14 はじめての
久しぶりの投稿すぎて、投稿の仕方を忘れてました。
アニーは息を荒げながら走った。
その背中に男の怒声を背負いながら、アニーは只管走ることに集中した。
「きゃ、あ……っ」
小柄な腕を引っ張るように走っていた少女の足がもつれた。
アニーは己も走る最中の一瞥で、何かを考える間もなく、反射的に細く小さいその体を抱き上げた。
右も左もわからない街でこの逃走を貫徹させる術を、アニーは持たない。
それでも走り続けることで一抹の希望を見出そうとしていた。
腕に抱え上げた少女が真っ赤な顔で俯いて、ごめんなさいと小さな声で呟くのがアニーの耳に届いた。
息が止まるほど、ギリギリなところを行き来しているアニーが、それに答えることはできない。
けれど、その声があまりにも頼りなくて、泣きそうで。
アニーは少女を抱えた状態で走りづらいにも関わらず、後ろを振り切るように足を早める。
謝らなくてもいいのだと、告げられる場所へ早くと、ただただもつれそうになる足を動かした。
走るたびにアニーの短かな髪が風に攫われていく。
何故、こんなことに。
歯を噛み締めて、アニーは顔を歪めた。
「回り込め、絶対に逃がすな!」
大きく野太い男の怒鳴り声がアニーの耳に届く。
この街の憲兵隊に駆け込みたい所だが、あらかじめガイアに告げられていた場所があまり定かではなかった。
自分の迂闊さに舌を打ちたい所だったが、そう悠長なこともしてられない。
段々と離れていく男の声だが、先ほどから一人二人と道を逸れていっている。
”逃げ道を塞ぐ”行為をし始めたのだ。
それは土地勘のないアニーには致命傷に値する行為だった。
かろうじて地元民である腕の中の少女も、街を出歩くことなど滅多になく。
ましてや裏道など知っていよう筈がない。
(大通りに出た方がいいか……)
街中での騒ぎはまずいと思っていたが、事態はどうもそう簡単にはいかなそうだ。
逆にこの状況では騒ぎを起こした方が良いように感じて来た。
人々が異変を感じれば、自警団へも連絡が行くかもしれない。
領主宅に戻る案も考えたが、まさか警備する対象がいるところへ戻る訳にはいかない。
「……はっ……はっ、ルーラ様」
「は、い」
「表、……通りへの、道はっ、ご、存知で、しょうか」
「ご、ごめんなさい、わ、わからないわ」
肩越しに湿った音が耳に届いて、アニーは視線を前に戻した。
どうやら表通りに行くにしても、厳しい話になりそうだ。
そもそも村にいた頃と比べればアニーは段違いに体力も持久力も上がっている。
背後の男たちが、着いてこられることが、異常なのだ。
昼夜問わずに訓練を重ねて来たアニーに、何故、突き放されることなく追い続けられるのだろう。
そんな疑心も直ぐに泡と消えて、アニーの脳にはもう走ることしか考えられない。
ルーラを抱え上げている腕も既に限界の兆しを見せている。
指の先は痺れてルーラを抱え上げる手は力加減もできやしない。
自分の非力さに舌打ちをしたいところだが、もうアニーの喉は息をすることしかできない。
「逃がすなぁ!!」
野太い男の声。
何故、こんなことになったのだろう。
ルーラと共にただアニーは噂の店を訪ねただけだというのに。
どこから歯車が狂ったのだろう。
ゆったりと流れる店の雰囲気にいつの間にか、アニーは毒されていたのだろうか。
ほんの些細な組み合わせが、最悪な事態へと繋がったのだ。
まさかいま若い女性に人気なお店が、影で不法な取引をしていたなどと見抜ける筈もない。
そこまで考えてアニーは首を振る。
いいや、やはり注意力が足りなかったのだろう。
もっと隈無く、隅々まで警戒を払っていれば、こんな事態にはならなかった。
悔やんでも悔やみきれない。
アニーの失態によって、ルーラはいまこんなにも恐い目にあっているのだ。
ガチャガチャと横脇でアニーの体にあわせて音を立てる剣を、アニーはちらりと一瞥した。
かりそめとはいえ、アニーにとって護衛対象であるルーラだ。
このような事態になる前に、制圧してしまうという手もあった。
だがアニーはそうはしなかった。
自分の武術に自信など欠片も持ち合わせていなかったからだ。
先日行われた大会での成績はどん尻であったし、何より経験が誰よりも少ない。
指示役のレイルに一太刀も浴びせるどころか、避けることさえままならないのだ。
(何故、こうなのだろう)
走る最中にじわりと心に滲みだすものを感じ取って、アニーは顔を歪める。
頬に当たる風に熱い息を吐き出しながら、嘆くように歯を噛み締める。
(肝心な時に私はこんなにも無力だ)
このような事態を、看破することもできない騎士など、騎士ではない。
ただの給料泥棒だ。
ー情けない。
じわりじわりと滲み上がってくるものが痛くて苦しかった。
それでも路地から路地へと、狭い道で追っ手を撒くように駆ける。
大通りへ出る気配など無くて、次第に道が狭まっていくばかりだ。
心無しか道が塞がっていく。
幾重にも別れた道が、人という障害物に阻まれる。
(……まずい)
冷や汗がアニーの背中に流れる。
すっと体中の熱が引いていくような感覚に、アニーは呆然と目を見開いた。
追い詰められている。
逃げ道もわからないというのに、行き場さえも失っていく。
進めば進むほどに深みへ向かっていっているようで、眉をぎゅっと縮める。
どうすればいい、どうする。
焦りだけに掻き立てられて、一向に考えがまとまらない。
次第に喉が掠れて漏れ出る息がひゅーひゅーと鳴る。
もう既に体は限界なのだ。
だが諦めることは許されない。
それが職務なのだ。
腰に下げた剣がかちゃりとなる。
アニーは諦めるように目を一度強く瞑った。
大通りに出ようと闇雲に走っていた足を方向転換する。
雑然とした家屋が建ち並ぶほうへと右へ左へと駆け抜ける。
通り過ぎていく家屋の一つ一つに目星をつけて、空き家へと入り込んで壁に背中をつける。
「……だ、だいじょうぶ?」
「……………………」
声をかけてきたルーラに返す言葉も無い。
無言で首を横に振る。
無理に喋ろうとすれば大きな咳を立てて、真っ先に気付かれてしまうだろう。
走ってきた道を窺うようにすれば、走ってくる足音はやはりまだいる。
皮肉なものだ。
交戦することを前提として考えだせば、こんなにも打つ手はでてくる。
しかしそのどれもが、不確定で、悲しいほどに揺るがされる打ち手だ。
疲労によるものではない震えが体に走っている。
「……申し訳ございません、ルーラ様」
懺悔するかのように呟いた声は、まるで泣いているかのように震えていた。
情けない、あまりに情けない。
声も出せぬほどだった息は整ってきたが、まだ指先が痺れている。
だが、ここで悠長に身体が整うのを待っている事はできない。
ここが見つかるのも時間の問題だろう。
こんな事態になってしまったこと、あげくこれからの危険への保証。
全てにおいて、私は、未熟すぎる。
「……申し訳、ございません」
歯が軋むほどに噛み締める。
だが、それだけで終わるなど許されない。
未熟だからなんだ?
それは免罪符にはならない。
それは只の言い訳だ。
許されない。
許される事は有り得ない。
決して。
「多少、窮屈な思いを強いるかもしれませんが、どうぞ、御甘受くださいますよう」
手短にあったふるいボロ切れで奇麗な服を覆い隠すように包み込む。
あまりに不釣合いな様子に、少しだけ苦笑が漏れた。
お嬢様なのだと、アニーは心底ルーラを見ていて思う。
色が茶けて端々から糸がほつれている布が欠片も似合わない。
これが自分だったら釣り合いがとれていただろう。
だがしかしルーラは野に山にとかけていた自分とは違うのだ。
人が入っただけで埃がまう家になんで、こんなお嬢様がいるのだろう。
しかも身に釣り合わない布に身体を包まれて、こんなことを強いて。
ずっと、ずっと、考えてしまうのだ。
「恐れながら、お願い申し上げます。できるだけ身を小さく、隅に隠れていて下さい」
私の罪だ。
小さな少女のささやかな願いを、叶える技量を持たぬのに、引き受けた。
最初から、安全の保証などなかったのに。
その願いに報いる力がないのなら、報いたい気持ちよりも、そちらを重要視するべきだった。
あのとき己の分を弁えなかったから、いま恐い思いをさせてしまっている。
まだ幼くて、無邪気で、恐ろしい事など何も知らないそんなお嬢様に。
憎いのだと、それがたまらなく、己の中の怒りを抑えきられなくなるのだ。
何か言いかけるように、ルーラの口が動く。
それよりも先に、アニーは立ち上がり、狭い石の入口から外を窺った。
足音が近いのだと。
腰にかかった剣を手に構える。
さあ、行け。
あの時のように。
決して怯えるな。
剣を持った相手に恐怖を感じるな。
恐怖を覚える事で、臆する事しかできないのなら、恐怖などいらない。
そうだろう?
そのはずだ。
「……ご、ごめ、ん、なさ」
「謝られる事などありません、ルーラ様。お傍にいれず、申し訳ございません」
最後に部屋を出ようと扉へ向かったとき、アニーは確かに振り返ってルーラにそう笑いかけた。
「いたぞー!こっちだぁ!」
派手な音を立てて、木箱が崩れ落ちていく。
舞い上がった埃の中で、きらりと光る刃を目に入れる。
大分、ルーラのいる所から離れただろうか。
逃げるのを止め、狭い道を走り抜けていれば、人数の目星はついた。
徐々に整ってきた呼吸も、握力も、そろそろ使い始めても支障がないころだ。
白い壁を後ろにして、立ち止まる。
ああ、人がくる。
「いたぞぉ!」
刃を持った人間が一人、その瞬間に、アニーの身体を動き出した。
人が集まりだすまえに、どうにかまず、一人。
僅かな距離を縮めて持っている剣をその身体へと突き刺す。
剣はやけにすんなりと男の体を貫いた。
人を呼ぶ所の不意をついたからだろうか。
歯を噛み締めて、剣を握り直す。
僅かに腕が震えたのは、気のせいだと誤摩化して、アニーは獣のように唸った。
「ぅ、ぅぁぁぁあああああああああ」
濡れた感触がする。
握りしめた拳が、指が、ぬらりと赤く光るものが。
ずぷりと、およそ耳障りのいいとは言えない音を立てて、剣を引き抜く。
「がぁ!」
鮮血が目の端を掠める。
目を見開いて地面に転がる男をアニーは見下ろした。
「て、てめ」
震える手が、アニーの足を掴んだ。
視界に映る剣は、やけにゆっくりと動いた。
アニーには相手の目の奥までも見えた。
……音の無い世界だった。
全てが恐怖の染まっていたのかもしれない。
人が集まりだす。
赤い血が広がっている。
人の肉を裂いていった自分の剣。
力が抜けて、地面に落ちた、男の手。
自分の呼吸の音が、やけに近くに聞こえた。
ああ、所詮、人を斬る覚悟など、机上に描かれたものだったのだ。
まだまだ続きます。




