三十二話 朝の一時と体験談
家に帰ってきたと思ったら川岸に流れ着いた少女を保護した翌日の早朝、クロードは台所に立ち朝食の準備をしていた。
机の上には湯気が立ちのぼる温かい野菜スープと白パンの入ったバスケットが並べられている。
朝食を作り終えたクロードは、台所の火を落としエプロンを脱ぐ。
そして寝室へ入り、カーテンを開ける。
寝ているフェイと少女を尻目に、クロードは少女の脈を測る。
「脈は正常、唇も赤い、とりあえず瀬戸際は脱したか」
試しに頭に手を置くが熱が出ている様子もない。
「高熱を出してる様子もなし、とりあえず助けられたか」
安堵したクロードはフェイを起こすことにする。
「フェイ、起きろ、飯を作ったぞ」
「んーん、ん?、おはよう、クロード」
「おはよう、フェイ」
寝起きは大変良いフェイはクロードと朝の挨拶を交わすと少女の胸に耳を当てる。
「生きてる」
「ああ、フェイのお陰だ」
「クロードの指示が的確」
「俺は聞きかじった知識を実践しただけだ、それはともかく朝ご飯を作ったぞ」
「食べるけど…」
「その子は死にかけたんだ、すぐには起きない。それにこれからの事を話し合いたい」
「ん、分かった」
ベッドから降りたフェイは丁寧に少女へ毛布を掛ける。
「フェイ、服を着る前に身体を拭いたらどうだ?、水桶は用意してるから」
「あ、そういえば洗ってない」
「この子を助けるのに忙しかったからな。俺はもう洗ったけど水は変えてあるから安心しろ」
「別に気にしないのに」
「それは嬉しいがもう変えた」
フェイは下着を脱ぎ、クロードへ投げて全裸で家を歩く。
「数ヶ月前の俺に全裸の恋人が家を闊歩してるって言っても信じないだろうな」
苦笑いをこぼしたクロードは受け取った下着を洗濯籠に入れる。
洗濯をするのは朝食後なので、洗濯籠を部屋の外に出て裏口の近くに置く。
一度寝室へ戻り、箪笥からフェイの着替えと下着を取り出す。
元々は箪笥すら無かったのだが、同居人が増えたので買い足したのだ。
クロードは冒険者という職業上よく服を破くので、替えの服は最低限で買い足せばいいと考えていたのだが、服はともかく女性の下着が畳んでいるとはいえそこらに置いておくのは看過できなかった。
フェイに慎みを求めることはしないが、本人と関係ないところではしっかりしたいと考えるクロードである。
居間へ移動したクロードは身体を拭くフェイを眺めながら、椅子に座る。
「これ、着替えと下着」
「ありがとう」
改めて見るとフェイの細身な肉体からは何故あれほどの怪力を発揮できるのか、分からない。
フェイの肉体は頭の先からつま先まで一片の無駄もなく鍛え上げられており、戦士や剣士ではないクロードの目から見ても美しいと感じるほどだ。
傷跡だらけで筋肉質な肉体を忌避する人間もいるかもしれない。
それが魅力だとは分からないのか、それにフェイはちゃんと柔らかい。
クロードはフェイの裸を独り占めできていることがただただ嬉しかった。
(ヤバい、目の前で魅力的な尻と尻尾が揺れているせいで思考が変になってるな、切り替えないと)
クロードは目線を明後日の方向に向けて、水を飲む。
「クロード」
「なんだ?」
「あの子を助けるにはどうすればいい?」
少々漠然とした質問だが、クロードは答える。
「まずは敵を見定めることだ、それとあの子の事情を知る」
「敵を見定めるのは大事、事情を知るって?」
「俺たちはあの子の名前すら知らない、どうして運河で溺れて、堅気じゃない人間に追われていたのか、知る必要がある」
「何故?」
「いきなり何も知らないやつが助けると言っても説得力がない、赤の他人を助けるなら俺は対等な関係が良いと思う。一方的な関係はいつか必ず綻びが出て崩れ去る」
「あの子は弱い立場だ、助けると言うなら俺たちがあの子と同じ立場になる必要がある」
「それがあの子を知ること?」
「そうだ」
フェイはいつの間にか服を着ており、対面に座っていた。
二人は揃って朝食を食べ始める。
「さっきの一方的な関係は崩れ去るって言うのは体験談?」
「聞きたいか?」
「ん、嫌ならいい」
「大丈夫、大した話じゃない。師匠の元にいた頃、森で狼の群れと戦った」
クロードは白パンをスープに浸す。
「決死の戦いの末に勝ったが群れにいた一匹の子狼を見逃した、まだ小さくて俺には殺せなかった」
「その時の俺には覚悟がなかった、子狼の家族を皆殺ししたくせに助けたことが良いことだと思った」
「子狼からしてみれば家族を殺した人間に見逃されたんだ、獣の心情が理解できるとは思わないが屈辱だっただろう」
白パンを噛みちぎったクロードはそのまま全て飲み込む。
「翌朝、その子狼に寝込みを襲われた。まともに反撃できなかった俺の喉笛に奴が噛みつきそうになった瞬間、師匠の矢が子狼を仕留めた」
「師匠は笑顔で馬鹿が馬鹿なことをしたと言いやがった、それで俺はブチ切れて師匠と半日殺し合った」
「え?」
「ムカついたんでな、殺してやろうと思ったんだがクズのくせにしぶとかった、何で殺しあってるのか忘れかけた頃、ボロボロの師匠は言った」
「自分勝手な善意は自分だけでなく相手も殺す、最後まで助けられないなら最初から助けるなと。俺はその言葉の意味を身をもって痛感した」
クロードはスープを飲み干した。
「私の時はよく知りもしないのに助けた、何故?」
「それは…惚れたからだ」
「今のは良い台詞」
「茶化すな、食器は片付ける、フェイは洗濯物を洗ってきてくれ」
「私が食器」
「ダメ、前はフェイがやったろ?、今度は俺の番だ」
「ぶーぶー」
「楽ばかりするなよ、フェイ君。こっちが終わったら手伝うから」
「洗ってくる!」
調子が良いフェイに嘆息しつつ、クロードは食器を片付けて洗う。
五分ほどで済ませて、フェイを手伝う為に外へ出る。
「フェイ、ちゃんと洗ってるか?」
「サボってない、クロードには私の下着を洗わせてあげる」
「そんなことを言っても洗うのは代わらないから」
「ちぇ」
「口より手を動かそうな」
運河の水を使い、十分ほど洗濯物を洗ったクロードとフェイは一度洗濯籠に戻し、庭の物干し竿に干し始める。
 
「文句ばっかり言ってるけど楽しい、クロードと一緒に過ごしてる今が一番幸せ、故郷にいた頃は洗濯なんてしたことなかった」
「誰が洗ってくれたんだ?」
「母達。ルー族に限らず獣人は男は外へ出て獲物を狩り、女は家と家族を守る。家事は家にいる母達の仕事」
「フェイだって女だろ?」
「並の一族の戦士より強かったら話は違う、獣人は強い者を尊ぶ、そこに男と女の差はない。だから私と妹は戦士として外で戦った」
「妹?」
「レレイ、唯一の血の繋がった妹、私と同じくらい強かった」
「フェイと同じ?、それは凄い」
「ん、クロードに会わせたかった」
「俺も会いたかったよ、ジークフリートが襲ってきた時一緒に戦ったのか?」
「戦った、レレが囮になってくれたから私は一太刀を入れられた、彼女は誇り高い戦士」
「竜に立ち向かえる冒険者は少ない、大抵が絶望して死を待つだけの人形になってしまう。フェイの妹は誇り高いだけじゃない、かけがえのない勇気を持ってる」
「ありがとう、クロードに言われると嬉しい」
話しながら洗濯物を干していた二人だが、ふと視線を感じて振り向く。
「「あっ」」
「ーー」
窓越しにこちらを見る少女と目が合った。
「起きた!」
「あっ、おい!」
フェイは洗濯物を放り出して、家へ戻ってしまった。
「洗濯物を放り出すなよ、全く」
クロードは少女の視線を感じながら、洗濯物を干し続ける。
ちょうど全て干し終わったところで、少女と話しているフェイの困惑した表情が目に入る。
フェイが困惑する顔なんて初めて見たクロードは家へ戻り、洗濯籠を置くと寝室に行く。
「どうした、フェイ?」
「クロード、それが…」
「『手前様方は誰でしょうか?』」
少女が言葉を話すが、クロードに何を言っているのか分からなかった。
「言語の違いか、それはさすがに想定外だ」
クロードは悩ましげにこめかみを親指で押した。




