変化
アリア達三人の告白後も、ジン達の関係性に目立った変化はないように見える。
ジンは以前から節度ある行動を心がけていたが、それは告白後も変わらなかったし、アリア達女性陣もこれまでと同様に積極的にアピールすることもない。
だが、前者は必死にそうしようと努めていたのに対し、後者は自然体でそうであった。
アリア達のそれは、既に自らの想いに答えを出している者の余裕ということなのかもしれない。
そんな人生で初めての贅沢な課題に頭を悩ませるジンだったが、勿論それは悩ましいだけではなく、嬉しいものでもある。
翌日から二日間の休暇の間も、ジンはビーンやガンツの元での修行や自宅での魔法文字の勉強などに熱心に取り組んでいたが、ふとした時に緩んでしまう口元が全てを表していた。
だが二日間の休暇を終え、アリア達と共に再びダンジョンの探索に挑んだジンは、そこで新たな課題に直面することになる。
新たな課題――それは一言で言えばダンジョンの変化だ。
六十階までを踏破し、新たに挑戦することになった六十一階。ジン達が目にしたのは、これまでの迷宮の姿とは大きく異なる光景だった。
「広いな」
半ば呆然とジンはそんな事を口にする。
迷宮の六十一階に足を踏み入れた彼らが目にしたのは、これまでとは明らかに違う迷宮の変化だった。
天井の高さが以前より二メートル近く高くなり、その高さは五メートル以上はあるだろう。通路の幅もこれまでの倍近くあり、まるで自分が小さくなったかのような錯覚さえ受ける。
「壁の色も違いますよね。何か迫力があります」
レイチェルの顔には若干緊張の色が見える。周囲の壁はこれまでより濃い色をしており、黒灰色のその壁は圧迫感を感じるほどだ。
「そうね。それに何より違うのはあれよ」
アリアが指さす先には大きな扉が見える。これまでこの迷宮に扉が出てくることはなく、広さや壁以上に明らかな変化だった。
「で、どうする? とりあえず進むならあの扉を開けるしかないみたいだぞ」
エルザが指摘するとおり、階段からあの扉まで続く一本道しかない。
「ここまであからさまに違うと、警戒してし過ぎるという事は無いな。ちょっと待ってくれ」
ジンはそう断ると、『地図(MAP)』を出して周囲の状況を確認することにした。『MAP』が半径十メートルほどの迷宮の構造を映し出す。
「どうやらあの扉の向こうには敵が一体だけいるみたいだ。伏兵の可能性もあるから、少なくとも一体と考えてくれ」
「一体とは珍しいな。これは歯ごたえがありそうだ」
不敵な笑みを浮かべるエルザの耳はピンと立っていて、尻尾も大きく揺れている。やる気は十分のようだ。
「やっぱり新しい魔獣ですよね?」
「この階から迷宮の構造が全体的に広くなっているし、その可能性は高いと思うわ」
少しだけ不安そうなレイチェルにアリアが答える。その意見にはジンも同意だった。
「俺もそう思うよ。多分、大鬼よりもでかいんじゃないかな。そうじゃないとこの広さは説明が付かないからね。しかしボス戦ってわけでもないのに、一体しかいないってのが気になる。万一の場合は撤退の指示を出すから、その可能性も頭の片隅に置いておいてくれ。」
ここでじっとしていても状況は変わらない。全員で慎重に扉へと近づく。そしてその扉に手をかけようとする前に、ズズッと重い音を響かせながら自然に扉が左右にスライドして開いていった。
(自動ドアかよ!)
思わず突っ込みたくなる気持ちをかみ殺し、ジンは武器を持つ手に力を込める。完全に開ききった扉の先には、予想通り初めて見る魔獣が一体待ち構えていた。
「よし、いくぞ!」
念のためと、ジンは脱出路を確保する目的で扉があった中央付近に木剣を置く。もし扉が閉まろうとしても、『破壊不能』の属性を持つこの木剣ならばストッパーとして充分のはずだ。
そうして退路を確保した上で、ジン達は部屋の中へと進む。その視線の先にいたのは、二メートルを超えるオーガよりも更に一回り大きい牛頭人身の魔獣――ミノタウロスだ。
筋骨隆々としたその巨体に相応しい大斧を構え、ミノタウロスはゆっくりとジン達へ向かって足を進め始めた。
「いくぞ、『マナライフル』!」
「――敵を貫け、『炎の槍』!」
いつでも撤退できるように入り口の扉近くに陣取ったジンは、まずは遠距離からその体力を削ろうと無詠唱で魔法を放つ。少し遅れて詠唱を終えたアリアの魔法も飛んだ。
「グオオオオオオオオオ!!」
自らに向かう魔法を気にとめることなく、ミノタウロスは雄叫びと共に突進してくる。その雄叫びは状態異常を引き起こす『咆吼』であったが、距離が空いていたこともあってかジン達に影響を及ぼすことはなかった。そして普通のオーガであればその半分は削っていたであろう二人の魔法だったが、ジンの目に映るミノタウロスのHPは未だその八割近くを残していた。
「あいつのHPはオーガの倍以上あるぞ! エルザは攻撃に専念! 防御は任せろ!」
そう叫びつつジンは大盾を構え、前に出てエルザの隣に並ぶ。
「おう!」
ミノタウロスの巨体から考えても、その攻撃力がオーガ以下とは考えにくい。ジンが前に出るのに合わせて逆にエルザは一歩下がり、攻撃の隙をうかがう。
「グオオオオオオオオ!」
「かあああああっ!」
そして雄叫びと共に突進してきたミノタウロスに負けじとジンも雄叫びを上げ、そして轟音と共に両者が激突した。
「くっ!」
その巨体と怪力から繰り出される大斧の一撃は、突進の加速度もあって大盾越しでもジンにダメージを与える。だが、それでもジンは『傷つかない体』を軸にした高い技術と身体能力で、その勢いを殺して見せた。
「――『ハイヒール』!」
間髪入れずレイチェルの回復魔法がジンを癒やす。
「はっ!」
「『ファイアランス』!」
続けてミノタウロスの隙を狙い、エルザ大剣がミノタウロスを捉え、今度は無詠唱で放たれたアリアの魔法がミノタウロスに炸裂する。
「くっ! 固い!」
しかし、魔法を使ったアリアと違い、直接攻撃を加えたエルザの手に残る感触は鈍い。腕を断ち切るつもりで放った渾身の一撃だったが、刃はその半分程までしか埋まらなかった。
「グオオオオオオオオオオオオオオ!!」
痛みに対する怒りと共に、再びミノタウロスの『咆吼』が放たれる。先程とは違い至近距離から放たれたその『咆吼』は、僅かではあったがジンにも影響を及ぼした。
「あせるな! 勝てる! 慎重にいくぞ!」
すぐさまジンは己と、そしてアリア達に『気合い』を入れる。その一喝で一瞬浮き足立ちそうになった雰囲気が治まった。
「おう!」
「「はい!」」
アリア達も答えると共に己に気合いを入れ直し、そして再びミノタウロスとの攻防が始まる。だが、いくら手強いと言っても一対四だ。タフなため時間はかかったが、ほどなくしてジン達の連携によりミノタウロスはその身を迷宮の床に沈めた。
「……ちょっと歯ごたえありすぎじゃないか?」
戦いが終わり、ドロップアイテムの回収をしているとエルザからそんな言葉が漏れた。新しい魔獣は手強くなると予想していたし、ある意味で望んでもいたが、このミノタウロスの強さはその想定を超えていた。
「オーガが出た時もそう思いましたが、今回はその比じゃないですよね」
そう思うのはエルザだけでなく、この場にいる全員がそうだった。最後にため息をつくレイチェルに続き、アリアも口を開く。
「六十階のボスほどではありませんが、それに迫る強さでしたね。一体でこれですから、今後その数が増えると考えると……」
これまでの傾向を考えると、アリアが言うように今後このミノタウロスの数が増える事はまず間違いないだろう。そして盾や弓など、戦闘スタイルが違うものが組み合わさって出てくる可能性は高い。
「あー、確かにアリアの予想どおり、次の部屋からは最低でも二体以上みたいだ」
この部屋には入り口以外にもそれぞれの壁に扉があったが、ジンが『地図』で確認するとその先にある部屋にはどれも魔獣の反応が二体以上あった。
「これまでと同じように地道に鍛えていくしかないな。……時間はかかるかもしれんが、それしかないだろう」
エルザが自分に言い聞かせるように口を開いたが、ここに来るまでそれなりに鍛えていた自負があったからこそ、その表情は明るいものでは無かった。だが、確かに六十階を比較的余裕を持って突破できたジン達をしてこれなのだから、それも無理はないだろう。
(もしかして……)
だが、今回の迷宮の構造や魔獣の大きな変化は、ジンに何か理由があるのかもしれないと思わせるに充分だった。急激に上がった難易度の理由を考えるジンに、一つの考えが浮かぶ。
「あくまで想像の話だけど、もしかすると迷宮の最奥が近いのかもしれない」
そのジンの言葉に全員が注目した。
「ここまでは比較的順調だったよな? 出てくる魔獣は基本一種類で、階を進める毎にその強さと構成が変わるだけだった。二十階までの子鬼、四十階までの豚鬼、六十階までの大鬼。どれも段階的に強くなっていったんで、対応はしやすかった。そしてこの六十一階からの牛鬼も、多分今までと同じように階を進める毎に手強くなっていくんだろう。でも、感覚的に言うと、これまでより強さの上がり幅が大きすぎる気がするんだよね」
迷宮に出る魔獣がオークからオーガに変わった時を考えてみても、いきなりHPが倍になるということは無かった。またアリアが指摘したように、このミノタウロスは一つ下の階のボスに迫る強さを持っていたが、いくら階層が変わったとはいえ、いきなりそんな強さを持つ雑魚が現れたこともこれまで無かった。
ジンの発言にアリア達も頷いて同意を示す。
「それに迷宮の構造も広くなって大きく変わっているし、何だか警告しているように感じるんだよ。『これまでとは違うぞ。これ以上進むな』って。それに……」
そう言うとジンはこの部屋に入ってきた入り口を指す。そこには念の為に置いてあった木剣と、開きっぱなしの扉があった。
「初めは部屋に入ると扉が閉まって、敵を倒さないと開かなくなるとか想像していたんだけど、結局戦闘中も扉が閉まることはなかったんだよね」
「それがどうかしたのか?」
エルザにはジンが何を気にしているのかわからなかった。
「要するに、いつでも逃げ出せたってことさ。戦ってみて無理だと思ったら逃げていいぞってのは、かなり俺達にとってありがたいルールだと思わないか? それが考えすぎだとしても、この部屋だけ魔獣が一体ってのも、なんかお試しっぽいんだよな」
「言われてみれば……」
完全にジンの意見に納得したわけではなかったが、そう口にしたアリアだけでなく、エルザやレイチェルもうなずけるところはある様子だ。
「この迷宮に入ってからずっと思っていたことなんだけど、なんか親切なんだよ。前に皆からそういうもんだと言われたけど、どうにも気になってしょうがないんだ。魔獣の強さが階を降りる程に強くなっていくのは良いとしても、階層毎に出る魔獣の種類が一種類なのは対処がしやすいし、十階層毎の転送装置や、罠が全くないってのもね」
ゲーム好きのジンにしてみれば、様々な攻撃方法を持つ個性豊かな敵や、落とし穴などの罠は迷宮につきものだ。しかし少なくともこの迷宮には厄介な状態異常を引き起こす魔獣はいないし、一つの罠も存在しなかった。だから魔獣との戦闘にだけ意識を向けていればよく、わざと少数で多数に挑むという無茶も可能だった。
「以前ジンさんに言われて気になったので調べてみましたが、過去に同じようなダンジョンが出たという記録もありましたので、やっぱりそこまで珍しいタイプではないようです。ただ、確かにダンジョンにはいくつかの種類があるようです。罠や宝箱の有無や転送装置の有無。魔獣の種類が豊富かどうかもダンジョンによって違いますし、迷宮タイプではなく、自然の洞窟のようなものもあるそうです。王都のダンジョンも、罠こそありませんが洞窟型に近いそうですしね」
アリアの補足にジンは頷く。
「調べてくれたんだ。ありがとう。まあ、あくまで俺の主観でしかないんだけどね。何が言いたいかというと、俺はこのダンジョンに誰かの意志を感じるってことなんだ。これまでがあまりにも俺達に都合が良すぎるように感じてね。だから尚のこと、この階の変化には理由があると感じるんだ。さっきも言った『ここから先は本気だぞ。終わりが近いから進ませないぞ』って警告にね」
「それは……」
「突拍子のない考えってのは俺も理解しているよ。でも、そう考えると納得いくんだよなー」
ジンは困ったように頭をかく。
壁や床の材質を変え、通路や部屋の幅や高さも変える。更にはこれまで以上に手強い魔獣を配置するなど、ジンにはこれらの変化はどうにもあからさま過ぎる気がしていた。
「それじゃあ、ジンはここで攻略を辞めるつもりなのか?」
「いや、そうはいってない。あくまでこれは俺の想像でしかないし、もしそうだとしても俺達に進む以外の選択肢はないと思う」
もしこれ以上進んではならないという納得できる理由がわかっていれば話は別なのかもしれないが、現状では単にこれ以上進まれるとダンジョンコアが危ないので進ませたくないくらいしか予想できないのだから仕方が無い。
そう言い切ったジンにアリア達は安堵したようだ。大きく息をつく女性陣にジンは笑顔を向ける。
「ああ、ごめん。心配させたかな。でも皆もやる気で嬉しいよ。さっきエルザも言ってたけど、俺も地道に鍛えて攻略を進めるつもりだよ。確かに手強いだろうけど、強くなるには打って付けの相手だ」
生死が懸かる戦いだからこそ、得るものも大きい。ミノタウロスの強さは想像以上だったが、ここから新しい挑戦が始まると思えば気合いも入るというものだ。
「さあ、相手は手強いけど、ここからまた頑張ろう!」
「「「了解!」」」
応えるアリア達の顔もまた、やる気に満ちあふれていた。
これまでとはガラリと様相を変え、難易度を上げた迷宮。その大きな変化を前に、いよいよ終わりが見えてきたかもしれないと思いを新たにするジン、アリア、エルザ、レイチェルの四人。
そしてこの新たな課題に集中することで変な照れや気負いも薄れていき、ジンはいつも通りの自分を取り戻していくことになる。
だが同時に、ジンが自らが下さなければならない決断について考えるのを止めることもないのだった。
遅くなり申し訳ありません。
前話を機に、物語自体が少しずつですが、大きな区切りに向けて動き始めていく予定です。
今回はかなり遅れてしまいましたが、最低二週間に一度の更新を心がけて頑張ります。
ありがとうございました。