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希求の女騎士  作者: 鱒味
18/22

12 マンデラ家の末女

 表現法がごちゃまぜになっております。

 苦手な方はあらかじめ、ご了承ください。




 夢を見た。

 恐らくそれは、ずうっと昔の記憶だった。



 アニーは寝起きのぼうっとする頭を抑えながら起き上がった。

 この街でアニーが迎える一日目の朝だ。



 滞在延期の書簡は夕べのうちに街の早馬へ届けられた。

 王都へは二日後には届いているだろうと、アニーに言ったのはガイアだ。



 用意されていた慣れぬ部屋の床に足を踏み下ろしながら、アニーは立派なベッドから下りる。

 毛足の高い絨毯に覆われた床は、一つ歩を進めるだけでも浮遊感に付き纏われるようだ。

 部屋は広く家具も一通り揃えられていて、騎士寮とはまるで別物だった。



 地を踏む感覚が普段とは違い、足がまるで浮いてるようで昨夜からアニーには居心地が悪い。

 薄地のカーテンの窓から僅かにしらじむ光を横目に、アニーは身なりを整えた。



 昨夜の不寝番はガイアが勤めている。

 交代は早めに仮眠をとってもらったほうがいいだろうと、アニーは手早く支度を済ませて扉のノブへ手をかけた。



 カチャリと軽い音を立てるノブを回しきれば、扉はいとも簡単に開ききる。

 扉が閉まるのを横目に、アニーはガイアへと視線を移した。



「早いな」

「…………交代をと思いまして」



 光が差し込んだガイアの瞳は燈色に輝いていた。

 それにふと気付いたアニーは眩しげに目を眇める。

 普段は茶色の系統が濃いガイアの双眸だが、日の光の元ではまるで別物のようだ。



 真っ直ぐに視線を合わせて初めて気付いたが、珍しい目をしているものだと、アニーは心中で眺め入った。

 そんなアニーの心境を知ってか知らずか、少し頷いてガイアは肩を回して鳴らす。



「じゃあ頼む。俺が昼に戻るまで警備を怠るな」

「はい」



 頷いたアニーを一瞥して、ガイアはアニーと入れ替わるようにして部屋へ姿を消す。

 見届けたアニーは黙って官僚に用意された部屋の扉の脇へ立った。



 風が吹いて葉のさざ波が聞こえる。

 人の声は聞こえない静かな廊下だったが、鳥の囁きだけはアニーの耳に届いた。



 ひどく穏やかだと、アニーは一人ごちて腰の剣に手を伸ばす。

 滞在延期の理由がわからないほど静かで、人の叫び一つ聞こえない街だった。



 だからだろうか。

 アニーには何故かこの街が得体の知れない物を内包しているように思えて仕方が無い。

 知らない所で何かが渦巻いている。



 アニーの村で感じた平穏とは又、何かが違うように感じるのだ。

 ぞくりと背筋が泡立つような悪寒に、剣の柄を握り込む。

 日の当たりが良い廊下で一人、アニーはどこか怯えたような顔をしていた。



 何故こんなにも過敏になる必要があるのか。

 自分の心内に首を傾げながらも、アニーはその緊張を緩める事ができなかった。



 ただアニーの中の焦りだけが一人走りする。

 危機感が警鐘を鳴らして、アニーを追い詰める。



(私はただ私の願いの為だけに)



 だというのに、何故こうまで胸騒ぎをするのだとアニーは眉をひそめた。

 胸に手を当ててアニーは一つ息をつく。

 これではまるで願いの大元であるルフに危険が迫っているように感じて、アニーは心の底から不快だった。



 自然と俯く形で傾いたアニーの視界に、小さな茶色の靴がうつりこんでアニーはふと目を細める。

 頭頂部に高い、鈴を転がすような声が届いて、アニーは顔を上げた。



「恐い顔してるのね、騎士さん」



 緩くウェーブをえがいた赤茶色の髪は、肩から腰までリボンが編み込まれている。

 白い肌に深い藍色のつぶらな双眸は少し垂れていて愛嬌があった。



 落ち着いた藍色のドレスの裾は、白いレースが揺れていて、腰を締めた帯紐は黒いつやがあった。

 手を覆う白く薄い手袋がアニーの視界をちらついた。



 全体的に大人びた印象を受ける少女の姿にアニーはしばし逡巡する。

 アニーの脳裏にはガイアの言葉が浮かんでいた。



「お早いのですね。ルーラ様」

「あら、私を知っているのね。うふふ、私ね、王国騎士が来てると聞いて、早く起きて会いに来たのよ!」



 頬を上気させて上がる声音に、大人びた様相から一転して、ルーラはまるで子供のように歓喜を現した。

 その容姿と領主宅に現住している子息はガイアからアニーへ聞かされて把握していた。



 領主マンデラ・コルゼン家にいる6人子息のうち末女ルーラ。

 愛くるしい容姿と無邪気な笑顔が街でも評判だとアニーはガイアから聞き及んでいた。



 騎士に興味があったとは知らなかったが、およそ10歳の年頃の少女だ。

 そういうこともあるのだろうと、アニーは自身を納得させた。



「でも女性の騎士なんて初めて聞いたわ。あなたはなんて言うの?」

「……アニー・ダーザリと言います。ルーラ様」

「ふふ、本当に騎士みたいなのね!」



 仰々しく礼をとって挨拶をしたアニーに、ルーラは目を輝かせて声を上げた。

 頬を上気させて、アニーを窺うように見上げるルーラに、アニーは口元に笑みを浮かべた。

 まだまだ子供らしく、愛嬌のある仕草だ。



 だが子供とはいえ、すっかり仕草は女性らしい。

 ひとつひとつの所作は粗雑さを見せず、只只、優雅で可愛げのあるものだった。



 私ではこうはいかなかったな。



 幼少の自分を思い出してアニーは心中で失笑した。

 けれどそんな素振りをおくびにも出さずに、アニーはただ愛想を振りまくようにルーラに笑いかける。



「私、騎士に色々な話を聞きたくて来たの!ねえ、あなたは王都でどんなことをしてきたの?」



 アニーは無邪気に問いかけてくるルーラを誤摩化すように笑った。

 まさか良い所のお嬢様に、ゲロを吐いた、血を吐いた、肉刺を潰したなどと口が裂けても言う訳にはいかない。



 さてどうしたものかと思いを巡らしながら、アニーはルーラの明るい双眸を眺めた。

 無邪気な本当に明るい目をしている。

 アニーはふと懐かしげに目を細めた。



 昔、こんな目を見たことがある。

 本当にずっと昔の話だけれど。

 そう一人ごちて懐かしそうに、アニーはルーラを見つめた。



「……訓練をしてきました。ずっと、……強くなる為に」



 アニーの静かな声に、ルーラの目が輝く。

 未知の世界に心ときめかせて、拳を握りしめながら心中落ち着かない様子だった。

 ああ、まだまだ子供らしいのだと、アニーは小さく思った。



 そんな良いことではない。

 だがルーラはそんなことすら考えつかない少女で、考えずとも暮らしていける、そういった身分なのだ。



 アニーはそこまで考えて苦笑した。

 自分が考えついたことが本当に馬鹿げたことだとそう思う。

 きっとこういうことに身分は関係ないのだ。



 アニーですら騎士を目指しさえしなければ、訓練の苦しさも、結果の解らない努力も、生涯知ることは無かっただろう。

 そしてそれはルフさえも。

 これは自分の身分へと嫉妬心なのだろう。



「ね、ねえ、じゃ、じゃあ、王女様には会ったことがあるの!?」



 アニーはルーラの言葉にほんの一時、目を丸めた。

 だが直ぐに納得したような面持ちになり、口元を緩める。



 年や身分に限らず女という生き物は、遅かれ早かれ王女に憧れを抱くのだろう。

 ルーラという少女は、平民よりも王女を密接に感じられる身分なのだ。

 憧れもひとしおなのだろう。



 少女の口から出た王女と言う甘い響き。

 胸のどこかが痛むのを、アニーは知らぬ振りをした。



「はい、会ったことはありませんが、見かけたことはあります」

「ほんと?!」

「ええ、騎士になる、前のことですが」

「わ、私ね、お会いしたことないの!式典にも参加したことあるけど、けどそれでも本当にずっと遠くてね。しかも人ごみが高くて、全然見えないの。……ねえ、王女様って、どんな方なの?」



 無邪気に、本当に無邪気に。

 王女への憧れを全身で示す少女。



 アニーはルーラを見下ろしながら、どこか眩しそうに目を細めた。

 自分の本当に子供の頃の姿が、アニーの脳裏に浮かんでいた。



 あの頃の自分は、本当に無邪気だったのだ。

 いま目の前にいる少女と同じぐらいに無邪気だった。

 世界は輝いていたし、やること起こること全てがどうしようもなく楽しかった。



 あのまま、ルフが王女に魂を奪われなければと。

 そんな思いがいつだってアニーに纏わりつく。

 考えても仕方がないことだと解っているのに、アニーは考えることを止めることが出来ない。



 あのとき、あのばしょで。

 ルフが例えば、王女を見なかったら、自分がもし王隊列を見に行こうと言わなければ、ルフが王女に気をとられなければ。



 考え始めたら切りがないことを、アニーは延々と。

 けれどふとアニーは少しだけ別の未来を考えた。

 もし、ルフとのことがなければ。



 私もこの目の前の少女と同じように、いずれは王女に憧れただろうか……?



 返ってくる答えもないのに、そんなことを考えた。

 いつだって、どこだって、返らない答えを、そんなことばかりをアニーは考えるのだ。



「王女様は……」



 忘れもしない。

 あのときの失望、苦み、痛み、苦しみ、嘆き。

 見たくないものばかりだった。



 可憐な花を見たと最初に思った。

 けれどルフを見た次の瞬間に見た、王女の色はひどく、くすんで見えた。

 ああ、自分は、美しい物を、美しいと思えなくなったのだと、そう思った。



 そのときの淋しさを、虚しさを、全てを一緒くたにして、ああ、自分は汚いと。

 確かにそう思ったのだ。



「風に流れる細い金糸の髪が、印象的でした。大きくて、落ちてきそうな、青い、青い、瞳は、きっとどんな宝石でも敵わないでしょう。母が持っていた小さな真珠のように輝く肌がまるでこの世のものとは思えなくて」



 本当にこの世のものでなければ良かった。

 暗い部屋に一人で、自分は酷く、醜い目をしていたことだろう。

 村にいた頃の自分は王女への憎悪が、渦巻く風に巻き込まれる砂のように、吹きすさぶって流れていた。



「可憐な、花のようで……」



 あんなにも奇麗なものを、自分はもうきっと一生そうは思えない。

 それが少し悲しくて、辛くて。

 けれどそれ以上にルフへの思いが汚らしい程に。



「あの頃からもう何年も……きっといまはもっとお美しくなっていることでしょう」



 ルフと、そう呼びかけようとする声が、時折喉に張り付いて出せなくなるのは。

 お前の目が、王女の姿しか映していないから。



 なあ、私は少しはそこにいるのか。

 語りかけることさえ出来ない。

 返ってくる答えが自分を容易く追い詰めると知っているから、告げることができない。



 いつまでもいつまでも、私はきっとお前に縛られて生きるのだろう。

 アニーには、自分がいま上手に笑えているのかがわからなかった。



 けれど目の前の少女が、ルーラが嬉しそうに目を輝かせているから、きっと笑えているのだろうと自分を納得させる。

 酷くドロリとしたものが、胸の奥から溢れるような気がした。



 更新をお待ち頂き、ありがとうございます。

 次回は、本編になります、恐らく。

 又暫くお付き合いくださいませ。

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