遭遇したもの
その日、討伐依頼を受けたジェイド達は朝から徒歩で目的地に向かっていた。
「やっぱ馬車を借りた方が良かったんじゃないか?」
出発して数時間もしないうちに、ドワーフのハスターがそんなことを言い出した。順調にいけば、目的地である村には今日の夕方頃に着く予定だ。
「馬車を使えば早く着くけど、さすがに割に合わないよ」
確かに馬車は便利だが、借りるには当然お金が必要だ。今回受けた依頼はDランクのものなので、そこまで報酬が良いわけではない。レズンが冷静に指摘した。
「それはわかっちゃいるんだが、早く片付けて帰りたいじゃないか」
「ははっ。ハスターは早く戻って迷宮に潜りたいんでしょ? 気持ちはわかるけど、俺はこうして外に出るのも好きだな~」
苦々しげにあごひけをさするハスターとは対照的に、ピートは猫尻尾をひょこひょこ動かしてご機嫌な様子だ。
「ふっ、ピートが言うとおり風が気持ちいいじゃないか。ハスター、焦らなくても迷宮はまだ逃げないさ」
ジェイドが頬を撫でる風に目を細める。街道から外れ、村までの最短距離を進む彼らは草原のただ中にいた。
「確かにそうなんだが、オズワルドさんから指導を受けるようになって、最近ようやくその成果が出始めている気がしてな。迷宮はたくさん戦えるから楽しいんだよ」
訓練というものは、普通一朝一夕に効果が出るものではない。ただその地道な努力が裏切らないのも確かで、ハスターにはその実感があった。
「まあそう言うな。この依頼だって困っている人がいるんだからさ。……それに迷宮は下手すりゃ結構金がかかるからな」
「ああ……確かに。どっか気の合う回復役はいねえかな~」
そのジェイドの応えには、ハスターも納得せざるをえない。天を仰いでぼやく。
現在のところ、ジェイド達のパーティに回復役はいない。それは怪我をした場合はポーション頼みになるということであり、当然ながらポーションを買うにはお金が必要だ。迷宮では戦闘回数が多い半面、怪我をする機会も多いということなので、下手をすれば赤字になることさえありえた。
「さすがに最近はそんなこともないが……それでも回復役は欲しいな」
迷宮出現前に引退した二人の内一人が回復役だったため、そのありがたさはレズンも当然理解している。回復魔法や攻撃魔法を使う魔法使いは、魔法文字の勉強が必要なためどうしてもその数は多くはない。
「勧誘しちゃ駄目だからね~。気長に待つしかないんじゃない?」
回復魔法使いの多くは神殿に所属しているが、冒険者が彼らを直接勧誘することは禁止されている。回復役は常に不足気味なので、そうしないと引っ切りなしに行われる勧誘合戦に神官達が悩まされることになるからだ。
神官もレベルを上げるために冒険者をすることもあるので、仲間にするのは縁とタイミング、そしてその人物との相性次第だった。
「ないものねだりをしてもしょうがない。今は依頼を達成することを考えよう。終わったらしばらく迷宮に専念してもいいしな」
最後にジェイドがまとめたが、どうやら彼は新参でありながらリーダー役を果たしているようだ。
「そうだな。そこまで金欠じゃないしな。……お前と違って」
その意見に同意しつつも、最後にニヤリと笑ってハスターが付け加える。つい先日、ジェイドは黒鉄製の長剣を新調したところだった。
「黒鉄っていいよね~。俺も後もう少しだと思うんだけど」
羨ましげなピートとジェイドのレベル差は僅かだが、重い黒鉄を扱うにはピートの筋力(STR)が少し足りなかった。レベルアップで上昇するステータスには個人差があるため、黒鉄製の武具はCランクでもBランク間近にならないと扱えないことも多い。黒鉄製の武具を扱えるというだけでも一つのステータスといえた。
「ハスターが言うとおりあんまり金がないからな。お前らだってそのうち金がかかるんだから、しっかり稼ぐぞ!」
「「「おう!」」」
草原に威勢の良い応えと、そしてその後に笑い声が響き渡った。
そして更に数時間後、その笑顔は凍り付くことになる。
魔獣の気配を察知した彼らは、行きがけの駄賃とばかりに討伐しようと考え近づいた。それは比較的弱いランクの魔獣しか出ないこの地域だからこその思考だったが、そこに油断がなかったとは言えないだろう。
「まさか……」
ジェイドの視線の先にあるのは、2メートルを優に超える体躯を誇る猿型の魔獣の姿だった。しかもその体毛は黒く、その体を禍々しい赤い紋様が彩っている。加えて両肩からはさらに一本ずつ腕が生えており、四本腕の異形だ。
「おい、まさかあれは」
ジェイドに少し遅れて、ハスター達も気付いた。
「……ああ、あれは変異種だ」
ジェイドの顔は真っ青だ。そもそもこのリエンツの周辺で猿型の魔獣を見ることはない。それはかつてダズール山でジン達が遭遇したDランクのマッドモンキーが元なのだろう。ジェイドはオズワルドとの旅の中で遭遇したことがあったので知っていたが、その他のメンバーは初見だった。
「俺達じゃ勝てない。逃げるぞ!」
ジェイドがすぐに判断を下す。Dランクのマッドモンキーの変異種なので、少なくともBランクに相当する強さのはずだ。しかも四本腕の異形となれば、それ以上という可能性もある。とてもCランクの彼らが勝てる相手ではなかった。
「逃げる……」
だが変異種の脅威は知識としてあっても、初めて遭遇するハスター達にはその現実を理解するのにほんの少しだけ時間がかかったようだ。
――しかし、その僅かな時間が決定的な隙となった。次の瞬間、変異種の視線がジェイド達を射貫く。
「気付かれた! 走れ! 全力で逃げろ!」
すぐさまジェイドは声を上げて退却を促し、自らも走り出す。
「急げ! 邪魔な荷物は捨てろ! 追いつかれたら終わりだ!」
逃げながら背後を確認するジェイドだったが、変異種は猛スピードで追いすがってきており、その距離も徐々に縮まってきている。その逼迫した声音に促され、全員が食料などが入った背嚢を投げ捨てる。
「ジェイド、先に、行け」
レズンは最後尾の自分の横に並んで走るジェイドに声をかける。剣も使うレズンは並の魔術師より体力があったが、それでもこの中では一番持久力がない。ジェイドは猫の獣人であるピートの次に俊足だったので、自分に合わせて走る必要はないと、決死の覚悟でそう言った。
「うるさい。黙って、走れ」
だがそれを良しとするなら、始めから仲間などになりはしない。誰も死なせるものかとジェイドは背後を警戒しつつ走った。
(止まった?)
そして背後を振り返ったジェイドは、その場に立ち止まってしゃがみ込んだ魔獣の姿を目にする。縮まっていた距離が再び開き始め、ジェイドはもしかして諦めたのかと期待してしまう気持ちが止められなかった。
「っ! 危ない!」
しかしそれは甘い期待でしかなかった。なにやら振りかぶるかのような仕草をしたかと思うと、変異種は何かをジェイド達めがけて投げつけてきた。投げた物は足下に落ちていた石だったが、それはただの投石ではない。おそらく『投擲』のようなスキル持ちと思われる変異種が投げた石は、唸りを上げて逃げるレズンの頭部に迫った。
ジェイドは警告の叫びを上げると共に剣を抜いた。
「ぐっ!」
咄嗟に振るったジェイドの黒鉄の剣はかろうじてその投石を弾いたが、その勢いに圧されてジェイドの手から剣が弾き飛ばされてしまう。そして僅かなタイムラグの後、ジェイドの目に自分めがけ飛んでくる投石が映る。
――変異種の腕は四本、利き腕だけでも二つあった。
「ぐ、があああっ!!!」
咄嗟に痺れた右腕をかざして顔を守るが、二投目のこれが本命だったのだろう。先ほど以上に力が込められたその投石は、ジェイドの掌の一部を破壊しつつ右目を直撃した。
「っ、走れ! 走れ!」
激しい痛みと衝撃に頭を揺らしながらも、ジェイドは走る足を止めずに声を張り上げる。残ったその左目に、その場で跳ね上がって喜ぶ変異種の姿が映った。
そして現在、場所は治療院の一室に戻る。それからジェイド達は急を知らせるためにリエンツの街に走り続け、到着するとハスターとレズンにジェイドを任せ、ピートがギルドに報告したというわけだった。
「それで満足したのか、あの変異種はそれからは追ってこなかった。本気なら俺達に追いつくこともできたのかもしれないから、多分いたぶってたんだろうな」
そのジェイドの推測は、あながち間違いではなさそうだ。魔獣は元になった動物の性質などを引き継ぐことがあるが、高い知能を持つ猿だからこそ遊んだのかもしれない。
「そして充分に離れてからポーションを使って血を止めたんだが、ちと遅かったみたいでな。さっきまで、あのざまだったわけだ」
「馬鹿野郎。……よくやったな」
自嘲するジェイドの頭をオズワルドが軽く叩く。結果として彼は全員を守り切ったのだから、誇りこそしても嘲る要素などない。
「オズワルドさんの言うとおりだ。ジェイドがいなかったらどうなってたことか……」
「ああ。治って本当に良かった」
「ほんと、ジェイドのおかげだ。正直駄目かと思ってたから……」
「あー、もうわかったって。……ほんと全員無事で良かったよ」
照れくさそうに仲間達の感謝を遮るジェイドだったが、最後に本音がこぼれていた。そしてそれは同じくパーティを持つジンにとっても理解できる感情だ。
ただ、ジェイドが回復したとはいえ、変異種の脅威が消えさったわけではない。
病室にオズワルドの一言が響き渡る。
「……それじゃあ、後は落とし前をつけるだけだな」
その声は静かではあったが、そこに煮立つような怒りが押さえつけられているのが感じられた。
「そうですね。それは私も同じ気持ちです」
ジンもまた、表面上は静かにそう言った。オズワルドの感情もまた、かつて老人であったジンにはよく理解できるものだ。
「まずはギルドに行ってグレッグさんに相談しましょうか」
だが相手はBランク以上、下手をすればAランクとも思われる変異種だ。オズワルドでさえ一対一で挑むべき相手ではないだろう。既にグレッグは対策に動いているのかもしれないが、もし可能であればオズワルドの手助けをしたいとジンは考えていた。
「そうだな、行くか」
「ええ、行きましょう」
そのオズワルドとジンのやりとりは、表面上は笑顔さえ浮かべている。だが、その場にいる者はそこに流れる静かな怒りを感じ、頼もしくも背筋が凍るものを感じていた。
マッドモンキーの部分は書籍版三巻で加筆した部分になります。戦闘描写はしていませんので、未読の方はそういう設定があったんだくらいに思ってください。
お読みいただきありがとうございました。