結論
「あー、クリス兄ちゃんがまた動いた―。あははー弱いー」
王都の孤児院でも定番となった遊び「だるまさんがころんだ」で、途中から早口になるという良くあるフェイントにあっさりと引っかかるクリス。
良く言えば素直な性格と言えるのかもしれないが、彼はこのフェイントに滅法弱かった。
「むむむ、なかなかやるではないか。だが、次こそは負けん!」
そう言いつつルールに従って鬼の方へ移動するクリス。本気で悔しがっている大人を見て、一緒に遊んでいる子供達は屈託なく笑っている。それは子供達がクリスに対して警戒心を持っていない事を表していた。
そして笑顔の子供達の中には、すっかり皆と遊ぶ事が当たり前になっていたトウカの姿もあった。
その様子を休憩と称して少し離れた所から眺めていたジンは苦笑しつつ呟く。
「どうしてこうなった」
ただ、その言葉の字面とは裏腹に、それは困惑ではあっても嘆きではなく、むしろ僅かに嬉しそうですらあった。
ジン達がクリスと出会ってから数日が経過していた。
翌日すぐにでもクリスが現れる事を予測していたジン達だったが、それに反してクリスはその日は顔を見せなかった。もしかして諦めてくれたのかと淡い期待をしたジンだったが、現実はそう甘くはない。次の日に依頼から帰ったジンを待っていたのは、満面の笑みを浮かべるクリスだった。
「レベルを上げてきた!」
どうやらレベルが足りないという断りを受けたので、昨日と今日にかけて祝福迷宮に潜っていたようだ。クリスのレベルは7と2つも上がっており、攻略済み迷宮である祝福迷宮の経験値効率の悪さを考えると、いくら低レベル時は比較的レベルが上がりやすいとはいえ、かなり頑張ったという事が分かる。
「それは頑張ったね。でもまだ全然足りないよ?」
そんな言われた事に対して真摯に取り組むクリスの姿勢はジンにとっても嫌なものではなく、むしろ感心さえしていた。だが、それとパーティにいれるかどうかは別の話だ。
悪い子じゃないと改めて思いつつ、ジンは断りの言葉を言わざるを得ない。
「うむ、分かっている。これは私が本気である事の証明の一つだ。なあに、すぐに追いついて見せるさ!」
だがクリスはその断りさえも予測していたようだ。僅かな落胆も見せずに諦めないという事を言い切るその姿勢は、纏わりつかれ困惑しているはずのジンでさえクリスの事を見直さざるを得なかった。
「それでは訓練をするので失礼する。また明日だ!」
どうやら今回は、諦めてはいない事と成長している事のアピールの為だけに来たようだ。そうして一応の目的を達したクリスは、ジン達の前からあっさりと去っていった。そして前回と同様に、クリスに付き従うコロナもまた、ジン達に一礼するとクリスの後を追った。ただ、今回の彼女の表情は前回の様な申し訳なさだけが前面に出た物ではなく、どこか誇らしげな様子も見て取れた。
「……ふふっ、大したものだ」
去り行く主従の後ろ姿にジンは思わず苦笑を漏らす。
前回の我儘俺様なものとは違う今回のクリスの対応は、恐らくコロナの入れ知恵だろう。だが、決してそれだけではない事が去り際のコロナの表情からも分かる。言葉にこそ出さなかったが、「うちのクリス様は凄いでしょう?」と、その顔が語っていた。
だから、ジンはクリスとコロナ、二人共に大したものだと感心していたのだ。
「何か初めて会った頃のシーリンを思い出した。あいつも最初は少し偉そうだったんだよな~。たまたまじっくり二人で話す機会があったから、すぐ誤解は解けたけど……」
懐かしそうに昔の思い出を話すエルザは、当時を思い出して自然と笑みを浮かべていた。
「何と言うか、対応に困りますね」
これが無礼な相手ならば一刀両断できて話は簡単なのだが、クリス達の事を知れば知るほどやりにくくなる。
アリアが苦笑と共にそう漏らし、レイチェルも同意して頷いていた。
クリス達に対しての結論は変わる程ではないとは言え、ジン達のクリスに対する評価が変わりつつあった。
そして翌日から、クリス達は一日に一回はジン達の前に姿を見せるようになった。
決して長居する事はなく、またパーティに入れてほしいといった類いの事は一切言わなかった。あくまで顔見せや、ちょっとした世間話のレベルに留めていた。
ジン達の意思を尊重したその振る舞いは決して不快なものではなく、少しずつではあったが、よりその距離が縮まっていくのは自然な流れだった。
そんな中で、久しぶりにジン達が休日を取る事を聞き、孤児院に行くジン達にクリス達も同行した結果が冒頭のシーンである。
言葉遣いは未だに偉そうと言えばそうなのだが、だからといって子供達と一緒になって遊ぶクリスを傲慢だとはだれも思わないだろう。
「ほんと大したもんだな、クリスは」
ジンは同じようにクリスを見守っていたコロナに話しかける。
「はい! ああ見えて素直で良い子なんですよ」
クリスの事を褒められた事が嬉しいコロナは、満面の笑顔でそう言った。
実際、コロナはとある事情からクリスの事は幼少のころから知っており、プライベートではそれなりに親しい仲と言ってもいい関係だ。ただ一応伯爵家に雇われているという事を慮り、仕事中はけじめとして一歩引いた形で接していた。
「そうだな。クリスを見ていたら、それはわかるよ」
「…………」
そうしてクリスを認める発言をするジンに対し、コロナは調子に乗る事なく沈黙で返す。それは、覆しようのない事実を理解しているからだ。
「でも、コロナは分かっているんだろう? 俺達がクリスをパーティに入れる事が無いって事が」
「…………はい」
ここで認める事はコロナにとっても苦しい選択だったが、だからといっていつまでも目を背けていられる問題ではない。
そもそも同じCランクとは言え、コロナがジン達とパーティを組むに値する実力を持っているかさえ怪しいのだ。ジン達の情報を収集する過程で、その思いは増々強くなっていった。ましてや駆け出しであるクリスがそれに値するとはとても思えない。
ここ数日のクリスの変化と努力はコロナにとって誇らしいものではあったが、だからといってそれが現実を覆すほどのものではない事も痛いほど理解していた。
「ジンお兄ちゃん、お話終わった? 終わったなら一緒に遊ぼう?」
そんな些か重苦しい沈黙は、おずおずと話しかけてきたトウカの登場によって打ち破られた。
「うん、もう少ししたら行くから先に遊んででてくれるか?」
「うん、わかった」
ジンはその場でしゃがむと、安心させる為に笑顔でトウカの頭を撫でる。トウカはくすぐったそうに身をよじると、笑顔で子供達の輪の中へと戻っていった。
すっかり本来の明るさを取り戻した様子のトウカを優しい目で見つめながら、ジンはしゃがんだままでコロナに話しかける。
「なあコロナ。もし二人の都合が良ければなんだが、今日の夕飯は俺達と一緒に食わないか? ちゃんと話そう」
「……はい。お願いします」
とうとう来たかと、今夜の事を思ってコロナは重々しくうなずいた。
そして時は流れて夕刻。騒がしさも味の一つである酒場ではなく、少しだけお高いがその分静かなとあるレストランにジン達6人はいた。
予想される話の内容が内容だけに、その場の雰囲気は決して明るいものではない……はずなのだが、実際は違っていた。
「へ~、コロナはクリスのお姉さんの友達なのか。それなら家に遊びに来るってのもあったんじゃないか?」
「ああ、昔は姉と一緒に遊んでもらった事もあるぞ」
「へ~、んじゃあ昔はコロナおねえちゃんとか呼んでいたんじゃないか?」
「なっ、何故それを!」
「実は今もたまに……」
「コロナ姉! ……はっ!?」
「「「「あはははははは」」」」
大方の予想に反し、そこでの会話は弾んでおり、笑顔も絶えなかった。
それはクリスがこの会の意味を理解していなかったというわけではない。だが、それでも僅かな希望を捨てていなかったのが理由の一つだろう。そして年の功で聞き上手なジンの存在もまた、理由の一つと言える。
こうして和やかな食事の風景は最後まで変わらず、食後のお茶やお酒を手にする頃には、ある程度はお互いの事情を知る関係になっていた。
だが、この会の目的は親睦を深めることだけでは無い。
「そういえばはっきりとは聞いてなかったな。なんでクリスは俺達のパーティに入りたいと思ったんだ?」
食後のお茶を片手に、ジンがクリスに尋ねる。初めから有り得ないと思っていたせいか、こうした所謂志望動機を聞くのはこれが初めてだった。
「あ、ああ! んんっ。その、たまたまなんだが、数日前にジンがあの孤児院にいた女の子を助けたところを見ていたんだ」
これまでジン達の方からパーティへの参加に関する話題を振った事は一度もない。これが最後のチャンスなのだろうと、クリスは若干の緊張と興奮が隠せない様子だ。気持ちを落ち着かせ、自分の想いを語り始める。
「恥ずかしい話だが、私は荷物が崩れ始めたところから見ていたのに、全く体が動かなかったんだ。子供が危ないと頭では分かっていたのに、私にできたのは目をそらさず見ているだけだった……」
ただクリスが語るのは事実のみだ。悔しそうに顔を歪め、クリスはその時に感じた無力感を噛み締めていた。
「だが、あの女の子は救われた。気付けば落ちてきた樽が宙に舞い、飛び込んできたジンがその間に割り入って女の子を庇っていた。その時は一瞬の事でよく分からなかったが、少し遅れて落ちてきた樽とジンが持つ木剣を見て、ジンが木剣で樽を吹き飛ばしたのがわかった。……正直信じられなかったよ。そもそもそんな事が出来るのかというのもそうだが、あの状況で女の子は無傷という事もな。そして嬉しかったんだ。何の迷いもなく子供を守る為に行動する。私にできない事がジンには出来た。冒険者はここまで凄くなれるのかと。……そして憧れた。本当はその場で話しかけたかったけど、泣いている女の子がいたからな。だからコロナと一緒に木剣を使う冒険者の事を調べたんだ。ギルドでは噂になってたから、すぐにジンが木剣と呼ばれる冒険者で、そのパーティも実力者ぞろいだって事が分かった。しかもCランクで人数も4人。Cランクならば早い者で1年以内に上がれると聞いたことがあったし、私達2人がパーティに入っても人数は6人で丁度良い。これは運命だと、その時はそう思ったんだ」
最後に「その時は」と断っているのは、今では自分が言っている事が無茶なものであるとクリスが自覚してる証拠だろう。だが、それでも諦めきれないからこうしてあがいているのだ。
「ジン、アリア、エルザ、レイチェル。もう一度お願いする! 私とコロナをパーティに入れてくれ!」
そう言ってテーブルにこすり付けるかの如く深く頭を下げるクリス。その真剣な想いは疑うべくもない。
ジンは数瞬だけクリスの台詞を噛み締めると、穏やかな声でクリスに語りかけた。
「なあ、クリス。頭を上げてくれないか? 俺もお前に言っておかなくちゃならない事があるんだ」
そして頭を上げたクリスにジンは語りかける。
「最初にクリスと会った時はさ、正直言って面倒な事になったと思ってたんだよ。噂に聞いてた勘違い貴族に絡まれたかってね。すぐにクリスはそうじゃないって事に気付いたけど、それでもやっぱりクリスの頼みは厄介事の種にしか思えなかった」
真剣な想いには真剣に応える。些か残酷な現実を突きつける形だったが、ジンもクリスに真摯に向き合っていた。
「だけどクリスは良い意味で予想を裏切ってくれた。ただやみくもに要望を押し通そうとするのではなく、断られた原因の一つであるレベル差を縮めようと、自らを鍛える努力を欠かさなかった。素直に感心したよ、クリスの本気を感じた。それに今日、俺達の休日に同行したのも、自分と言う人間を知ってもらうためなんだろ? 確かに今日一日で大分クリスの事を知れたと思うよ。ただ、あそこまでフェイントに弱いと心配になるけどね」
最後に苦笑と共に少しだけ冗談めかすジン。その笑みに誘われて張りつめていた空気が僅かに緩んだが、それも長くは続かなかった。
「だけど駄目なんだ。人柄は問題ないとしても、俺達にクリス達の成長を待つ時間は無い。……俺達は6日後に王都を発ち、リエンツに帰る」
「「っ!?」」
それはつい先日、予定より長くなった王都滞在に対する謝意と共にオルトから伝えられたことだ。
一瞬言葉に詰まったクリス達だったが、すぐにクリスが口を開く。
「私は構わない! 冒険者なった以上は、ずっと王都にいるつもりはない。リエンツだろうが何処でも行くぞ?!」
「うん、クリスならそう言うと思ってた。そういう前向きな所は嫌いじゃないけど、場所の問題だけじゃないんだ。リエンツに戻ったら俺達は迷宮探索を再開する。……そしてクリスがCランクになるより早く、俺達はBランクになる!」
ジンはそう力強く言い切る。
リエンツに戻っても依頼と迷宮探索を半々の割合でやっていくつもりだが、それでも『地図』を持つジン達ならば迷宮は効率の良い狩場だ。レベル20の後半である現在のジン達なら、Bランク昇格の条件の一つであるレベル30以上も遠い話ではない。早ければ2~3ヶ月、遅くとも半年以上かかる事はないとジンは見込んでいた。
いくらクリスが必死に己を鍛え上げようとも、その差は容易に埋まるものでは無かった。
「クリスから憧れたなんて言ってもらえて嬉しかった。クリスの前向きさは気持ちよかったし、その意思を尊重して叶えようとするコロナの姿勢にも感心した。二人が良い奴だってのは分かっている。だが、すまないクリス、コロナ。お前たちをパーティに入れる事は出来ない。諦めてくれ」
そう言ってジンは、先程クリスがしたように頭を深く下げた。
クリス達の想いが真剣だからこそ、ジンの対応も自然とそうなったのだ。
「……頭を上げてくれ」
少しして、何かを噛み締めるようにクリスが言った。少し俯いたその顔に浮かぶ感情は、悔しさと諦観が半々だった。
「初めて話をした後に、コロナ姉からかなり厳しいと言われてたんだ。……でも諦めきれなかった」
本心から話しているクリスは、無意識にコロナを愛称で呼んでいたが、その事にまったく気付いていなかった。
「私が職業として冒険者を選んだのは、魔獣を倒して人々を守る冒険者に、ただ漠然とした憧れがあったからだ。正直言って強い意志などなかった。だけど、ジンがあの子供を助けたのを見てから変わったんだ。ジンみたいに誰かを守れる、強い人間になりたいと。だから内心無理だと分かっていても、諦めたくなかった。コロナ姉のアドバイスに従い、少しでも可能性を上げようと迷宮に潜った。恥ずかしい話だが、これほど何かに真剣に取り組んだのは初めてだった。なんでもっと早くからこうしていなかったんだと後悔したよ。祝福迷宮があるんだから、もっと早くからその気になっていれば、もっとレベルを上げる事が出来ていたはずなのに!」
ここでクリスは顔を上げ、はっきりとジンの目を見つめた。
「こちらこそ無理を言って困らせてすまなかった。残念だが、諦めるしかないようだな」
その言葉どり残念そうではあったが、何処かクリスの顔は晴れやかでもあった。やるだけはやったという思いもあったし、こうして冒険者に対して強い想いを持つきっかけになったこの出会いは無駄ではなかったと胸を張って言えるからだ。
そしてクリスはジンのパーティに入ることは諦めたものの、自分が憧れたジンのような冒険者になることを諦めるつもりはなかった。
そのクリスの様子にジンも少しだけ笑みを浮かべ、そして本題に入った。
「わかってくれてありがとう。ではパーティメンバーではなく、友人として提案だ。クリス達が良ければ、王都を出るまでの短い間にはなるが、俺達の訓練に付き合わないか?」
パーティメンバーではなくとも、友人としての手助けならできる。それがクリス達の人となりを知ったジン達の出した結論だった。
ジンに友人と呼ばれ、しかも想定外の提案を受けて驚くクリス達に、ジンはにっこりと笑いかけた。
お待たせして申し訳ありません。
お読みいただき、ありがとうございました。