表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
希求の女騎士  作者: 鱒味
4/22

2.5 騎士隊員試験

 こちらは前回の、間話一の視点を引き継いでいます。

 一人称で進む連載ですので、苦手な方はあらかじめ、ご了承ください。

 倒れても、倒れても、尚立ち上がる。

 世に囁かれる不屈の精神というのは、まさにこのことを言うのだ。

 どこか熱く震える胸をかき抱いて、俺はただそのたった一人の試験者に見入った。



 試験者と向かい立つ隊長の姿は、いつになく冷徹に冷酷に見えた。

 騎士の名乗り上げもせず、ただ模擬剣を構えて立つ姿から、紛れもなく気遣いも優しさも消え失せているのだとわかった。



 他の部隊の隊長は、どんな相手だろうと、必ず名乗ってから自部隊の試験を始めるというのに、隊長はとことん試験者を受け入れる気はないのだ。

 本来は、これで合格か不合格のとき、どこの部隊に受かったか、落ちたかを試験者がわかるというのに。



 隊長は容赦なく、試験者を攻める。

 だが時が経つにつれ、常に平静な双眸に、当初試験者と対峙したときにはなかった、感嘆の光があるのは、俺の贔屓目による単なる気のせいだろうか。



 隊員は揃って、息を呑んで、その勝負の行き先を見つめている。

 行き先もなにも、隊長が負けることは有り得ないとわかっているのに、ただ何かが起こる気がして、そこから目を離せない。



 隊長の模擬剣を身体に打ち付けられて、試験者は又倒れた。

 痛い筈だ、苦しい筈だ、もう動けない筈だ。

 何故動ける、何故立ち向かう、何故止まらない。



 普通なら気を失うところを、寸で試験者は繋ぎ止める。

 何故、そんなことができる。

 模擬剣とはいえ、下手をすれば死ぬことさえあるというのに。



 決して強くない。むしろ弱い。

 なのに何故、俺の心はここまで歓喜に打ち震えるのだろう。



 横で俺を立ち止まらせた先輩は、もう目に入らない。

 ただ目前を眺めることしかできない。



「惜しいな」



 先輩の声が脳裏に蘇る。

 唇を噛み締めて、小さく顔を歪めた。

 ああ、惜しい。



 隊長が認めないと、俺たちは痛いほどわかっているから、それが口惜しくてならない。

 ただの隊員の意見はなににもならないことを知りながらも、あいつを受からせてくれと、そう意見したいほどに。



「あれはいい」



 感嘆混じりのその言葉に、きちりと歯を噛み締めた。

 ああ、あの試験者は合格だ。



 俺が決めることでもないのに、ただその思いだけが、胸に残る。

 それは他の人間も同じだった。

 隊長の模擬剣が、試験者の身体にのめり込むほどに、身を乗り出して息を呑む。



 試験者の身体がよろめきながらも、まだ地に足をつけているのを見て、安堵の息を吐く。

 いつしか誰かが口ずさんだ。



「立て」



 倒れた試験者に向かって、小さく誰かが呟いたのが、どこか遠くのように聞こえる。

 よたよたとその身体を引き上げる試験者に、別の誰かが、今度ははっきりした声でいう。



「行け」



 その情けないほど頼りない小さな身体で、試験者は隊長に向かっていく。

 また刃が打ち付けられて、試験者の身体がひるむ。



「頑張れ」



 ありきたりな言葉。

 その言葉を皮切りに、隊員は波のように轟音をあげた。



「行け、立て、行ける、頑張れ!」

「そうだ、そこだ、行け、倒れるな!」

「避けろ、頑張れ、そこで踏ん張れ!」

「立て、負けるな、行ける!」



 俺は、もう立たなくていいと心のどこかで思うのに、その声に混じって精一杯声をあげる。

 気付けば先輩の声が脳裏に蘇っていた。

 惜しい、あれはいい。



 俺は、あいつと職務につきたい。

 直ぐに職務へつけば、言っては悪いが、足手まといで直ぐに死ぬだろう。

 だがたとえ、いまが弱くとも、試験者はきっと強くなる。



 あれは銀の原石だ。

 誇り高く、美しく、厳正たる騎士の器だ。



 あれは鉃だ。

 叩けば叩くほどに、伸びて強靭になっていく武人だ。



 受かってくれと、知らず知らずに拳が締まる。

 俺は、お前と仕事がしたい。



 隊長の背中が、広く厚い壁のように見える。

 それを乗り越えようと、切り抜けようと、試験者は勇猛果敢に立ち向かうのだ。



 ぼろぼろの身体で、腕の包帯から血がにじんでいる。

 恐らく試験を受ける前の傷が開いたのだろう。

 それでも俺たちは尚も声を上げた。



 試験者は女だ。

 それがどうした。一体なんの問題になる。

 いまあれは、そんなことを微塵も思っちゃいない。



「行け、立て、行ける、頑張れ!」



 たとえ、残らない傷がその身に刻まれようと、きっと、この試験者はそれすらを受け止めて、乗り越える。

 目前の人間には、その覚悟があるのだ。

 その覚悟に、俺たちがどうこう言う資格はない筈だ。



 死して尚、この試験者は立ち続けるのだろう。

 魅せられる、感服させられる。

 ああ、こういう人間を、俺は待っていた。



 男惚れというのがある。

 その精神や能力や気質に、傾倒し、惚れることだ。

 俺の心境は、まさにそれだった。



「まずいぞ」



 先輩の声が、小さく耳に響いた。

 そんなことは言われずともわかる。

 むしろ、いままで立っていたのが、不思議なくらいの状態だった。



 常人ならとっくのとうに倒れて、三日は意識が戻らない筈だ。

 なんとか向かっていた身体はふらふらと揺れて、恐らく模擬剣を持つ手には力が入っていない。



 それでも皆は声を張り上げる。

 俺も声を上げることを止めなかった。



「負けるな、立て、やれ、頑張れ!」

「行け、立て、そこで踏ん張れ、行け!」

「頑張れ、負けるな、行け、力抜くな!」

「そこで負けるな、行け、頑張れ、立て!」



 もう試験者の模擬剣を持つ手が震えていた。

 ずたぼろになった包帯が、鍛錬所の床まで届きそうだ。

 ゆっくりと、もう始めほどの速さはない。



 隊長は、その様子を目を細めて眺めている。

 もう出来ることはないと察して、相手の同行を見つめているのだろう。

 隊員の一人一人の声は、鍛錬所によく響く。



 皆が試験者を注視していた。

 だからだ。

 試験者の身体から、力が抜けていく様子が、ゆっくりと俺たちの目に映った。



「頑張れ!」



 もう、聞こえていないだろう。

 それでも声をあげた。



 この、不条理は、一体何だと言うのか。

 あれは強くなるのに、あそこまで踏ん張る力があるのに、きっと掛け替えの無い人材だというのに。

 口惜しさに、唇が歯に噛み切られた気がした。



 ああ、倒れる。

 試験者の揺れ落ちる身体に、誰もが、そう思ったときだった。



 試験者が包帯を握った。

 僅かに隊長の目がそれに注目されたことがわかる。



 その時の衝撃を、どう表現したらいいだろうか。

 試験者は折れかけた足を立て直して、包帯で模擬剣と自分の腕を縛り付けた。

 そのまま隊長へは向かわず、ただじっと、隊長の姿をみつめた。



 もう動く力はないのだと、わかった。

 けれど、まだやる気なのだと、わかった。



「合格だ」



 ぽつり。

 俺が呟いた言葉は震えていた。

 誰がなんといおうと、これは合格だ。



 今日は試験最終日だが、他の部隊に頼み込めば、入れてくれるところもあるかもしれない。

 そう思って、今度こそ鍛錬所から踵を返そうとしたときだった。



「治療塔へ連れて行け」



 隊長の言葉が、鍛錬所に響いて、俺はその歩を止めた。

 気付けば、見物人は皆が静まり返っている。



 横で、先輩が動くのがわかる。

 待ってくれ、試験はどうなったんだ。

 その場にいた誰もが隊長の姿を見つめた。



 静かな顔で、模擬剣を手のひらで撫でる。

 薄く血がついている所を、念入りに触りながら、隊長は静寂のなかで素っ気なく呟いた。



「うちで引き取る」



 それはつまり。

 視界の横で、試験者の身体が、先輩に傾ぐのが見えた。

 抱きとめた先輩はそのまま試験者を抱き上げる。



「合格だ」



 誰かがぽつりと呟いた。

 俺は何を言ったらいいかわからなかった。

 ただ怜悧な隊長の横顔を眺めた。



 あの人を、認めさせた。

 試験者が認めさせた。



 何か、とんでもないことが起こるような気がして、本当に起こった。

 そのとき、鍛錬所に歓声が轟音となって響き渡った。



 見物人の各々が、思い思いの歓喜に声を上げて、腕を振り上げている。

 どんな名試合よりも、俺はすごいものを見た。



 試験者は隊長に勝ったのだ。

 ああ。

 俺の口から、ほっとしたんだか、感嘆したんだかわからない息が漏れた。



「すげえ。すげえぞ、お前!」

「待ってっから、早く治して来いよ!」

「うちは訓練も地獄だからな、負けんじゃねえぞ!」



 先輩に運ばれていく試験者に、皆が声をかける。

 面倒見が良い人たちだ。

 きっと、力になってくれる。



 ただ恐らく、訓練をやり始めて、最低三月はまともに動けないだろう。

 普通に傭兵をやっている人間でも、ここの訓練に慣れるには一月かかるのだ。



 それまでは、俺たちは声をかけないほうがいい。

 むしろ声をかけても何も返せないだろう。



 俺もここに入ってこの訓練に慣れるまでは、誰も声をかけてこなかったものだ。

 訓練に必死すぎて、そんなことには微塵も気付かなかったが、数ヶ月経って声をかけられたとき、初めて気付いた。



「頑張ってんな、もう慣れたか?」



 親しげに声をかけてきた顔に、見覚えも無かったから、とりあえず挨拶だけはしたが、それ以外はどう反応していいかわからなかった。

 人の良い笑顔で隣でにやにやと笑っているものだから、当時の俺は、相当不信感を募らせたものだった。



 まあそこから色々と話を聞いて、誤解は解けたのだが、騎士に成り始めの当初は、本当に不審に思ったものだった。

 きっと、訓練がまともに受けれるようになるまで、皆は声をかけないのだろう。



 こう言っちゃ悪いが、訓練に耐えきれずに逃げ出す人間もいるのだ。

 だから最初の何ヶ月は様子見をする。



 こいつは逃げない、信用に値すると、そう感じてから、声をかける。

 それが騎士団の暗黙の了解であった。



 そしてそれとは別に、誰が決めたわけではないが、知らず知らず皆が守る決め事があった。

 最初に声をかけた人間に、そいつの世話を一任する。



 だから慎重に見極めて、俺たちは相手を選ぶ。

 俺ははっきりいって、そういう面に興味は無かったし、これからも誰かを世話することなんてない。

 そう思っていた。



 だが、あいつは良いかもしれない。

 俺は間近で、あいつの成長を見たいのだ。



 隊長にずたぼろにされたあいつの身体は、短くて一月、長くて二月、完治に時間がかかるだろうか。

 治療塔の人間は、どれも粒ぞろいの優秀な人材の宝庫だ。

 あいつの巡り合わせが良ければ、一月もかからないかもしれない。



 模擬剣を片手に、小さく笑う。

 あいつが訓練に慣れてきたら、真っ先に声をかけよう。



 隊長を認めさせた人材を、あの粘り強さを、ここの訓練に耐えきれないと一体誰が思うのか。

 断言できる。あいつは必ずここの訓練に慣れる。逃げ出しもしない。

 まあ、当面は、あいつがいつ頃この部隊に配属されるか、ということだ。



 そして、試験者は俺の予想を遥かに凌駕した。

 一月、下手をすれば二月かかると思われた試験者が、部隊に配属されたのは、試験から半月後だった。



 力はない。技術もない。だが、先行きを期待されるような何かが試験者の中には光っていた。

 あれが受かったのが存外嬉しいと、俺は思わず配属された姿に相形を崩した。




 次は本編!を更新出来たらいいな、と思っています。

 ここまでお読み頂き、ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ