階層主
「よし。皆、準備はいいな?」
リエンツにある迷宮の八十階、その最奥にある扉の前で、ジンはパーティメンバーに確認した。
「はい。問題ありません」
そう答えたアリアは、現役時代から使っている革鎧こそ変わらないものの、手にした槍は大きく姿を変えている。杖としても使えるというコンセプトは変わらないため、魔力と相性の良い黒木やミスリルを多用しているのは同じだが、ミスリル製の穂先は一回り大きくなり、黒木の柄を彩るミスリルの紋様も増えた。そして見た目ではわからないが、最も大きな変化として、黒木の柄にはミスリルが芯として入っており、更に魔力の伝達率と剛性が向上している。
高価なミスリルを多用したその新しい槍は、ガンツ渾身の力作だ。
「任せろ!」
エルザもまた、その大剣を新しいものに換えている。以前から使っていた黒鉄製の大剣も店売りの良い品ではあったが、今回のこれはガンツがエルザの筋力や癖に合わせて作り上げたオーダーメイドの品だ。剣身の長さや幅も幾分か増え、凄みさえ感じさせる出来だった。
しかもこの大剣は、ただの黒鉄製のものではない。
以前魔力が通りやすいジンの総黒魔鋼製のグレイブで『武技』の威力が劇的に向上したように、『武技』を使うのならば武器の魔力伝達効率は高いほど良いということが判明した。
その意味では黒魔鋼のような魔力鋼を使うのが武器として最適なのだが、黒魔鋼よりランクの落ちる魔鉄でさえ入手は困難だ。次点としてはアリアのように魔力伝達効率の良いミスリルを使うことだが、武器に求められるのは重量や頑健さなど、他にも様々な要素があり、その意味ではミスリルは黒鉄に劣る。そこで武器として優れた素材である黒鉄と、魔力伝達効率の良いミスリルを組み合わせることができないかと試行錯誤して作られたのが、このエルザの大剣だった。
大剣の柄から剣先まで続く芯としてミスリルを通し、それを黒鉄で挟み込んでいる。この大剣を作り上げるためにガンツはジンと共に何度も苦労を重ねたが、結果として黒鉄とミスリルという異なる性質を持つ二つの金属を融合させることに成功した。この完成は鍛冶師として優れた腕前を持つガンツと、『魔力操作 LVMAX』の影響で規格外の『鍛冶魔法』が使えるジンのどちらが欠けてもなしえなかっただろう。
だが苦労した甲斐があり、ジン黒魔鋼製のグレイブほどではないが、『武技』の威力も体感では二割近く向上しているようだ。
「私も準備万端です!」
最後に残るレイチェルは、武器はそのままに盾をリニューアルしている。その黒鉄製の盾は以前使っていたものよりも一回り大きいが、レベルアップと共に上昇した筋力(STR)のおかげで問題なく扱える。腕に固定するタイプではないので、これまで通りいざという時は盾を捨てることもできると、使用感はそのままで防御力を増した形だ。
この盾もガンツが作り上げたオーダーメイドで、エルザの大剣と同様にミスリルを使い魔力を通しやすいようできていた。
「うん、俺も問題ない。いよいよだな」
満足そうに頷くジンは、総黒魔鋼製のグレイブと黒鉄製の大盾を手にしている。ただ、大盾もぱっと見には変化がわかりにくいが、実際はレイチェルの盾と同様にミスリルで魔力の伝導率を増しており、見た目は然程変わらなくとも、その中身は大きく変わっていた。
(ここで言うのはないよな?)
そして何より、ジンの最も大きな変化は、アリア達との関係を発展させる覚悟ができたということだろう。
ただ、この場で「この戦いが終わったら話がある」というのはフラグでしかない。験を担ぐではないが、ジンはこの場で伝えるのは相応しいと思えなかった。
「……帰ったら、思いっきり豪華な料理でお祝いしよう」
これから始まる戦いが終わると、たとえここが最深部でなくとも一つの区切りとなる。
自らの気持ちを伝えるのはその時だと、ジンは内心の葛藤を見せずに、ただ今晩の予定のことだけを口にした。
「それは楽しみですね」
「ああ、ジンの作る料理は最高に美味いからな」
「ふふっ、私もお手伝いしますね」
アリア、エルザ、レイチェルが、それぞれ笑顔で応える。決戦を前に、良い形で肩の力が抜けたようだ。
「よし、じゃあ行こうか」
準備万端とジン達が扉のすぐ側まで近づくと、六十一階の最初にあったものと同じく目の前の扉が自動でスライドして開く。だがそこにあったのは六畳ほどの小部屋と、更に奥に続くと思われる扉だ。
ここまでにはなかった仕様だが、ジンはこれが意味することは一つしか思いつかなかった。
「これは撤退は難しいかもしれませんね」
アリアも同意見なのか、そう言って僅かに眉を寄せる。ジンの思い違いでなければ、この小部屋は階層主との戦いに挑む人数を制限するためのものだろう。
ここ以外に扉で区切られていたのは六十一階だけだったが、そこも戦闘に入って以降は扉が開きっぱなしだった。犠牲や効率を無視した極端な話だが、遮るものがないということは、今までは人海戦術で攻略を進めることが可能だったということでもある。
だが、ここからは違う。おそらくこの部屋に入ると扉が閉まり、その上で奥に続く扉が開くはずだ。つまり、この小部屋に入る人数までしか、同時に階層主戦に挑むことができないということなのだろう。
「だからといって退くのはありえないだろう?」
「ここまで準備を整えたんですから、きっと大丈夫です!」
これまでとは違う仕様に戸惑ってしまったが、エルザやレイチェルが言うように、既に覚悟は決まっていたのだ。全員のレベルが40になるまで待っていたのも、この強敵ひしめく八十階層でも少人数で戦い、そして勝利できるほど鍛えたのは何のためか。全てはこれから待つ戦いに勝利し、迷宮を完全攻略するため、そしてこの街から魔獣の暴走の恐怖をなくし、かつ全員が生きて帰るためだ。
「行くぞ!」
「「はい!」」
「おう!」
ジン達は気合い充分で小部屋の中に歩を進める。すると予想通り後方の扉が閉まり、その直後に前方の扉が開きはじめた。
そして小さな体育館ほどの広さがある大部屋の奥側に、十体を超える集団がジン達を待ち構えていた。
「範囲魔法!」
ジンはずぐさま指示を出すと、自身は一歩後ろに下がり詠唱を始める。それに応じてアリアも詠唱を始め、エルザとレイチェルは前に出て武器を構えた。
「ブォオオオオオ!」
ほぼ同時に敵集団の中央にいた一回り大きなミノタウロスが大きく吠え、それに合わせて周囲の通常サイズのミノタウロスが動きだす。プレートアーマーを着込んだミノタウロスがこちらに向けて突進を開始し、大きな杖を持ったミノタウロスが詠唱し始めた。
「ふん!」
ジンを狙って射手タイプのミノタウロスが放った矢を、エルザが大剣で叩き落とす。続けざまの第二矢はレイチェルが盾で弾いた。
「「燃やし尽くせ、『炎の嵐』!」」
ほぼ同時に、ジンとアリアの範囲魔法が敵集団を包み込む。火の上位魔法であるこの炎の魔法は、現在では失なわれた古代魔法であり、この魔法を使用したことはこの戦いにおいてジン達が全力で挑んでいることを示す一つの証でもあった。
高威力の魔法を二連発で喰らい、詠唱途中だった魔法使いタイプや射手タイプのミノタウロスが次々と地に伏す。一般的な火の魔法であれば倒れることはなかっただろうが、さすがに高い威力を誇る古代魔法の二連撃には耐えられなかったようだ。
「ブゥオオ!」
だが、ジン達に向けて突進していた戦士タイプのミノタウロスの数体は、魔法の範囲ギリギリで影響が少なく、怒声を上げながら迫ろうとしていた。
アリアは古代魔法を使用したことで大きく減ったMPを回復させるべくMP回復薬をあおり、一方でジンは『無限収納』からお手製のMP回復ポーションを使用することで一瞬で終わらせた。
「交代だ! うぉおおおおおお!」
ミノタウロスのような重量級を相手にする場合、厄介なのがその巨体故の攻撃の重さだ。そしてその最たるものが、この突進力を利用した攻撃になる。
一瞬で後衛から前衛へと意識を切り替えたジンは盾を構え、迫り来るミノタウロスに負けじと雄叫びを上げて前へ走り出す。
――そして激突した。
八十階にもなると、戦士タイプのミノタウロスは二メートルを超えるものも珍しくなくなる。
その上プレートアーマーを身に纏った重量級なミノタウロスと、185センチの細身のジンでは、普通に考えれば軍配はミノタウロスに上がるだろう。
だが、レベルアップにより上昇したステータスと、様々な補正をもたらすスキルの存在が、その結果を逆転させる。
『防御力強化!』
「ブォオッ!?」
衝突の直前、ジンは盾に魔力を通し、武技『防御力強化』を発動する。一体目のミノタウロスを正面から弾き返し、二体目を体捌きで回避すると、三体目はグレイブでいなす。
防いだとはいえ最初の衝突の余波でジンは少なくないダメージを受けているが、それでも盾役としては充分な働きと言えるだろう。そしてその間に回避されて体勢を崩した二体目のミノタウロスの首を、ジン同様に走り出していた攻撃役のエルザの大剣が落としていた。
『ハイヒール!』
そしてジンの後方、次の魔法の準備をするアリアを守る位置で盾を構えていたレイチェルが、すぐにジンの元に駆け寄り、そして無詠唱でジンの体力を回復させた。
――長い地道な努力が実を結び、先日ついにレイチェルはスキル『無詠唱』を習得していた。
「くっ! 散開!」
だが、まだ安心などできる状態ではない。
ジンの『気配察知』の反応が強くなると同時に、その視線の端に突進してくる階層主の姿が映る。同時に『危険察知』がもたらした警告を信じ、ジンはすぐさまアリア達に指示を出した。
だが、自らは階層主を引きつけるためにあえてその場に残り、階層主に向け『挑発』を飛ばす。
「来なさい!」
一方でジンの負担を減らそうと、レイチェルも残った戦士タイプのミノタウロスに『挑発』を飛ばす。だが、それで引きつけられたのは一体だけだ。
『――ファイアランス!』
残ったフリーのミノタウロスの顔面にはアリアの魔法が突き刺さり、それで沈みはしないものの大きくのけぞった。このフォローにより、この瞬間はジンを煩わせるものは存在しない。
ジンは突進してくる階層主に全神経を集中させる。
「ブォオオオオオオオオオオ」
一際大きな咆吼とともに階層主がジンの間近に迫る。その叫びには硬直をもたらすスキル『咆吼』の効果がのっていると思われるが、これまでにも何度も経験してきたジン達は、全員がカウンタースキルである『精神耐性』を習得しているので効果は薄い。
「おおおおお!」
更にジンは『気合』を入れて己を鼓舞すると、『挑発』と共に突進してくる階層主の前へ大盾を手に立ちはだかった。
(まだだ、ギリギリまで引きつけろ!)
だが、さすがにジンも今回ばかりは先ほどのように正面から受けとめるつもりはない。
階層主であるこのミノタウロスは身長3メートルを超える巨体を誇り、その全身は赤い甲冑で覆われた姿をしている。手にした武器は両手持ちの大斧で、その巨体に相応しく巨大だ。その超重量に突進力がのった攻撃は想像するだけで凄まじく、先ほどの通常サイズのミノタウロスのそれとはレベルが違うだろう。
ジンは他のメンバーにターゲットが移ることがないようにギリギリまで引きつけ、この攻撃を防ぐのではなく回避することを考えていた。
(今だ!)
ジンを一刀両断しようと、階層主は突進の勢いそのままに大斧を袈裟懸けに振り下ろす。その恐怖に耐えながら、ジンはギリギリのところで大斧の軌道から身を躱した。
「ぐあっ!」
だが、大斧の直撃は躱すことには成功したものの、狙いを外した大斧が地面に穿ち、ジンの足下を揺らす。その衝撃の余波がジンの足下を狂わせ、僅かに回避の動きを鈍らせた。
そしてその隙を狙い澄ましたように、突進の勢いを残した階層主の巨体がジンの左半身を引っかけて弾きとばした。
ジンの体は回転しながら迷宮の床に叩きつけられ、数回バウンドしながらやっと止まった。
「ジン!」
いつでも飛びかかれるように構えていたエルザが、焦りからジンの名を叫ぶ。そして地面に倒れ込んでしまったジンをカバーすべく、注意を引きつけようと階層主へと向かった。
『ファイアランス!』
『ハイヒール!』
同じくジンが体勢を整える時間を稼ごうと、無詠唱で放たれたアリアの魔法が階層主の気を引き、その稼いだ時間でジンに近づいたレイチェルが彼の体力(HP)を回復させる。
ジンがミノタウロスとの衝突で体勢を崩すことはこれまでもあったが、ここまで完全に倒れたことはなかった。アリア達もこの階層主がこれまでとは桁違いに手強い相手であることを改めて実感していた。
「すまん! もう大丈夫だ!」
地面に倒れ込んでいたジンであったが、エルザ達が稼いだ僅かな時間ですぐに体勢を整える。
左手に持っていた大盾は先ほどの衝突の際に遠くまで飛ばされてしまったが、追加でポーションを使用して受けたダメージは回復した。もしジンの体が傷つくことがない仕様でなければ全身の骨が何本も折れていただろうし、こんな短時間で戦線復帰することはできなかっただろう。
アリア達や神様の贈り物にまた助けられたと、ジンは感謝を新たにすると共に次はやられないと気合いを入れる。
「相手は手強いが、いつも通り行けば必ず勝てる! いくぞ!」
残すは深紅のプレートメールを身に纏う階層主一体に、戦士タイプのミノタウロスが二体。
戦いはこれからが本番のようだ。
お読みいただきありがとうございます。
感想返し、修正などできておりませんが、いただいているご意見ご感想はとてもありがたく、新たな気づきもあって非常に参考になります。
いつもありがとうございます。
次も一週間以内でお届けできるように頑張ります。
また今月末、2月28日に書籍版『異世界転生に感謝を』五巻が発売されますが、そのTVCMが現在放映中の『幼女戦記』内で放映されているのは前回お伝えしました。
そのCMをユーチューブにも上げていただきましたので、活動報告の方でURLを公開しております。
六七質さんのイラストが多く使われており、個人的には感動ものでしたので、まだご覧になられていない方はよろしければ是非。
ありがとうございました。