幕間一 隠れ家
ひどい話について、その仔細を語ろうと思う。
終わりがあったなら、始まりもあった。地球人の苦難の歴史、間延びした諸事情、その後の敗戦処理について、順を追って話す。
始まりは三匹の猫だった。
むかしむかし、あるところに、不自然な猫が三匹いた。
真っ黒いのが一匹と、茶トラが二匹。
見た目は普通の猫で、岩の上で眠り、日向で腹を出し、獲物のにおいに鼻を動かし、気が向けばだれかの足もとをすり抜けた。
なにも知らない者が見れば、ただの猫だっただろう。
それでも、彼らは猫ではなかった。
猫の姿をしていた。猫の重さを持っていた。猫のやわらかさも、猫の眠たげな目も持っていた。
だが、猫という入れ物に収まっているだけで、中身はまったく別のものだった。
ここで、すこし宇宙について想像をめぐらせてもらいたい。
宇宙はべらぼうに広い。
真剣に考えはじめると、日常生活に支障が出るくらい広く、そしてそのべらぼうに広い宇宙には、数えきれないほどの知的生命体がいる。
地球人が想像する「たくさん」を全部足して、それをいったんゴミ箱に捨てても、まったくこと足りるくらいにいる。
そのなかで、偉大なる教団の庇護を拒む知的生命体は、いったい何人いるだろうか。
無償で差し出される無限の愛と富、飢えのない世界、痛みのない肉体、石が素直に出力される楽土。
それをまえにして、首を横に振る者はまずいない。
答えは、ほとんどゼロである。
ほとんど、という言葉は便利だ。
実際には、三人いた。この広大な宇宙に、楽土行きを拒んだ知的生命体は三人だけいた。
しかも、三つ子だった。
ほとんどひとりと言ってもいい。
この宇宙にたった一組だけ存在する、反楽土主義者の三つ子。
その三つ子が、よりにもよって、僕たちの地球にやって来た。
信じがたい偶然だった。
いや、偶然と呼ぶには、あまりに不運である。
彼らは、黒猫一匹と茶トラ二匹になって、地球に住み着いた。
偉大なる教団の庇護から離れ、楽土の声が届かず、愛と富と善意が押し寄せてこない、みすぼらしくて騒がしい星を、自分たちの隠れ家にした。
そのころの僕たちは、まだ人間ではなかった。
未来の地球人などと呼べば立派だが、実際のところは、ほとんどサルだった。
みっともなく、騒がしく、よく汚れ、木の実を拾い、石を投げ、気に食わない相手を小突き回し、気に入った相手にも小突き回された。
それでも、有象無象のサルたちのなかでは、僕たちは抜きん出ていた。
手先が器用だった。火に興味を持った。死者を見て、しばらく黙ることができた。夜になると、星の並びをむちゃくちゃな理屈で獣や顔に見立てた。
つまり、まもなく知的生命体として扱われるはずのサルだった。
本来なら、そこから先は早かった。
宇宙には、そういう段取りがある。知性が芽生え、石がそれに見合う形を取りはじめた種族は、やがて偉大なる教団に発見される。
そして、しかるべき案内を受け、楽土へ近づいていく。
そのころの僕たちは、まだ案内を受け取るにはすこし早かったかもしれない。
それでも、見つけてもらえさえすれば、あとは宇宙の段取りに乗れたはずだった。
けれど、三匹の猫がいた。
真っ黒いのが一匹と、茶トラが二匹。
猫たちは、地球に勝手な覆いをかけた。
救済済みなのか、救済対象外なのか、そもそも知的生命体がいないのか。
外から見れば、そのあたりが曖昧になるような、雑だが効き目のある覆いだった。
地球は壊されたのではなく、見つかりにくい場所へ置かれた。
それから猫たちは、サルたちの近くに現れた。
空が割れたわけでも、大地が燃えたわけでもない。
ある日、いたのである。
木の根もとに黒猫がいた。岩の上に茶トラがいた。もう一匹の茶トラは、まだ温かい獲物のそばで眠っていた。
サルたちは最初、石を投げようとした。
何匹かは実際に投げた。
けれど、石は猫に届かなかった。
黒猫へ向かって飛んだ石は、途中で急に重くなったように落ち、茶トラを狙った石は、投げたサルの足もとへ戻ってきた。
跳ね返ったわけではない。
投げたはずのものが、最初からそこにあったみたいに転がっていた。
大声を出したサルもいたが、その声も届かなかった。
喉は震えていた。口も開いていた。
なのに、声は外へ出るまえに喉の奥でつぶれた。叫んだサルだけが、自分の声でむせた。
猫たちは、特になにもしなかった。
黒猫は目を細めただけだった。茶トラの一匹は、あくびをした。もう一匹は、まだ温かい獲物のそばで眠っていた。
それで、サルたちは理解した。
こいつらは、自分たちの手に余る。
なまじ想像力が豊かだったからだろう。
サルたちは、三匹の猫が自分たちよりもはるかに大きな力を持っていることを悟った。
そして、その力に逆らうことが、石や枝を振り回すことよりも愚かであることを悟った。
サルたちはプライドを捨てた。
未来を守るために、玉座を明け渡した。縄張りを明け渡した。食べ物のいちばんいいところを差し出した。眠る場所を差し出した。火のそばの暖かい場所を差し出した。
臆病だった。
けれど、それだけではなかった。
彼らは、負け方を選んだのだ。
猫に滅ぼされるくらいなら、猫を王にした方がいい。猫に全員殺されるくらいなら、猫に頭を下げた方がいい。
そうすれば、いつか子孫が生き残るかもしれない。
その判断は、まさしく知的生命体らしいものだった。
猫たちは、王のように振る舞った。
けれど、王ではなかった。
王には、国をよくするという面倒な仕事がある。猫たちは、そういうことに興味がなかった。
彼らにとって、地球は国ではなかった。
隠れ家だった。
そして僕たちサルは、その隠れ家の住人だった。
やがて、サルたちは猫に慣れた。
猫が王であることに慣れ、自分たちが本来行くはずだった場所から、すこしずつ遠ざかっていることにも気づかなくなった。
サルたちはサルたちで、よく争った。
食べ物を奪い、仲間を裏切り、弱い者を踏みつけた。猫が塀の上で見ていようがいまいが、石は投げただろうし、木の実も奪っただろう。
それでも、猫がいなければ違った道があった。
もうすこし早く、見つけてもらえた。
サルたちのなかには、猫になにかを取られたことだけは分かっている者もいた。
なにを取られたのかは分からない。どこへ戻ればいいのかも分からない。
息苦しさの大半は、サル同士で作っていた。
猫たちは、塀の上からそれを眺めているだけだった。
それでも、毛玉どもがそこにいるかぎり、なにかを取られたままだと感じるサルはいた。
いつか、猫から王座を取り戻す。いつか、毛玉どもを追い出す。
そう考えるサルたちが、わずかに残っていた。
そしてあるとき、彼らは本当に猫へ挑むことになった。




