男同士の内緒話(予定)
「ジン君、ちょっといいかな?」
宴もそろそろ終わりの気配を見せ始めた頃、マキシムがジンに声をかけ、そして目線を窓の外に向けた。
(外か……)
何事だろうかと思いつつも頷くジンにマキシムもあごを引いて応える。
「ちょっとジン君も借りるよ」
そして女性陣に一声かけると椅子から立ち上がった。
「え?」
「はーい、いってらっしゃーい」
連れ合いであるミリアはマキシムの考えなどお見通しなのだろう。理由を聞くことなく軽く応えていたが、アリア達としては気にならないはずがない。
「うん、ちょっと行ってくるよ」
そんな彼女達に笑顔で大丈夫と伝えると、ジンはマキシムに続いて家の外へ向かった。
(風が気持ちいいな)
家を出たジンの頬を夜風が優しくなでる。やや冷たいその風は、酒で少し火照った体に心地よかった。
「わざわざすまないね」
「いえ」
先に出ていたマキシムが少し申し訳なさそうな様子でジンを迎える。それに気にしていないと笑顔で返すジンに、マキシムもつられて笑みを浮かべた。
「ありがとう。ちょっと二人だけで話しておきたいことがあってね」
そう言うと、マキシムはジンを連れて家の裏にある庭へと場所を移す。そこはきちんと整理された可愛らしい印象の庭で、樹木類はなかったが庭を囲むように様々な花が咲いており、よく公園にあるようなベンチまで置いてあった。
「ちょっと座ろうか」
マキシムはベンチに座るよう促し、自分もそこに腰を下ろした。
「たまにミリアとこのベンチに座って星を眺めるんだよ」
玄関側と違い、庭側には視線を遮るような高い障害物はない。
少し照れた様子のマキシムが言うとおり、花が咲き誇る庭から少し視線を上げただけで満天の星空がジンの目に映った。
「綺麗ですね」
街中より更にはっきりと見えるその星空は、この旅の間も夜毎ジンを楽しませてくれたものだ。自然とジンの頬も緩んだ。
そのまま二人はしばらく無言のまま星空を眺めていたが、そこに流れる沈黙は息苦しいものではなかった。
「……エルザは小さい頃からミリアの真似ばかりしていてね。体が鈍らないように剣を振るうミリアの真似をして、よく棒きれを振り回していたんだ」
その静謐な空気を壊さないとしているかのように、視線を星空に向けたままゆっくりとした口調でマキシムが過去を振り返り始める。ジンも静かにその話に耳を傾けた。
「あの子の話し方もミリアの真似だよ。ミリアは女の子らしく育てたかったみたいだけど。とうとう諦めて剣も教えるようになったんだ」
(ふふっ、今でも十分女の子らしいと思うけどな)
新しく出来た刺繍という趣味のように、エルザには可愛らしいものが好きという女の子らしい部分だってちゃんとあることをジンは知っている。その柔らかな部分は、エルザが剣と共に確かに受け継いだものなのだろう。
(やっぱ母娘は似るのかもな)
共通項の多いミリアとエルザ母娘のことを考えると、自然とジンの顔に笑みが浮かんだ。
「たぶん性に合ってたんだろうね。毎日元気に剣を振っていたんだけど、ある日泣きながら僕に言ったんだ。『お母さんは私のせいで弱くなったの?」って」
そこでマキシムは大きくため息を吐いた。
「教えた人に悪気は無かったんだけど、確かにミリアはエルザの出産以降、全力を出すことが難しくなった。それを聞いて自分を責めたんだね。でも体を壊したのは事実だけど、それはエルザのせいじゃない。色々重なったせいもあったし、むしろ出産後にあれだけ回復できただけで万々歳だった。僕もミリアもエルザを責める気なんて無かったし、思ったことすら無い。そう伝える僕にあの子は言ったんだ。『お母さんの分まで強くなる』って」
マキシムは少し悲しそうに、そして静かに語り続ける。
「16歳になると、あの子は冒険者になると言ってここを出て行った。半年に一度は手紙を書くように言ってたんだけど、半年が過ぎても手紙が届くことは無かった。時々リエンツにいるメリンダさんやシーマさんから様子を知らせる手紙が来てたので、その理由もわかっているんだ。……あの子は母親と同じAランクになり、そしてそれを超えるのがどれだけ難しいことか、その現実に打ちのめされてもがいていたんだね」
途中からどんどん顔を曇らせていたマキシムは、ここでようやく表情を緩めた。
「でも半年ほど前、初めてあの子から手紙が届いた。ジン君も一緒に手紙をくれた、あの時のことだよ。その少し前にシーマさんから来た手紙でジン君の存在は知っていたけど、パーティを組んで同居を始めたなんて聞かされて最初はちょっと驚いたよ。でもジン君も一緒に手紙をくれたし、それほど心配にはならなかった」
「……それに最後に書いてあったんだ。『もっともっと強くなる』ってね」
マキシムは座ったままジンに向き直ると頭を下げた。
「ありがとうジン君。君と出会えたことであの子は夢を思い出したんだと僕は思う。さっきもあの子が君のことを心から信頼していることが見ていただけでわかったよ。勿論アリアさんやレイチェルさんに対してもね」
事実、エルザは一人でマッドウルフの変異種を倒したジンの実力に驚き、賞賛し、そして少しだけ羨んだ。だがそれを乗り換えて彼女はつかみ直したのだ、「母より、誰よりも強くなりたい」という夢を。
マキシムが話したエルザの過去をジンは知らなかったが、強くなるために努力し続けている彼女の姿は誰よりも知っているつもりだ。例え少しだとしても、もしマキシムが言うように自分がしたことで現在の彼女があるというのならば、それはとても喜ばしいことだ。しかもある程度自負しているパーティ間の信頼関係の深さを、第三者であるマキシムから指摘されたのだ。
「ありがとうございます。そう言っていただけて私もすごく嬉しいです」
だからジンは少しの遠慮も謙遜もせず自然と笑顔でそう答え、マキシムもまた笑みを深くする。
その場に穏やかな空気が漂った。
だが少しすると、ジンは臆面もなく肯定してしまったことが段々と恥ずかしくなってきた。
「あーっと、そういえば驚きました。ミリアさんとグレッグさん達がパーティを組んでいたなんて」
「ふふっ、確かにそうだろうね。僕は小さい頃からミリアを知っているけど、初めて出会った時はもうパーティを組んで随分経っていたようだよ」
照れ隠しに言ったジンの台詞に、マキシムが笑顔で返す。それは興味深い内容だったが、気になる点もあった。
「小さい頃から?」
「ああ、ミリアはああ見えて六十歳を超えているからね。僕とは二十歳以上離れているんだ」
「ええ!?」
ジンの目には、ミリアはどう上に見積もっても四十代がいいところだ。レベルが上がると寿命が延びて老化が遅くなるとは聞いていたが、実際に目の当たりにすると驚きを隠せない。
(グレッグさん達とパーティを組んでいたんだから、同年代と考えると確かにそうなのかもしれないけど……)
ジンはグレッグが六十代ということは知っていたが、だからといって高齢であると意識したことはなかった。グレッグは老け顔なので実年齢を聞いてもそれほど違和感がないが、へたすれば三十代で通るミリアが六十歳を超えているなど信じられないほどだ。
ジンは改めてレベルアップによる恩恵の凄まじさに驚きを隠せなかった。
「ふふっ、まあ驚くよね。僕も大人になって久しぶりにミリアに会った時は、小さい頃に見たのとあまり変わらないように感じたからね」
マキシムは呆然とした状態から抜け出せないジンに笑いかけると、再び星空を見上げて懐かしそうに昔を振り返り始めた。
「僕は成人する少し前から修行のために王都に出てたんだけど、そこで休暇に来ていたミリア達と偶然再会したんだ。彼女達は押しも押されぬAランクパーティだったんだけど、ミリアの同郷のよしみというのもあって、飲み会なんかにも混ぜてもらったりして、それでミリアもだけどグレッグさん達とも仲良くなってね。彼らは普段は未開拓地を拠点に活動していたんだけど、王都に来ることがあればその度に一緒に遊んでいたんだ」
それはジンが知らない現役のグレッグ達の姿だ。話に引き込まれ、聞き逃すまいと耳をそば立てる。
「でも知り合ってから数年後、とある事情で彼らは現役を引退することになった。グレッグさん達はリエンツに行くことになったんだけど、ミリアは悩んでいた。今更別の人とパーティを組むつもりはなかったみたいだから、ソロで冒険者を続けるか、それとも別の何かを始めるかってね。……でまあ、そんな悩むミリアを僕が口説き落とした」
「おお!」
思わぬ肉食系の発言に、ジンは思わず声を上げる。少し小柄で優しげなマキシムの風貌からは想像がつかなかった。
「ははっ、恥ずかしながらその頃にはもう彼女にべた惚れでね。必死だったよ。なにせ彼女は社会的地位もお金もあるAランク冒険者だ。駆け出しの木工職人である僕とは不釣り合いだったから、なりふり構わず必死に口説いたよ」
ここでマキシムは苦笑いすると、ばつが悪そうに頭をかいた。
「高レベルになるほど子供が出来にくくなるけど、今回のグレッグさんとサマンサさんのように、どちらかのレベルが高くなけば可能性は少し上がるんだ。僕は冒険者じゃないからレベルも高くなかったし、子供も出来る可能性があるって言ってね。僕にあったのは好きという気持ちとそれくらいだった」
そしてマキシムは一転、嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。
「ただまあ何故かミリアは即答で結婚を承諾してくれてね。リエンツに行く前だったガンツさん達立ち会いの元で結婚を誓い、僕の修行が終わってからこの村に戻ってきたんだ。そしてすぐにエルザを身籠もった。別に子供が出来なくてもいいとミリアは言ってくれてたんだけど、それでもやっぱり嬉しかったな」
マキシムはジン視線を向けると、真剣な面持ちで口を開く。
「余計なお世話かもしれないけど、ジン君は冒険者だからこれからもどんどんレベルが上がっていくと思うし、自分の子供のことは頭の片隅にでも置いた方がいいと思う。まあトウカちゃんていう可愛い娘がもういるから必要ないかもしれないけどね。……ただ一緒に行動しているエルザもレベルが上がっていくことを考えると、ちょっとだけ心配なんだ。僕達はエルザの子供を抱けるのかなって」
ここまで話し終えてすぐに、マキシムは順調にレベルとランクを上げているジン達に水を差すようなことを言ってしまっていたと気付き慌て頭を下げる。
「ああっと、ごめん。こんな話をするつもりはなかったんだ。本当にごめん」
だが、それは子を持つ親として当然の心配だろう。
結婚して子がいる弟妹がいたジンでも、両親はずっと結婚と子をなすことを望んでいたのだ。一人娘であるエルザのことを考えると、マキシムがそう思うのも無理はない。
「いえ。お気持ちはわかります。私にはトウカという娘がいますが、エルザ達はそうではありません。……私に出来るのは、その時が来たときに彼女達を祝福することくらいでしょう」
弟妹の子供達をともすれば我が子のよう可愛く思っていた為か、ジンとしては自分の血を引く子供というものにこだわりは無い。出来れば今世では結婚して子を持ちたいという希望はあったが、たまたま出会いがあってトウカが娘となった今では尚更こだわらなくなった。
しかしエルザ達は違う。いくら可愛がってくれているとはいえ、トウカはあくまでジンの娘だ。将来彼女達が子供を持ちたいとレベルを上げることを止め、パーティを去って行く可能性だって確かにあるのだ。
(その時は仕方が無いよな……)
そう自分を納得させつつも、ジンは何故か心の奥底にあるむかつきを押さえることが出来ない。
(……ああ、独占欲とか嫉妬か? くそっ、我ながら情けない)
その原因はすぐに見当がついた。要は彼女達が自分から離れて他の男の元に行くことが嫌なのだ。無意識にジンは顔を歪める。
(あー、なんかモヤモヤする)
だが、自覚してもなおジンの胸のむかつきは収まることが無い。それは本当に単なる独占欲だけから来る嫉妬なのか。
その答えが出るのは今ではなかったが、マキシムとの会話が少なくとも何らかの変化のきっかけをジンにもたらしたのは確かだった。
「あー、その。ジン君、本当にごめん。僕らはエルザが幸せならいいんだ。その…………いや、エルザのことをよろしくお願いします」
マキシムがエルザと誰の子を想像して口を滑らせたのか、それはあえて語るまでも無いだろう。だが煩悶するジンの様子は、自身はそうは思っていないことの現れだ。
マキシムは忠告したくなる気持ちを抑え、ただエルザのことを頼むに留めた。
(あとでエルザにも謝っとかなきゃ)
せっかくジンを連れ出して男同士の会話をしたというのに、ここまでジンを悩ませてしまった以上は、ここでの会話の内容をある程度エルザに伝えざるを得ない。締まらないなとマキシムは天を仰ぐ。
彼らの頭上に輝く満点の星空は、変わること無く世界を照らし続けていた。
お読みいただきありがとうございます。
次回、リエンツに戻る予定です。
だんだんと1月30日の二巻発売日が近づいて参りました。正直ここが正念場です。出来ましたら応援をよろしくお願いします。
ありがとうございました。