01 はじまり
残酷な描写あり、の警告タグは保険でつけてあります。
一人称で進む連載なので、苦手な方は、あらかじめご了承ください。
少し、話をさせてもらおう。
哀れで愚かで、しかし幸せだった女の話を。
平民に生まれて、平民に育ち、至って平凡な人生を過ごす。
普通に過ごしていたなら、私は、そんな人生を遂げていた筈だ。
私には幼なじみがいた。
遊ぶのが一緒なら、怒られるのも一緒。
笑うのが一緒なら、泣くのだって一緒だった、そんな幼なじみが一人。
家が隣同士で、親の親交も厚かった私たちは、まるで兄弟のようだった。
至って平凡な村で、そんな村が王国陛下たちの訪問先に選ばれたのは、本当に奇跡に近かった。
王国陛下たちは、未だ小さな王女を連れて、この村に訪問しにきたのだ。
当時まだ幼かった私たちは、当然、好奇心が豊富で、恐い物知らずだった。
村の皆が敬意を払って頭を垂れる列に、身体を押し込みながら、その王国陛下たちを見に行ったのだ。
国王と女王は、麗しかった。見るも鮮やかな衣を纏い、厳かに村の皆に視線を寄越して、微笑んでみせる。
だが、それよりも、ああ、村の皆も、目を奪われていたに違いない。
国王と女王の間に、未だ幼い王女の姿に受けた衝撃は、計り知れない。
ふわりと風に攫われそうな柔らかな金糸。大きくいまにも零れ落ちそうな碧玉。真珠にもまさる清廉な肌。
なんと美しく、可愛らしい王女であるのか。
そう感じたのは、当然、私だけでは無かった。
ふと隣の様子が気になって、覗いてみれば、それは明らかにいつもと様子が異なっていた。
「なあ、奇麗だな、」
そう告げようとした言葉を呑み込んで、私は目前のそいつに話しかけることを躊躇った。
呆然と、息まで奪われたかのように、王女を見つめ続けるそいつが私には一瞬、理解できなかった。
否、したくなかったのかもしれない。
幼いながらに私はそいつが王女を見つめる意味を、悟ったのだ。
その一日を過ぎてからだ。
あいつが変わった。
四六時中、ぼうっとするようになって、遊びに誘っても、話しかけても、何も返してくれない。
それが王女が原因だとわかっていて、私は抱えきれないほどの感情を持て余すのに、何一つあいつにはぶつけてやれなかった。
「王女様は凄く可愛らしかったわねぇ、あんたもちょっと王女様を見習ってみたら?」
そう笑う母親の顔を見たくはなくて、それ以上聞きたくはなくて、机を叩いて遮ったこともあった。
王女があいつを変えたのだ。
悔しくて、寂しくて、ただあのお美しくも可愛らしい尊顔を思い浮かべれば、納得するしかなかった。
私はあいつの想いが痛いほどわかってしまった。
あれから、王国陛下が村を訪問することは無かった。
王都で王女が成長するとともに、私たちもまた成長していく。
気付けば幼なじみは、年頃の青年へと成りを変えていった。
「なあ、」
そう問いかける私の声に、あいつは今日も返事をくれない。
あの日から、まるで魂を抜かれたようなその姿に、私は小さく唇を震わせた。
至って平凡な村に、転機が訪れたのは、それからまた暫く経った頃だった。
王都で大掛かりな王国直属の騎士団員の募集がかかっているらしい。
期間は長く、三月。
こんな村にまで届くほどの報せに、私は母の声を聞きながら、腰を上げた。
「なあ、知っているか」
問いかける声にあいつは気怠げに振り返った。
王都のある方向へ真っ直ぐと向けていた視線を、一身に受け止めながら、震える唇が、自身の心にそぐわぬ言葉を告げる。
「王都で王国直属の騎士団員を募集してる。それに受かれば、王女様のために働けるかもしれない、王女様を守れる存在になれるかもしれない」
僅かに開かれた目に笑いかけた。
お前のそんな顔を本当に久しぶりに見た気がする。
「なあ、一緒に受けにいかないか」
幼なじみに手を差し伸べて、小さく笑う。
その手に、幼なじみが触れたときに、私は本当は泣きたかった。
それでもその手を握り返して、もう一回、
「行こう、」
私は確かにそう笑ったんだ。
王都までの道なりは、問題なかった。
ちょうど村にきていた行商人について、私たちは王都へと向かった。
あいつの親は、特に反対もせず、送り出したそうだ。
私の親は泣きながら、
「何であなたが行くの、何で騎士なんかに、」
そう最後まで怒鳴っていた。
それでも旅立つ朝には、長旅には十分な金子を持たしてくれて、送り出してくれた。
「剣は王都で買おう、」
幼なじみに、そう告げて、村で見つけた長い棒で剣の真似事をした。
最初のうちは、私を気にかけてか、戸惑ったように避けるだけに終止していた幼なじみは、私が本気で撲殺しようとしている気配に、じきに打ち返すようになってきた。
王都につけば、私たちのような、素人気触れの剣士はいないだろう。
そう思ったから何が何でも人に向かうことに慣れなくては、とそう思った。
一日が終われば、翌朝は筋肉痛に悩まされたが、それでも身体を動かし続けた。
幼なじみが馬鹿にされることのないように、少しでも騎士になれる確率を上げるために、私は毎夜、幼なじみを撲殺しようという気で奮闘した。
次第に、殺気らしきものも感じれるようになった幼なじみは、寝込みを襲う私にも対応できるようになった。
打ち返しに容赦の無くなった幼なじみの動きは、私の身体に傷をつけるようになった。
色濃くなった痣に、王都へと連れて行ってくれる行商人は、心配げにどこか腹立っているかのように、怒ってくれた。
王都への道が、あと半分にかかった頃には、包帯だらけになった私の身体は、村を出て来たときよりも、逞しくなったように思う。
幼なじみは物思いにふけることも少なくなり、己の鍛錬に集中するようになった。
毎夜の打ち合いも、最初の頃に比べれば堂に入ったものだ。
「なあ、」
鍛錬のあとに声をかけた私に、幼なじみは棒を持って振り返った。
襲いかかるかを確かめるように一瞥して、棒を下ろす様子に私は笑った。
あの幽鬼のような、何を話しても、何も返事を返してくれないときよりは、ずっといい。
王女を守れるのだ、もしかしたら、一目もう一度会えるかもしれない。
そんな思いが手に取るように慮れて、私はまた棒を取る。
私も少しは逞しくなった。
傷だらけの身体の代わりに、少しの強さを手に入れた。
今日もまた、私は棒を振り上げる。
幼なじみを撲殺しようと、本気で立ち向かう。
私を本気で屈服させようと、幼なじみもまた棒を片手に向かってくる。
王都まで、あと一日ほどだそうだ。
幼なじみは目に見えて嬉しそうに鍛錬をする。
最終受付期間まで、あと半月。
王都について剣を買ったら、あと半月は剣の扱いになれるために使おう。
少しでも、騎士になれる可能性をあげるために、棒を片手に今日も向かってくる幼なじみに応戦しながら、そう考えた。
王都について、真っ先に剣を買った。
「さあ、」
幼なじみに鋭い刃先を向けながら、私は告げる。
戸惑った様子の幼なじみは、初めての凶器に複雑な心境のようだ。
それに戸惑っている暇はないと言わんばかりに、私は剣を幼なじみに振り上げた。
殺す気で、その首元に一直線に、剣は向かっていく。
鋭い音を立てて、金属の擦りあう音が聞こえて、私は笑った。
そうでなくてはならない。
剣に馴れるために、何度も、何度も、それを振るった。
幼なじみの身体を斬り付けて、また私の身体も斬り付けられた。
最終受付期間に、幼なじみと二人で、王城に向かった。
門番に恐らく騎士の鍛錬所らしき所に通されて、幼なじみと別れる。
試験が一緒に受けれるわけではない、ここからは別行動だ。
試験はぼろくそだった。
こんなにも実力が違うものか、と私は笑いが抑えられなかった。
幼なじみの様子が気にかかりながらも、私は模擬剣を手放せなかった。
こんなにも実力違いの相手にあいつはどうしているだろう。
打ちのめされていないだろうか、心が折れてはいないだろうか。
そこまで考えて、幼なじみの目が、ちかちかと脳裏に走る。
あいつが試験に受からないなど、信じられない。
私はそれを、一番近くで見に来たのだ。
幼なじみにやられたときよりも、酷い痛みが身体を襲う。
それでも立ち向かった。
あいつは受かる。
私が受かるならば、あいつが受からないなどありえない。
幼なじみの騎士になる確率を、少しでもあげようと、私は模擬剣を離さなかった。
幼なじみと私との最後の縁に縋るように、模擬剣はどれだけ床に打ち付けられようと意地でも手放さなかった。
実力違いはとうに解っている。
剣を持って半月で、一体なにができる。
私に出来ることは、ただがむしゃらに、相手に食らいつくことだけだった。
いつしか見物人が立ち上がって、轟音を発していた。
私の身体に相手の剣が入るたびに、立て、行け、頑張れ、などという声が凄まじい勢いで、私の意識を繋ぎ止める。
だがそんな声援虚しくも、模擬剣を持つ手が緩んでいくのが解る。
もう限界なのかもしれない。
意識は朦朧として、私はそんなことを考えた。
体中が痛いし、熱いしで、もう一歩も動けない気がする。
それでも幼なじみの村でのあの目が、私を諦めさせない。
腕からいつの間にか滑り落ちていた包帯を握りしめて、模擬剣と手を縛り付ける。
まだ大丈夫。
息をしている、心はそんなに苦しくない。
身体が辛くても、心だけは、まだやれる。
私は、精神力だけで立っていた。
もう攻めることは出来ないが、相手の猛攻に立ち向かうだけなら、まだやれる。
そこから先は、私の記憶には残ってはいなかった。
目覚めたときには清潔感のある部屋のベッドで寝かされていた。
奇麗な女性が、目覚めた私に気付いて、気遣わしげに声をかけてくれた。
ああ、私は気を失ってしまったのだと、そこで悟った。
力なく笑った私に、女性は髪をかき分けて、ひっそりと告げた。
「受かったわよ、あなた」
その時の驚きといったらない。
私は受かった、受かったのだ。
だったら、幼なじみも、私の幼なじみもきっと、受かっている。
そう喜びに打ち震えながら、私はただ女性の言葉をかみしめた。
幼なじみに会ったのは、それから三日ほど経った日だった。
私のことを聞きつけて見舞いに来たらしい姿を見て、私は笑った。
「酷い傷だな」
そう神妙な顔で告げたそいつに、私は今度こそ、可笑しくって腹を抱えた。
幼なじみの傷だらけの顔と来たら、歪に膨れ上がって、見れた物じゃない。
どうやら、幼なじみも幼なじみで、鍛錬した時以上に痛みつけられたらしい。
「お前ほどじゃない、」
そう言い返せば、幼なじみは顔をしかめた。
「ベッドから降りられない奴がよく言う」
それもそうだと、また可笑しくって、腹を抱えた。
痛みに身体が震えるが、大したことじゃない。
目尻の涙は、笑いと痛みに滲んだように見せかけて、私は幼なじみとの掛け合いを楽しんだ。
ようやくだ。
やっとお前と話せた。
それが嬉しくて、涙がぽろぽろと溢れているのだと、お前は一生知らなくていい。
しかめっ面で私と向き合う幼なじみに、私は小さく嗚咽を呑み込んだ。
他の連載がまだ全然進んでいないというのに、ネタが浮かび、萌えあがってしまった新連載です。
っく、なんて情けないというのか。
なにはともあれ新連載をよろしくお願いします。