九十五話 シャクスと最有力候補
シャクス・ウィル・ネリザスにとって、世界というのは酷く灰色だった。
シャクスが生まれたネリザス侯爵家は国王派の重鎮であり、その家に生まれたシャクスには当然厳しい貴族教育が為された。
シャクスは、幼少の折より同世代の誰よりも頭が良く、口が上手かった。
そしてそれを隠すことを覚えた。
自分は女であり、貴族の女は結婚することが家にとっての役割だ、女である自分が主張するのは周囲の反感を買ってしまう。
賢いからこそ、シャクスにはそれが分かっていた。
故に、彼女の世界は灰色だった、オルリリア姫に出会うまでは。
五歳の時、初めて出会ったオルリリア姫は、この世で見たどんな生き物よりも、美しかった。
「初めまして、オルリリア・ヴァルト・イル・スティレと申します、貴女は?」
「わ、私はシャクス・ウィル・ネリザスと申します、お会いできて光栄です、殿下」
「ダメよ、シャクス」
「はっ?、ダメ、ですか?」
「姫殿下と呼びなさい、ただ殿下と呼ぶだけでは美しくないわ、いい?」
「はっ、仰せのままに」
その時悟った、シャクス・ウィル・ネリザスは、オルリリア姫殿下を支えるために生まれたのだと。
(私の全て、姫殿下に捧げましょう)
オルリリア姫の為ならば、命なんて惜しくはない。
◆◆◆◆
「そう思っていたのですけれどね」
目を開けた瞬間、目に入ったのは知っている天井だった。
(ここは私が用意した貴族街のセーフハウスの一つか)
「起きたか、死人さんよ」
起き上が、声のした方に顔を向けるとベッドのすぐ隣で、椅子に座るクロードと目が合った。
「クロード、何故ここにいるのですか?」
「それよりも先に聞きたいことがある、あんた、自分を囮に使ったな?」
「如何にも、こういう事態を想定して、私が表舞台に立っているのです」
「今から俺は暴言を吐く、いいか?」
「そんな許可を取る人は初めて見ましたが、いいでしょう」
「あんたは馬鹿だ、大馬鹿だ!」
「は、はぁ!?」
ある程度の暴言を予想していたシャクスだったが、シンプルに罵倒されるとは思わなかった。
「あんたは自分の命を顧みなすぎだ。囮にしても護衛の一人くらいつけろ」
「これでも自衛できる程度の腕をあります、それに護衛もつけない女はいないと普通は考えます、つまり護衛をつけない私には何かあると考え、躊躇させるという思惑もあったのです」
「暗殺者が懇切丁寧に、正面からやってくるわけないだろ。それに自分の命がかかってるのに安定性に欠ける策を取るんじゃねえよ」
「確かに、そうですね。私の見込みは甘かったと言わざるおえません。クロードが怒る理由も分かりますが…」
「が?」
「何故怒るのですか?」
「怒るに決まってるだろ、暗殺者を侮って死にかけた馬鹿が目の前にいるんだから」
「それは本当に面目ありません」
「まっ、どんなに賢かろうが、シャクスは血生臭い争い事に不慣れなお貴族様だ。今回に関しては自分の運の良さに感謝するんだな」
「そうですね、自らの幸運に感謝しておきましょう」
「おう、そうしとけ」
「はい。それにしても良く解毒薬を…」
シャクスの脳裏に、クロードにされた口付けの瞬間がフラッシュバックする。
シャクスは固まり、クロードは怪訝な顔をする。
「どうした?」
「いえ、なんでもありません」
「そんなわけないだろ、もしかしてどこか痛むのか?」
クロードが本気で心配そうな顔をするので、シャクスは頬を赤く染めて、唇を噛む。
「違います、身体は元気そのものですから」
「そうか?、てっきりキスを思い出して赤面しているのかと」
「そ、そんなわけないじゃないですか、あれは医療行為です、恥ずかしがる理由などありません」
「そうか、ならいいんだ。やむにやまれずとはいえ、未婚の女性にキスしちまったからな。そっちがそう言ってくれるとこっちとしては有り難い」
「そうですよ!、クロードは私にキスをしたのですから、子種をよこしなさい!、子種を!」
「はぁ!?、今お前が医療行為と言ったんだろうが!」
「キ、キスをしたという事実はなくなりません!」
「だからと言って、子種云々の話に繋がるのはおかしいだろ!」
「おかしくありません!、私の貞操を奪ったのですから、むしろ当たり前の話では!?」
「ふざけんな、あれは医療行為だ、それ以上でもそれ以下でもない。これ以上掘り返すつもりなら俺はあんたらに協力しないぞ!」
「掘り返したのはそもそも貴方の方でしょうに!」
「悪かったよ」
少しからかってやろうという悪戯心のせいで、酷い目にあった。
「コホン、この話は一度保留にしましょう。今は現状把握が先です、私が死んでからどれくらいの時間が経ちましたか?」
「夜明けが近いから、五、六刻ってところだな」
「っていうか今更なんだけど、敬語を使った方がいいか?」
「本当に今更ですね、公式の場では困りますが、そうでなければ許します。貴方も話しにくいでしょう」
「助かるよ、それであんたはこれからどう動くんだ?」
「姫殿下も仰っていたでしょうが私を殺そうとした者を捕まえます、クロードは私に協力してくれるという認識でいいのですよね?」
「ああ、姫殿下にお願いされたからな。俺としても情報が欲しい立場だ」
「分かりました。しばらくは私の護衛をお願いします」
「了解」
「よろしい、それでは行動する前に今は貴方との二人きりですから、姫殿下と私だけが掴んでいる極秘の情報を開示しましょう」
「極秘の情報?」
「はい、これはソルですら知りません。私の暗殺を命じた者についてです」
「っ!、正体を知ってるのか」
「いいえ、知っていると言うよりは最有力候補という表現が最適です」
「"グラシャラボラス"のその名を呼ぶことすら憚られる四人の帝王が一人、《傀儡大公》、この国に巣食う化け物の名です」
「傀儡…」
「復唱はしないでください、この名を貴方に伝えること自体一種の賭けに近いのです」
「どこでそれを?」
「ーーー」
シャクスは、無言でクロードの背負う弓を指差し、次いで自分の胸部を指差す
(弓、胸、女性、ヒルダか)
クロードは簡素なジェスチャーから、シャクスの情報源に納得する。
やはり彼女はこちらよりも多くの情報を持っている。
(傀儡大公、大層な呼び名だが、傀儡ってことはさしずめ人形師ってところか)
「その人形師があんたの命を狙ったのか」
「人形師、良い表現方法ですね。先程言ったように確定情報ではありません、死んだ私たちが行なうのは確定情報にすることです」
「なるほど。人形師について分かってることはあるのか?」
「何も」
「何も?」
「はい」
その答えはある意味予想通りだった。
「敵対してる王子派閥の人間の線はないのか?」
「クロード、貴方であれば想像ができるのではありませんか、それがイコールで結ばれると」
「何?」
シャクスの言葉に、クロードは顎に手を当てる。
「…もしかして王子派閥の中に"グラシャラボラス"が?」
「ーーー」
シャクスの答えは沈黙、その沈黙は肯定と同義だ。
(そうなると勇者の仲間が魔女とその信奉者しかいなかった説明もつく。待てよ、二年前勇者パーティーに、信奉者の二人はいたがヘカテーはいなかった、いたのは痴女の格好をした女だ)
竜の魔女エレグは、痴女の格好をした女が魔女だと言った。
しかしヘカテーとその女は別人だ。
それはどちらも見た事があるクロードは断言できるし、だからこそクロードは勇者パーティーの魔女が誰か特定できなかったのだ。
その魔女はどこに行き、何故勇者と共に行動していたのか。
第一回残骸遺跡攻略戦の場にヘカテーはいなかった、つまり第一回の時に残骸遺跡の正体に気付いたその魔女は、それをヘカテーに教えたのだ。
その時点で勇者の利用価値が変わったのだ。
それでは"グラシャラボラス"の魔女たちは、元々勇者を何に使おうとしたのだろうか。
非常に気にはなるが、今の時点で答えをだしようがないので、とりあえず頭の隅に置いておくことにした。
「クロード?」
「いや、問題ない。それで具体的にどうやって人形師が犯人だと確定させる?」
「方法は二つ、セレジェーラ離宮を襲撃した暗殺者を探すことと、表舞台に姿を見せない上級貴族を探すことです」
「前者は無理だ、お前を連れながら暗殺者と戦う自信はない」
「分かりました、それでは私は後者を選びましょう」
その時部屋の扉がノックされた。




