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 歯をむき出しにしてジン達を威嚇するマッドモンキー変異種は、体調二メートルを優に超える四本腕の大猿の姿をしている。その巨躯を覆う毛皮は黒く、更に全身を禍々しい赤い紋様が奔っており、その特徴と通常種の数倍はある巨体が間違いなくこの魔獣が変異種であることを示していた。


 この変異種の元になったマッドモンキーは、Dランクの魔獣だ。普通の猿と同じくらいの体の大きさで、爪や牙はやや鋭い程度でしかない。だがそれでもDランクに位置しているのは、その身体能力の高さと、道具を使う知恵ゆえだ。ジン達もこのマッドモンキーとは魔力熱を巡る一件でダズール山に訪れた際に戦ったことがあるが、その時も投石という飛び道具に悩まされた記憶があった。無論それでもジン達の敵ではなかったが、それが変異種になって強化されたとなれば話は別だ。


「来い!」


 左手に黒鉄製の大盾、右手に黒魔鋼のグレイブを構えたジンが変異種に『挑発』を飛ばす。敵の意識を自らに向けさせるこのスキルは確かに効果を表し、変異種は苛立たしげな様子でその白目まで染まった深紅の目をジンに向けた。


「ガアッ!」


「くっ!」


 変異種が振り下ろしたジェイドの黒鉄製の剣をジンの盾が受け止める。攻撃がくることは予測していたジンだったが、その鋭さと速さ、そして自らの左手に伝わる衝撃の重さは予想以上だった。衝撃に圧され、ジンの体勢が僅かに崩れる。


(まさか!? こいつ、剣の扱い方を知っているのか?)


 『剣術』はあくまで人の技術だ。それを魔獣であるこの変異種が知っているはずがない。

 だが、ジンにそう思わせるほどその剣筋は通っており、少なくとも剣を単なる棒きれとして扱っているわけではないことがわかる。変異種ならではの優れた身体能力と、それを万全に活かす人の技術。ジンの心に戦慄が奔った。


「くっ! こいつ!」


 動揺を見せたのはジンだけではない。エルザもまた悔しげな声を上げる。

 変異種がジンを攻撃した瞬間に生じる隙を狙って攻撃を加えたエルザだったが、その大剣は変異種が持つハスターの鋼鉄製の盾に阻まれていた。四本の腕は伊達でなく、変異種の脳もまたそれを扱えるだけの思考能力があるということなのだろう。そしてエルザの黒鉄製の大剣を鋼鉄製の盾で危なげなく受け流す変異種の盾の使い方もまた、剣と同じく熟練者の技術を思わせるものだ。

 その攻防を目の当たりにしたアリアとレイチェルも、変異種の能力の高さに驚きを隠せない。Bランクに上がり、自分達の実力も相応以上に上がっていると思っていただけに、なおさらその衝撃は大きかった。


(まだ早かったの? いえ、違う!)


 アリアは沸き上がってきた内心の怯みを否定するが、それは完全には成功していない。

 本来戦いにおいては想定通り進むことのほうが珍しく、それは迷宮でミノタウロスという強敵と戦っているジン達も理解している話だ。この動揺もすぐに闘志が上書きし、それほど長く続くものではない。だが、戦いにおいて冷静さを失うことは、たとえそれが僅かな時間でも危険を招くには十分だ。

 絶好の機会を得た変異種は、自らの優位を確信して口元がつり上げた。


「ふん!」


 だが、幸いにしてこの場には一人だけ僅かな動揺も見せていなかった人物がいた。

 ジン達の動揺につけ込もうとした変異種の動きを、オズワルドが振るった大斧が牽制する。現役のAランク冒険者が振るう大斧の鋭さを無視することができず、攻撃を避けた変異種は大きく後に下がった。


「落ち着け! 相手は変異種だ。手強いのは当たり前だ。だが全員で立ち向かえば勝てる!」


 オズワルドの叱咤がジン達の動揺をかき消す。

 ジン達は知るよしもなかったが、この変異種が持つスキルは『器用者オールラウンダー』、これは手にした武器や防具を熟練者のように扱えるという極めてレアなスキルだ。ただこのスキルも万能ではなく、人のスキルランクでいえば基本スキルの5程度でしかなく、これ以上成長することもない。だが、それでも変異種の脅威的な身体能力と組み合わさった時の凶悪さは言うまでもないだろう。

 しかしオズワルドが言うとおり、元より変異種が簡単な相手ではないことはわかっていた話だ。そもそも単純な戦闘能力だけでいえばこの変異種はAランクのオズワルドさえも超えており、だからパーティで挑んでいるのだ。かつてマッドボア変異種に、そしてゲルドに立ち向かった時のことを思い起こし、ジンは己に気合いを入れる。


「すみません! もう大丈夫です!」


 ジンの目はしっかりと変異種を見据えている。変異種の実力の片鱗に自らの力が通用しないのではと不安に駆られてしまったが、相手はおそらくAランク相当であることは間違いないのだろう。手強いのは当たり前の話で、ことさら驚くことではない。それに、こちらには頼もしい仲間達がいるのだ。


「よし! 頼むぜリーダー!」


 視線は変異種に向けたまま、オズワルドがニヤリと笑う。そして動揺を治めたエルザ達もまたしっかりと敵を見据えていた。


「はい! 敵は手強い! だが必ず俺達が勝つぞ!」


「「「「はい!」」」」


 仲間達の力強い応えを受け、ジンはグレイブを握る右掌に力を込めて叫ぶ。


「来い! 猿野郎!」


 そして再び『挑発』を飛ばした。


「ガァッ!」


 ジン達の雰囲気の変化を感じたのか、変異種は不愉快さを隠そうともしない。それはジン達を侮っていたが故の感情だったが、その魔獣らしくないある意味で高い知性が決定的な隙を生む。

 変異種は苛立たしげにジンめがけて剣を振り下ろすが、それはただ感情のままに無策で剣を振るっただけだ。その剣の勢いそのものは鋭かったが、ジンはその傲慢な剣をただ受けるだけでは済まさなかった。


盾撃バッシュ!』


 ジンは盾を跳ね上げるように振るい、変異種の剣が盾に触れたその瞬間に『武技アーツ』を発動させる。盾で攻撃する際の打撃力を増すこの『武技』はカウンターで決まり、変異種の手に想定外の衝撃を与えた。ただそれでも変異種の手から剣を弾き飛ばすことはできなかったが、代わりにその勢いに圧された右上腕ごと変異種の右半身を跳ね上げる。


『ファイアランス!』


「くらえ!!」


 続いて僅かに遅れ、エルザの大剣とアリアの魔法が変異種を襲う。自らの眉間めがけて無詠唱で放たれた魔法に反応して変異種は顔を背けるが、直撃は避けたものの魔法がその右半面を焦がす。そしてアリアの魔法に意識をとられたことで、ほぼ同時に繰り出されたエルザの大剣への対応が僅かに遅れた。


 ガキン!


 今回はぶつかり合う大剣と盾の軍配は大剣に上がる。変異種の手から盾を弾き飛ばすまでは至らなかったが、その盾を左腕ごと大きく押し込んだ。


「おおおおお!!!」


 ここで満を持して、オズワルドの大斧が唸る。完全に体勢を崩した変異種にできることはほとんどない。雄叫びと共に繰り出された超重量のその刃が変異種の右上腕にくい込み、そして剣ごとその腕を飛ばした。


「ギャアアアアアアア!!」


「レイチェル、頼んだ!」


「はい!」


 叫び声を上げる変異種を前に、ここがチャンスと判断したジンはレイチェルに呼びかけると共に大盾を『無限収納』に収め、その空いた左腕をグレイブを持つ手に加える。

 普段ジンが使っているようにグレイブは片手でも使えるが、その本領を発揮するのはやはり両手で持った時だ。しかし、パーティの防御の要を担うジンが盾を手放して両手でグレイブを持つということは、パーティが攻撃的な体勢に移ったということになる。後衛へ攻撃がとどく危険性も増加し、同じく盾を持つパーティ第二の壁役であるレイチェルの負担が増えることを意味した。ジンはグレイブを持つ両手に、そしてレイチェルもまた左手に持つ盾を握る手に力を込めた。


『スラッシュ!』


 ジンはグレイブを手にした次の瞬間、今だ叫んだまま隙を見せている変異種に向けてグレイブを真横に振るう。狙うはその太い首、オズワルドの大斧によって変異種の右上腕は既になく、その首はがら空きだった。


 ……そして次の瞬間、全ての音が消えた。


 ドサッ……ドサッ。


 風さえも音を止める草原に二つの落下音が響く。一つはオズワルドが斬り飛ばした変異種の右腕、そしてもう一つはその頭部だ。

 これがジェイド達を苦しめ、そしてリエンツはおろかこの国そのものに多大な被害を及ぼしかねないAランク変異種という脅威の最後だった。


「…………え?」


 ジンは思わず呆けたような声を漏らす。確かに変異種はその生命活動を止めており、ジン達の勝利は間違いのない事実だ。だが、いくら必殺の気合いを込めて振るったとはいえ、まさか丸太のように太いその首を斬り飛ばすことができるとはジンは考えていなかった。

 この結果的には呆気ないとも言える思いがけない幕切れにオズワルドも含めた全員が驚きを隠せなかったが、その中でも一番驚いているのはとどめを刺した張本人であるジンだった。


「まさか一撃で首を飛ばすとは……」


 このオズワルドのつぶやきが全てを表しているだろう。Aランクのオズワルドでさえ一度目の攻撃では変異種の左上腕を斬り飛ばせなかったのだ。二度目の攻撃では見事に右上腕を斬り飛ばしていたが、オズワルド自身はジンがしたように変異種の首を飛ばすことができると思っていなかった。

 だが、ジンは未だステータスやスキルもまだオズワルドには及ばない。にもかかわらずオズワルドにできないことがジンにはできた。それには何らかの理由があるはずだ。


(……何でだ? 何でこんなことができたんだ? 黒魔鋼のおかげなのか?)


 実際のところ、ジン本人が一番混乱していた。自らがオズワルドに及ばないことは自覚していたので、今回の変異種の首を斬り飛ばすという出来過ぎの結果に納得いく理由を見つけることができていなかったのだ。


「……ふっ、自分でも何をしたかわからんのか。やっぱりジンは面白いな」


 未だ呆然としているジンを見てオズワルドが頬を緩める。それと同時に場の空気も一気に緩んだ。


「とりあえず考えるのは後にしましょうか。リエンツに帰るまで時間はたっぷりありますし」


 ジンの背中に手をあて、アリアが微笑みながら声をかける。


「そうだな。今は倒せたことを喜ぼう」


「はい。皆さんお疲れ様でした。私の出番はほとんどなかったですね」


 それにエルザとレイチェルも笑顔で続く。確かに変異種という脅威は消え、そしてこの戦闘では誰も大きな怪我をすることがなかったのだ。万々歳の結果といっていい。


「あっと、ごめん。うん、無事倒せて良かった。……よし、さっさと剥ぎ取りして戻ろうか。グレッグさんやジェイド達も心配しているだろうし」


 ようやく落ち着いたジンも笑顔で返す。


「それで帰りながらでいいから、俺の相談に乗って欲しい。オズさんも是非お願いします」


 そして続けられたその台詞は、ジンの信頼の現れと言っていいだろう。

 それに応えるオズワルド達の顔には、満面の笑顔が浮かんでいた。


本当に亀更新で申し訳ありません。

ここ最近プライベートでごちゃごちゃしていて、更新された他の作家さんのお話もあまり確認できないくらいです。

とりあえず少し落ち着き、何もなければこのままいけると思います。できるだけ遅れないように、そして早めに更新できるように頑張ります。


どんな状況でも、いただいたご意見ご感想だけはありがたく拝見しております。

どうぞ今後ともよろしくお願いします。ありがとうございました。

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