トウカという少女
あの後、慌てて飛んできた店主と話をした後、ジンは泣き続ける女の子を抱いて近くにあった軽食屋に場所を移していた。
そこで女の子を宥めながら泣き止むのを待っていたのだが、つい少し前にようやく落ち着いたところだ。
「美味しいかい?」
(コクリ)
ジンが声をかけると、女の子はジュースを口にしたまま頷いた。
長時間泣いたことで喉も乾いたせいもあってか、大きめのコップに入った果汁100パーセントジュースの美味しさは格別のようだ。
まだ本調子とまではいかないが、女の子の顔には少しだけだが笑みがこぼれていた。
(あー、なんか和むな)
女の子は泣き止むまでジンの側を離れなかったので、今もジンの隣にぴったり体を寄せて座っている。元の世界にいる親戚の幼子の事を思いだし、ジンはほっこりした気分になっていた。
この女の子を助ける際に樽一つを駄目にしたジンだったが、その事に対するお咎めは無く、むしろ事故を防いでくれたことを感謝された。
実際、もし万一の事があれば悪評が立つのは避けられないし、その意味では樽一つの損害など安い物という事だろう。それに原因は馬車の整備不良という事もわかったので、店の者も再発防止に努める事を約束していた。
なので後はこの女の子を孤児院なり私塾なりに送り届けるだけなのだが、彼女がなかなか泣き止まなかった事もあって大分時間が経っていた。
「それじゃあトウカちゃん、そろそろ戻ろうか?」
女の子――トウカがジュースを飲み終わるのを見計り、ジンが優しく声をかける。
彼女が落ち着き始めたところで簡単にお互いの自己紹介だけは済ませたが、今のところジンがトウカについて知っている情報は彼女の名前だけだ。トウカを何処に連れ帰ればいいかはまだこれからで、彼女が行方不明になった事でその施設の人が心配しているのは間違いないだろうから、早めに帰してあげなければとジンは思っていた。
(フルフル)
だがトウカは首を振って否を示した。
「どうかしたの?」「お父さん!」
何か用事があるのだろうかと尋ねるジンに、トウカは即座にそう答える。そして答えた後すぐに目に涙をため、今にも泣きそうな様子だ。
「大丈夫だよ。大丈夫。ゆっくりでいいから、何か話したいことがあるなら言ってごらん?」
何かが上手く伝えられないというだけでも、子供には充分泣く理由になるものだ。ジンは内心の動揺を抑えつつ、トウカを優しくなだめた。
「……お父さんと同じなんです」
少し時間はかかったが、落ち着いたトウカがようやく口を開いた。
彼女は孤児院に引き取られるまで、父と母との親子三人で暮らしていたそうだ。その父親が教えてくれた遊びが、先日ジンが孤児院でやった『だるまさんがころんだ』だった。そしてこれは冒険者であった父と母が死んでからは一度も見た事が無い遊びだった。
「お父さんはお祖父ちゃんから教えてもらったって……」
その祖父は新しい遊びや面白い話など、色んな事を知っていたそうだ。このだるまさんがころんだもその一つで、これは故郷の遊びだという事だった。
「お父さんが死んじゃってから、初めてだった……」
トウカが生まれた時には祖父は亡くなっていたが、父親が話してくれるその祖父の話がトウカは大好きで、よくねだって聞いていたそうだ。だが父が死んだ後はもう出来ない話だった。トウカは誰かと積極的に遊ぶつもりにはなれず、思い出を共有できる人もいない。そう思っていた所にジンが現れたのだ。
「そうか……」
もうジンにも分かっていた。その祖父はジンと同じ転生者なんだと。そしてトウカはその孫なんだと。
その転生者の生涯を知る事は出来ないが、その血は受け継がれ、ここにトウカという生きた証が存在するのだ。
(しかし、これは……)
転生者の子孫という事であれば、先日リエンツの借家をジンに譲ってくれたケントもそうだ。だが彼はしっかりとこの王都で基盤を作り、家族も健在で幸せに見える。
しかし、この少女は一人ぼっちだ。
トウカが生まれる前に祖父は亡くなっていたという事は、その祖父は恐らく50歳になるかならないかくらいの年齢で亡くなった事になる。普通に考えても若すぎる死だ。しかもこの世界ではレベルを上げれば体も頑健になって長生きできるので、転生者であった祖父はレベルをほとんど上げなかったか、志半ばで倒れたかのどちらかになる。ただ、その息子であるトウカの父が冒険者である事を考えると、可能性が高いのは後者だ。
ジンは複雑な思いを抱いていた。
「ジン……さんもニホンから来たんですか?」
恐る恐る尋ねるトウカの顔には、期待と不安が見え隠れしている。
久しぶりに聞いたその「日本」という単語は、やはり彼女の祖父が日本からの転生者である事を裏付けていた。
「ああ、そうだよ」
ジンが認めるとトウカは嬉しさと悲しさが入り混じった複雑な表情を浮かべる。その目もまた涙で潤んできていた。
ジンはそんなトウカの頭を優しく撫でる。そしてジンを見上げるトウカの白い銀髪と赤色と言うには少し薄い桃色の眼を見て、ふと気づいた。
「そうか、トウカという名前は冬の花と桃の花を表しているんだね。トウカちゃんの髪と目の色だね」
素敵な名前だねと、ジンは優しく微笑んだ。
そのジンの言葉にトウカは目を見開き、そして見る見るうちに涙が溜まってこぼれ出した。
「……うっ、うっ、うわーーーん。お父さん! お父さんも言った! わああーーーん」
それは悲しみの涙ではあったが、同時に喜びの涙でもあった。
「思い出させちゃってごめんね。……よしよし」
泣かせてしまった罪悪感を感じつつも、この同郷の忘れ形見の少女をジンは優しく慰めるのだった。
完全に日が落ち、トウカを孤児院まで送り届けたジンは、宿の自分の部屋に戻っていた。
部屋にはジンの他にもアリアやエルザ、レイチェルの姿がある。今朝約束していた通り、ジンが買ってきたつまみや酒でちょっとした飲み会をしていたところだ。
だが、楽しいはずの飲み会にもかかわらず、どうしてもトウカの泣き顔がちらついてしまい、ジンは何時もの様には楽しめなかった。
「ジン、どうかしたのか?」
そんなジンの様子にアリア達が気付かないはずもない。心配そうに声をかけるエルザと同様に、アリアやレイチェルもジンを気遣う表情を浮かべていた。
「あー、ごめんごめん。ちょっとね」
そう言うとジンはあまり減っていなかった酒をグッと煽る。
ジンは出来るだけいつも通りを心がけていたつもりだったが、そんな表面上の対応が気心の知れた彼女達に通用するはずもない。
「調子が悪いんでしたら、今日はお開きにしましょうか」
「そうですね、もしかしたら病気かもしれませんし、何なら私が診てみましょうか?」
心配するアリアとレイチェルを、ジンは片手で制する。
「そんなんじゃないから大丈夫……って。ふっ、説得力ないか」
瞬間的には強気なジンだったが、すぐに無理がある事を自覚して苦笑すると、気弱な声で付け足した。
「そうだぞ。体調が悪いんじゃないならいいが。……何があったか知らんが、話せるなら話せ。話せないなら飲んで忘れろ。飲み過ぎてもちゃんと面倒見てやるから」
若干乱暴な言い方ではあったが、そこにはエルザなりの優しさが感じられた。ジンがふと視線を移すと、アリアとレイチェルもうんうんと頷いている。
こうして自分の事を気遣ってくれる彼女達の存在が嬉しくて、ジンは少し気が楽になるのを感じていた。
「だね。心配かけてごめん。ちょっと話を聞いてくれるかい?」
「「「勿論(です)!」」」
信頼する仲間もいれば潤滑油となる酒もある。ジンは今日あった出来事を話し始めた。
「……という訳で、ちょっとその子の事が気になってね」
ジンは正直にトウカとの出会いからすべてを話した。アリア達はジンが異世界出身という事も知っているので、隠す必要もない。
「あー、そういう事か。確かにわからんではないな」
もしその子の祖父が自分と同じ里の出身者だとしたら、確かに自分も気にかけてしまうだろうなとエルザは思う。
「そうですね。しかもその子とルーツを同じくする人は、いないと言ってもいいんですから」
厳密に言えばこの世界にも転生者の血を引く者は数多くいるが、アリアが言う通り、トウカのように自らのルーツを認識している者は皆無といっていい。
「トウカちゃんは寂しいでしょうね」
レイチェルがトウカの心情を慮るが、まさにトウカがジンの後をつけたのも、その寂しさ故だった。
故郷というものは、ある意味心の拠り所となるものだ。ジンのように例え二度と戻れなかったとしても、想う事は出来る。
ただ、トウカはそのルーツを自らの思い出の中でしか確認できないのだ。それを共有できるかもしれないジンの存在が、孤児院を抜け出してしまう程気になってしまったのも無理はない。
勿論トウカも生まれ育った場所が存在するので、そこが故郷と言えばそうだ。しかし祖父の生まれた場所に対する想いが強い分、今一つそれが定まらないのだろう。祖父や父を早くに喪ってしまった事で、尚更その楽しかった思い出が大きくなってしまったのかもしれない。
「私もトウカちゃんと同じように両親を亡くしましたが、気に掛けてくれるグレッグおじ……んんっ、グレッグさん達がいました。ジンさんもせめて王都にいる間だけでも、出来るだけ孤児院に顔を出すようにしませんか?」
このアリアの提案が、ジンが出来る現実的な行動のようだ。
直にリエンツに戻る身ではあるが、これからも王都に来る機会は何度でもあるはずだし、その間にジンもアリアにとってのグレッグやガンツ達のようになればいい。
「ありがとう、みんな。胸につかえていた事を聞いてもらったおかげで、何かすっきりしたよ。明日から王都で依頼を受けようと思うんだけど、遠出はするつもりもないし、お言葉に甘えてちょくちょく孤児院に顔を出す事にするよ」
「うん、そうしよう。私達も付き合うからさ」
どこかスッキリした様子のジンに安心したエルザは微笑むと、レイチェルの方にチラッと目配せした。
「あっ、そうですね。是非ご一緒させてください」
すぐに気付いたレイチェルも同意する。
彼女達の脳裏に浮かんだのは、今朝女性陣だけで話した時に話題に上がった孤児院でのジンの様子だ。
それはトウカの事を想って沈んでいた気持ちを浮上させるためだったのかもしれないが、同時に恋する乙女の逞しさも感じさせるものだ。
トウカの為という気持ちは勿論あるが、孤児院に同行する口実にもなる。まさに一挙両得、一石二鳥、win-winだ。
「うふふっ。そうですね、皆で行きましょう」
二人の気持ちが手に取るようにわかり、アリアも笑いを隠せない。
「ああ、皆で行こう」
そんな彼女達も想いをジンは知るはずもないが、前向きな雰囲気で申し出てくれる彼女達の気持ちが嬉しくないわけがない。
ようやく心からの笑みを浮かべるジンは、色々な意味で今日も幸せだった。
更新に二週間以上かかってすみません。
それと感想で教えていただいて気付きましたが、前々回で100話達成していましたね。
これも応援していただいている皆様のおかげです。
更新ペースが遅れがちなのが申し訳ないのですが、これからもがんばりますので、どうぞよろしくお願いします。
ありがとうございました。