昇格試験の旅
「ふんっ!」
土煙を巻き起こしながら突進してくるマッドブルと、ジンが振るうグレイブが交差する。
次の瞬間には首から上を失ったマッドブルが崩れ落ち、突進の勢いのままその身を引きずりながら進み、数メートル先でようやくその身を沈めた。
(凄い!)
ジンはその切れ味に思わず内心で快哉を叫ぶ。
彼が持つ鈍く光る黒いグレイブ。それは一見するとこれまでも使っていた黒鉄製のものと同じように見えるが、その身は単なる黒鉄ではなく、黒鉄が魔力を帯びた希少な金属である魔黒鋼で作られていた。
剣先から握りまで全て黒魔鋼製のそのグレイブは、かつての強敵ゲルドが所持していた大剣を元に、数カ月の時をかけてガンツが作り変えたものだ。
総黒魔鋼製のグレイブ、それがジンが得た新しい力だった。
「お疲れ、ジン! 思わず見惚れたぞ」
ドロップアイテムを回収し、馬車へと戻ってきたジンを笑顔のエルザが迎える。
エルザの大剣もグレッグが作り上げた黒鉄製の業物だが、その特性は切り裂くというよりも叩き切ることにある。それは重く硬いという黒鉄の特質ともよく合っており、『大剣』のスキルランクが6を超えた現在では、エルザ自身もその扱いにかなり習熟したと思えるようになっていた。
一般的にはスキルランクの壁となるのが5で、それを超えた時点でまず一流と言える。更に付け加えるならば、かつてジン達を鍛え上げたベテランAランク冒険者であるオズワルドの『大斧術』のスキルランクが7である事実を踏まえると、その凄さがお分かりいただけるだろう。
だが、そんなエルザでも、さっきジンが見せたほど鮮やかに魔獣を仕留める自信はなかった。
「ははっ、ありがとう。以前より少しだけ刃が薄くなった分、切れ味も増したみたいだな」
魔力を帯びた金属はその存在そのものがレアだが、そのほとんどが鉄が変化した魔鉄鋼だ。そもそも魔力が通りにくいとされる黒鉄が、こうして魔力を帯びて黒魔鋼になるケースは極めてレアと言える。
よく見ると、ジンのグレイブはよりシャープな形へと生まれ変わっていた。
(ありがたく使わせてもらいます)
ただでさえ魔力を帯びることによってその性能を飛躍的に高める魔力鋼の中でも、黒魔鋼といえば一二を争う存在だ。恐らくはこの希少な金属と引き換えに仲間を失い、そして悲しみのあまり狂ってしまったゲルドの事をジンは思い起こしていた。
「お父さん、すごいすごい!」
だが、そんな少しだけ沈んだジンの気持ちを、トウカの笑顔と純粋な賞賛が癒す。自然とジンに笑顔が戻っていた。
「すごいだろー。この武器はガンツさんが作ったんだぞー」
「わー、ガンツおじさんが作ったんだ! かっこいいね!」
親として子供を守っているつもりでも、実は逆に子供に守ってもらっている部分も少なからずあるものだ。ジンの心の柔らかい部分を、トウカや仲間たちが守ってくれているのは間違いなかった。
そんな一戦闘を終えた後にもかかわらず和やかな雰囲気のジン達を、半ば呆然と見つめる視線があった。
「ねえアリア、ジンさんってあんなに強かったの?」
何も知らない無邪気な子供であるトウカと違い、元Dランク冒険者であるサマンサにとっては、Dランク上位のマッドボアを一振りで倒すジンの規格外さが実感できた。夫であるグレッグからジンは強いとは聞いていたが、まさかこれ程とは思っていなかった。
「ふふっ。いえ、もっと強くなったんですよ」
ジンは勿論、アリア自身も日々成長しているのだ。仲間達のことを思い、アリアは誇らしげに微笑んだ。
(なるほど、あの人がゆっくりしてこいと言うはずね)
サマンサ本人はBランク魔獣に遭遇したことはなかったが、その危険性は知識として知っていた。グレッグからジン達はBランク魔獣を討伐済みとは聞いていたが、これほどの腕ならそれも頷ける話だ。
今回のBランク昇格試験は本当に名目上のものに過ぎないことを、サマンサはこの時点でようやく実感した。
だが、ここで一つ誤解がある。ここはグレッグの情報統制を褒めるべきだろうが、サマンサはジン達がBランク魔獣を倒した具体的な日時は知らなかった。
ジンがエルザやレイチェルとBランク相当のマッドボア変異種を倒したのは、彼らがまだ正式にパーティを組む前、ほとんど初心者講習直後と言ってもいい時期のことだ。当時は罠を張った上に予想外の幸運もあってギリギリの勝利だったが、現在のジン達の強さは当時の比ではない。
サマンサが考えている以上に、彼女の安全は保証されているようなものだった。
「みんなー、そろそろ行きましょー」
「わかったー」
「了解ー」
「はーい」
ドロップアイテムの回収も終わり、アリアと共にサマンサの側で護衛していたレイチェルが最後に呼びかける。それにジン達も笑顔で答えると、全員が馬車に乗り込んで再び目的地に向けて走り始めた。
「今日はここで野営しようか」
ジンの号令のもと、メンバーがそれぞれ手際よく野営の準備を進めていく。出発してからの二日間は途中の村で宿泊したため、何気に野営は初めてだ。結界装置や簡易トイレ等を手分けして設置する中、ジンはアリアに視線を向けた。
(いいかな?)
(ほどほどにしてくださいね)
視線で問うジンにアリアが苦笑で返すと、許可を受けたジンはほどほどに対応することにした。
「アリア、あなた達コンロなんか持ち歩いているの? それに生肉よね、あれ。冷蔵庫まで持ち込んでいたなんて……」
野営で使うとは思えない設備と食材を前に食事の準備を進めるジン。馬車の中は荷物が少なくて広々としていた印象だったので、サマンサは魔道具であるコンロや冷蔵庫が持ち込まれているとは思っていなかったのだ。
「まあ、あると便利ですし」
平然を装いながらアリアは答えたが、勿論正解はジンの『無限収納』を使っただけだ。ただいつものようにテーブルや椅子を出すこともなく、王都への旅で使った冷蔵庫も『無限収納』の中に入っているので、ジンはかろうじて言い訳が聞くほどほどのところで能力を使っているつもりだ。それには万一バレたらその時はその時という、サマンサに対する信頼もあった。
「サマンサさん、酸っぱいのって大丈夫ですか?」
手際よく野菜や肉を切り分けつつ、ジンはサマンサに問いかける。
「え? ええ、最近は酸っぱいのも好きよ」
「ジンさん、せっかくですし二種類作りませんか? 私はゴマのやつが好きです」
戸惑いつつ答えたサマンサだったが、料理を手伝っているレイチェルがフォローという名の要望を伝えた。
「ははっ、了解。じゃあゴマとポン酢にするよ。サマンサさん、出来るまでたき火にでもあたっていてください。すぐできますから」
「ええ。本当にジンさんが料理当番なのね。……アリア、あなたも出来ないわけじゃないんだし、手伝ったら?」
サマンサもお呼ばれしてジンの手料理を食べたことはあるが、こうして実際に料理をしている姿を見るのは初めてだった。そしてそのジンの隣で料理を手伝っているレイチェルの姿に他人事ながら焦りを感じ、思わずアリアにアドバイスめいたことを口にしていた。
「私は料理に向いていませんから。それよりたき火の側に行きましょう」
アリアも料理ができないわけではなかったが、自分で作っても美味しいとは思うことはなかった。それよりも作ってもらった方が何倍も美味しいと実感していたので、ある意味開き直ってお任せするようにしているのだ。――ある意味これはコンプレックスからの自己防御なのかもしれない。
こうしてサマンサの目をそらす意味もあり、アリアはサマンサと共にたき火の側で料理の完成を待った。
(じー)
そんなそれなりに重要な変化の最中、トウカはお手伝いのタイミングを待ちながら、じっとジン達が料理をする姿を見つめていた。
「美味しい~」
出来上がった料理を口に運び、トウカの顔が笑顔で蕩ける。本日のメニューは、たっぷり野菜の鳥鍋だ。
今回二種類のたれを作ったが、トウカの好みはほのかに甘いゴマダレだ。柔らかいつくね団子と野菜にたれを絡め、はふはふと鍋の熱さも楽しんでいた。
「やっぱりジンさんは料理上手ね。美味しいわ」
野営料理と言えば干し肉と硬いパンが定番で、それにチーズやスープがつけば良い方だ。ジンの料理の腕は以前自宅でのパーティに呼ばれたときに知っていたつもりだったが、まさか野外でここまで本格的な夕食が食べられるとはサマンサには驚きだった。
特にこのポン酢やゴマのつけだれは初体験の味で、サマンサは特にポン酢が気に入っていた。
「良かったです。トウカのために酸味は抑えているので、もっと酸味が欲しい時はこれを絞ってくださいね」
「ありがとう。いただくわ」
ジンの勧めに従い、サマンサはスボンという柑橘系の果物を受けとった。外見は蜜柑に似たその果実は、味はレモンやすだちに似た酸味が強いものだった。
「うわ、そんなに入れるんだ。私は無理だ」
スボンをしっかり絞って酸味を足すサマンサに対し、エルザは味を想像したのか、そう言って体を軽く震わせる。犬は蜜柑等の柑橘系は食べられないものだが、獣人のエルザはそんなことはないので、単純に好みの問題だろう。
エルザとレイチェル、そしてトウカはゴマダレ派で、ジンとアリア、サマンサはポン酢派だった。
「ははっ。好みって面白いよな。俺は混ぜて食べるのも美味しいと思うけどね」
旅というものには、普段は気付かない様々なことに気づかせてくれる力がある。
お菓子のキノコたけのこ論争ではないが、味に限らず好みというものは千差万別だ。そんなそれぞれ違ったところのある者達が、縁あって集まって一つの鍋を囲んでいる。そのことがジンには嬉しくてたまらなかった。
「いや、それは邪道だろう。そもそも――」
などとこの後もまだまだディスカッションは続いたが、何だかんだ皆で楽しい時間を過ごすのだった。
予定より更新が遅れて申し訳ありません。
次回は遅くとも二週間以内に更新します。
ありがとうございました。