六十話 未練と生家
片腕を失った死霊エルフリーデは呆然とし、落ちた長剣を見つめる。
「クロード」
「フェイ、無事…じゃないか」
寄ってきたフェイは、髪の毛の一部が燃えながら凍り、所々に凍傷を負っていた。
「大丈夫、ほとんどは大剣で防いだから」
回復瓶を飲み回復するフェイの大剣は完全に凍りつき、クロードのコダチのように使い物にならなくなっていた。
フェイは代わりに短剣を抜いている。
「まだ戦えるならいい」
クロードは背嚢から回復瓶を取り出し、中身を飲み干す。
クロードも無傷ではない、凍傷になりかけの傷を癒す。
「死霊のくせに囮を使って奇襲してきた、本当に理性はないと思うか?」
「理性の有無は関係ない、強さは己の魂に根付いたもの、理性がないなら生前より強いってだけ」
「本能ってやつか」
「ん、それ、生者は命を守るために理性がついてるけど、既に死んでるものには関係ない」
「そういうことか、ちっ、死霊ってのはこれほど厄介だったか」
「それでどう攻める?」
「正面衝突、英雄に小細工は通用しない」
「冷たい炎はどうする?」
「凍らせれる前に倒せばいい」
「随分と脳筋だな」
そう言いつつも反対できる材料がない、冷たい炎への有効な対策はないし、フェイの言う作戦が一番マシに聞こえた。
「"穿きの矢"か、この技を喰らうとは」
唐突に長剣の前に片膝をついたエルフリーデが口を開く。
エルフリーデの消失した右腕に冷炎が集まる。
「とても懐かしい、ああ、やはり君はリベルタの敵か?、ネスト」
光無き瞳の問いかけがクロードを貫き、クロードは困惑する。
「ネスト?、誰だ、それは?」
「嘘をつくな、この技を使う奴はお前だけ!」
激昂するエルフリーデの右腕があった場所に集まった冷炎が右腕を形作る。
「許さん!、ネスト!、裏切りの騎士よ!」
「誰だよ!?」
冷炎が爆発し、長剣を拾ったエルフリーデは氷刃を放つ。
地面を蹴ったフェイは氷刃を斬り落とし、首を狙う。
エルフリーデとフェイの短剣がぶつかり、火花が散る。
「邪魔をするな!」
「死者は大人しく眠るべき!」
「死者だと!?」
「そう!、貴女は死んだ!、リベルタを守って!」
「何を訳の分から…!?」
長剣を振ろうとしたエルフリーデの脳裏に、かつての記憶がフラッシュバックする。
『ネスト、エルノーラを頼む』
『頼む相手を間違えてるぞ』
『お前が一番信用できる』
『裏切り者の俺にそんなことを言うとは、天下の英雄様もとうとう焼きが回ったか?』
覚悟を決めたエルフリーデは一人の騎士に全てを託した。
『そうかもな』
『…死ぬ気か?』
『他に道はない』
『確かにな、双蛇竜は竜王の一角だ、このままだと南地区だけじゃなくリベルタ全体が滅ぶ』
『私はリベルタを守りたい、たとえこの身が燃え尽きようとな』
『大事な妹が泣かすことになってもか?』
『…そうだ、だから頼む』
『断る』
ネストと呼ばれた弓使いの騎士は、エルフリーデの申し出を断った。
『何…故?』
『豆粒みたいに小さな可能性を残すためだ』
『何を言ってる?』
『ただの経験談だ、せいぜい未練を残して逝け、リベルタの英雄様よ』
ネストは意地の悪い笑みを浮かべ、顔面に走った鈍重な衝撃で、エルフリーデは記憶から引きずり出される。
フェイにぶん殴られたエルフリーデは、受け身を取り二本の剣を構える。
「そうか、私は…死んだのか」
事実を口にすると、急に現実味が増し、エルフリーデの瞳に光が戻る。
「ここは死後の世界か?」
冷炎を抑えるエルフリーデはフェイに質問する。
「違う、貴女が死んで百年くらい経ったリベルタ」
「百年、私は死霊に堕ちたのか」
苔むした天井を見上げたエルフリーデは、ポツリと呟く。
「謝りたい」
「ん?」
「エルノーラ、済まない、お前を一人にしてしまった。覚悟を決めた、死んだことに後悔はない、それでもエルノーラ、お前のことだけは!」
叫びと共に爆発的に燃え上がる冷炎を纏って、エルフリーデが突っ込んできたので、二人は避ける。
そのままエルフリーデは通路の奥に消える。
「不味い!、外に出る気か!」
「追う!」
「分かってる!」
クロードとフェイは凍った得物を拾って、すぐに追いかける。
「何で急に走り出した?」
「誰かを探してるみたいだった、エルノーラって人に謝ってた」
「死霊に堕ちたきっかけの未練のせいか、街に出たら惨事だ、絶対に止めるぞ!」
「ん!」
急ぐクロードとフェイが、地上へ戻ると、パリンっと硝子が壊れるような音が響き、冷炎を纏ったエルフリーデを騎士たちに囲まれていた。
「やっぱりダメだね、結界が破られた、彼女の冷炎とはとことん相性が悪い」
「私の邪魔をするな!」
エルフリーデは冷炎を、自分を中心に円状に放つ。
「総員!、散開!」
ヴァネッサの鋭い指示に、騎士たちは一糸乱れず従い、エルフリーデの冷炎から逃れる。
包囲を破壊したエルフリーデは、冷炎を消して逃げる。
「フェイ!」
「ん!」
クロード、フェイはすぐに追いかけ、アレシアは転移する。
「追え!、絶対に逃がすな!」
ヴァネッサの指示で、数人の騎士が馬に乗り、追う。
「二人共!、一体何があった!?」
杖に跨り空を飛ぶアレシアが上空から話しかけてくる。
「未練を果たそうとしてるらしい!」
「未練か、なるほど、それが自覚できるということはそれほど魂が摩耗していなかったのか」
アレシアは一瞬悲しげな顔をしたが、すぐに真剣な表情に戻る。
「アレシア、エルノーラという名前に聞き覚えは?」
「エルフリーデの実妹の名前だね」
「その人は?」
「もう亡くなって久しい、そうか!、エルフリーデの行先が分かった」
「どこだ!?」
「彼女の生家だ、ここから近い、転移して先回り、いや、できない」
「何故?」
「エルフリーデが冷炎で結界を張っているせいだね、徒歩で行くしかない」
「お前は空を飛んでるだろ」
「はは、違いない。私についてきてくれ、騎士への連絡も私がしておく」
「助かる、何とか街中で暴れる前に見つけたいが…」
「大丈夫」
「え?」
「エルフリーデはそういう人間じゃない」
「人間って、相手は死霊だぞ?」
「死縛者に堕ちても本質は変わらない、エルフリーデが生前英雄であったのなら、無関係の人間を傷つけることはしない」
「それはフェイの勘か?」
「それもあるけど、刃を交えて確信した。エルフリーデは強い、その強さの理由は守護者としての責任感」
「彼女と刃を交えただけでそこまで分かるんだね」
アレシアは面白げにフェイのことを見ながら言う。
「ん、心が強い人は手強い。でも依頼は達成するから安心して、ねっ?、クロード」
「当然だ」
「頼もしいよ、二人を選んだ総団長と副団長は慧眼の持ち主だ」
三人はリベルタの街を疾駆する中、冷炎を完全に消したエルフリーデは、周囲を警戒しながら、一体の銅像を見上げる。
「これは…?」
エルノーラに会うために自分の生家を探していたエルフリーデは、酷く自分に似た銅像を見つけた。
「"エルフリーデ・フォル・カスケードの功績を称える"」
銅像に刻まれた文言と、獣人の女戦士から教えられた百年経ったという言葉を思い出したエルフリーデは銅像に、触れる。
「エルノーラ、君は私を恨んでいるか?」
ポツリと呟かれた独り言は一人の耳に届く、気配を感じたエルフリーデは剣を握り、振り向く。
「こんにちは、騎士の方ですか?」
そこには玲瓏な表情を浮かべる美女が立っていた、武器は所持しておらず、気配からも自分を追う者たちではないと考えたエルフリーデは、剣から手を離す。
「済まない」
「いえ、お気になさらず。貴方様の口から曾祖母の名前が聞こえたのでつい」
「曾祖母!?、エルノーラを知ってるのか!?」
突然取り乱したように距離を詰めてきたエルフリーデに、驚きつつも女性は冷静に話す。
「はい、エルノーラというのがエルノーラ・カスケードのことであれば、私の曾祖母に違いありません」
「お前の名前は!?」
「アリシャ・カスケードと申します」
クロードやフェイと馴染みの深い冒険者ギルドの受付嬢アリシャは静かに名乗るのだった。




