2.5 騎士隊員試験
こちらは前回の、間話一の視点を引き継いでいます。
一人称で進む連載ですので、苦手な方はあらかじめ、ご了承ください。
倒れても、倒れても、尚立ち上がる。
世に囁かれる不屈の精神というのは、まさにこのことを言うのだ。
どこか熱く震える胸をかき抱いて、俺はただそのたった一人の試験者に見入った。
試験者と向かい立つ隊長の姿は、いつになく冷徹に冷酷に見えた。
騎士の名乗り上げもせず、ただ模擬剣を構えて立つ姿から、紛れもなく気遣いも優しさも消え失せているのだとわかった。
他の部隊の隊長は、どんな相手だろうと、必ず名乗ってから自部隊の試験を始めるというのに、隊長はとことん試験者を受け入れる気はないのだ。
本来は、これで合格か不合格のとき、どこの部隊に受かったか、落ちたかを試験者がわかるというのに。
隊長は容赦なく、試験者を攻める。
だが時が経つにつれ、常に平静な双眸に、当初試験者と対峙したときにはなかった、感嘆の光があるのは、俺の贔屓目による単なる気のせいだろうか。
隊員は揃って、息を呑んで、その勝負の行き先を見つめている。
行き先もなにも、隊長が負けることは有り得ないとわかっているのに、ただ何かが起こる気がして、そこから目を離せない。
隊長の模擬剣を身体に打ち付けられて、試験者は又倒れた。
痛い筈だ、苦しい筈だ、もう動けない筈だ。
何故動ける、何故立ち向かう、何故止まらない。
普通なら気を失うところを、寸で試験者は繋ぎ止める。
何故、そんなことができる。
模擬剣とはいえ、下手をすれば死ぬことさえあるというのに。
決して強くない。むしろ弱い。
なのに何故、俺の心はここまで歓喜に打ち震えるのだろう。
横で俺を立ち止まらせた先輩は、もう目に入らない。
ただ目前を眺めることしかできない。
「惜しいな」
先輩の声が脳裏に蘇る。
唇を噛み締めて、小さく顔を歪めた。
ああ、惜しい。
隊長が認めないと、俺たちは痛いほどわかっているから、それが口惜しくてならない。
ただの隊員の意見はなににもならないことを知りながらも、あいつを受からせてくれと、そう意見したいほどに。
「あれはいい」
感嘆混じりのその言葉に、きちりと歯を噛み締めた。
ああ、あの試験者は合格だ。
俺が決めることでもないのに、ただその思いだけが、胸に残る。
それは他の人間も同じだった。
隊長の模擬剣が、試験者の身体にのめり込むほどに、身を乗り出して息を呑む。
試験者の身体がよろめきながらも、まだ地に足をつけているのを見て、安堵の息を吐く。
いつしか誰かが口ずさんだ。
「立て」
倒れた試験者に向かって、小さく誰かが呟いたのが、どこか遠くのように聞こえる。
よたよたとその身体を引き上げる試験者に、別の誰かが、今度ははっきりした声でいう。
「行け」
その情けないほど頼りない小さな身体で、試験者は隊長に向かっていく。
また刃が打ち付けられて、試験者の身体がひるむ。
「頑張れ」
ありきたりな言葉。
その言葉を皮切りに、隊員は波のように轟音をあげた。
「行け、立て、行ける、頑張れ!」
「そうだ、そこだ、行け、倒れるな!」
「避けろ、頑張れ、そこで踏ん張れ!」
「立て、負けるな、行ける!」
俺は、もう立たなくていいと心のどこかで思うのに、その声に混じって精一杯声をあげる。
気付けば先輩の声が脳裏に蘇っていた。
惜しい、あれはいい。
俺は、あいつと職務につきたい。
直ぐに職務へつけば、言っては悪いが、足手まといで直ぐに死ぬだろう。
だがたとえ、いまが弱くとも、試験者はきっと強くなる。
あれは銀の原石だ。
誇り高く、美しく、厳正たる騎士の器だ。
あれは鉃だ。
叩けば叩くほどに、伸びて強靭になっていく武人だ。
受かってくれと、知らず知らずに拳が締まる。
俺は、お前と仕事がしたい。
隊長の背中が、広く厚い壁のように見える。
それを乗り越えようと、切り抜けようと、試験者は勇猛果敢に立ち向かうのだ。
ぼろぼろの身体で、腕の包帯から血がにじんでいる。
恐らく試験を受ける前の傷が開いたのだろう。
それでも俺たちは尚も声を上げた。
試験者は女だ。
それがどうした。一体なんの問題になる。
いまあれは、そんなことを微塵も思っちゃいない。
「行け、立て、行ける、頑張れ!」
たとえ、残らない傷がその身に刻まれようと、きっと、この試験者はそれすらを受け止めて、乗り越える。
目前の人間には、その覚悟があるのだ。
その覚悟に、俺たちがどうこう言う資格はない筈だ。
死して尚、この試験者は立ち続けるのだろう。
魅せられる、感服させられる。
ああ、こういう人間を、俺は待っていた。
男惚れというのがある。
その精神や能力や気質に、傾倒し、惚れることだ。
俺の心境は、まさにそれだった。
「まずいぞ」
先輩の声が、小さく耳に響いた。
そんなことは言われずともわかる。
むしろ、いままで立っていたのが、不思議なくらいの状態だった。
常人ならとっくのとうに倒れて、三日は意識が戻らない筈だ。
なんとか向かっていた身体はふらふらと揺れて、恐らく模擬剣を持つ手には力が入っていない。
それでも皆は声を張り上げる。
俺も声を上げることを止めなかった。
「負けるな、立て、やれ、頑張れ!」
「行け、立て、そこで踏ん張れ、行け!」
「頑張れ、負けるな、行け、力抜くな!」
「そこで負けるな、行け、頑張れ、立て!」
もう試験者の模擬剣を持つ手が震えていた。
ずたぼろになった包帯が、鍛錬所の床まで届きそうだ。
ゆっくりと、もう始めほどの速さはない。
隊長は、その様子を目を細めて眺めている。
もう出来ることはないと察して、相手の同行を見つめているのだろう。
隊員の一人一人の声は、鍛錬所によく響く。
皆が試験者を注視していた。
だからだ。
試験者の身体から、力が抜けていく様子が、ゆっくりと俺たちの目に映った。
「頑張れ!」
もう、聞こえていないだろう。
それでも声をあげた。
この、不条理は、一体何だと言うのか。
あれは強くなるのに、あそこまで踏ん張る力があるのに、きっと掛け替えの無い人材だというのに。
口惜しさに、唇が歯に噛み切られた気がした。
ああ、倒れる。
試験者の揺れ落ちる身体に、誰もが、そう思ったときだった。
試験者が包帯を握った。
僅かに隊長の目がそれに注目されたことがわかる。
その時の衝撃を、どう表現したらいいだろうか。
試験者は折れかけた足を立て直して、包帯で模擬剣と自分の腕を縛り付けた。
そのまま隊長へは向かわず、ただじっと、隊長の姿をみつめた。
もう動く力はないのだと、わかった。
けれど、まだやる気なのだと、わかった。
「合格だ」
ぽつり。
俺が呟いた言葉は震えていた。
誰がなんといおうと、これは合格だ。
今日は試験最終日だが、他の部隊に頼み込めば、入れてくれるところもあるかもしれない。
そう思って、今度こそ鍛錬所から踵を返そうとしたときだった。
「治療塔へ連れて行け」
隊長の言葉が、鍛錬所に響いて、俺はその歩を止めた。
気付けば、見物人は皆が静まり返っている。
横で、先輩が動くのがわかる。
待ってくれ、試験はどうなったんだ。
その場にいた誰もが隊長の姿を見つめた。
静かな顔で、模擬剣を手のひらで撫でる。
薄く血がついている所を、念入りに触りながら、隊長は静寂のなかで素っ気なく呟いた。
「うちで引き取る」
それはつまり。
視界の横で、試験者の身体が、先輩に傾ぐのが見えた。
抱きとめた先輩はそのまま試験者を抱き上げる。
「合格だ」
誰かがぽつりと呟いた。
俺は何を言ったらいいかわからなかった。
ただ怜悧な隊長の横顔を眺めた。
あの人を、認めさせた。
試験者が認めさせた。
何か、とんでもないことが起こるような気がして、本当に起こった。
そのとき、鍛錬所に歓声が轟音となって響き渡った。
見物人の各々が、思い思いの歓喜に声を上げて、腕を振り上げている。
どんな名試合よりも、俺はすごいものを見た。
試験者は隊長に勝ったのだ。
ああ。
俺の口から、ほっとしたんだか、感嘆したんだかわからない息が漏れた。
「すげえ。すげえぞ、お前!」
「待ってっから、早く治して来いよ!」
「うちは訓練も地獄だからな、負けんじゃねえぞ!」
先輩に運ばれていく試験者に、皆が声をかける。
面倒見が良い人たちだ。
きっと、力になってくれる。
ただ恐らく、訓練をやり始めて、最低三月はまともに動けないだろう。
普通に傭兵をやっている人間でも、ここの訓練に慣れるには一月かかるのだ。
それまでは、俺たちは声をかけないほうがいい。
むしろ声をかけても何も返せないだろう。
俺もここに入ってこの訓練に慣れるまでは、誰も声をかけてこなかったものだ。
訓練に必死すぎて、そんなことには微塵も気付かなかったが、数ヶ月経って声をかけられたとき、初めて気付いた。
「頑張ってんな、もう慣れたか?」
親しげに声をかけてきた顔に、見覚えも無かったから、とりあえず挨拶だけはしたが、それ以外はどう反応していいかわからなかった。
人の良い笑顔で隣でにやにやと笑っているものだから、当時の俺は、相当不信感を募らせたものだった。
まあそこから色々と話を聞いて、誤解は解けたのだが、騎士に成り始めの当初は、本当に不審に思ったものだった。
きっと、訓練がまともに受けれるようになるまで、皆は声をかけないのだろう。
こう言っちゃ悪いが、訓練に耐えきれずに逃げ出す人間もいるのだ。
だから最初の何ヶ月は様子見をする。
こいつは逃げない、信用に値すると、そう感じてから、声をかける。
それが騎士団の暗黙の了解であった。
そしてそれとは別に、誰が決めたわけではないが、知らず知らず皆が守る決め事があった。
最初に声をかけた人間に、そいつの世話を一任する。
だから慎重に見極めて、俺たちは相手を選ぶ。
俺ははっきりいって、そういう面に興味は無かったし、これからも誰かを世話することなんてない。
そう思っていた。
だが、あいつは良いかもしれない。
俺は間近で、あいつの成長を見たいのだ。
隊長にずたぼろにされたあいつの身体は、短くて一月、長くて二月、完治に時間がかかるだろうか。
治療塔の人間は、どれも粒ぞろいの優秀な人材の宝庫だ。
あいつの巡り合わせが良ければ、一月もかからないかもしれない。
模擬剣を片手に、小さく笑う。
あいつが訓練に慣れてきたら、真っ先に声をかけよう。
隊長を認めさせた人材を、あの粘り強さを、ここの訓練に耐えきれないと一体誰が思うのか。
断言できる。あいつは必ずここの訓練に慣れる。逃げ出しもしない。
まあ、当面は、あいつがいつ頃この部隊に配属されるか、ということだ。
そして、試験者は俺の予想を遥かに凌駕した。
一月、下手をすれば二月かかると思われた試験者が、部隊に配属されたのは、試験から半月後だった。
力はない。技術もない。だが、先行きを期待されるような何かが試験者の中には光っていた。
あれが受かったのが存外嬉しいと、俺は思わず配属された姿に相形を崩した。
次は本編!を更新出来たらいいな、と思っています。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。