別れの準備
その日、冒険の後に風呂で軽く汗を流したジンは、一人ケント邸を訪れていた。
先日、転生者であるケントの先祖が遺した言葉の意味は伝えてあるので、訪れた理由はそれではない。ただその際に二人は爆笑と共に一気に気安い関係となっており、その後は友人としての関係が続いていた。二人の見た目の年齢差は大きかったが、元より中身は老人の一面を持つジンだったからなのか、ジンは勿論ケントの方も違和感無く友人として接していた。
だから今日ジンがケント宅を訪れたのは、友人として伝えるべき事があったからだ。
ジン達一行が王都を離れるまで、後数日を残すのみとなっていた。
「そうですか……。寂しくなりますね」
掛け軸がかざってあるいつもの部屋で、二人はソファーに座ってゆったりと酒を酌み交わしていた。
その言葉通り寂しげな様子のケントは、両手で持った酒が入ったグラスへと視線を落とす。
「はい……」
寂しさを感じているのはジンも同じだ。こうして酒を酌み交わす仲となったケントもそうだが、アイリスの祖父母にあたるシラクとシーラとも親しくなれた。レイチェルの両親にも会って挨拶をすることが出来たし、その他にも会えば挨拶を交わすようになった人々がたくさんいる。
ジンの脳裏にはここ王都で出会った人々の顔が次々と浮かんできていたが、その中でも特に印象深い人物が二人いた。
自然とジンの顔に優しげな笑みが浮かぶ。そしてその手に持ったグラスの中で、氷がカランと音を立てた。
「はあっ、はあっ、はあっ。まだまだー!」
激しい指導に息を切らしつつも、クリスはあきらめる事無くジンに立ち向かう。体のあちこちに青あざを作りながらも、ジンに挑むクリスの顔は何処か嬉しそうだ。
「よし! 今のはいい感じだったぞ。その調子だ!」
そしてジンもまた嬉々としてクリスに稽古をつけていたが、そんな二人を見つめる二対の目があった。
「クリス君、頑張ってますねー。一区切りついたら、回復魔法をかけてあげなくちゃ」
「そりゃあ張り切りますよ。私だって気合入っていますし」
そうして頑張るクリスの様子を横目に、訓練の合間で小休止を入れているレイチェルとコロナが会話していた。
まだクリス達がジン達と一緒に訓練を始めてから数日しか経っていないが、それだけでも二人は日に日に実力が上がっている事を実感していた。
それはいつの間にかジンが習得していた訓練の効率を上げるスキル『教導』の効果もあったかもしれないし、回復魔法の使用を前提とした実戦さながらの厳しくも効率的な訓練もその要因の一つだろう。だが、何より残り少ない王都での貴重な時間を自分達の為に割いてくれるジン達の好意に応えようと、二人が必死に頑張っているが故の結果だった。
「にしてもレイチェルさん、本当に後衛? アリアさんもそうだけど、二人とも後衛なのに強すぎだよ」
ただ、こうして共に訓練をする事ではっきりしたが、ジンやエルザといった前衛組は勿論、アリアやレイチェル達後衛組にさえ、コロナは勝つことが出来なかった。Cランクの前衛として剣の腕にはそこそこ自信があったコロナだけに、後衛のレイチェルやアリアに負ける自分が情けない気持ちになる事もあった。
ジンがすぐにBランクになると言い切ったのも納得できる強さだ。
「ふふふ。ジンさんに鍛えられていますからね」
そういって笑うレイチェルはどこか誇らしげだ。ただ、それは自分を誇るというよりも、ここまで自分を引き上げてくれたジンを自慢する気持ちの方が強かった。
しかし、レイチェルは日々の冒険者活動やこうした近接戦闘の訓練以外にも、神殿付属の治療院などで自主的に回復魔法の修練を行っている。そしてそれは、たとえ休日であってもあまり変わらなかった。そんなレイチェルは、ジン達パーティの中でも一番の努力家と言って良いだろう。ジンの指導や『加護持ち』という高い才能以上に、日々のその努力こそがレイチェルを強くしていた。
「うん、こんな貴重な機会を与えてもらってるんだからね。私も頑張るよ! そろそろ再開しようか!」
「はい、頑張りましょうね」
何事も努力なくしては成長などしないものだ。レイチェルの努力の詳細を知らずとも、コロナにもレイチェル達が努力して強くなった事はわかる。
コロナは己に気合を入れ、レイチェルもまた未だ歩みを止めるつもりは無かった。
「お疲れ様、明日も同じ時間な」
「分かった。今日もありがとう! それじゃあまた明日だな。失礼する」
「ありがとうございました。明日もよろしくお願いします」
ジン達の訓練は、基本的に他に人がほとんどいない早朝に行われている。
こうして明日も訓練を行う事をジンと約束し、クリスとコロナが運動場を出ていく。彼らは一旦休憩して体力を回復させた後に、迷宮へと向かう予定だ。
「ふふっ。ジン、楽しそうだな」
クリス達を見送るジンの顔に何を見たのか、エルザがからかう。
「ん? まあ、楽しいな、実際」
オズワルドもこんな気持ちなのだろうかと、Aランク冒険者でありながら低クラスの冒険者を鍛える事に重点を置く彼の気持ちが少しわかったような気がしたジンだった。
「エルザさんだって笑ってますよ?」
「レイチェルもね」
レイチェルもからかう様に指摘したが、間髪入れずアリアからつっこみが入る。だが、それはアリアも同じだった。
「ぷっ」
「「「「あはははは」」」」
ジンが思わず吹き出し、そしてすぐに全員が楽しげな笑い声をあげた。
この訓練は勿論、クリス達との出会いもまたジン達にとってかけがえの無いものとなっていた。
実際は短い回想を終え、顔を上げたジンがケントに笑顔を見せる。
「でも、また会えますよ。王都に来る機会はこれからもたくさんありますから」
そう、お互い生きていればまた会える機会がきっと来る。それに王都までは片道二週間もかからないくらいだ。これから幾らでも訪れるチャンスはあるはずだ。
ジンの心に強い印象を与えたもう一人の人物、転生者を祖父に持つ少女――トウカとも……。
「……そうなんだ」
孤児院の一室で、ジンは数日後に王都を出る事をトウカに伝えていた。子供とは言え、いやだからこそ黙って王都からいなくなることは出来ない。他の孤児院の皆にも王都を去る事は伝えるつもりだが、このトウカには先に伝えておくべきだと思ったのだ。
その場にはアリア達パーティメンバー以外にも、この孤児院の院長であるカールも立ち会っていた。この好々爺とした彼は、ジンがアリアと共に王都に来てすぐ届けに来た、ヒルダからの預かり物の届け先の人物でもあった。
「うん、でも何時になるかははっきりとは分からないけど、また王都に来るつもりだよ。その時はまた遊ぼう」
視線を下げたまま沈黙するトウカに、ジンは心が締め付けられる想いになる。
ジンと出会ってすっかり明るさを取り戻したかに見えたトウカではあったが、逆に言えばジンがいたからこそ彼女は明るさを取り戻せたのだ。身寄りがないのは他の子供達もそうだが、トウカはそのルーツにおいても孤独だ。転生者であった祖父は死に、その故郷の思い出を聞かせてくれた父ももういない。その思い出を話せるのはこの世にジンだけだ。同じ転生者の子孫でも、この世界にしっかり根を張ったケント達とは違う。
(だけど、俺に何が出来る?)
ジンはこの世界ではまだ18歳の若造だ。しかも冒険者という命の危険がある職業に就いている。そんなジンが取れる手段など限られていた。
だが、そう思ってはいても、ジンの心の中にはモヤモヤするものが残っており、それが晴れる事はなかった。
「うん、わかった」
そのトウカの声で、グルグルと同じところを回っていたジンの思考がようやく止まる。
「お兄ちゃんたちもお仕事があるんだもんね。仕方がないよ。でもまた会いに来てくれるなら、嬉しいな」
トウカはそう言って笑顔を浮かべるが、それはジン達に迷惑にならない様にと無理やり笑顔を作っただけだ。そのぎこちない笑みとは裏腹に、その目からは抑えきれない悲しみがあふれださんばかりだった。
「っ……」
「そうだ。お手伝いを頼まれてたんだった! ごめんなさい。っ、さようなら!」
言葉に詰まるジン達に、トウカが早口で退出する旨を告げて立ち上がる。最後の方は涙声になっていたが、そのまま頭を下げると急いでこの部屋から出て行った。必死に我慢したであろう涙は、それでも止まらずにいくつか宙に弾けて光りを残していた。
「…………」
トウカが出て行った後の部屋に残るのは沈黙のみだ。
だがしばらくしてジンがカールに向き直ると、絞り出すように声を発した。
「カール院長、どうかトウカの事をよろしくお願いします」
ジンはそんな事しか言えない自分が情けなかった。
そして場面は現在に戻る。トウカとの思い出は楽しいものもたくさんあるが、それ以上に何もできない無力感の方が大きい。ジンの表情も決して晴れやかではない。
「おつらそうですが、どうかしたのですか?」
ジンは意識的に表情に出すまいと努力していたつもりだったが、やはりケントには隠せなかった。ジンを心配してケントが声をかける。
「あ、すいません。いえ、何でもありませんよ」
その答えに説得力はない。なおも言いつのろうとするケントより先に、再びジンが口を開いた。
「あの! すいません、ケントさん。一つお願いがあります。王都の西地区にある孤児院に……」
それでもジンは自分に出来る事をするしかなかった。
お待たせしてすいません。
お待たせした上に恐縮ですが、感想や評価をお待ちしております。
ありがとうございました。