目的
「そんな!」
レイチェルが思わず小さな悲鳴を上げる。
先ほどペルグリューンが話してくれたように、『洞窟型』のような自然発生する迷宮の場合は、魔獣の異常発生が起こることも、それが『暴走』に繋がることも十分有り得る話なのだ。
「二つ目の迷宮だと……」
この予想外の事態に、グレッグの口からもうなり声めいたものが漏れた。
誰もリエンツの街の近くに二つもの迷宮が存在しているなど考えたことがなかったし、近場で二つの迷宮が発生するなど滅多にあることではないはずだ。しかも安全な『迷宮型』の攻略は進んでいても、『暴走』の危険性を孕む『洞窟型』は手つかずの状態で存在するというのだ。
(させるものか!)
ジンは最悪の事態を想像し、ギリッと歯を鳴らした。
『ただ正確に言うのならば、洞窟型の方はまだなりかけだ。広大な洞窟の中には魔素が溢れ、既に魔獣もかなりの数が発生しているが、現在はまだ出入り口が空気穴程度の大きさでしかなく、魔獣が洞窟の外へ出られるような状況ではない。とはいえこのままいけば、そう遠くない時期に『迷宮』へと成るだろう』
ペルグリューンが言っていたように、迷宮型以外の迷宮は、基本的に自然発生する。
洞窟や遺跡などは魔素がたまりやすく、そうした場所には自然と魔獣が発生するものだが、それだけでは『迷宮』とはならない。そこにマナスポットなどの魔素異常が発生し、魔素量が限界を超えて蓄積されてはじめて『迷宮』へと変異するのだ。
ペルグリューンの説明は新たな真実を告げるだけでなく、ジン達に一つの希望を生み出した。
(ということは……)
最悪のケースとしては、その『洞窟型』の迷宮がここまで放置されていたせいで『暴走』寸前の状態であることだった。だが、それは避けられた。しかも『迷宮』になる前の状態だというのだから、逆に発生前にその脅威の存在を知ることができたことになる。『迷宮』へと成ってすぐに攻略を始めれば、『暴走』が起こる危険性は限りなく低く抑えられるはずだ。
ここまでの話を聞いて、ジン達の心に希望が湧いてきた。
『ふむ。少し脅しすぎていたのかもしれぬが、安心して良い状況でもないぞ?」
ホッと一息吐くジン達の姿に、ペルグリューンは微苦笑の思念と共に一言釘を刺す。
確かに最悪の状況は避けられたのかもしれないが、彼の話はまだ終わりではない。
『発生前ということで安心する気持ちはわかる。おそらくお前達は『洞窟型』を攻略するつもりなのだろう? 確かにそれは対処として正解だ。これは『迷宮型』と共通する特性だが、いざ『迷宮』となってしまえば、その中にいる魔獣は基本的に迷宮外に出ようとしなくなる。無論『迷宮型』とは違い、条件次第では迷宮外に出ることはあるが、その条件が揃わないように攻略すれば良いだけの話だ。……だが、ここでは成りかけ(・・・・)というところが問題なのだ』
当初はペルグリューンのお墨付きをもらい安堵していたジン達だったが、最後の不穏な台詞にその顔が曇る。
『魔獣が溢れる洞窟から『迷宮』へと完全に変異する際、そこに僅かな時間差が存在する。迷宮の仕組みに魔獣が完全に組み込まれる前に『迷宮』の入り口が開き、そこから魔獣が漏れ出てくる可能性があるのだ。それは本来の規模の『暴走』ほどではないが、それに近い規模になる可能性もある』
ペルグリューンが言うように、あくまで可能性ではある。だが、数千、数万規模の『暴走』はないにしても、仮に百体の魔獣の集団でも普通の村には大打撃だ。その数によっては、高い壁で囲まれたリエンツの街でさえ危険なのは間違いない。
その『準暴走』とでも言うべき脅威が、リエンツとその周辺の村々を襲う可能性がある。その事実に、ジン達の顔が厳しいものへと変わっていた。
『吾が足りないかもしれぬといった意味がわかったか?』
「はい!」
そのペルグリューンの台詞に、ジンは大きく頷いて返す。確かにペルグリューンの言う通りだった。
対処として間違っていたわけではななかったが、少なくとも『洞窟型迷宮』の存在を知らなかったという一点だけで、明らかに対処が不足していたことがわかる。
やるべきことは『洞窟型』の監視と、連絡網の構築。当然直近の村々は今の段階から避難を考える必要があるだろう。そしていざ『準暴走』が発生した際は、その規模によってはリエンツで迎え撃つのではなく、打って出ることも選択肢として入る。防衛と攻勢の両面での準備が必要になるはずだ。
他にもやるべきこと、考えなければならないことはたくさんある。
「ペルグリューンさん、本当にありがとうございます!」
全てはペルグリューンが警告してくれたおかげで、こうして事前に考えることができるのだ。あとはジン達が準備万端で『準暴走』の到来を待ち構え、そして打ち破るだけだ。 ジンだけでなく、全員がペルグリューンに心から感謝し、深く頭を下げていた。
『うむ。……だが、わかっていると思うが、本来なら吾がここまで汝らに干渉することはない』
そのペルグリューンの台詞に、ジン達も頷く。
聖獣とは、この世界のバランスを調整する存在だ。『暴走』の発生やそれで失われる命に心を痛めることはあっても、それはあらゆる命に対してだ。今回のように、直接人間を助けるような行動は起こさない。
良い悪いではなく、それが聖獣のあり方のはずだった。
今回何故ペルグリューンがここまでしたのか、当然それには理由がある。
『今回のことは、吾らにも無関係ではないのだ。ジン、お前が住むこの街が失われてしまっては、吾らにも都合が悪いのでな』
「え?」
ジンにとって、それは意外ともいえる言葉だ。ペルグリューンにそこまでしてもらえる理由が想い浮かばない。
『元々吾が来た目的は別にあると言っただろう?』
確かにここまでの話は、言ってみればおまけだ。本来の目的は、今もジンの足下で大人しくお座りしている小さな聖獣に関係しているという話だった。
足下の聖獣にジンが視線をやると、ちょうどジンを見上げてきた小さな聖獣と視線が合う。
「ワン!」
小さな聖獣は、ジンに応えるかのように尻尾を一振りした。
『……ここから先は他言無用だ。よいな?』
その様子を見たペルグリューンから満足げな思念が漏れたが、すぐに厳格なものへと変わる。それにジン達が否と答えるはずもなかった。
『吾らは生まれ出でてすぐ、言わば赤子の頃を自分達以外の種族と暮らすのだ。それは野を往く馬の群れかもしれぬし、森で暮らす狼の集団の場合もあるだろう。新しい命を導く役目の者が、託すに足る者を探して預けるのだ』
それは知られざる聖獣の習性だ。赤子を他の種族に預けるという行為には、何らかの意味があるのは間違いないだろう。だがジンは何より、この台詞の意図するところの方で頭がいっぱいになっていた。
「まさか、この子を私に預けるというのですか!?」
ここまでの流れからして、これしか答えはないだろう。……そしてそれは正解だった。
『その通りだ。吾がジンを保護者に足ると認め、この子も認めた。だからお前達の暮らす環境を壊さないために、今回ここまで介入したのだ』
少し前になるが、この小さな聖獣がただの小型犬だと思っていた頃、ジンは一度はこの子を飼おうと決めたことがある。そして以前の『魔力熱』の件に加え、今回の『洞窟型』の情報など、ペルグリューンに大きな恩を感じているジンは、自分にできるお願いなら少々の無茶でも聞き入れるつもりはあった。
「その、それは……」
『ただし!』
だから戸惑いつつも承諾の返事をしようとしたジンを、ペルグリューンが強い口調で遮った。
『お前にはこの子が成長するまで、その人生の全てをこの子に捧げるのだ。その期間がどれほどになるかわからぬが、その時が来るまで、この子が身も心も健やかに成長できるように全力を尽くして欲しい。それが吾がお前に望むことだ』
それはこの小さな聖獣を導く役目を持つペルグリューンにとっては、当然の要求だったのかもしれない。今はまだペルグリューンのように思念で話すことはできなくとも、この小さな聖獣は人間と同じかそれ以上の知恵を持つのだ。馬や狼などの動物に預ける場合は、彼らもその動物の習性に任せる。そして今回のように人に預ける以上は、同じ人として扱って欲しいということなのかもしれなかった。
そしてこのペルグリューンの願いは、その後半部分においては、ペット、人を問わず命を預かるなら当然の心得でもあった。
『その対価として、吾は今回の一件にもう少し手を貸そう。吾はここに待機することはできぬが、離れていても監視はできる。『迷宮』に変化があればすぐにお前に知らせるし、『迷宮』へと成るまでにかかる日数に、おおよその見当を付けることも可能だろう』
それは『暴走』の被害を抑えたいジン達にとって、この上なく魅力的な提案だった。
『どうだ、ジン。心して答えよ。この子が成長するまで、お前の人生の全てをこの子に捧げてもらえるか?』
ペルグリューンと小さな聖獣に直接的な血縁関係はなかったが、滅多に生まれることのない聖獣の子は、全ての聖獣にとって我が子も同然と言える。
半ば強制しているようにもとれるこのペルグリューンの問いに対し、ジンはどこか願うような想いが込められてるのを感じすにはいられない。
「…………」
真剣に問いかけるペルグリューンに応え、ジンも真剣に考えて答えを出そうとしていた。
(ジンさんはこの話を受けるでしょうね……)
そんなジンの後ろ姿を、僅かな寂しさと共にアリアが見つめる。
ペルグリューンが求めているのは、小さな聖獣が成長するまでのジンの人生の全てだ。それが数年間で済んだとしても、その間ジンは聖獣にかかりっきりになってしまうことになるのだろう。その間、これまでと同じようにジンと共に冒険者として活動できるかは不明であったし、少なくともこれまで通りとはいかないはずだ。
それはアリア達にとって不利益とも言えるが、それでも受けた時の利益の方が大きすぎる。ジンに自分を抑えてでも周囲のことを考えるところがあるのは、アリアもよく理解しているところだ。
だからこそ、アリアにはジンが否という場面が想像できなかった。
(……ふふ、貴女達もそう思うのね)
ふと隣に視線をやると、同じように寂しげな笑みを浮かべるエルザとレイチェルの姿が映った。彼女達の視線が交わり、そしてお互いの考えが同じであることを確信する。そんなお人好しなジンの一面も、彼女達が彼を好きになった理由の一つなのだ。
そんなアリア達の姿は、やや後方で見守るグレッグ達の視線にも入っている。グレッグらもジンや彼女達に負担をかけてしまうことに忸怩たる想いを感じていたが、望まれているのがジンである以上、ここで口を挟むことはできない。
それぞれが複雑な思いでジンの後ろ姿を見つめていた。
そしてジンが答えを出す。
「すみません。全部は無理です」
『「「「……………………え?」」」』
誰も予想していなかったその返事に、ジン以外の誰もがすぐにはその意味が理解できなかったようだ。
言葉が足りていないのはジンも自覚しており、すぐに続けて話し出した。
「以前ペルグリューンさんにお世話になった時とは違い、今、私には娘がいるんですよ。既に私の人生はその子のためものでもあるので、全部は無理なんです。あと……」
ここでジンは言いよどんだが、すぐに意を決した様子で続けた。
「ここで言うつもりではなかったんですが、ペルグリューンさんにはちゃんとお伝えしないと納得していただけないと思うので言います。近々私はお嫁さんをもらうつもりなんです。その……本人達にはまだ承諾をもらっていないんですが、ここにいるアリアとエルザ、レイチェルの三人と結婚したいなと考えていまして……」
あまりといえばあまりの告白に、誰も言葉が出ない。ぽかーんと自分を見つめる視線を感じつつ、ジンは話を続ける。
「そんなわけで、娘一人と嫁さんが三人。これに自分とこの子の二人分を合わせると六人になります。だからこの子に上げられるのは全部じゃなく1/6になっちゃうんです。あ、でもだからといってこの子のことをないがしろにするわけではないですからね? ちゃんと家族の一員として責任をもって面倒をみるつもりです。ただ人生の全てといわれて『はい』と答えるのは嘘になっちゃうので、その点だけ1/6でご容赦ください。それ以外はペルグリューンさんが念を押されるまでもなくそうつもりでしたし、成長した後もうちの家族の一員であることに変わりはありません。全てを捧げるというところだけ難しいことを了承していただけるのなら、是非この子を私の家族に迎え入れさせてください」
しっかりと自分の分も割合に入れている辺り、ジンも成長したということなのだろう。
また、トウカを引き取った時もそうだったが、元よりジンは子供にしろペットにしろ命を預かることに対しては真摯に向き合わなければならないと考えている。最初は聖獣を預かるということに身構えてしまったが、同じ命であることに違いはない。同じ目線で考えれば何の問題もなかった。
ただ、それはともかく、結果的に何とも締まらないプロポーズになってしまったのは確かだ。
ジンが話し終えた後は、しばらくその場を沈黙が支配していたが、次第にジンの台詞の意味が理解できたアリア達の顔が赤くなっていき、そしてポツポツと音も戻ってきた。
『ククッ』
「ふはは」
「うふふふ」
ペルグリューンやグレッグ達の口から笑い声が漏れ始める。一方で当事者であるジンはしまらない告白になってしまったと決まり悪げに頭をかき、アリア達は突然の展開に嬉しさと困惑が半々の状況だった。
『そうか、お前がそう言うのなら、それでもいい。ふふっ、しかし結婚するのか。めでたいことではないか』
そんな中、ペルグリューンの笑みを含んだ思念が、ジンとその仲間達を祝福する。ジンの出した答えは望んだものと完全に一致しているわけではなかったが、それでも求めた最も重要なことに対しては十全に叶うものだった。
「わははは。まさかここでプロポーズするとは」
「ふふっ、これも聖獣様のおかげですね。おめでとう、皆」
グレッグとメリンダもジン達を祝福する。予想外の展開ではあったが、ようやく収まるところに収まったという気分だ。
「聖獣様のおかげで暴走も対処ができるし、結婚も決まったんですね。ははっ。ジン、皆、おめでとう」
元々ジンは今日の夜に告白をするつもりだっのたが、結果的にはオズワルドが言った通りになってしまった。
ただ、これでペルグリューンの更なる助力も期待できるようになったからには、『準暴走』対策にも光明が見えた。新たな迷宮という危険が発覚した状態でありながらも、皆の顔は明るい。
(ちょっと予定外だったけど、まあ良しとするか)
ジンがアリア達に視線を向けると、彼女達は顔を真っ赤にしながらも笑顔で返してくれた。そのことにホッとしつつも、ジンは彼女達に遅ればせながら大事なことを伝える。
「ほんとは今夜話すつもりだったんだけど、順番が逆になってごめん。告白してもらってからずっと考え続けてきたんだけど、やっぱり俺は三人とも同じくらい好きだってことがわかったんだ。……アリア、エルザ、レイチェル、俺と結婚してください! 俺の妻に、そしてトウカの母親になってください!」
ここにいる小さな聖獣と出会ったあの日、ジンは彼女達を全員受け入れると決めた。だが、今考えればそれは頭で考えただけだったのかもしれない。つい先ほど、『暴走』の危険が間近に迫っていると感じたとき、ジンの脳裏に真っ先に浮かんだのは娘であるトウカと、そしてアリア達の顔だった。
このときにジンは、本当の意味で自分の気持ちを理解したと言っていいのだろう。……それはつい数時間前、『暴走』で家族を失い迷宮主となった過去の転生者の想いを知ったおかげであったかもしれない。
そんなジンの心からの願いにアリア達は……。
「「「はい!」」」
目元に嬉し涙を浮かべつつ、満面の笑顔で応えた。
『「「「おめでとう!」」」』
改めてペルグリューンやグレッグ達から歓声があがり、祝福の言葉が贈られる。
「ありがとうございます!」
ジンもまた、嬉しさ全開の満面の笑顔で応える。
そしてそんな彼の周りを、小さな聖獣が嬉しそうに尻尾をふりながら跳ね廻っている。
「これからよろしくな」
「ワン!」
二人は笑顔で視線を交わすのだった。
――新たにジンの家族として迎え入れ入れることになった小さな聖獣と、揃ってジンに嫁ぐことになったアリア、エルザ、レイチェルの三人。それに娘のトウカを加えた彼ら六人は、こうして本当の意味での家族となることとなった。
彼らが住まうリエンツを取り巻く状況は、決して楽観視できる状況ではないが、ここで新たな情報と共にペルグリューンという心強い応援を得ることができた。残念ながら『準暴走』が起こるのを防ぐことは難しいようだが、それでも被害が発生する前に収めることはできるかもしれない。
(必ず守らないとな)
ジンは遙かな過去に『暴走』で家族を亡くした迷宮主のことを想い、改めて必ず家族を、そして人々を守ると心に決めるのだった。
お読みいただきありがとうございます。
というわけで、これにて嫁複数(ハーレム?)ルート確定です。
この結果に満足されない方もおられるとは思いますが、よろしければ最後までお付き合いください。
あと言い忘れてましたが、小さな聖獣の変身前のビジュアルイメージは、書籍版一巻の背表紙でおじいちゃんverのジンの横にお座りしている犬です。
ありがとうございました。