対面と報告
「シリウス~。ん~よしよし、いい子だね~」
自宅のリビングの床に直接座り込み、トウカが蕩けるような笑顔を浮かべて新しい家族を愛でている。グレッグ達との話し合いを終えたジン達は帰りに孤児院へと寄り、トウカを連れて自宅へともどっていた。
「ふふっ。大丈夫だとは思ってたけど、トウカがシリウスを受け入れてくれてよかったよ」
ダイニングテーブルで一休み中のジンは、すっかり打ち解けた様子の子供達にまなじりを下げる。
「トウカも弟分ができて嬉しいんじゃないか? シリウスが自分よりも年下の子供だとわかったら、すぐに態度が変わったからな」
そう口にしたのはエルザだったが、彼女達女性陣もジンと同じくテーブルの椅子に腰掛け、じゃれ合うトウカ達を笑顔で見守っていた。今のシリウスの姿は純白の毛と青い眼の聖獣の姿だが、普段は褐色の毛並みと眼に色を変えている。孤児院から家に戻るまでは普通の子犬だと思っていたものが、家に帰ったら実は聖獣だったと知ったトウカの驚きはそうとうなものだっただろう。だがシリウスを家族の一員として受け入れると決めた以上、ジンはトウカにも彼が聖獣であることは隠さずに伝えないわけにはいかなかったのだ。
ただジンの期待通り、トウカとシリウスはすぐに仲良くなった。トウカは打ち明けた当初こそ驚いていたようだが、シリウスがまだ小さな子供だということを聞いてからは、その態度は良い方に一変していた。おそらく聖獣という敬う存在ではなく、庇護すべき最年少の家族として見るようになったのだろう。
十歳にもなれば、孤児院では下の子の面倒を見る機会も増えてくることもあり、エルザが指摘したように、どうやらトウカのお姉ちゃん熱に火がついたらしい。
「そうか! トウカはシリウスちゃんのお姉ちゃんなんですね」
今更気付いたのか、レイチェルが笑顔で手を叩く。年齢的にいえば確かにシリウスよりトウカの方が年上だったし、今のところは精神年齢もトウカの方が上だ。
レイチェルが手を叩く音で気付いたのか、トウカが自分達を見守るジン達に満面の笑顔を向けて口を開く。
「うん! トウカはシリウスのお姉ちゃんなんだよ! ね~シリウス~」
「わん!」
続けて自らに向けられたトウカの笑顔に、シリウスもちぎれんばかりに尻尾を振りながら応えた。
「ははっ。……うん、すごく嬉しいよ」
自分のすぐ側には愛する人達がいて、トウカとシリウスという二人の子供も屈託なく笑っている。この笑顔溢れる団欒は、ジンにこの上ない幸せを感じさせた。
(――さあ、そろそろトウカにも伝えないとな)
そのまましばらく幸せに浸るジンだったが、そろそろトウカに伝えなければならないことがあった。
「トウカ、ちょっとこっちにいいかな」
ジンがトウカを呼び寄せると、トウカはシリウスをだっこして一緒にやってくる。まだまだ小柄なシリウスの体は、トウカの小さな腕の中にすっぽりと収まっていた。
「それじゃあ、ここに座って」
そしてジンの正面、アリア達に挟まれるような形でトウカが席に着いた。
「おとうさん、なあに?」
きょとんとした顔でトウカが首をかしげる。その胸にはシリウスを抱きしめるようにかかえており、シリウスもトウカの膝の上で大人しくお座りしていた。
「うん。あのねトウカ。その……」
いざ口にしようとすると、ジンを言いようのない気恥ずかしさが襲う。ジンは顔を赤くしながらも、意を決して娘であるトウカにある報告をした。
「お父さん、ここにいるお姉ちゃん達をお嫁さんにもらうことにしました! 皆、トウカのお母さんになってくれるって!」
「え!?」
その報告に、トウカはまず目を丸くし、次にアリア達の顔を順番に見上げていく。そしてそれにアリア達がそれぞれ笑顔で頷いて応えると、徐々にその顔が笑み崩れていった。
「やったー! おめでとう! おね……お母さん達!」
ジンとは違い、アリア達はジンへの告白後にちゃんとトウカに状況説明をしていた。だからトウカもジンがどんな返事をするかやきもきしていたのだが、ジンが出した結論は彼女が望む最上のものだ。思わず歓声をあげてしまうくらい、トウカは彼女達が全員母親になってくれるというこの状況が嬉しかった。
「ありがとう。これからもよろしくね」
アリア達は異口同音にトウカへと声をかける。王都から戻って間もない頃、彼女達はジンだけでなくトウカとも他人であるという事実にショックをうけたことがあるくらいトウカに対して格別の愛情を抱いていた。だからこそ、こうしてトウカと本当の親子になれることがとても嬉しかった。
「わん!」
テーブルに前足をのせ、身を乗り出したシリウスが一声吠える。
「ふふっ、シリウスはうちの長男になるんだぞ。これからも家族の一員としてよろしくな」
その一鳴きに、シリウスが僕も家族だよと言っているように感じたジンは手を伸ばし、シリウスの額をコリコリとくすぐる。
厳密に言うと聖獣に性別はないが、そのうち雄々しくなるとペルグリューンが評していたこともあって、ジンはシリウスを男の子扱いすることに決めていた。
「よし、そういうわけで、今夜はご馳走だ! 美味しいものをいっぱい食べよう!」
満足そうに眼を細めるシリウスの姿に癒やされつつも、ジンはお祝いにと豪華ディナーを提案する。この日のためにジンは密かに準備を整えており、彼の『無限収納』には料理やお酒、デザートの数々がスタンバイ済みだ。
そしてこのジンの提案は、当然の如く家族の歓声で迎えられるのであった。
「――おつかれさま。はい、お茶だよ」
シリウスという新しい家族に加え、アリア達との結婚という報告もあってはしゃぎすぎたのか、疲れて眠そうにしていたトウカをアリアとエルザが二階の部屋へと連れて行き、寝かしつけてくれていた。戻ってきた二人をねぎらい、ジンは紅茶を差し出す。
「ありがとうございます。トウカはすぐ眠っちゃいましたから」
なんの手間でもなかったと、アリアは笑顔で応えた。
「シリウスもトウカのベッドで寝てるけど、別にいいよな?」
エルザもジンにお礼を言ってから紅茶を口に含む。ペットと考えた場合は微妙なのかもしれないが、家族であればベッドに入れるのもありだろう。
「ベッドが柔らかすぎるとまずい可能性もあるから、明日にでもシリウスに訊いてみよう」
不確かな記憶ではあったが、ジンは柔らかいベッドは犬猫の背骨に負担がかかるというような話を前世で聞いたことがあった。その真偽は今となっては確かめようもないが、シリウスはジン達の言葉が理解できているので、『念話』が使えない今でも良し悪しは訊いてみればわかることだ。
「終わりました~」
そうこうしているうちに、ジンがお茶を淹れるために抜けた後も皿洗いをしていたレイチェルが、全ての片付けを終えてやってきた。
「レイチェルもおつかれさま」
「ありがとうございます」
ジンがレイチェルにも紅茶を差し出すと、レイチェルも嬉しそうにティーカップに口を付けた。
「ああ、ホッとする……」
そんなリラックスしたレイチェル達の様子に眼を細めつつ、ジンも紅茶の入ったティーカップを顔に寄せる。自ら淹れたものではあったが、立ち上る香りはジンの心を穏やかにしてくれた。
シリウスやジンの結婚話以外にも、今日は迷宮の最下層到達やペルグリューンとの再会など、盛り沢山の内容だった。そんな激動の一日も、ようやく終わろうとしていた。
このまったりとした雰囲気に身を任せ、しばしの間ジン達はお茶菓子をつまみながら雑談に興じる。他愛のない話ではあっても、いや、だからこそ楽しい時間と言えるかもしれない。だが、ジン達は『準暴走』に対しては既に話し終えているが、もう一つのプライベートな方はまだだ。
「――それで今後のことなんだけど……」
これからジンの口から語られるこの話が、今日最後まで残った問題だった。
「せっかく皆に承諾してもらったけど、正式に結婚するのはしばらく後になると思う」
いざ結婚すると決まったものの、今はまだ具体的な予定が立てられる状況ではない。実際問題として、今は自分達の結婚よりも『準暴走』対策の方が優先順位が高かった。
「ああ。まずは『準暴走』の方を片付けるのが先だよな。わかってる」
それにエルザが理解を示す。『準暴走』が迫る今の現状では、彼女達にも結婚が後回しになってしまうのは致し方ないことだと思えた。
だがジンとしては、何より結婚の前にしなければならないことがあると考えていた。
「ああ。それもそうなんだけど、俺は皆と結婚するからには、親御さんにちゃんと挨拶したいんだよ。アリアのご両親のお墓はこの街だし、親代わりのヒルダさんもここいるから挨拶するのに時間はかからないけど、エルザとレイチェルの両親が住んでいるところは簡単には行けないからね。挨拶に行くなら『準暴走』が片付き、二つの『迷宮』の状況が問題なくなってからになるから、少なくとも二~三カ月は先になると思うんだ」
それは一部では結婚のための最大の試練とも言われる、『両親への挨拶』だ。
「遠いですし、手紙で知らせるだけでもいいと思いますが……」
レイチェルがおずおずとジンに反論する。
この世界でも結婚前に親に挨拶に行くことは一般的だが、それぞれが住む場所が離れているなどして簡単には会えない場合は、直接挨拶するのではなく、魔道通信機や手紙などで済ませることがほとんどだった。この世界の移動手段としては最速が馬車だったし、旅には魔獣という危険がつきものなので仕方がないところもあった。
「いや、ここはちゃんと直接会って話したい」
Bランク冒険者であるジン達にとっては、王都やシャルダ村までの旅ならさほど危険ではない。である以上、結婚を前に親に挨拶しないのは不義理過ぎるとジンには思えた。ジンは続けて口を開く。
「結婚するのは俺達の問題かもしれないけど、ヒルダさんやご両親は大事な皆を育んでくれた人達なんだ。これまで皆を守ってくれたお礼を言いたいし、これからは俺も一緒に皆を守っていくとちゃんと伝えたいんだ。……俺にとっても家族になるんだしさ」
元の世界ではジンの両親は既に他界して久しかったし、この世界に身よりなどあるはずもない。だから尚のこと、ジンは家族の絆にこだわったのかもしれなかった。
「私はジンさんの意見に賛成します。私もヒルダ……母さんに改めてジンさんを紹介したいですし」
アリアは少し恥ずかしそうにヒルダのことを母と呼んだ。アリアのような孤児院で暮らす親を亡くした子供達にとって、院長であるヒルダはもう一人の母親だった。
そんな母にジンを自らの夫として紹介することを思い、アリアの顔が更に赤みを増していた。
「ふう。母さんの反応が気になるけど、確かにジンに挨拶してもらった方がいいか。……家族になるんだしな」
エルザの脳裏に「ほら、私が言ったとおりになった」と、どや顔を浮かべるミリアの顔が浮かぶ。だが、同時に両親に結婚の挨拶をするジンの姿も想像し、やはりエルザの顔も最後の方はちょっとだけにやけていた。
「王都は遠いですから申し訳ないんですけど、私もジンさんに挨拶してもらった方がいい気がしてきました。お母さんはともかく、お父さんが……。お祖父ちゃんにも手紙を書いてもらおうかな」
レイチェルは王都で両親にジンを紹介したときの騒動を思い出す。あのときはジンが結婚の申し込みに来たと勘違いし、父はかなり取り乱していた。それが今回は本当にそうなのだから、確かにちゃんと話した方がよいのだろう。祖父のクラークを頼ることも考えるレイチェルだったが、元よりクラークとも親交の深いジンが彼に挨拶にいかないはずもない。クラークの協力は約束されたようなものだった。
「皆ありがとう。俺もできるだけ早く皆と結婚したいとは思っているから、準備だけは徐々にしていこう。ただ俺はこの世界の結婚式には詳しくないし、元々結婚式って女性のためのものだと考えているから、皆がやりたいように計画してほしい。もちろん俺も協力はするし、相談もどんどんしてくれ」
遠い昔の話ではあるが、ジンは既婚者の先輩から結婚式についての金言をもらったことがある。それは「結婚式は女性のもの」というものだ。
その先輩はお嫁さんが希望していた結婚式の演出が恥ずかしくて耐えられず、ついあれこれと口を出してしまったそうだ。その甲斐あって結婚式はシンプルなものになり、本人的にはいい式になったと満足だったのだが、お嫁さんは夢みていたものが台無しになってしまったようなものだ。何事もなく結婚式は終わったが、水面下で不満は溜まったまま消えず、それから何かある度にそのことをぐちぐち言われるようになったそうだ。
当時ジンは、「結婚式なんて男は添え物。お前達は俺の二の舞になるなよ?」と話す先輩の後ろ姿にいいようのない悲しみを見たものだ。
「結婚式って、貴族がやるようなやつのことか?」
だが、それは無用の気遣いだったらしい。キョトンとしたエルザの表情から、ジンは改めて自分の常識がズレていることを実感した。
「普通は神殿で結婚を誓って終わりですよ。ねえ、レイチェル」
「はい。神官が立ち会い、それぞれの結婚の意思を確かめて終わりですね。貴族や商家の方の場合は列席者が多い場合もありますが、一般的には家族とか仲の良い友達とかが数人くらいじゃないでしょうか。結婚されるお二人だけの場合もありますね」
アリアの問いかけにレイチェルが応え、それでジンも結婚式自体は出席者が少なかったことを思い出す。多いのはその後の披露宴だ。
(だけど、この分じゃ披露宴なんて普通はやらないんだろうな)
考えてみれば、この世界のみならず、地球でも地域によって結婚式の形は変わるものだ。式や披露宴など、改めてこの世界の結婚について調べ直す必要があるようだ。
「つい俺の国での常識で考えてたみたいだ。俺もグレッグさん達に色々聞いてみるから、皆もどんな式にしたいか考えてもらえるか?」
幸いと言っていいかは微妙だが、時間はまだまだある。『準暴走』対策にこれからやらなければならないことはたくさんあるが、結婚の準備もその一つに加えればいい話だ。
この件についてはとりあえず保留ということになり、これで今日の話すべきことは全て終わった。後は就寝するだけだが、今はまだ全員がこの場を離れたくない気分だ。自然と女性陣の視線がジンに集まった。
「あーっと、もう少しお茶を飲むだろ? ちょっとお湯を沸かしてくるよ」
このシチュエーションが恥ずかしくなったジンは、そう言うとそそくさとキッチンへと向かう。『無限収納』にはちゃんとお湯のストックがあるので、明らかに逃げていた。
そんな結婚一歩手前の恋人という関係にもまだ慣れていないジンを、アリア達はクスクスと笑顔で見送る。そしてしばらくすると、キッチンに立つジンの後ろ姿を眺めながら、エルザが口を開いた。
「しかし、なんか夢見てるみたいだ……本当に結婚するんだよな?」
具体的な日取りの話や式についての話をするようになり、エルザもようやく結婚に現実感を感じ始めたのかもしれない。
「ふふっ。わかるわ、その気持ち。いきなりだったからね」
アリアも同意して微笑む。彼女達がジンに告白してから約三カ月、これまでジンに気持ちの変化をうかがわせるものは全くなかったこともあり、驚きの方が先に来ていたようだ。
「……でも、本当に嬉しいです」
レイチェルにもエルザやアリアのように戸惑いのようなものがないわけではなかったが、それでも最後に残るのは嬉しい、幸せだという感情だ。
「ああ……」
「ええ……」
それにエルザとアリアも何かを噛みしめるように応えていた。
「お待たせ。……ん? どうかした?」
ようやく気持ちを落ちつかせて戻ってきたジンを、アリア、エルザ、レイチェルの三対の瞳がじっと見つめる。
「「「これからもよろしくお願いします」」」
示し合わせたわけでもなく、自然とその台詞と声は揃っていた。
「…………ああ。こちらこそよろしく」
いくつもの想いを込めた彼女達の言葉に、ジンも幸せを噛みしめつつ笑顔で応えるのだった。
お読みいただきありがとうございます。
できたら明日も更新します。
ありがとうございました。