せよ! 『爆炎の雨』!!」
ジンの手元からバスケットボールの二倍ほどの大きさの炎の塊が放たれ、猛スピードで魔獣の集団の上空へと飛ぶ。そして次の瞬間、炎の塊は下方に向けて勢いよく弾けると、まさに炎の雨となって直下にいる魔獣の集団に降り注いだ。
「よし!」
その死の雨に触れた魔獣達は、なすすべもなくただ焼き尽くされていく。初挑戦の魔法が無事発動したこともあり、ジンは思わずガッツポーズをとっていた。
『まず一歩だな』
しかし、『地図』上の真っ赤な染みに一時的にぽっかりと丸い穴が空くが、それもすぐにまた赤で塗りつぶされる。いかに広範囲を攻撃できる古代魔法でも、魔獣の規模からすれば全てをその範囲内に収めることなどできるはずもない。また、速度差なのか魔獣の群れ自体もやや縦に伸びていたので、今の魔法に巻き込めたのは数百程度でしかなかった。
だが、ジンもこの結果はわかっていたことだ。ペルグリューンが言ったように、これは始まりにすぎない。
「はい。後はこれを繰り返すだけです」
ジンはMP回復ポーションを使ってMPを回復しつつ、気負うことなくペルグリューンに応えた。
言うは易し、行うは難し。だが、やると決めたのだ。
『うむ。少し左右に振れるぞ。できるだけ密集するように誘導する』
「ありがとうございます! お願いします!」
こうしてペルグリューンの協力を得つつ、ジンはこの後も古代魔法を放って魔獣の数を減らし続けた。
「――そろそろ限界か」
ジンは疲れきった口調で呟く。
辺りはすっかり暗くなり、最早肉眼では魔獣の姿を確認できなくなっていた。
既に通常のMP回復ポーションは使用限界を超えて役目を果たしておらず、仕方なく複製ポーションを使用するしかなかった。このチュートリアル報酬のポーションを複製したものは、MPを固定で20しか回復しないが、使用限界がないのが利点だ。ただ回復量が少ないのと数に限りがあるので、ジンも手持ちを全て使うことはできない。この戦闘でさえ前座に過ぎず、この後リエンツに戻ってからが本番だった。
『ここまで暗くなっては弓は役に立たぬだろう。……体力も限界なのではないか?』
ペルグリューンの指摘通り、特別製とも言えるジンの体を持ってしても、昼過ぎからここまでの長時間の戦闘は堪えた。有り体に言って、波疲労困憊の状態だ。
ジンの指にはまった『快癒の指輪』に僅かでも疲労回復の効果がなければ、限界はもっと早かっただろう。
「体力もですが、それ以前に矢もほとんど撃ち尽くしちゃいましたよ。……最後にもう一発魔法を打ち込んでから終わりにしたいと思います。もう少しだけお付き合いください」
ここまで魔獣を引きずり回したおかげで、三千体はいた魔獣の数も残り数百というところまで減っている。その分残っている魔獣の中にはBランクも混じっているが、完全に無傷な魔獣はいない。ここで最後の止めとして古代魔法を撃ち込めば、たとえ直撃を免れた魔獣がリエンツに押し寄せたとしても、さほど脅威とはならないだろう。
『仕方がない。周囲を走り廻って奴らを纏めるぞ。少々荒っぽくなるから、しっかりつかまっておけ』
ただ魔法を撃ち込むのではなく、より効果的になるようにとペルグリューンが提案する。
このように、最後にジンを転移で送る役目だけを請け負っていたはずのペルグリューンは、自らの背にジンを乗せ、更に様々な形でジンのサポ―トをしてくれた。彼のこうした協力がなければ、ジンもここまで効率よく敵の数を減らすことはできなかったはずだ。
「はい。重ね重ねありがとうございます」
ジンにここで死ぬつもりはさらさらなく、『古代魔法』の他にも一応奥の手として考えている手段もあったが、それでもたった一人で三千体を超える魔獣を相手にすることが簡単なはずがない。当初の予定では、ジンは開始直後に古代魔法を撃ち込んだ後は陣地に残された防護柵や櫓を利用して敵を引きつけつつ、MPが尽きるまで古代魔法を放ち続けるという、かなり無茶な考えだった。ただ、ジンの場合は『無詠唱』で『古代魔法』を使うこともできるので、一応はそれが最も怖い数の暴力への緊急回避策のつもりだった。
もしそのままであればかなり分の悪い賭けになったはずだが、それがペルグリューンの背に乗せてもらえるようになり、根本の戦略から変わった。ここまで長時間戦うことができるなど思いもしなかったし、だからこそ相手をここまで追い込むことができた。
ジンの心にペルグリューンに対する感謝は尽きなかった。
『では、行くぞ』
そしてペルグリューンは進む方向を変え、魔獣の集団を迂回するようにその周りを回り始める。
やはり聖獣であるペルグリューンの身体スペックは、通常の生物とは比べものにならないのだろう。最高速度はジンに軽く恐怖を感じさせるほどだったし、かと思えば緩急自在に魔獣を翻弄し、円を描く回数が増す毎に魔獣達が中央に集まっていった。
『そろそろだ』
「はい!」
ペルグリューンの動きは有効極まりなかったが、同時にジンのなけなしの体力を奪っていく。ジンは疲労で崩れ落ちそうになる体を必死に支え、これで最後だと気合いを入れて古代魔法の詠唱を始める。この暗さでは視認することは難しかったが、おおよその方向と『地図』に映る敵集団を意識して目標を定める。そして詠唱が完成した。
『ヴォルカニッックレイン!』
ここまでの戦闘でジンは古代魔法を何種類か試していたが、この魔法が範囲や威力、そして消費MPのバランスが良く、最も多用していた。そのおかげか、急激に集中力を失い始めたジンでも何とか発動することができたようだ。
(そろそろ皆はリエンツに着いたかな……)
視界の隅で『地図』から赤い点が消えていく様子を捉えつつ、ジンはそのぼんやりとした思考を最後に意識を失った。
(――ここは……?)
次にジンが目を覚ましたのは、見知らぬ天幕の中だった。そこにいたのはジン一人で、他に人影はない。
(ああ、気を失っちゃったのか)
気を失うのは初めての経験だったが、ジンは最後の最後で気が抜けてしまったのだろうと見当をつけた。おそらくここまでペルグリューンが送り届けてくれたのだろう。申し訳ないことをしたと、ここまで考えたところでジンはハッと我に返る。現在の状況は? 皆は無事か? ここはどこだ? 魔獣は? 襲撃はいつ? 次々に疑問が浮かぶが、とりあえずわかったのは、出現した『時計機能』のウィンドウから今があの戦闘から一晩たった朝の六時だということだけだ。
ジンは天幕の入り口に手をかけ、急いで外に飛び出した。
「これは……」
ジンの眼にまず映ったのは、昨日の午前中に自分達が造り上げたものよりも数段立派な防護柵の姿だ。そこで警備についている冒険者の姿も見える。ふと視線を横にずらすと、いくつもの櫓が組まれているのもわかった。
(ここはリエンツじゃないのか?)
そもそも強固な外壁で囲まれたリエンツで戦うならば、何より強固な城壁を利用した方が安全なはずだ。疑問に思ったジンが更に視線をずらすと、ようやく見覚えのあるリエンツの外壁が眼に入った。
(なんだよ、驚かさないでく……)
ホッと息をつくのもつかの間、ジンの眼に予想だにしていなかった光景が映る。
「嘘だろ……」
呆然とつぶやくジンの目に映るのは、門を押しつぶすように崩れ落ちた城壁の姿だった。
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