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一年

 五日ぶりの休日となるその日、ジンは一人で街の外に出ていた。

 向かったのはジンがこの世界に初めて降り立った場所、リエンツから数時間のところにある小高い丘の上だ。


「ふふっ、なんか懐かしいな」


 ジンは目の前に広がる光景に目を細めた後、視線を手元へと移す。そこにはVRゲームのチュートリアルナビゲーターのクリスからもらった快癒リジェネの指輪がいつものごとく収まっている。

 この世界に来た当初はまだVRゲームの続きのつもりだったなと、ジンは当時を懐かしく思い出す。


「もうすぐ一年か……」


 ジンがこの世界に来てから、もう一年が経とうとしていた。


 ジンはその場に腰を下ろすと、視線は眼前の風景に固定したままで物思いにふける。始まりの地で自分を見つめ直すために、ジンは今日ここに来ていた。


「さて、いよいよか……」


 つい昨日のことであるが、パーティメンバーのレイチェルがレベル40に達した。アリアとエルザも数日の誤差でレベル40になっていたので、これでジン達『フィーレンダンク』全員がレベル40になったことになる。

 それはいよいよ迷宮の最深部ではないかとジンが考えている八十階のボス部屋の攻略に挑むことを意味していた。


「実力については、おそらく問題ないはずだ」


 実際のところ、ジン達は何度もボス部屋の前までは到達している。そこには大きな扉があって中をうかがうことはできなかったが、その扉にはこれまでにない豪華な装飾がほどこされてあり、いかにも最後の関門であるという雰囲気がプンプンしていた。

 とはいえボス部屋の前まで何度でも訪れているということは、それができるほどジン達の実力がついたということでもある。しかもこれまでと同様に可能な限り一人や二人などの少人数で戦闘を繰り返しながら来ているので、フルメンバーで挑む戦いにはかなりの余裕があると言っていい。

 それを可能にしたのは、各自が更に鍛え上げた各種スキルの高いランクのおかげでもあったし、高レベル故の高いステータスのおかげでもある。ジン達が八十階に到達したのはレベル38の時だったが、それからも慎重に慎重を重ね、あえて今回全員がレベル40になるまでボス部屋への挑戦を待ったのだ。

 八十階まで来るとミノタウロスの質も数も増し、フルプレート姿のミノタウロスや六体を越える数も珍しくなくなるが、それでも余裕を持って処理できるほどの実力をジン達は身に付けていた。


「迷宮を踏破してしまうのも大歓迎ということだし、そこも問題ない」


 もしジンの予想通り迷宮の最深部が八十階だったとしたら、それをクリアしてしまうことは災害迷宮が祝福迷宮に変わることを意味する。それは良いことであるのは間違いないが、祝福迷宮になると迷宮の規模は縮小し、強い魔獣もでなくなる。しかもドロップ品がほぼ魔石のみとなり、安全と引き替えに成長とお金の両面で実入りが少なくなるのもまた事実だ。

 ある意味迷宮からのドロップ品で湧く今のリエンツからそれらが無くなってしまうのをジンは気にしたが、元より迷宮は早ければ数年で消えることもある不安定な代物だ。そんなことよりも魔獣の暴走スタンビートの恐怖から解放されることや、王都にある祝福迷宮のように永続して存在し続ける方が利点が大きいと、その心配は杞憂だとグレッグ達に言われたことでジンも安心した。


「問題は俺の気持ちだ……」


 ジンは八十階を攻略した後、アリア達の告白に返事をするつもりでいる。レベル40という数字は、迷宮を踏破するための安全マージンであると共に、ジンが彼女達の子供のことを考えた際の限界点でもあった。

 そしてそうである以上、告白に応えることは子作りを始めることであり、それはジンにとって即結婚を意味していた。


「どう考えてももったいない。本当に俺でいいのか?」


 大分マシになったとはいえ、ジンの自らに対する低評価はまだ残っている。冒険者としての実力といった仕事面はともかく、男としてはまだまだ自らの評価は低かった。


「……いつまでもこんなんじゃ駄目だ。決めたのだから、踏ん張らないと」


 だが、それでもジンは心の中では結論を出している。オズワルド達の忠告に従い、自らのこだわりを捨て、素直に考えれば結論は明らかだった。


「俺は彼女達・・・が好きだ」


 ジンがアリア達に抱く気持ちは、男女のそれを飛び越え、既に家族に対する想いと変わらない。だからこそわかりにくかったのかもしれないが、今ではジンはハッキリと彼女達への好意を自覚していた。


「そんな彼女達が嫁になってくれるなら……うん、嬉しい」


 素直に考えれば、彼女達の誰が嫁になってくれたとしても、ジンには喜びしかない。ただ、三人に対する気持ちは同量で、一人に絞りきれなかったのが問題だっただけだ。


「トウカのことも何の問題もない」


 彼女達はトウカのことを自分の娘と言ってくれ、その言葉通り愛情を注いでくれている。トウカも彼女達のことを心から信頼して愛情を返している。ジンは感謝しかなかった。


「……人数は、呑み込むしかない」


 結論を出したジンではあったが、それでもまだ引っかかるものは残っている。長年染みついた常識やこだわり、そして老人になるまでずっと独身だった自分が、今世で本当に彼女達を幸せにできるのかという不安は消しきれなかった。


「……だけど……それでも……!」


 それでもジンが結論を出したのは、譲れない想いがあったからだ。


「……俺は欲張りになろうと思う」


 ぽつりと、しかし力強くジンは言葉を発する。


 前世では独身のまま老人になったが、今世ではアリア、エルザ、レイチェルの三人から想いを寄せられた。本来なら一人に絞るべきと前世からの常識が責めるが、この世界の常識は違うと反論する声もある。そしてとても前世では考えられなかったことだが、ジンはこの三人に対して等しい好意を抱いていた。それは単に告白されて浮かれているだけではないかとこの数カ月自問自答し続けてきたが、彼女達への好意は変わらなかった。


 ジンは初めて自分の気持ちに素直になったのかもしれない。


「迷宮を踏破したら、彼女達に結婚を申し込もう」


 ジンは自らに言い聞かせるように言葉を発した。

 まだジンの心の中に本当にいいのかと自問する声はあるが、それでもジンは今世では欲張りになろうと決めたのだ。

 アリア、エルザ、レイチェルの中から一人を選ぶのではなく、全員を選ぶ。それがジンの結論だった。


「よし、これで腹も決まった。あとは当たって砕けろだ」


 ジンは結論を出したが、それにアリア達がどう応えるかはまだ未知数だ。どんな結論を出しても構わないとは言ってくれたが、不安が無いわけではない。

 ただ、もうジンは決めたのだ。

 ジンは立ち上がると、ぱんぱんと腰についた土を叩いて落とす。そして目をつぶるとその場で手を合わせた。


「神様、ありがとうございます。おかげさまで充実した毎日を送らせていただいております。これからも頑張ります。ありがとうございました!」


 いつもの神殿でもよかったが、せっかくこの世界に初めて降り立った場所に来たのだからと、ジンはここでも感謝の祈りを捧げる。この世界に来ることで失ったものもあるが、得たものはそれ以上に多い。ジンは改めてこの世界に転生した幸せを噛みしめていた。


「ん?」


 祈りを終えたジンはふと気配を感じて振り向く。害意などは全く感じなかったので、その動きはゆっくりとしたものだ。

 そしてその視線の先には、こちらに近づいてくる一匹の犬がいた。

 胸の辺りの毛がフサフサしていているその犬は、やや細身のシルエットの小型犬だ。ただ犬の種類に詳しくないジンには子供なのか成犬なのかは判断がつかなかったが、茶色の毛並みが艶々と輝くその可愛らしい姿は、ジンの警戒心を下げるのに充分だった。


「おいおい、こんなところで一匹でいるのか?」


 ただジンが今居る場所は街道からやや外れているので、結界の効果が働かない魔獣が出現するかもしれない場所だ。人間以外の動物が魔獣に襲われることはまれだが、全くないわけでもない。

 心配するジンを余所に、その犬はトコトコと無警戒にジンに近づいてきた。


「ワン!」


 尻尾を振りながら、ジンの前でお座りをするその姿は愛らしい。


「おー、人なつっこいな。よしよし」


 ジンは相好を崩し、その場にしゃがみ込んで犬をなで回す。首輪はしていないので、飼い犬が逃げ出したというわけでもなさそうだ。


「腹減ってないか? 肉でも食うかな?」


 ひとしきり撫で回した後、ジンは無限収納インベントリの中から薄切りにしておいた牛肉を一枚取り出して掌に乗せて差し出したが、それには鼻先を近づけて匂いをかいだだけで食べようとはしなかった。


「お気に召さないか。なら水なら飲むか?」


 ジンは再び無限収納から深皿を取り出すと、生活魔法の『ウォータ』で水を注ぐ。そしてそれを差し出すと、今度はペロペロと水を飲み始めた。


「お、うまいか? よかったよかった」


 目を細めるジンだったが、ここまできても他の犬が顔を出すこともない。いよいよこの犬は一匹だけで生きていることになる。


「ワン!」


 どうしたものかと考えるジンだったが、水を飲み終えた犬は一声鳴くと、今度は遊んでと言わんばかりに、しゃがんでいるジンの周りを駆け回り始めた。


「ははっ、遊んで欲しいのか? よしこい!」


 ジンは再び相好を崩すと、そのまま犬と遊びに興じた。





「――うーん。どうしよう?」


 ひとしきり遊び終わった現在、犬はあぐらをかいたジンの足の上で丸まって眠っている。すっかり心を許したように見えるその姿は、ジンの保護欲をいたく刺激した。


「今なら飼えるかな?」


 前世では命に対する責任を全うする自信がなく、犬や猫などのペットを飼うことはなかった。今世でも冒険者という仕事上家を空けることもあるが、それでもやってやれないことはないとジンは考える。


「なあお前、俺の家に来るか?」


 トウカ達の反応がやや心配だったが、ジンはそれでも反対はされないだろうという気がしていた。眠ったままの犬の毛を指ですきながら、ジンは微笑みながら話しかけていた。


「!?」


 その時、眠っていると思っていた犬が片耳を上げたかと思うと、そのまま身を起こしてジンから離れる。そして遠くの一点を見つめ、そのまま歩き出した。


「あらら、フラれたか」


 残念そうな顔でジンは立ち上がると、そのまま歩き出した犬の後ろ姿を眺める。するとそのジンの視線に気付いたのか、犬は立ち止まって振り返った。


「ワン!」


 そしてその場で一声鳴くと、ちぎれんばかりに尻尾を振り、そして再びきびすを返して去って行く。


「ふふっ、お別れの挨拶のつもりだったのかな?」


 飼えないのは残念だという気落ちはあるが、あの犬の選択は尊重したいともジンは思う。

 犬の律儀さにジンは笑みをこぼし、そして軽く手を振って自らも別れを告げると、リエンツに戻るためにその場を離れた。



 ――そしてお互いが視認できなくなるほど離れた頃、犬は近くで待っていたモノの元へと到着した。


「ワン!」


 犬はその存在の前でちょこんとお座りをして見上げている。


『そうか、気に入ったか』


「ワン!」


『うむ、じきに会いに行く。今しばし待て』


 その存在と犬は、まるで会話をしているようだ。


『しかし……。少し気になるな』


 捻れた一本角を持つ白馬――聖獣ペルグリューンは、ジンが向かったリエンツとは逆の方向に視線を向けていた。

お読みいただきありがとうございます。

次回は一週間以内に更新します。


あとお知らせですが、現在放送中のアニメ『幼女戦記』の2月放送分につきまして、『異世界転生に感謝を』のTVCMを流していただけることになりました。

残念ながら私が住んでいる地域では放送されていないのですが、そのうちユーチューブにアップされるそうですので、私のように見ることができない方のためにも詳細がわかり次第報告します。


ありがとうございました。

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