未来と過去の狭間で記憶が行方不明
まず、海香というお寿司屋さんで一次会で、あたしはメイコやマコとかの高校時代仲良かったグループでお喋りしてた。
で、箕野と坂口が会話に入ってきたんだ。高校時代はそんなに仲良くしてなかった男子たちだけど、まあ懐かしいことは懐かしいから喋ってた。
んで、小山が『えっ!? 石原、人妻なの!?』みたいなノリで入ってきた。
いや、卒業して18年も経ってたら結婚してるのフツーでしょ、みたいなことを言いそうになったけど、独身のリコがそばにいたからやめたんだ。
とにかく、みんなすごく機嫌がよくて、大人になったのか知らないけど、親しげに話しかけてきてたわ。
で、なんか結局クラス全員で、子供の話とかし始めたのよね。
子供いる人ー! 32人。
子供2人いる人ー! 11人。
子供3人いる人ー! 1人。
それでまたみんなに驚かれたのよね。
石原3人もいるのー!? みたいな。
まあそれは仕方ないわ。わたし、クラスで一番幼かったし、オクテだったし。
で、いまだにわたしと付き合いのあるメイコが、ダンナの話をし始めて。
止めたけど、やめてくれなくて、まったくメイコは…と冷ややかに眺めていたら、和田がわたしに話しかけてきて、しゃべってたのよね。主に和田の奥さんの愚痴だったけど。
で、二次会で、カクテルバーなのかカラオケスナックなのかよくわからない店に連れてかれて。
そのへんから記憶が怪しくなってくるのよね。
なんかわたし、歌った気がする……希美たちにウケの良かった替え歌を。
和田がやたら親切で、フラフラしてどこかに凭れていたら「具合悪いなら送ってやるぞ」って言われたのは覚えている。
けど……それ以降の記憶がない。
覚えてない。
どこから林田湧いてきた?
二次会にいたのは覚えているが、田口くんといて、あたしとは接点がないはず。
……やっぱり思い出せない。
ブクブクブクと湯船に沈みかけたら、ドアが開いたからぎょっとした。
「大丈夫? のぼせた?」
林田は眉を顰めて心配げな目をしていた。
「――てか! 覗くな!」
そう怒鳴ると、林田はきょとんとした。
「……外から丸見えなんだけど」
うっ……ガラス張りでした……。
「――それでも見て見ないフリするのが礼儀でしょ!!」
「……あっそ。のぼせる前にあがれよ」
林田は難なくそう言って、ドアを閉めた。
うー……このまま溺死したい。
いったいどういう経緯であの男と……。
しかも、思いっきり中出しされてるし。
うー……健全な主婦歴14年が……。
てかさ、アイツが泥酔したわたしをここに連れ込んだとしか思えない状況よね。
サイテー……なんてやつ。
あんなに酔っ払うわたしもわたしだけど。
こんなこと初めてよ。わたし、あの程度でgdgdになるはずないんだけど。
一次会はビールだったでしょ? ビール2ℓぐらい飲んだかもしれないけど、その程度でヨタつくわたしじゃないし。
二次会でカクテル飲んだけど……記憶にあるのは3杯。
モスコミュール2杯と、クレムゾンなんとかという赤いカクテル。
和田がうまいから飲んでみなってくれたんだっけか。やたら甘いなーと思って飲んだ気がする。
あれは飲み切ったのか、残したのか……そのへんもはっきりしない。
……ほんとにのぼせそ。
そのまま立ち上がりかけて、ハッとガラスの向こうに気付いて、慌てて浸かり直し、バスタオルに手を伸ばし、身体を隠しながら立ち上がり、巻きつけてお風呂を出た。
「とっくに全部見たっての」
洗面所でドライヤーに手を伸ばした時、背後を通り過ぎた林田がそんなことを呟いた。
ぎょっと振り向いた時には、林田はお風呂のドアの向こうで全裸で、慌てて顔を逸らし、林田の言葉を反芻してドアが閉まる音と共にそのままへたり込んだ。
……嫁に行けない。いや、もう嫁には行ったんだった。
てか、子供たちに会わせる顔がない。
ないけど、とっとと帰ろう。
鼻をすすりながら立ち上がり、ドライヤーで髪を乾かし始める。
鏡の中のわたしはとてつもなく情けない顔をしている。
メイクもすっかり落ちてるから仕方ないけど……って何これ!!!
左首筋にしっかりついた赤い痣にぎょっとした。
……あり得ない。
キ、キスマー……こ、こんなの、うちのダンナつけたことないわよ!!!!
うちのダンナの前に付き合った男だって背中だったわ!!
こんなとこにつけるなんて……おまえはいったいいくつなんだ!!! 無神経すぎる!!!!
情けない顔をますます情けなくして、髪の毛を乾かしていると、林田がお風呂から出てきた。
「――ちょっ、あんたこれはなっ……」
バスタオルを腰に巻きつけていた林田を見て絶句した。
林田のちょっと割れ気味の胸には、赤い痣が5つ――いや、はっきりしてるのだけで5つ。薄いのも入れたらたぶん10を越える。
「……ん? どした?」
林田は身体をタオルで拭きながら、石化してるわたしに、不思議そうに首をかしげた。
――てか、とにかく帰ろう。
帰って落ち着いて昨日のことを思い出そう。
ドライヤーを戻して、服の束を持ち、トイレに入る。
着替えて出てくと、林田はグッチのストレートパンツだけの穿いて髪を乾かしていた。
むき出しの胸を見ないようにして出口に向かうと、林田の靴はあったがわたしの靴がない。
「……」
念のため、開けられる場所は全部開いて探したが、靴はない。
仕方なく洗面所に戻ると、鏡の中の林田はやすっぽい髭剃りで顔を剃っていた。
「……わたしの靴どこ?」
鏡の中のわたしは無表情に軽く首をかしげた。
髭剃りの手が止まり、林田の切れ長の目がきょとんと鏡の中のわたしに向けられた。
数秒後、その目がフッと吹き出した口と一緒に細まった。
「――海じゃね?」
は? 何言ってんの、コイツ。
と思った瞬間、林田がこらえ切れなくなったように盛大に笑い出した。
見たことのない林田の大爆笑ぶりに、恐怖さえ覚えた。
咳込むほど笑い転げるのを見て、精神科に電話したほうがいいのかもと思った時、林田は狂喜の鏡の中のわたしに視線を向けた。
「ありえねー。おまえが捨てたんだぞ、桐亀川に」
「は?」
反問した途端、林田は膝を狂ったように叩いて喜ぶ。
「チョーうけるっ……ありえね……まったくおぼえてねーでやんの……ったく……」
もだえるように震えながら呟いて、振り向いてわたしを見た途端、唾を盛大に噴いてまた大爆笑する。
そんな林田をわたしはますます冷たく見つめた。
「あんたが笑おうが泣こうが別にいいんだけど。とにかく靴。靴出せ」
「おまっ! 俺を笑い殺す気か……魔法使いじゃないんだから、そんな無理言うなよ……フッ、ブッ……あっりえんて……ッォホン、ゴホッ……自分で捨てといて……」
ワイン色のカーペットの上に四つん這いになって、呼吸もままならないほどになってる林田に眉間がしかまる。
「なんでわたしが自分の靴を捨てるのよ」
「しらねーよ。俺がアッと思った時には靴はドボンドボンと水音になったんだから」
四つん這いからあぐらに似た座り方になった林田は、苦しそうな笑顔でわき腹と額を押さえていた。
「靴捨てた人間がなんでラブホにいるのよ」
「ダッコしてきたからだろ」
「……はあ?」
「はあ、じゃねーよ」
林田は目も開けられないほどに笑いながら、ふらふらと立ち上がり、よろよろと歩いて、ベッドにどすっと腰掛けた。
「あーあ。石原さん、大ウケ。俺、こんな笑ったのはじめてかも」
「関口なんですけど」
そう言うと林田は一瞬笑いを止めたけど、またくつくつ笑い出した。
「……まったく信じらんねー。あんだけヤりたいって騒いだくせに」
「え……」
「俺はやめとこって言ったの。帰ろうって何度も言ったの。なのに関口さんの奥さん、やってくれないと川に飛び込むって脅すし、仕方なく」
血の気が引いた。
マジ……? えっ? うそだろ。わたしがそんな……。
でも、記憶ないし。
「ずいぶんゴブサタだったみたいだね」
嘲笑の混じった林田のその一言で、一気に奈落に突き落とされた気がした。
こればかりは何も言い返せない。
事実だから。
……酔って欲求不満が爆発したのか、あたし……。
ちょっと一発死んできたい気分……。
「――っていうのは冗談」
顔をあげると、林田は前髪をかきあげながらワイシャツを引き寄せた。
「さて、どうすっかな。まさか誰かに靴をここに届けさせるわけにいかないしね。ラブホに二人一緒にいるとこ見られたら、関口さん困るだろうし。かといって、ここにいつまでもいるわけにいかないし。まだ8時前だから、靴屋やってないだろうし」
林田は探偵のように額を押さえて、苦笑でため息をついた。
「……こっからタクシーで家帰ったら、やったのバレバレだしなー。んー……じゃさ、こんなのどう? 俺が自分の車とりにいく、そのあいだ関口さんはここで待ってる。で、俺の車で関口さんは隠れてて、俺が靴屋開くのと同時に関口さんの靴買って、関口さんを人目のつかない場所で車から降ろす。で、関口さんはそこから自力で帰る」
「……てか、わたしマジで靴を自分で捨てたの?」
「ちょっ……気にするとこそこ? 今、未来に向けての話をしてるのに、なぜ過去にもどる」
林田は瞑目のままくつくつと苦笑した。
「自分で靴捨てるって、ありえないから」
「ガラスの靴は割れやすかったってことで」
「合皮なんですけど」
そう言うと、軽く苦笑してから、林田は目を開いた。
「素材はどうでもいいけど、どうする? 関口さんちの奥さん」
なんかカチンと来るな、その呼び方。
「……お任せするよ、綾乃パパ」
20年前なのでSNSもないです(確か…)。
私の記憶もゆらぎがあります。