王都からリエンツへ
ジンがトウカを引き取ると決めたはいいが、だからといってこの場で口頭で済ませられるほど簡単な話ではない。子供を一人引き取るのだから、当然それなりの手続きが必要だ。
「すいません、オルトさん」
「いえいえ、ジンさんに家族が増えるなんておめでたいことじゃないですか、少々出発が遅れることくらい問題ありませんよ」
少なくとも手続きにかかる数時間は、出発が遅れることになる。そもそも護衛の冒険者の私的な都合で、依頼者の出発を遅らせるなど言語道断だ。オルトは気にしないで良いと言ってくれたものの、ジンは恐縮することしきりだった。
「それでは孤児院に移動しましょうか。トウカにも子供達に別れの挨拶をさせなきゃいけませんし」
「確か保証人が必要ですよね? 私でよければ保証人になりましょう」
「では私も一緒に行きましょう。保証人は二人いれば問題ないでしょうからな」
院長であるカールの言葉に、ケントとシラクが保証人を買って出てくれた。きちんとした信用のある人間でないと子供を預けないのは当たりまえの話だ。特にジンはCランク冒険者とはいえ、この世界ではまだ18歳の若輩者だ。それに独身ということもあり、普通ならより厳しい審査があるのだが、この王都でも名士といえるケントとシラクの保証もあり、本当なら手続きが終わるまで最低でも1日以上かかる時間も大幅に短縮されることになった。
「……ありがとうございます」
「スン、ありがとうございます」
感謝して頭を下げるジンに、ようやく泣き止んだトウカも鼻をすすりながら続いた。
「いい子だ」
「うん、すぐにジン君が本当のお父さんになるからの」
子供にとって保証人などと言われても、いったい何のことかわからないだろう。ただジンの様子から、何かをしてもらったという事はトウカにもわかった。ちゃんとお礼が言えるトウカに、共に孫を持つ身のケントとシラクが目を細めた。
そしてオルト達一家とその護衛にアリアたち女性陣を残し、ジンは彼らとともに孤児院へと向かうのだった。
そして数時間後、すべての手続きを済ませたジンたちは、今度こそ王都を出発した。
ジンとの別れという絶望から共に暮らせるという歓喜、そして友達との別れという寂しさと、目まぐるしい感情の変化に疲れたのか、トウカは孤児院を出て少ししてからずっと眠ったままだ。どうやらジンとの別れを知った時から、普段の眠りも浅かったようだ。
ジンは馬車の中でタオルケットに包まってすやすやと眠るトウカを優しく見つめた後、アリアたち三人に向き直ると改めて頭を下げた。
「急に決めてすまなかった。あと、ありがとう。俺の決断を認めてくれて」
今回トウカを引き取ったことに微塵の後悔もないジンだったが、感情に駆られて突発的に行動したのも事実だ。それにトウカを引き取るということは、同居しているアリア達とも一緒に住むことになる。勝手に決めて良い話ではなかった。
だが気に病むジンに対し、女性陣は微笑みながら答えた。
「気にしないでください、私たちでさえトウカちゃんを残して王都を去るのに抵抗があったんですから、ジンさんなら尚更です」
転生者であるジンからすれば、トウカの事を他人事には思えなかったのは理解できる。アリアにジンを責めるつもりはなかった。
「そうだぞ。それにちゃんとジンは私たちに確認したじゃないか。私はトウカを引き取る事を決めたジンを尊敬するぞ」
ジンが馬車を飛び出す前に視線で確認した時、エルザも何とかできないかと考えていた。ただジンのようにトウカを引き取るまでは思うことができなかった。それは18歳の未婚の女性としては当たり前の話だが、だからこそ決断したジンを凄いと思ったのだ。ジンが子供を引き取る事を軽く見ているわけでも、ただ衝動に駆られただけでもないのもわかっていた。
「そうですよ。私たちもジンさんに協力しますから、一緒にトウカちゃんを育てましょう」
ジンが父親としてトウカの面倒をみるといっても、一緒に住むレイチェルたちがトウカに対し無関係でいられるはずがない。レイチェルを始めとした彼女たちは、トウカのために、そしてジンの為に積極的に子育てに関わるつもりだった。
「……ありがとう」
短いが、その一言には万感の思いが込められている。ジンは彼女たちに向け、改めて深く頭を下げた。
「ん……、おとうさん?」
何かの気配に気づいたのか、目を覚ましたトウカが寝ぼけまなこで身を起こした。だんだんと意識がはっきりしてきた彼女の視線の先には、ジンだけでなく、アリアやエルザ、レイチェルといったこれから一緒に暮らす皆が勢ぞろいしている。そのことに気付くと、トウカは寝起きにも関わらず急いでジンの隣に移動してきた。
「ジンおとうさんの娘になりました。トウカです。よろしくおねがいします」
そうしてアリアたちに頭を下げるトウカ。アリア達もここしばらく孤児院で過ごすことが多かったので、トウカはアリアたちとも仲良くなっていた。なのでいささか他人行儀な感もあるが、一緒に暮らす最初の挨拶は大事だ。9歳にしてはしっかりしているが、これも大好きなお父さんに迷惑をかけないようにと考えたのだろう。
それはアリアたちの心を打ち抜くに十分な威力を持つ健気さだったが、トウカの台詞はまだ終わったわけではなかった。
「え~っと、お母さん?」
(((はう!)))
その言葉が生み出す破壊力は、先程までの比ではない。
それはトウカに対して母性本能をくすぐられただけではなかった。
(お母さんって、お母さんって、つまりそれはジンさんと夫婦ってことで、どうしましょう? どうしましょう?)
(お母さん、お父さん。ジンがお父さんで私がお母さん、え? いいのか? 私お母さんでいいのか? ジンが旦那様でいいの?)
(うふふ、お母さんですって。お父さんはジンさん、ジンさんがお父さん。うふふ、うふふ)
トウカの台詞からジンと夫婦であることを連想し、恥ずかしさと喜びで悶える女性陣。と同時に、これはジンに対するアピールのチャンスでもある。どう返したらいいか彼女たちが答えを出すより先に、ジンが苦笑と共に口を開いた。
「こらこら、トウカ。お母さんじゃなくてお姉ちゃんだよ。俺は独身だし、お姉ちゃんたちにも失礼だろ」
これでジン、本気である。
(よかった、皆トウカにお母さんと呼ばれても嫌な気はしていないみたいだ。ふふっ、俺は仲間に恵まれているな~)
喜んでいる彼女達の姿を見たジンが思ったのは、この程度だ。ただ、それでも女性陣の対応にある意味惚れ直している分だけ、まだましなのかもしれない。相手の好意に対しては独身をこじらせているがゆえに鈍感でも、自分の中にある好意は別だ。
「…… ……」
だが結論としては、今回のジンの対応はアリア達が求めているものとは違っていたのは間違いない。
一転して不満げにジンを見つめるアリアたちに、幼いながらもトウカは何かを察したようだ。
「お姉ちゃんたち、よろしくお願いします」
そこに込められたのは自分に対してのお願いだけではなく、にぶちんの保護者も含めたものだったかもしれない。
早くもジン達一同に馴染み始めたトウカだった。
こうして遅ればせながら始まったリエンツへと向かう旅だったが、行きと同様に帰りもあまり途中の街には寄らなかった。行きとは違って病気の(と思われた)ケントを気にする必要はないので、そこまで急ぐ理由はない。ただ予定外に長く王都に滞在したこともあって、商店を構えているオルトも、早くリエンツに帰れるならそれに越した事はなかった。
王都を離れるにつれ何度か魔獣の襲撃はあったものの、ジン達の旅は順調に進み、リエンツに到着するまであと僅かとなっていた。
「よーし、できたぞー。持っていってくれー」
「はーい。アイリスちゃん、いこー」
「うん! トウカお姉ちゃん」
リエンツまであと半日といったところで野営地をつくり、いつものごとくシェフとなったジンが料理の完成を告げる。子供にも運びやすいように皿に小分けにした豚のしょうが焼きを、トウカとアイリスが一緒に運んでいた。
「ふふっ、すっかり仲良くなりましたね」
料理を手伝っていたレイチェルが、連れ立って料理を運ぶ仲の良いトウカたちの様子に笑みをこぼした。
初めの方こそアイリスは、仲の良いお兄ちゃんに急にできた娘にいい気分はしなかったようだが、元よりそれは罪のない子供の独占欲だ。すぐにそんな垣根はなくなり、アイリスとトウカの距離ははあっという間に縮まった。トウカとアイリスの年が離れていたのも良かったのだろう。この旅の中で9歳のトウカと4歳のアイリスは、まるで本当の姉妹のように仲良くなっていた。
「アイリスもトウカもいい子だからな」
ジンは早くも親ばかの片鱗を見せ始めているようだ。
「「「いただきます」」」
その挨拶を合図に食事が始まる。仲良く並んで座り、美味しそうに食べ物を頬張るアイリスとトウカの様子に、ジンは知らずまなじりを下げていた。
「お兄ちゃん、これ本当においしいね。このたまごのやつ、アイリス大好き!」
王都で様々な調味料や食材を揃えたジンだったが、アイリスが気に入ったのはメインに添えた出汁巻き卵だ。かつおや昆布といった魚介系の出汁は、あっさりとしているがコクがある。そこに加えられた砂糖多めの甘めの味付けは、子供たちにのみならず大人にも大うけだった。
「とりあえずジンおじちゃんにならなくてホッとしたよ」
微笑みで返しつつ、ジンは独りごちた。
アイリスにとってトウカがお姉ちゃんなら、その父親であるジンはおじちゃんになる。今のところ呼び名がお兄ちゃんのまま変わらないことに、ジンはちょっとホッとしていた。本来ならおじちゃんどころか、おじいちゃんでも可笑しくないのだが……。
(元の世界では40歳を超えてもお兄ちゃんだったからな)
独身のジンを気遣ってか、甥っ子たちはかなり後までジンの事をおじちゃんではなく、お兄ちゃんと呼んでいた。その経験もあってか、実際の年齢も若い今は、尚更お兄ちゃんと呼ばれたいジンだった。
「ふふっ、ジンさんもそういうの気にするんですね」
その独り言が聞こえたアリアは、からかうように笑う。心も若返ったとはいえ、年齢の話には微妙にナーバスなジンは、頭をかいてごまかした。
「ジンさんは落ち着いて見えますからね。一家の長としてはそれでいいのでは?」
「ほんとそうね。トウカちゃんは、ジンさんみたいなしっかりしたお父さんが出来てよかったと思うわ」
オルトが冗談っぽく言えば、妻のイリスも微笑みつつ同意した。
「あはは。新米の父親ですが、頑張ります。色々と相談させていただくことがあると思いますが、その時はよろしくお願いします」
オルト達は、ジンが依頼で家を空ける時はトウカを預かっても良いと言ってくれていた。さすがに毎回お願いするわけにはいかないだろうが、仲良くなったアイリスもいるので、たまにはお願いするのも良いとジンは思っていた。
「そういえばジンさんは戻られたらご自宅を増築されるんでしたよね? 知り合いの業者を紹介しましょうか?」
現在自宅の2階にある4部屋はジン達4人ですべて埋まっており、新しく一緒に住むトウカの分の部屋がなかった。そこで1階にある作業部屋をつぶして部屋にするか、もしくは増築するしかない。ケントにリエンツの自宅を正式に譲ってもらった今では増改築が自由にできるので、その点は非常に助かっていた。
「そうですね、増築になるか改築で済むかはまだわかりませんが、どちらにしても家に手をかけるのは間違いないですね。業者さんに知り合いはいませんし、よかったら紹介をお願いします」
「任せてください。腕のいい業者を紹介しますよ」
持つべきは頼れる友人だ。そしてそれは、こうして1か月を超える旅に同行してくれたジンを友に持つオルトにとっても同じことだ。
お互いに感謝しつつ、ジン達はこの旅の最後となる夜を過ごす。
いよいよ明日、懐かしきリエンツの我が家までもうあと少しだった。
いつも読んでいただきありがとうございます。
ご報告があります。
書籍化が決まりました。9月30日発売です。amazonでも予約開始しております。
これもこれまでの皆さんの応援あってのことです。本当にありがとうございます。
よろしければ今後とも応援をよろしくお願いします。
詳しい内容は活動報告で。
ありがとうございました。