〇〇の使い道
「ところでペルグリューンさん、この子はなんという名前なんでしょうか?」
家族の一員として迎えると決めたものの、ジンはまだ肝心なことを聞いていなかった。
『この子の名は……いや、どうせならこの子が『念話』を使えるようになってから、直接教えてもらうとよいだろう。どのみち呼び名は変えた方がよい。お前が付けてやれ」
「名前ですか……」
ジンはどこか期待しているかのような眼で自分を見上げる小さな聖獣に視線を落とす。
(真っ白だからシロ、それともポチ? いや、さすがに安直過ぎるか)
なんとか思いとどまったようだが、少なくともジンにネーミングセンスが欠けているのは間違いなさそうだ。
『今はまだ小さいが、最終的には吾と同じくらいの大きさに成長するからな。姿も相応に雄々しくなるから、その辺りも考慮してくれ』
初めて会ったときは小型犬だと思っていたジンだったが、この小さな聖獣はまだ子供だった。しかもペルグリューンの話しぶりからすると、犬じゃなく狼だと考えた方が良さそうだと、ジンは格好良い方向で名前を考えることにした。
(大きな狼といえばフェンリルか? んー、狼王ロボとか、天狼星ってのもあったな)
脳内にいくつかの候補が浮かんだので、ジンはその場にしゃがみ込んで小さな聖獣に話しかけることにした。
「とりあえず今ぱっと頭に浮かんだ名前を言ってみるから、気に入った名前があれば言ってくれよ? 『フェンリル』、『ロボ』、『シリウス』……」
「わん!」
この後も幾つか候補があったのだが、三つめの名前で既にお気に入りが決まったようだ。小さな聖獣はパタパタと尻尾を振り、どう見てもご機嫌な様子だった。
「そうか。じゃあお前はこれから『シリウス』だ。よろしくな、シリウス」
「わん!」
小さな聖獣――シリウスは嬉しそうに尻尾を降りながら、ジンの足に鼻先をこすりつけて甘える。
「よろしくね、シリウス。私はアリアよ」
「エルザだ。よろしくな、シリウス」
「シリウスちゃん、レイチェルですよ。よろしくね」
そしてジンと共に家族となるアリア達もシリウスに挨拶をし、シリウスもそれぞれの元に駆け寄ることで挨拶を返していた。
『ふふっ。『シリウス』か。偶然だろうが、良い名ではないか』
ペルグリューンからも満足そうな思念が伝わってくる。
ジンはこの後もペルグリューンからシリウスについて様々なことを教わり、聖獣について一層理解を深めるのだった。
『――それではさらばだ。何かわかればすぐに連絡しよう』
しばらく時が過ぎ、その思念を残してペルグリューンは姿を消した。
彼が連絡するのはあくまで聖獣の保護者であるジンだけなので、責任者のグレッグに直接連絡することができない。あくまでペルグリューンは、シリウスの保護者であるジンに便宜を図っているのだという体裁をとる必要があるようだ。だが、それでも長距離通信手段としてはギルドの魔道通信機しかないこの世界では、本来ならありえないほど迅速に情報を得ることが可能だ。
ペルグリューンから連絡が来るまでにどれだけの準備が整えられるか、ジン達はもう一度やるべきことを洗い直すことにした。
「すまんがジン達ももう少し付き合ってくれ。聖獣様の情報を漏らすわけにはいかんからな。聖獣様の情報を元に、お前達の意見も聞かせて欲しい」
この後グレッグはギルド職員達を集めて対策会議をするつもりだったが、その席では情報元であるペルグリューンのことは隠さないといけないので、スムーズに話が進まないことも考えられる。同じようにペルグリューンのことを知るジン達の意見は、グレッグとってかなり重要なものになるはずだ。
「もちろんです。二つめの『迷宮』があるなんて思いもしませんでしたからね」
当然、ジン達が否と言うはずもない。『準暴走』という危機の到来がほぼ確定している以上、より早急な対応が求められた。
「よし、まず急がなくちゃならないのは、『迷宮』周辺の村の避難だよな?」
グレッグの確認に、メリンダが応える。
「そうね。聖獣様の話では『迷宮』は双子山の辺りにあるみたいだし、その周辺とリエンツまでの間にある村になるのかしら」
メリンダが言う双子山とは、リエンツから馬車で走り通したとして丸一日ほどかかる距離にある山々のことだ。日本であればハイキングに良さそうな標高の低い普通の山だが、似たような形の山が二つ並んでそびえていることから、通称として双子山と呼ばれていた。
「どれだけの規模になるかわかりませんからね。リエンツで迎え撃つことを前提に考えた方がいいでしょう」
オズワルドもメリンダの意見に同意する。これまで数え切れないほど苦しめられてきた経験から、『暴走』は人が多い場所を目指して進むことがわかっている。ほとんどの場合において発生源から近い村から順に襲われるようなので、双子山の周辺とリエンツまでの間にある村の人々を避難させることができれば、『暴走』の方向をコントロールできるはずだ。
「ペルグリューンさんの連絡が来てから避難しても間に合わない可能性もありますからね。命には替えられませんし、可能な限り早めに避難してもらった方が無難だと思います」
ジンもまたこの方針に異論はない。ペルグリューンは迷宮になる日をある程度予測することが可能だと言っていたが、彼も全能というわけではないのだ。その予測を信用しないわけではないが、常に不測の事態に備えよというのは、これまでの冒険を通してジンが得た教訓だった。
「受け入れ先の選定と手続きはこちらでやれるな。他にやるべきことは?」
「ポーションの確保を急ぐべきじゃないでしょうか? おそらく『迷宮』の探索でかなり消費しているはずですので、品薄になっている可能性もあると考えられます」
グレッグの問いにアリアが答える。彼女達はジンがポーションを自分で作製できるし、レイチェルの存在もあってポーションを使う機会自体が少なかったが、冒険者の中には回復魔法を使えるメンバーがいないパーティも少なくない。また、ジン達が伝えた『迷宮で訓練する』という考えを実践している冒険者達も少なくないので、冒険者全体のポーション使用量は以前より増えているのは間違いなかった。
「確かにな。こっちの『迷宮』も攻略しないわけにはいかんし、とりあえず薬屋に増産を頼むしかないか」
二つの迷宮を抱える今の面倒な事態に、思わずグレッグが嘆息する。
ジン達が最深部まで到達した迷宮の方も、『暴走』が発生する恐れはないものの、周辺の魔素量を減らすために攻略自体は続けなければならないのだ。ここで必要数を確保するために冒険者に渡るポーションの量を制限してしまっては、本末転倒な事態になりかねなかった。
「二つめの迷宮の情報をどう扱うかというのも問題ではありませんか? 慎重に伝えないと、混乱しかねませんし」
レイチェルの言うとおり、二つめの迷宮と『準暴走』の情報は、下手をすればパニックを誘発しかねなかった。
「確かにそうだ。信用ができそうな奴には、個別で協力を求めるとか? 私も何人か心当たりはあるけど、そこはグレッグさん達に任せるしかないか」
自らも口にしているように、エルザよりグレッグ達の方がリエンツにいる冒険者について詳しいのは間違いない。戦力を確保する意味でも、信用できる冒険者達には早めに状況を知らせる必要があった。
「それと…………」
その後も問題提起や対応策など、しばらく話し合いは続いた。
「――それでジン。最後にもう一度訊くが、本当にいいんだな?」
「はい。この街を守る為に使うんですから本望です。遠慮なく使ってください」
グレッグの問いに笑顔でジンは答える。
今回の話し合いでほとんどの問題点は対処できる目処がついたが、一つだけ解決できない問題があった。
その問題とは、『お金』だ。
薬の備蓄を増やすにも、村人達に安全な場所に移動してもらうのにも、当然費用が発生する。その費用を賄うのに必要になるのが予算、つまりお金だ。
そうした費用は当然リエンツの街から捻出されるが、そのためにはリエンツの街を運営する議会の決裁が必要になる。もちろんグレッグは早急に会議を開き、そして予算を確保するつもりだったが、それでも実際に現金を用意するのにはそれなりの時間が必要になる。あまり猶予がない現状では、その時間こそが最も重要だった。
「わかった。お前が準備運動で稼いだ大金貨100枚と今回預かった787枚。合計大金貨887枚は、冒険者ギルドが有り難く預からせてもらう!」
「ありがとうジン君。ちゃんと返すから、そこは安心してね」
冒険者ギルドの要職についている二人が、ギルドを代表してジンに頭を下げる。
これから彼らは職員達と会議を開き、早速明日から動き出すことになるが、それを後押しするのがジンが用意した現金。以前準備運動をギルドに伝えた際、その知識への報酬として入ってきたまま手つかずだった大金貨100枚と、ジンがこの世界に転生してきたときに所持していた大金貨787枚だ。
日本円に換算して九億円近いそのお金が、冒険者ギルド主導の迅速な対応を可能にすることになる。
「はい。準備運動のお金の方はそのうち孤児院に寄付するつもりでしたし、返却後はそのまま年間十枚ずつを十年間寄付する形にしてもらえますか? 残りも別に急ぎませんし、今回のごたごたが終わってからゆっくり返してください」
そもそもジンが提供したお金は、ジンにとってはどちらも棚からぼた餅的に手に入れたものだ。ラジオ体操を始めとした準備運動は元の世界にあったものを伝えただけであったし、転生時に所持していた大金も言ってみれば神様からの贈り物みたいなものだ。そこに感謝はあれど、ジンはそんな大金を個人的に使う気にはなれなかった。そのお金が今回のようにリエンツの街や周辺の村を守る為に役立つのであれば、ジンの方こそ望むところだった。
しかもあくまで貸与であって、正式に予算が下りれば返却される見込みでもあるのだ。
「まさか、ここまでジンが稼いでいたとはな」
一流のAランク冒険者であるオズワルドさえ、ここまでの大金は所持したことがない。彼も貯蓄からいくらか提供しようとしたが、その必要もないくらいだった。
「まあ、ほとんどが頂き物みたいなものですからね」
今回ジンが提供したのは、あくまで彼にとって個人的には手をつける気にはなれなかったお金でしかない。Bランク冒険者となったジンが今日までに蓄えたお金はそれなりの額にはなるが、そこには一切手を付けていなかった。
(どこからもらったかは言えないんだけどね)
内心で独りごちるジンであったが、もしこれがこの世界にきたばかりの頃のジンであったら、もしかしたら所持金のギリギリまで提供しようとしていたかもしれない。だが、それは無私の尊い行為ではあるのかもしれないが、あまりにも自らを顧みていない行為だということもできる。そう考えると、今回のことはある意味ジンの成長の証と言えるかもしれなかった。
自分のことだけを考えていればよかったこれまでとは違い、今のジンにはこの世界に愛する家族がいるのだということなのだろう。
「ポーションの方も、必要であれば言ってください。ビーンさん経由で提供しますので」
お金の他にも、ジンはポーションを相当数提供することが可能だ。
ジンが薬屋のビーンから『調合』を学ぶようになって一年以上になるが、これまでジンは自宅でコツコツとポーション作りに励んできた。一度に作る量は本職のビーンには及ばないが、それでもこの一年で作り上げたポーションは優に四百本以上になる。
それらは時間経過がなくなるジンの『無限収納』に保管されており、全て劣化していない状態だ。ジン達もこれまでの冒険中にそれらポーションを使用しなかったわけではないが、それでも作製した数からすれば微々たるものだ。
冒険者であるジンはそれらのポーションを直接売ることはできないが、薬屋であるビーンを通せば販売が可能になるので、グレッグらが動いても必要数を確保できない場合には、ジンはこれも喜んで提供するつもりだった。
「助かるよ。ありがとう」
グレッグは短く答え、そしてジンに頭を下げる。
今回得ることができたペルグリューンの協力もジンがいなければなかったことであったし、彼が『無限収納』に蓄えていた資金やポーションの提供を申し出てくれたおかげで、今後の対応の目処も立ったのだ。
「グレッグさん達はこれから忙しくなると思いますが、何かあれば言ってください」
ジンがグレッグの感謝に笑顔で応え、更に協力を申し出る。
今回のことは、グレッグやリエンツの人々のためというよりも、自分達のためにやっているようなものだ。グレッグを始めとした自分達の周囲の人々が笑顔であることが、ジン達の幸せでもあった。
(ようやく役に立てることができます)
ジンは神様からの贈り物である大金貨のことを思い、心の中で感謝を捧げるのだった。
お読みいただきありがとうございます。
ちょっと同じ場面での話が続きすぎた気もしますので、後から構成を見直すかもしれません。書籍版での話になるかもしれませんが。
この後も更新ペースは早めます。
ありがとうございました。