贈り物の使い方
数十分後、ジンは神殿の治療院にある病室の一つにいた。オズワルドや仲間達より先に、全速力でこの場所に来たのだ。
「よう。……しくじっちまったよ」
ベッドに横たわるジェイドの顔の右半面には包帯がぐるぐる巻きにされ、僅かに血がにじんでいる。そしてその右手は、小指と薬指の二本が根元からえぐられたかのようになかった。
「すまん、ジン」
その場にはジェイドの仲間であるハスターやレズンと、治療をしていた男性神官の姿もある。ジェイドだけでなくハスター達も無傷ではなかったのだろう。声をかけてきたハスターの鎧には、流れた血が固まってこびりついたままだった。
「気にするな。何があったかは知らんが、今は生きていることを喜ぼう。ジェイドも無理して話すな」
ジンは運動場に知らせに来たピートから治療院にジェイドがいることを聞いた時点で飛び出してきたので、詳しい話は聞いていなかった。ここまで来る間には最悪死亡している可能性も考えていたのだから、彼らが全員生きているだけでもまだマシな状況だ。
「いいか、ジェイド。ちょっとジッとして、今から俺がすることを受け入れろ」
だが、ジェイドの無残な姿に思うところがないはずがない。ジンは内心の震えを押し殺しつつ己を鼓舞し、そしてできることを始める。
「いいな、いくぞ。『鑑定』!」
ジェイドの返事を待たずにジンはスキルを使う。HPやMP、そして状態だけと情報を限定して発動させたジンの『鑑定』は、確かにその効果を現した。
ジェイド
HP20/63
MP20/20
状態:衰弱、血液不足、欠損
(くっ!)
その結果にジンは唇をかむ。一般的な回復魔法やポーションはHPを回復はしても、基本的には失われたものまで蘇らせることはできない。欠損部位や流れた血液も同様だ。
神官の回復魔法によりHPは危険水域ではないが、血液が不足したままでは徐々にHPは減り続ける。安静にして体が自然回復するまで、随時回復魔法をかけ続ける必要があった。
「すみません。クラークさんはおられないのですか? もしくは他に欠損を再生できる魔法を使える方は?」
ジンは以前神殿長であるクラークなら欠損を回復する『快癒』が使えると聞いたことがあった。
「申し訳ありません。神殿長は今、近くの村に治療に出かけておられていて……。他に使えるものもおらず、神殿長のお帰りも明日になるかと……」
神官は申し訳なさそうであると共に、役に立てない自分が悔しくもあるようだ。無力さに拳を握りしめる男性神官を前に、ジンは自らがとるべき手段を考える。そしてそこにオズワルドやピート、そしてアリア達が部屋に入ってきた。
「ジェイドは!?」
「すいません、オズワルドさん」
オズワルドを前にしても、衰弱したジェイドはベッドから身を起こすこともできない。とはいえとりあえずは生きているジェイドの姿に、オズワルドも少しだけ緊迫した空気を緩めた。
だが、すぐこの瞬間に彼の命が尽きることはないにしろ、予断を許さない状況に変わりはない。
「ジンさん」
同僚でもある神官に挨拶を済ませたレイチェルが、努めて冷静にジンに声をかける。アリアとエルザもこの場はレイチェルに任せた方がいいと口をつぐんでいた。
「状態は衰弱、血液不足、欠損だ。クラークさんは不在で、帰りは明日になるそうだ。他に欠損を治せる回復魔法を使える者はいない」
ジンが鑑定の結果をレイチェルに伝える。クラーク不在という状況は滅多にあることではなかったが、近隣の村人が大怪我をした場合などにその地に赴くことはあった。
「……残念ながら私もまだ使えませんが、今いる神官でローテーションを組んで一晩中回復魔法をかけ続けることはできます。上手くいけばいいのですが、容体が急変する可能性も否定できません。その場合は……」
沈痛な面持ちでレイチェルが現状を伝える。
輸血という手段はこの世界では広まっておらず、道具もなければジンも詳しい知識はもたない。その回復を本人の自然治癒力に任せるしかない現状では、レイチェルが懸念していることも充分あり得る話だ。
「レイチェル、アリア達も、いいか?」
そうである以上、ジンの選択も決まっていたのかもしれない。
「はい」
レイチェルが力強く頷き、それにアリアとエルザが続く。
「ジンさんが思うとおりに」
「やっていいぞ。大丈夫だ」
彼女達もそうなる可能性は考えていたのだろう。その答えに迷いや躊躇いはなかった。
「ありがとう」
ジンは彼女達に頭を下げると、続けてレイチェルに声をかけた。
「それじゃあレイチェル、まず回復魔法をかけてもらっていいか?」
「はい。ですがその前に。……皆さん、これからここで行うことは他言無用でお願いします。Bランクパーティ『フィーレンダンク』の名前でそれを要請します」
ジンを守る為にもこのぐらいは言っておくべきだろうと、姿勢を正し、その場にいる全員に向けレイチェルが伝える。
「なんかわからんが、黙っていろと言うのならそうする。Aランク冒険者オズワルドの名前にかけて誓おう」
彼らの会話聞けば、ジェイドが危険な状態にあることも、そしてその意図はわからなくともジンがジェイドのために何かをしようとしているのは理解できる。オズワルドを筆頭に、その場にいる全員が他言無用を誓った。
「ありがとう、レイチェル。じゃあ頼むよ」
「はい」
ジンの礼に笑顔で応えると、レイチェルは続けて呪文の詠唱にはいった。その脳裏に描くのは、現在使える最大の回復魔法だ。
「マナよ、大いなるマナよ。今我が前に深き傷を負い、それでも生を諦めぬ者がいる。どうか彼の者の傷を癒やし、そして再び生きるための力を与えたまえ!『大回復』!」
そして次の瞬間、力なく横たわっていたジェイドに見た目でもわかるほど生気が戻った。
「よし、次だ。痛くはないと思うが、何があってもジッとしてろ、ジェイド」
そして続けざまにジンはジェイドの顔面の半分を覆っていた包帯を外し始めた。
「なにを……」
「今は黙ってみててください!」
思わず声を上げる神官をレイチェルが遮る。ジェイドにも戸惑いはあったが、レイチェルの回復魔法のおかげか痛みはなかったので言われるままジッとしていた。
「それじゃいくぞ。ジッとしてろよ」
ジンは一本のポーションを取り出したかと思うと、それをジェイドの右目と右手にドバッと直接かける。そして残りをジェイドの口元に持ってきて飲ませた。
「……っ!」
「いいから動くな!」
その変化はすぐに現れた。僅かな疼痛と共に右目と右手が熱くなってきたのを感じて動揺するジェイドをジンが制止する。そして周囲が驚きで目を見張る中、ジェイドが感じていた疼痛や熱もすぐに収まる。
気付けばジェイドは、その両方の目で元通りになった右手を見つめていた。
「ジェイド、右手は動くか? ちゃんと見えるか? 体の具合は?」
「あ……、ああ、見える、動く! 体も全くだるさがなくなった!」
ジンの質問に応えるのに間はあったが、ジェイドは震えながらも問題がないことを伝える。レイチェルから回復魔法をかけて貰った直後も大分体が楽になったように感じたが、今はそれ以上に力がみなぎっていた。
「……そのポーションはいったい?」
半ば呆然と神官がつぶやく。回復魔法の『快癒』は欠損を治すことができるが、一度に全てが回復するのではなく、その範囲や部位によっては完全に治すのに数回重ねがけする必要がある。今回の場合なら右目、右手、そして血の最低三回は必要だっただろう。それをたった一本のポーションで成したのだ。
「まさかエリクサーなのか!?」
その驚きは、Aランク冒険者であるオズワルドにとっても同じだ。自らの知識と経験から、遺跡でごくまれに見つかるという伝説の万能薬エリクサーを思い浮かべていた。
「いや、違いますよ。そこまで大した物ではありません」
エリクサーであれば体力が全快するのはもちろん、病気や体の欠損など全てを癒やすことが可能だ。だがジンがチュートリアルで貰ったポーションを複製したこれはたった20しかHPを回復しないので、今となっては割合で回復する市販のポーションの方が回復量は多いくらいだ。
だが、この割合ではなく固定で20回復するというのがポイントだ。その範囲であれば、欠損だろうが何だろうが完全に回復するという副次的効果があった。
この複製ポーションを使えば出血死寸前であっても命は取り留めるし、HPが満タン近ければ欠損も治すことができる。そう考えるとエリクサーほどではないにしても、充分チートなポーションだと言える。
「すみません。気になるとは思いますが、詮索はしないようにお願いします。ジェイドさんのことがなければ、ジンさんも決して明かすつもりがなかったものですから」
今夜が峠かと思われていた状況を一気にひっくり返すこのポーションの存在は、それは詳しいことを知りたいと思うのも理解できる。ただこれ以上詳しく話すつもりはないとアリアが釘を刺した。
「ありがとうアリア」
言いにくいことを先に言ってくれたアリアに礼を言うと、ジンは続けて口を開いた。
「詳しくは話せませんが、このポーションがエリクサーのような万能薬ではないことは確かです。それでも便利なのは間違いないですので、もしこの存在が広まると欲しがる人はたくさんいるでしょう。そうなったら大変ですので、最初に他言無用をお願いしたわけです。どうか了承ください」
神官はこの薬があれば救える人が増えると思うだろうし、オズワルドもいざという時の備えとして所持しておきたいと思うかもしれない。だが、同時に混乱をもたらすであろうことを考えると、『魔力熱』のように余程のことがない限り、たとえオズワルドであろうともジンは渡すつもりはなかった。
「いや、それはいい。エリクサーじゃないにしても、欠損まで治せる薬なんて貴重なものであることは変わらない。ありがとう、ジン、アリア達も。お前達がリスクをおかしてでもジェイドを助けたいと思ってくれたから、ジェイドは元気になれた。本当にありがとう」
オズワルドがポーションについて拘泥することはなく、ただジンとその仲間達に感謝して深々と頭を下げ、それにジェイドも続いた。
「オズワルドさん、ジン、アリア達もありがとう! 正直もう駄目かと思わないでもなかったが、こうして元気になれた。もちろんこのことを誰かに話すつもりはない。本当にありがとう」
「そうだな。薬が凄いとかどうでもいい。ジェイドが無事なんだからな」
「神殿長が留守って聞いた時はもう駄目かと……。くっ、良かった……」
「本当に一時はどうなることかと……」
ジェイドの仲間達もようやくジェイドが全快したのを実感したのだろう。薬云々よりもただジェイドの無事を喜び、涙ぐんでさえいた。
「詮索するようなことを言ってしまい申し訳ありません。私も必ず秘密を守ります。……そうですね、私が頑張って『快癒』を使えるようになればいいんですから」
そして冷静になった神官もまた己を恥じていた。薬に頼らずとも、自分が成長すれば同じことができるのだ。今回の件は、この男性神官にとっても意識を変えるきっかけになったようだ。
(ああ、ジェイドも治ったし、本当によかった)
ジンも覚悟していたとはいえ、どうやら無事に終わりそうだとホッと胸を撫で下ろす。だが、ここでようやく気付いた者もいた。
「それでジン……」
その一人である当事者のジェイドが、緊張気味に口を開く。
「あの薬はいくらなんだ?」
治療院で治療してもらった場合でも、欠損の治療費は高い。使える者も少ないし、MPも多く消費するので当然だ。それでも払えない額ではないが、今回は一度使ったら終わりの希少な薬を使ったのだ。数倍どころの話ではないだろうと、ジェイドの台詞でそれに気付いたハスター達も顔を青ざめさせた。
「ははっ、もちろんお金なんていらないよ」
高額を予想して戦々恐々とする気持ちはわからないではなかったが、複製ポーションを作るのにかかる費用は、実質瓶代だけだ。十日毎に数本しか作れないので希少ではあったが、それでも現在は五十本近く在庫がある。
だからジンは笑顔でそう返した。
「いや、あれだけ貴重な物を使ってくれたのに、ただというわけにはいかん」
「そうだ。せめてまとまったお金を受け取って貰わないと」
「そうだな、いくらぐらいが妥当だろう。せめて大金貨だよな?」
「足りない分は分割にしてくれないかな。ちゃんと払うからさ」
ジンの気遣いは嬉しかったが、ジェイドはそうですかと頷くわけにはいかない。たとえ大金貨数枚であっても、他のメンバーも一緒に払うつもりでいた。
「いや、本当にいらないよ。……うーん、実を言うと、このポーションはある人(神様)からの贈り物だったんだ。しかも俺にとっても思いがけないものでね……」
そもそもこのポーションはゲームのチュートリアルでもらったものだが、使用後一定期間で補充されることなど普通では考えられないことだ。ゲームの仕様が意外な形で発揮されたからこそできるようになったが、これもたくさんある神様からの贈り物の一つと考えることができる。
そうである以上、ジンが取る対応は限られていた。
「贈り物をお金で取引するなんてありえないよ。本当は俺が使うべきなのかもしれないけど、それでも誰かのために使うのなら、贈ってくれた人だって笑って許してくれると思うんだ」
「しかし……」
「ジェイド」
それでもなお食い下がろうとしたジェイドをオズワルドが静かに遮る。
「何を言ってもジンは金を受け取らない。それより今回命を助けられた恩をいつか返せるようになれ。ジンが困った時、助けを求められた時に応えられるようにな。ただ、よほど気合いを入れないと無理だろうがな」
「……はい。ジン、ありがとう。この恩はいつか必ず返す!」
ジェイドはオズワルドの言葉に少し考え込んでいたが、最後にはその言葉を受け入れたようだ。どこかさっぱりとした様子だ。
「ああ、何かあった時には頼むよ」
何かなど、ない方がいいのは当たり前だ。だが、ジンは笑顔でジェイドの気持ちを受け入れた。
「いいものですね」
その光景を、その場にいる唯一の部外者ともいえる男性神官がまぶしい思いで見つめていた。
「それでジェイド……」
そしてジェイドが完全に回復した以上、話し合うべきは次の問題だ。ジンがジェイドに声をかけ、それをオズワルドが引き継ぐ。
「何があった?」
ジンやオズワルドが放つプレッシャーに気圧されつつも、ジェイドは自らが大怪我をした状況の説明を始めた。
早めに投稿するつもりが、今回もギリギリになってしまいました。この手の内容の場合は投稿ペースを早めなければいけないのはわかっているのですが……申し訳ありません。
次回は一週間後、遅れてもプラス数日以内にお届けするつもりです。
ありがとうございました。