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希求の女騎士  作者: 鱒味
19/22

13 静かな前兆




 窓から漏れ出る日が、花瓶にいけられた花をキラキラと照らしている。

 アニーがこの街に滞在を始めてから、4日もの日が経っていた。



「ねえ!私ね、街に下りてみたいの!」



 始まりはルーラのそんな一言からだった。

 領主宅の末女であるルーラは、アニーと言葉を交わしたその日から、すっかり我が家を訪れた新米騎士を気に入ったようだった。



 暇を見つけてはアニーの姿を探して話しかけるルーラに、父である領主も見聞が広がるのは良いことだと、容認していた。

 ガイアも合間合間に、ルーラに話しかけられているアニーに、懐かれているな、と笑っていた。



 2日、3日と時が過ぎる。

 4日目の朝、ルーラは上記の言葉をアニーに向かい口にしたのだ。



 しかし、事はそう簡単には済まされない。

 アニーは曲がりなりにも勤務中である。

 ルーラと言葉を交わすことは許されているとはいえ、さすがにルーラに連れ添うとは難しい話である。



 困ったように笑みを浮かべるアニーに、ルーラは悲しそうに眉を下げて両手を握りしめた。

 アニーの表情で自分が言ったことの意味を察したのだろう。



 叶えられるものなら叶えてやりたい。

 そう思うくらいには、アニーはルーラのことを好ましく感じていた。



「……ガイア殿に伺ってみますが、あまりご期待はなさらないでください」



 きっと無理だろうと、控えめに告げたアニーの言葉に、ルーラの顔はぱっと明るくなる。

 可愛らしいことだ、そんな風情でアニーはルーラに密やかに笑い返した。

 出来れば叶えてやりたい。



 そうは思っても、難しいことだとわかっていた。

 言葉を交わすことが許されたのは、それが勤務中とはいえ官僚の傍を離れなかった為だ。

 ルーラが領主の娘であることも影響したのだろう。



 勤務中の不謹慎な発言。

 アニーはガイアにそう取られるだろう言葉を、口にするのだ。



「どうした」

「……ルーラ様が、街に下りたいと」

「ああ、なるほどな」



 クスリと笑みを見せたガイアは、その一言だけでアニーの言わんとすることを察したようだった。

 ガイアの反応にアニーは心中、首を傾げた。



 アニーの言わんとすることを理解するのなら、何故叱責の言葉が降らないのか。

 まだ任務に配属されて間もない若輩一人の未熟な発言。



 アニーはガイアに失望されるのだろうとわかっていた。

 正しくアニーは、わかっていたつもり、だったのだ。



 予想外の反応にきょとんとした顔を見せたアニーに、ガイアは笑みを噛みころすようにくつくつと喉を鳴らした。

 口元を手で抑えながらガイアは抑えきれず愉快げな声を上げる。



「ルーラ嬢に随分懐かれたなァ、お前」



 ガイアは、アニーがルーラに話しかけるようになってから、度々アニーへそう告げた。

 面白そうに、どこか嬉しそうに。



 アニーはその度、ガイアに少し戸惑ったような顔を見せる。

 生まれた村はひどく閉鎖的であった。

 村で知らない顔がないくらいだったが、実はアニーは年の離れた子供との交友はあまりなかった。



 幼い少女に懐かれる感覚はわからなかったのだ。

 アニーの懐かれる感覚といえば、幼なじみであるルフの牧場で生まれた雛に後をつかれた感覚だ。

 家にまでついてきた雛を親が見て笑ったものだった。



 人の子供相手に懐かれてもどうしていいかわからない。

 慕ってくれて嬉しい気持ちはある。

 報いたい気持ちもある。



 けれど子供が喜ぶことを知らない。

 アニーにはいままでルフがいれば良かった。



 だからどうすればいいのかわからない。

 尚もおかしそうにしているガイアに、アニーは頭を指で掻いた。



「こちらは構わない。丁度、領主宅にも話さなければならないことがあった。ついでに伺っておいてやる」

「話さなければならないこと……?」

「お前、魔石を知っているか」

「いえ、ま、せき……ですか?」



 そんな言葉はとんと聞いた覚えがない。

 宝石とは違うのだろうか。



 アニーは首を傾げてガイアを窺った。

 少しだけ深刻そうな顔で、短かな髪をガシガシと掻き混ぜる。



 アニーの生まれ育った村は王都の端に位置する辺鄙な土地だ。

 国同士の行き来に使われるような道筋でもないために、外部からの人間はほとんどないといっていい。

 王都で交わされる単語一つがアニーにとっては未知だった。



「ああ、そうだな、魔術師は知っているか?」

「5m離れたところへ火を生み出す人間のことですか?」



 アニーの言葉にガイアは少し目を丸くした。

 噛み砕くようにして、ガイアは奇妙に笑いをかみ殺した。



「まあ、おおまかに言えば、そんな感じだ。大分古いイメージだがな」



 ガイアが告げたその言葉にアニーは沈黙した。

 アニーは魔術師ほど現実味のないものなどないと思っていた。

 生まれてからこれまで、アニーはそんな人種にあったことがなかったからだ。



 両親もそうだった。

 村の誰もが魔術師と会ったという者はいなかった。

 その存在の全ては伝聞だ。



 しかも自在に火を出せる。

 衝撃を与えることが出来るなど。



 どうすればそうなるのか全くわからないものばかり。

 それを告げた人間でさえ、首を傾げるものだ。

 当時子供であったアニーは、その不確かさに心惹かれこそしたが、夢物語だと思っていた。



「魔術師は、本当に存在するのですか?」

「ああ。王都では見かけなくなったが、それでもこの国には魔術師がいる」

「話に聞いたことはありませんが……」

「国は魔術師の存在に否定的だからな。あまり大仰に話題にはならないが、存在はしている」



 ガイアの言葉に、アニーは疑問を持った。

 何を持って否定しているのだろうか。

 有効な力を持つ人間は、それだけの実力が備わっているのだろう。



 国はそういう人材を多く必要とするものだと思っていた。

 それはアニーの全くの考え違いなのだろうか。



「この街にも、魔術師が幾人か存在しているようだ」

「そうなのですか?」

「ああ、高純度の魔石が取引されている。確率は高いだろう」



 険しい顔で唇を引き締めるガイアに、アニーは一度だけ瞬きをした。

 それはまずいことなのだろうか。



 どうもガイアはこの事態を重く受け止めているようだ。

 アニーは考えを張り巡らした。



 ガイアだけではない。

 恐らくこの滞在の延期もこの話が影響しているのだろう。

 国への文書はこれが原因だろうか。



「魔石は魔術師の能力を高めるものだ。透明度が高く薄い光を帯びている蛍光石でもある。この国で扱われるのは発掘した際に出る”屑石”が主立っている」

「魔石自体の取引はされないのですか?」

「国の法で定められているからな。基準値を越える魔石の取引は処罰の対象にあたる。この基準ではせいぜい親指の爪程度の魔石しか流通は許されていない」

「厳しく定められているのですね」

「ああ、その大きさは精々、貴族たちの装飾品程度にしかならん。それだけ魔石は慎重に扱わなければならないのだ」



 ガイアの言葉を脳裏に反芻させて、アニーは目を細めた。

 魔石は人に悪影響をきたすようなものなのだろう。



 ならば流通を制限しているのも無理はないかもしれない。

 村でも食用の野草に良く似た食害植物を誤って食べて倒れた人間がいる。

 暫くは御触れが立てられた。



 そんなに危険視されるものであるなら定めるまでもない。

 人が手を伸ばすようなこともないと思うが、それだけ扱いに困る代物なのだろう。



「危険なものなのですね」

「ああ……、……と、話がそれたな。まあ、そんな訳で、ちょうど報告にいかなければならない所だったからな。ついでに聞いておく。昼に休憩が一度入るが、その時にでも結論を話す。いいか?」

「はい、ありがとうございます」



 頭を下げてガイアに礼を示したアニーはその場を辞した。

 その正午のことだ。



 アニーがガイアに呼び立てられた部屋には、領主とルーラが揃っていた。

 しかし、国から差し向けられた官僚だけはおらず、どこかで仕事を進めているのだろうとアニーは察した。



「わたくしどもの娘が、どうも我が侭を申したそうで、こちらの騎士様におうかがいしたところ、街への付き添いは問題ないようですが、娘をお願い出来ますかな?」



 にこやかな領主の目尻には皺が寄っている。

 ちらりとガイアをうかがったアニーだが、微かに口元に笑みが浮かんでいるのを見知って、領主に向き直った。

 脇に少しだけ不安そうに見上げるルーラの姿がある。



「承りました」



 一言を告げて、アニーは頭を垂れた。

 顔を上げた先に控えめに笑みを見せて頬を染めたルーラに、小さくアニーも笑った。



「嬉しいわ!」

「さようでございますか」

「ええ、騎士が守ってくれるなんて、まるで物語のようだわ!」



 恐いものなんてなにもないわね。

 照れくさそうに見上げてくるルーラにアニーはどこかほっとした心持ちでいた。



 小さな子供の言う事だと、申し立てせずにいることもできたが、やはりうかがってよかった。

 叶えられるものなら叶えてやりたい。

 そんなアニーの思いは見事に昇華されたのだ。



「どちらに行かれますか?」

「うふふ、実はね、もう決めてあるの!この頃、人気の小物店があるのよ。結び紐や花飾りが可愛いって、有名なの!」

「……どちらで有名なのですか?」



 それはアニーの純粋な疑問だった。

 ルーラは機嫌の良いままに、その質問に答える。



「お父様の所へ時折いらす商人の娘さんがわたしと年近いの。難しい話はわたしたちにはわからないから、二人でいるんだけどその時に教えてもらったの!子供から大人まで出入りしてるんですって。それだけ有名なお店ってことよね!」



 ルーラとの会話を交わしながら、アニーは街中を見渡した。

 賑やかな街だが、店がそれほど混雑している訳ではない。



 ここでならルーラから気を逸らさずにいれば、多少危ういことがあっても、それほど大事にならずには済むのではないか。

 優しげな領主の声音を思い出しながら、アニーはそんなことを思った。



 この平和そうな街で、万が一がないとも限らない。

 どうやら水面下でいろいろと動いていることもあるようだ。



「どちらにあるのか、ご存知なのですか?」

「ええ、ここから南にいった所に、赤と黄の花に彩られた看板があるらしいの。そこがそのお店の目印だって」



 しばらくして着いた店は、どこからともなく甘い香りがする可愛らしい店だった。

 ルーラがつぶらな瞳を煌めかせて、あちらへこちらと歩を進めるのに、アニーもついて回る。

 ちらほら見える他の客もこの店の雰囲気につられてか、どこか色めき立っていた。



 ルーラの明るい笑顔が、アニーの目に入る。

 すっかり楽しげにアニーのことなど気にもかけておけぬ様子で品物を眺め回るルーラを、アニーは微笑ましげに眺める。



 脇にきらりと輝きを放つガラス細工のようなものを目に留めて、アニーはそっと目を伏せた。

 ガイアの言葉が蘇って来たのだ。

 こんなにも安穏に満ちた街で、そのような深刻な事態になっているとは到底信じ難い。



 だが確かに何かが起こっているようだ。

 領主宅で漂う、どこかピンとした空気が、体の芯にこびり付いてる。

 アニーは無邪気に笑うルーラをぼんやりと眺めながら唇を引き結んだ。



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