11 商業のカーグス街
必要最低限に整えられた荷物。
胸当てと脛を覆うように被せる木製の防具。
部屋に備え付けてあった鍵付きのタンスに、あらかたの貴重品を詰め込む。
闘いに出る騎士には軽装備だが、旅人として通すには重装備な服装をアニーは黙って見下ろした。
任務に従事するにあたって至急された物だが、初めてつけたために勝手がわからない。
アニーは小さな姿見で自分の後ろ姿を一瞥した。
姿見の中の自分と目があって、アニーは直ぐに目を逸らして頬を染める。
誤摩化すように、騎士とはこのようなものをつけるのか、と、ぐるぐると腕を動かしてみる。
こんな所でも自分の浅慮を突きつけられるようで少し恥ずかしい。
アニーは自室で防具の確認しながら、ベッド脇に寄せた荷物を見下ろした。
思い起こせば、それは二日前まで遡った。
「心配するな、一人じゃない」
そう告げたガイアの言葉を簡単にまとめるならば、新人の任務でなくても騎士は基本的に単独行動はしないらしい。
騎士内では常識であったそれを知らず、アニーは一人でいくものとずっと思っていた。
任務にはそれぞれ、それに相応しいと上が判断した人間が付く。
第一部隊にいた新人はアニーよりもずっと前に任務に出ている。
そのなかの一人に世話役としてレイルは指名されたそうだ。
そしてアニーの任務の世話役となるのが、先日訓練から庵所へアニーを連れ出したガイアだった。
わざわざ伝えてくれた上に、必要事項と用意しなくてはならないものを、紙に記して渡してくれている。
支給物を隊舎の部屋まで持ってこられた時は驚いたが、こちらの装備が整っていなければ視察に出向く方にも迷惑をかけてしまう。
騎士団の一員として必要なことだったのだろう。
「用意できたか?」
「あ、はい」
扉の向こうから様子を窺うような気配に、答えを返してベッド脇の荷物を手に取る。
昨夜のうちに用意と確認を済ましておいた。
不備はない筈だが、朝方にも確認をしておけば良かった。
あいにくと時間がないためこのまま持っていくしかないが問題はないだろう。
必ずしも必要なものばかりではない。
既に昨日の時点でチェックは済ましてはある。
念には念をという言葉もあるが、あまりに慎重すぎて行動できなければ意味がない。
元来頭を使ってこなかった人間が、変に周到になろうとすれば、上手く行かないものだ。
アニーはそれにしたって田舎育ちで、策士家には程遠い。
やるせない思いになりながら、ため息を一つ吐いてアニーは部屋の戸に手をかけた。
「お待たせして申し訳ありません。直ぐに」
横の杭を上げて戸を引けば、アニーの目の前には既に準備を整えたガイアの姿があった。
肩には革袋をかけて、使い古された胸当てや脛が、何の違和感もなく纏われている。
ちらりとこちらを見た一瞬で、確認をしたのか。
壁に背を預けたガイアは、ひとつ頷いて、手を振り上げた。
「問題はないな。出る前に地図を見ながら任務内容を確認する。こっちだ」
そう言って寮の食堂へと足を進めるガイアの背をアニーは追いかける。
この時間は昼食の仕込みにはまだ早く、料理人も休憩時間に入っている。
他の隊員達は、任務か訓練に従事していて、人もいない。
人が話すのには丁度良い場所なのだろう。
カタン、と音を立てて座椅子を引いて、アニーはガイアと向かい合うところで腰を下ろした。
それを横で見届けたガイアは脇から、丸められた羊皮紙を取り出して机に広げた。
田舎から出て来た自分にもわかる有名な国の名が記されている。
これは地図だ。
初めて見た訳ではないが、こんな間近にあるのは初めてだ。
自分の過ごして来た国がこのような形をしているのかと目を瞬かせる。
中には自分の知っている山も草原もあった。
「……今回官僚の視察に向かうのは西南地方にあるカーグス街だ。町をおさめている領主の屋敷に暫く滞在する」
地図上の位置を確認するように指でとんとんと抑えながら、着々と話が進んでいく。
警護の位置、時間、領主の屋敷の間取り。
訪れる領主が何人家族で、それぞれがいまどういう暮らしをしているかも詳しく。
およそ一人が有するとは思えない情報がひっきりなしに繰り出される。
財政、名産、文化品、特産、有名な名所まで。
「ここの街に怪しい噂や気配はないが、事によっては刀傷沙汰になることもあるかもしれん」
悩ましげに息を吐いて、ガイアは腕を組んだ。
見下ろした先の大まかな地図では、聞いた話以上の情景は浮かばない。
そういえば、と思い出す。
生まれてこのかた、村を出た事がない自分には、初めての大きな街だ。
王都を除いて、自分は転々と村を移動しながら、ここへ来たのだ。
知らぬ街に、初めての任務で、知らぬ人と出向く。
少しだけ指先が震えるのを、机の影で感じながら、下唇を口内へ引き込む。
自分には果たしてこの任務で何が出来るのだろうか。
緊張と、得体の知れない不安とが、心中で入り交じって、変な汗が背を伝う。
目の前の地図がたたまれて、ガイアが椅子を引く音がアニーの耳を打った。
「行くぞ」
「はい」
騎士団に入っておよそ一年。
任務の為に足を踏み出した王都の空は、見上げた果てにどこまでも広く青かった。
何事も滞りなく、速やかに。
静けさを供にして、予定通りの道を予定通りの時間に過ぎていく。
たまに先を行くガイアに視線を送られて、気にかけられているのだとわかる。
空はどこまでも広く晴れやかに、温もりのある風が頬を撫でる。
若芽が発色よく周囲を照らすので、アニーの心は浮き立つばかりだ。
当然、そんな顔を衆目に晒すわけにもいかないので、終始沈黙を貫いている。
若芽の見える道から、徐々に砂利の敷き詰められた道へ。
人影のない道から、徐々に行商人とすれ違う道へ。
街が近くなってきている。
地図で確認しなくても、そのことは如実にアニーの感覚を浸した。
目的地であるカーグス街に着いたのは、王都を出て三日後のことだった。
野営やら休憩やらをのぞき、ほとんど歩きづめだったせいか、体にまとわりつく倦怠感に一息をつく。
まさか官僚と領主の対話にまで騎士がしゃしゃり出るわけにはいかない。
いまは用意された別室で待機している状態だった。
「疲れたか?」
「いえ……」
椅子へ腰掛けて対面していたガイアに話しかけられて、アニーは曖昧に答えを濁した。
まだまだ仕事が終わったわけではない。
別室とはいえ隣室には官僚と領主がいるのだ。
異常があれば直ぐに向かわなくてはならない。
これも仕事の延長上なのだ。
勝手に息抜きするのも考えものだな。
そう一人ごちて、アニーは姿勢を正した。
現に目の前にいるガイアは椅子に腰掛けているとはいえ、剣を片手にいつでも動ける状態だ。
気を緩めるのは騎士にあるまじき事なのだろう。
ガイアの背の大きな窓からの強い陽光に目を細めて、アニーは心中で息を吐いた。
ここは酷くゆっくりと時が流れているようで、あまり落ち着くことができない。
王都で訓練漬けだったこともあり、体が運動量の変化に応じてくれないのだ。
耳を澄ませて隣室の様子をうかがってみるが、至って緩やかに話し合いは進んでいるようだ。
時折、笑い声が漏れてくる。
官僚をわざわざ出迎えた領主は、随分と人が良さそうな男性だった。
始終にこにこと笑みをたたえていて、低めに声で愛想がないわけでもない。
長旅の労をいたわり、騎士への別室の配慮も迅速だった。
「そろそろだな」
ガイアの声に知らずに俯いていた視線を上げる。
確かに話し合いは終わったようで、背中に届いていた密やかな声は途絶えていた。
背中にかちゃりとドアが開く音が届いて、アニーは椅子から腰をあげる。
ガイアが官僚の元へ歩を進めるのにアニーも続いた。
顔を上げれば領主と目が合い、小さく頭を下げる。
官僚の背に付かず離れず歩幅は一定。
無駄な所作などなにもない。
必要最低限なことを必要最低限に。
事が起こっている訳でもないのに、最大限の緊張と警戒を持っていても仕方が無いのだろう。
自分にもいつか自然にこういった事が出来るようになるのだろうか。
それが随分と遠い事のようにアニーは感じた。
「滞在を延ばす」
部屋について直ぐに、官僚はこちらを振り向いてそう告げた。
沈黙で答えを返すガイアの背に隠れて、戸惑うようにアニーはすがる目を投げつけた。
領主宅には三日の滞在との話だった。
急にこのように滞在を延ばすことはありえるのだろうか。
もしや延ばさなければならない事態に、この街は見舞われているのだろうか。
アニーはそんな思いで息を呑んだ。
この街はアニーの目から見て平和そうだった。
立ち並ぶ店は活気に満ちて、賑やかなさざめきが街に満ちている。
「……了解しました」
「王都へ報告の旨を示した書状を書く。書き上げ次第、街の早馬へ届けるように」
「はい」
心中で戸惑うアニーを置いて坦々と話は進む。
ひとしきりの話が終わったのか、官僚はカタリと部屋に備え付けられた文机に腰をかける。
顔を背けた官僚の姿が、ガイアの肩越しにアニーの目に映った。
「書き上がったら呼ぶ」
その一言にガイアの足が動く。
目で扉を示すのを感じ取り、アニーは黙って扉を開けて退室した。
背中からガイアもついで出てくる。
扉がぱたりと閉まるのを見届けて、ガイアは浅く息を吐いた。
アニーの視線に気付いて、顔を顰めて誤摩化すように、口元は笑みを飾る。
「いまの話は聞いたな」
「はい」
「滞在が長くなったとはいえ、やることは変わらない。当初話した通りにするように」
「……はい」
「今夜の部屋の警護はおれがやる。明日はお前がやれ。いいな」
「わかりました」
頷いた言葉に安心したように頷いたガイアは、話をやめて扉の脇へ待機する。
アニーもガイアに倣うようにして背筋を伸ばす。
こんなに大きくて屋根が高い建物は見た事が無い。
アニーは一人ごちて通って来た道を思い返して、心中で感嘆の息を吐く。
人が住むためのものとはとても思えなかった。
アニーの故郷は生活できる為の必要最低限さえあれば良かった。
花を飾る花瓶も絵画も必要なかった。
過ごして来たアニーの生家は、まさしく生きる為の家だった。
この屋敷がまるで人の気配も感じないようで、アニーは変な焦燥感に苛まれる。
何故こうまで必要ない物があるのだろう。
自分には必要なかったものに囲まれて、当たり前に過ごしている。
通って来た道も確かに賑やかで、安寧に満ちていた。
けれどアニーには彼らの笑みがまるで遠い夢のことのように感じた。




