↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
猫が隠した星 〜楽園に行く前に、片付けることがある人たち〜  作者: Junbi
本編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
21/33

第十六幕 最後から二番目の男

 僕は、空き地に大きなテレビを置いて映画を見ていた。あと、ソファと机と冷蔵庫、そして灰皿も並べていた。


 どれも僕のものではない。だれのものでもないと言い切るには、まだすこし早い気もしたが、取りに来る人間はいなかった。


 電源も、どこかから適当に引っぱってきた。


 テレビの下には、黒く焦げた基礎の跡があった。草のあいだから、曲がった金具や、割れたタイルや、燃え残った木片がすこしだけ出ている。


 昔、ここに家があったころの名残だった。今では屋根も壁もなく、雨はそのまま落ち、風は好きに通った。


 ソファのまわりには、VHSのケースや、DVDのパッケージや、フィルム缶や、酒瓶や、菓子の袋が散らばっていた。


 机の上には、映写機と、ビデオデッキと、何台かの再生機が並んでいる。


 新しいものから古いものまで、使えるものはなんでも使った。フィルムでも、テープでも、ディスクでも、データでも、映画なら、ほとんど見た。


 足もとに転がった古い映画の箱には、今でも大勢の人間が写っている。


 走ったり、笑ったり、泣いたり、銃を構えたり、抱き合ったり、喧嘩したり、だれかをにらんだり、遠くを見たりしている。


 そこに描かれている人たちは、まだ自分の扉を知らなかった。


 僕は、となりに座っていたカヂルグミに聞いた。


「向こうに映画はあるの?」


「あるよ」


 カヂルグミは、あまり迷わずに答えた。


「新作は?」


「もちろん」


「こっちの映画も?」


「あるよ」


「失くなったやつは」


「あると思う」


「燃えたフィルムは」


「ある。だれかが作って、途中で作るのをやめたやつも」


「便利だね」


「うん」


「でも、向こうには映画よりすごい娯楽があふれてるんだろ?」


「そうだね」


 カヂルグミはタバコに火をつけて、うなずいた。


「強い体験ができるものなら、いくらでもあるよ」


「強い体験ねえ」


「興味ある? 映画の世界に入れるし、結末を変えられるよ。見たい場面だけを、見たい濃さで扱うこともできる」


「楽しそうだな」


「楽しいよ。ちょっと行って、体験してきなよ」


 僕は軽口には付き合わず、タバコに火をつけた。


「向こうで、映画を見る人なんているの?」


「いるよ」


「いるかなあ」


「いるよ。映画として見たい人が、映画として見るよ」


「わざわざ平べったい映像を見るの?」


「うん」


「見るかなあ」


「映画じゃなくて、映画のサントラを聴いている人もいるだろ? 似たようなもんだよ」


「ああ」


 僕は思わず納得してしまった。たとえがうまくなったな、と思った。


 カヂルグミはタバコを灰皿の縁に置き、冷蔵庫のまえまで行った。それから、勝手に扉を開けた。


「お酒は?」


「ないよ」


「まえはあったよ」


「まえに君が飲んだんだよ」


「ああ」


 カヂルグミはうなずき、冷蔵庫のなかをあさりはじめた。


 冷気が、焦げたコンクリートの上を流れた。


「ああ、ところで」


 カヂルグミは、冷蔵庫に入っている缶を雑に動かしながら言った。


「君が最後になったよ」


「なんの」


「まだ、ここに残ってる地球人」


「そう」


「驚かないんだね」


「まあ、それで状況が変わるわけじゃないしね」


 カヂルグミは冷蔵庫から缶を一本取り出し、表示を読んでから戻した。


 それから冷蔵庫を閉め、灰皿のタバコを取り上げて、ソファに戻ってきた。


 タバコの灰は、まだ落ちそうで落ちなかった。


「どんな人だったの?」


「君のひとつまえまで残っていた人?」


「うん」


「死ぬまで、扉のことを避けてたよ」


「なんか、いたよね。バイクに乗って扉をくぐろうとして、先にバイクだけ行っちゃった人。あと、料理の失敗した回数にこだわっている人とか」


「いたね」


「あれと同じ?」


「共通点はあるね」


 映画のなかでは、男が駅のホームを走っていた。


 こちら側にまだ人がいたころ、駅のホームでは、よく人が走っていた。走らなくてもいいことのほうが多かったはずなのに、みんな、なにかに間に合おうとしていた。


 カヂルグミは煙を吐いた。


「その人がいた場所には、最初、十人くらい残ってた。村でも、教団でもなかったよ。ただ、行かなかった人たちが、同じ場所に集まってただけ」


「なんか聞いたことあるな」


「まえに話したよ」


「そうだっけ?」


「怒っている人。悲しんでいる人。だれかを許せない人。自分の罪を、そのまま持っていたい人。向こうで楽になることを、逃げることみたいに感じていた人。そういう人が残ってた」


「面倒くさそうだな」


「面倒くさかったよ。悪い人たちじゃなかったけどね」


「その人たちは、君をどう扱ったの」


「どうって?」


「君は扉の手先だろ?」


「悪意があるな」


「事実だろ」


「神父さんって呼ばれてた」


「神父?」


 僕は聞き間違いかと思った。


「うん」


「神父じゃないだろ」


「神父ではないよ」


「なんで?」


「名札に、ブラザーって書いてあったからじゃない?」


「あだ名か」


「悪い気はしなかったよ」


 共同体は、カヂルグミを悪魔としては扱わなかったらしい。だからといって拝んでいるわけではなかったし、彼の話も聞きたがってはいなかった。


 ただ、カヂルグミはうそをつかないし、手続きも知っている。


 発電機や配線の知識もあり、壊れた屋根も簡単に直せた。緊急時には飛行機も飛ばせた。


 邪険にしたり、追い払ったりするには、すこし便利すぎる存在だった。


「こき使われたよ」


「へえ」


「発電機が止まったとか、熊を追い払ってこいとか、薬や湿布を取ってこいとか。お産も頼まれたよ」


 僕はタバコを吸う手を止めた。


「え、子どもを取り上げたの?」


「うん」


「すごいな」


「僕も、そう思った」


「便利屋どころじゃないな」


「神父でもないしね」


 カヂルグミは、笑うでもなく言った。


「その取り上げた子が、最後の子」


「ネタバレが早いな」


「男の子だったよ」


「子守りもしたんだろ? 幼体の扱いなら、君はちょっとしたもんだしな」


「子守りは好きだけど、させてもらえなかったよ」


「なんで?」


「子どもは扉が好きなんだよ。開けたり閉めたりするのが好きだし、扉の向こうに好きなものがたくさんあったら、そのまま行っちゃうだろ?」


「勝手に扉をくぐるかもしれないって?」


「失いたくなかったんだと思う。子どもが、ふっと行ってしまいそうで母親が怖がってたんだ。それで扉とセットで、僕には近づくなと教えられてた。だから彼も、小さいころから僕のことを避けてた」


 僕は、その母子のことを想像しながら、灰皿に灰を落とした。


 灰皿は、割れたタイルの上に置いていた。こぼれた灰は、黒い目地に混じって、すぐ分からなくなった。


 映画のなかの駅は、人でいっぱいだった。


 画面の端の人間にも、それぞれ行き先があるように見えた。階段を上る人、売店に寄る人、柱のまえで待つ人、なにかを落として振り返る人。


 けれど、その人たちの行き先まで、映画は追わなかった。


「その子のそばには、ずっと母親がいた。母親は、自分の怒りを大事にしていた人だった。自分が向こうへ行くことにも、最後まで抵抗していたし、息子を連れていかれることも怖がっていた。本当に、ずっとそばにいたんだ。トイレにもついて行った。寝るときも同じ部屋にいた。ひとりになると、扉に近づくかもしれないと思っていた。あと、僕が子どもに話しかけるとも」


 母親は、子どもにしつこく言い聞かせつづけた。


 こっちで生きるんだよ。


 痛みも苦しみも、こっちにあるものだから。


 向こうへ行ったら、人生を見失うことになる。


「大人たちは、ひとりずついなくなった」


「死んだの?」


「死んだ人もいる。くぐった人もいる」


「へえ」


「最後に残ったのが、その親子。でも母親は年を取り、病気になった。身動きが取れなくなって、ずっと息子についていることはできなくなった」


 カヂルグミは、言葉を探した。


「ある日、その人が外から戻ると、僕が家にいて、母親を抱えていた」


「君が?」


「うん。母親の扉が出ていた。でも、母親は自分で動けなかった。僕は保護搬送として、体を支えていた」


「神父さんが母親を抱いていたわけだ」


「うん」


「嫌な場面だな」


「血の気が引いた顔に見えたよ」


 カヂルグミは、画面ではなく、自分の手のあたりを見た。


「母親は言ったんだ。あんたも一緒に来るんだよ、って」


「ずっと近づくなって言ってたのに」


「うん」


 カヂルグミは、灰皿の灰を見た。


「最後だけ、反対のことを言った」


「男の扉は?」


「出なかった。僕は説明したよ。母親を抱えたまま、できるだけていねいに。最初に地球で話したことと、ほとんど同じ内容を。病気も、老いも、こちら側のようにはつづきません。扉は本人のものです。無理に通過させることはできません。向こうでは、痛みや苦しみは消えるのではなく、壊れない形に変わります。そういうことを話した」


「男は?」


「行かない、って言った」


「はっきり?」


「痛みも苦しみも人生だから、って」


「母親の言葉だ」


「うん」


「母親は?」


「泣いていた。違う、違うんだよって、何度も言っていた。なにが違うのかは、うまく言えていなかった」


 カヂルグミは灰を落としてから、静かにつづけた。


「母親は、僕に抱えられたまま、必死に説得した。お前を、ひとりにしたくないんだ。一緒に行こう。もう近づくなとは言わないからって」


「きついな」


「うん」


「母親は?」


「くぐれなかった。息子を置いていけなかったんだと思う」


「死んだの?」


「数日後に」


 カヂルグミの声は、すこし小さくなった。


「その人は、母親をていねいに葬ったよ。墓を作って、名前を刻んだ」


 母親は扉を拒み、最後には息子を扉へ誘った。


 自分が教えた言葉を否定しながら、それでもこちら側に墓を残した。


 息子は、その全部を抱えたまま、ひとりで残った。


「そこから、最後までひとり?」


「うん」


「神父さんは?」


「一緒にいたよ」


「クソの始末まで?」


「そこまで弱るまえに死んだ」


「話は」


「すこしした。扉の話は嫌がられたから、ほとんどしなかった」


「最後は病気?」


「そう。風邪をこじらせた」


「扉は」


「出なかった」


「最後まで」


「うん。最後まで」


「君は説明した?」


「したよ。短く。母親にも会えるかもしれない。苦しみは、こちら側のようにはつづかない。そう言った。肺炎も治るよって」


「男は?」


「母親の墓に話しかけていた」


 近づくな。


 その言葉は、子どもを守るために強くなった。母親が、息子を失いたくなかったからだ。


 けれど、母親は最後に、別のことを言った。


 違う、違うんだよ。


 近づくな。


 違う。


 近づくな。


 違う。


 男のなかには、近づくな、のほうが残った。


「そして死んだの?」


「うん」


 カヂルグミは、画面を見たまま言った。


「そして君が最後になった」


 僕はテレビを見た。


 映画のなかには、まだ人間がたくさんいた。駅で走る人も、売店の列に並ぶ人も、電話をかける人も、電話を取らない人もいた。


 彼らは二時間もしないうちに、きれいに作られた結末へ向かう。


 こちら側の人間は、そうはいかなかった。


 病気になり、老い、死に、働き、争い、泣き、怒り、なにかを失うたびに、それを人生と呼んでいた。


 その人生は、とっくに終わったはずだった。けれど、終わったはずのものを、最後まで大事そうに抱えていた人たちがいた。


「これで、君の話も終わりか」


「あとひとつ、変な話が残ってるよ」


 僕は、またタバコに火をつけた。


 こちら側で映画を見るのは、贅沢だった。サントラを聴くのとは、まだ違う。


 僕はまだ、こちら側の席に座っていた。


 菓子の袋が足もとで鳴り、冷蔵庫が低く唸る。風が吹けば、焦げた基礎の上を灰が動き、画面は一瞬乱れて、肝心な場面の顔がすこし崩れる。


「酒、ないんだね」


 カヂルグミは、勝手に冷蔵庫を開けたくせに、結局なにも飲まずに座っていた。


「ないよ」


「今度は持ってくるよ」


「ついでにタバコも頼むよ」


「うん」


 僕たちは、そのまま映画を見た。


 映画のなかには、まだ人間がたくさんいた。


 灰皿には吸い殻が増えていた。どれが僕のもので、どれがカヂルグミのものか、もう見分けがつかなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。