試し
「はっ! ――コホン、失礼しました。お初にお目にかかります。エルザと共に『フィーレンダンク』というパーティを組んで一緒に活動しておりますジンと申します。そして彼女が……」
「うんうん。前に手紙をもらったからね。その辺はわかっている。よろしく頼むよ。それより――ふうん、あんたがねえ……」
「母さん!」
途中で自己紹介を遮り、話もそこそこにジンを値踏みをするように見つめるミリアの視線を、エルザが間に立って遮った。
「何だい、久しぶりに会った母親にその態度は? うちの婿にな……」
「母さん!」
母ミリアの不穏な台詞を、途中でエルザが遮る。ミリアはエルザとよく似た犬耳をピクンと反応させて顔をしかめた。
「ったく大きな声を出して、うるさいねえ。――ああ、ごめんよお嬢ちゃん、怖かっただろう」
ミリアの視線の先にはジンの背後に佇むトウカの姿があった。
「初めまして、トウカです。エルザお姉ちゃんのお母さんですか?」
フルフルと首を振りつつ、トウカはジンの陰から出てミリアに挨拶をした。
「おお、可愛いねえ。そうだよ、エルザの母親でミリアっていうんだ。よろしくね、トウカちゃん」
トウカには武器鎧を身に着けた冒険者の姿に免疫があったということなのだろう。幸いなことに、おびえた様子は見られない。
(なんか婿とか言ってなかったか? 聞き間違いか?)
一方でジンはまだ先程のミリアの台詞がもたらした混乱から抜け出しておらず、彼女たちの会話を半ば呆然と聞いている。そしてそんなジンに代わり、アリアは今度は自ら自己紹介を始めた。
「初めまして、ミリアさん。私はアリアと申します。エルザとはプライベートでも友人として付き合っています。さあ、レイチェルも」
「あ、はい。こんにちはお母様。レイチェルと申します。エルザさんにはいつもお世話になっています。そうだ、あの方はギルド職員のサマンサさんです。今回の試験に同行してくださっているんですよ」
レイチェルの紹介を受けてサマンサが頭を下げる。サマンサはここは自分の出る幕ではないと、頭を下げただけで口を挟むことはなかった。
「へえ、そうなのかい。よろしくね。おや、それじゃあトウカちゃんは?」
「トウカはお父さんの娘です」
そのトウカの答えにミリアの視線がジンを捉え、次に順繰りに女性陣を廻る。そして最後にジンに戻ると、そこで固定された。
「はい、トウカは私の娘です」
アリア達の自己紹介による時間稼ぎもあり、このころにはようやくジンも落ち着きを取り戻していた。トウカの頭を一撫ですると、微笑を浮かべたままミリアの視線に対した。
「確かあんたはエルザと同い年だったよね。一応聞くけど、トウカちゃんはいくつなんだい?」
「トウカは十歳です」
「そうかい」
率先して答えたトウカに微笑みかけると、再びミリアの視線がジンから外れなくなった。ジンとしてはその意味は分からなかったが、なぜかここで視線をそらしてはダメだと、自らもミリアを見つめ返す。こうして若干重苦しい雰囲気の中、しばし沈黙が続いたが、ようやくミリアが口を開いた。
「その年で子供を持つとは大したもんだ! でかしたよ、エルザ! 良さそうな男じゃないか!」
その顔は先程までとは一転し、満面の笑顔だ。
「そうだろう……って違う! だからまだそんなんじゃないんだって!」
「何だい、いっちょ前に照れて。恥ずかしがらなくなっていいじゃないか」
「だから――」
などと言い合いを始めた親子の様子を微笑ましそうに見るジン。
(男友達を連れてきた娘をからかっている感じなのかな? よくわからんが、まあ楽しそうだしいいだろう)
ようやく自分の中でも納得いく結論が出たこともあり、とりあえずエルザに怒っているわけではなさそうだと、ジンはホッと胸をなでおろしていた。
((あー、まだ安心するのは早いと思うけど……))
そんなジンの様子を見て、アリアとレイチェルは同じようなことを考えていた。そして実際のところ、その考えはある意味正解で、またある意味では間違っていた。
「よし、そんじゃあ早速やるぞ! ついて来な!」
「ちょ、母さん!」
そう言ってジン達を置いてきぼりにしてズカズカと去っていくミリアと、それを追うエルザ。残されたジン達も、仕方なくその後に続いた。
「ここは……」
しばらく歩いて着いたその場所は、村のはずれの運動場のようなところだった。
「ここはエルザが村を出るまで訓練していた場所だよ」
そうなんだと幼いころに訓練しているエルザを幻視するジンに、ミリアにとっての本題が告げられた。
「よし、それじゃあジン、あたしとやり合うよ。得物を持って前に出な」
「母さん!」
「いいから黙ってな。あんたの相手は明日してやる。……どうだいジン、この母さんを安心させてくれないかい?」
ハッと何かを思い出したかのように黙るエルザ。
(大事な娘を預けるだけの実力が俺にあるのか、それを確かめたいんだろうな)
元冒険者ゆえに無理もないかと、問われたジンは少しだけ逡巡した後に返事した。
「わかりました。受けて立ちます」
こうしてジンはミリアと模擬戦を行うことになった。
「ジン、変なことに巻き込んでごめん。それと母さんは強い、本気でいってくれ。それと……いや、いい。頼んだ」
ジンにそう声をかけるとエルザは側を離れる。そしてそのエルザを慰めるように彼女の側にはアリアとレイチェルが寄り添っていた。
「ありがとうよ、ジン。あたしのお願いを聞いてくれて」
「いえ、ミリアさんのご期待を裏切らないように頑張ります」
そう言葉を交わす二人の手にあるのは、刃が潰れた模擬剣ではなく実剣だ。ミリアの大剣は彼女が現役時代から使っている愛用のものだったし、ジンのグレイブも黒魔鋼製でこそなかったが、黒鉄製のそれだ。ミリアのたっての願いで行われるこの真剣を使った模擬戦には、かつてないほどの緊張感が漂っていた。
「それでは双方くれぐれも怪我がないように。では、初め!」
エルザのその台詞を合図に、ミリアの剣がジンに襲い掛かった。
「速い!」
エルザと共にいざという時の為に立会人を務めているアリアが、思わず声を漏らす。ジンやエルザとの立ち合い稽古をこなしている彼女をもってしても、そのミリアの素早さは驚くべきものだった。
「くっ! っつ! く!」
アリアが驚く間にも次々と素早い連撃が叩き込まれるが、ジンは必死に反応していた。
(速いし重い! これはオズワルドさん以上か?!」
ミリアの武器は大剣なので、オズワルドの大斧と比べて速度があるのは理解できる。だがその一撃の重さもまたAランク冒険者のオズワルドが振るう大斧に迫るものがあった。
ガキン! ギン! ギン! ガギン!
甲高くも重い音が響く。防戦一方のジンだったが、その目に諦めの色はない。
「ふっ!」
たとえ無尽蔵とも思える体力を誇る高レベル冒険者でも、人である以上酸素が必要だ。繰り出し続ける連撃にも呼吸する間が必ず存在するし、ジンにとって格上との戦いは初めてのことではない。
耐えに耐えたジンは、生じたその隙を見逃さなかった。
ギン! ガギン! ギン! ギン!
お返しとばかりに今度はジンの連撃がミリアを襲うが、そのジンの反撃もミリアの大剣が阻む。そして再び攻守交代してジンが防御する番になった。
「くっ!」
ミリアの攻撃は急所こそ狙ってこないものの、まともに受ければただでは済まない。だが、だからこそ得る物も多かった。
(右! 横! かわせ! 上! っ! 前! 今だ!)
反射と先読み、己のすべての感覚を総動員してジンはグレイブを振るう。複数の敵の攻撃に対処してきた迷宮での経験が、様々な方向から絶え間なく襲い掛かってくるミリアの剣への対処を可能にしていた。
「くっ!」
それでもミリアの方が格上であることは変わりなく、ジンが攻撃側にまわる時間は三割に満たない。だがミリアを安心させるために始まったこの戦いであったが、ジンは今では純粋にこの勝負に挑んでおり、決して勝つことを諦めていなかった。
(ん?! 誘いか?)
集中するあまりどれほどの時間この戦いを続けていたかジンには分からなかったが、不意にミリアから感じるプレッシャーが弱まったように感じた。それはごく僅かなものであったが、ジンは罠を警戒しつつもここが勝負処と気合いを入れる。
「はあっ!」
だが、その次の瞬間。ミリアは己を鼓舞するかのように声を張り上げると、凄まじい勢いで大剣を振るう。ジン迫るその剣は、先程感じた事が嘘のように鋭かった。
「うおおお!」
しかし、ジンも負けじと雄叫びを上げると、ここまで両手で振るっていたグレイブから左手を外し、ダメージ覚悟で左の小手に仕込まれた分厚い装甲を迫り来るミリアの大剣に打ち付けた。
ガキッ!!
ジンの籠手と衝突して鈍い音を響かせながらも、ミリアの大剣の軌道はわずかに逸れ、ジンを捉えることはない。
(今だ!)
そしてその僅かに生まれた隙を狙って、ジンは右手一本でグレイブを振るった。
「くっ!」
だが、ミリアも尋常な戦士ではない。声を漏らしながらも危機を察知して素早く後ろにさがる。絶好のチャンスと思われたが、これでもジンのグレイブはミリアには届かなかった。
「まだまだ!」
大きく後ろに下がりはしたものの、ミリアは無傷だ。無茶をして痺れる左手をこらえながら、それでもジンは前に出ようとした。
「そこまで!」
だが、ジンが動き出すその前に、エルザから模擬戦の終了が宣言された。
(終わったのか?)
唐突に訪れた戦いの終わりではあったが、その時ジンが感じたのは心よりの安堵だ。
一つ間違えれば命を失いかねない極限の緊張から、思わず崩れ落ちそうになる膝をこらえるジン。対峙するミリアもまた、大剣を支えにその場に立っていた。
「もう! 母さん、無茶をして! 大丈夫なの?」
エルザがミリアの元に駆け寄ると、ミリアはエルザに支えられつつも問題ないと手を振った。すぐさま待機していたレイチェルの回復魔法が二人を癒やす。そうしてお互いしばらく水分補給しつつ体を休め、ようやく息が整ってきたところでジンは頭を下げた。
「ありがとうございました。とてもいい勉強になりました」
「いえ、こちらこそありがとう。まさか時間切れになるとは思っていなかったわ」
「時間切れ?」
「ああ、ちょっと体を壊していてね、短時間なら問題ないんだけど、長時間の戦闘は体が保たないのよ。これでも戦闘には自信があったから、まさか負けるとは思っていなかったわ。あー悔しい」
「え? 体を壊したって、大丈夫なんですか?!」
「あはは、大丈夫大丈夫。長時間の戦闘が無理なだけで、日常生活は全く問題ないからね。ほんとレベル上げといてよかったわ」
慌てるジンに対して、明るく笑って返すミリアだったが、レベルが高いと寿命も延びる上に体も丈夫になるので、ミリアが言っているのはそのことだろう。ただ、そんな高レベルと思われる彼女が体を壊すとは、いったい何があったのだろうという疑問がジンの脳裏をかすめた。
そしてジンがエルザに視線を向けると、彼女もコクリと頷いて答えた。
「大丈夫だ、ジン、母さんの言う通りだから安心してくれ。……ったく、ジンを連れて帰ればこうなるかもしれないと思っていたけど、やっぱりこうなった」
「何よ、娘の婿になるんだから、その強さを確かめたいと思うのは仕方がないでしょ? うん、でも合格よ。トウカちゃんみたいな良い子を娘に持つ甲斐性もあるし、強さも悔しいけど問題ない。ジン、あなたをエルザの婿として認めてあげるわ」
「だから違うと言っているじゃない!」
「何よ!」
「何さ!」
また親娘の言い合いが始まったが、ジンはさっきの婿発言はからかいや聞き間違いなんかじゃなかったと、再び動揺してしまいそれどころではない。思わず助けを求めてアリア達を見ると、二人はジンに笑顔で頷くことで返してきた。
「……ふぅー」
彼女たちの笑顔の意味は知解できなかったが、その笑顔を見たジンの心に諦めと安心感が同時にわき上がる。そして少し落ち着いたジンは、やれやれと大きなため息をつきつつも、言い合いを続ける母娘の姿を見て口の端に僅かな笑みを浮かべるのだった。
少し遅れました。お待たせして申し訳ありません。次回は早めに更新するつもりです。年内目標、遅くとも三が日までには。
お読みいただき、ありがとうございました。