序幕 道に迷いました
宇宙では、病も老いも死も、貧困も争いも孤独も怒りも悲しみも、ずいぶん前から無害化できるものとして扱われていた。
完全には消し去れなくても、それに振り回されたり、ひとつの生涯を食い荒らされたりしない程度には無害にできた。
それくらい、宇宙の隣人たちは賢く、豊かだった。
それに、親切だった。宇宙に生きる知的生命たちは、その賢くて豊かなやり方を惜しみなく分け合っていた。誰でも自由に使えた。
けれど地球だけは、その親切から外れていた。
地球人が差別されていたとか、程度が低かったとか、そういう理由ではない。もっと根本的な理由だった。
三匹の猫が、地球を宇宙の盲点に置いていたからである。
地球人は、何も知らなかった。
自分たちの星が隠されていることも、三匹の猫のことも、宇宙では不幸がすでに古い問題になっていることも知らなかった。
知らないまま病気になり、老い、死に、働き、争い、泣き、怒り、何かを失うたびに、それを人生と呼んだ。
その人生が、ある日、とつぜん終わった。
ブラザー・カヂルグミが、地球を見つけたからである。
偉大なる教団から派遣された信徒は、僕たちの問題をいっぺんに解決した。病気はなくなったし、痛みも消えた。腹は減らなくなったし、老いは以前ほど恐ろしいものではなくなった。死も、終わりではなくなった。
会いたい者にはいつでも会えるようになり、失くしたものは戻った。戻らないものについても、戻ったのと同じくらいの充足が用意された。地球人が楽園と聞いて思い浮かべるものは、ひと通り僕たちの前に積まれた。
「どうして、もっと早く来てくれなかったの?」
誰かが、積まれたものをひとつずつ検めながら尋ねた。
救われた者だけが言える、たいへん身勝手な質問だった。
ブラザー・カヂルグミは、困ったように眉を下げた。
「途中、道に迷いました」
笑い声が、そこら中にこだました。
宇宙規模の救済が、道に迷って遅れた。
僕たちは、そのことをもっと厳しく問いつめることもできた。
けれど、そのころには僕たちのお腹はいっぱいだった。つらいことはひとつもなかった。痛いところもなかった。疲れてもいなかった。
会いたかった者はとなりにいて、自分と同じように幸福そうだった。怒りや悲しみも、以前のように人を壊す力を失っていた。
だから僕たちは、ぜんぜん平気で笑っていた。
こうして地球人は救済され、自分たちが空想していた以上の幸福を手にした。それは、ある日、地球を見つけた異星人が、善意でよこしてくれたものだった。
はじめのうちは、自分たちの救われ方を情けなく思い、僕たちのまわりではぶつくさと文句が絶えなかった。わがもの顔で地球を歩きまわっていた連中も、どうしてだか不満そうに眉をひそめていた。
それでも僕たち地球人が、自分たちのことを許すのに、そんなに多くの時間はいらなかった。
まばゆい文明の光。使い切れない富と宝。不安や争いとは無縁の生活。うそいつわりない人々に囲まれる日々。
そういうものの中で、文句は自然と聞かれなくなった。そのうち、文句という言葉すら聞かなくなった。眉間のしわも、たいへん珍しいものになった。
これでおわり。おしまい。
地球人の苦難の歴史は、これですべておわり。
めでたしめでたし。
諸事情によって間延びした、ひどい話だった。




