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「まだ着かねえの?」
了と牧野は森の中を歩いていた。流石に走りすぎたせいもあって、二人ともほぼ足は動かなかった。
「捕まるよかマシだろ、文句言うな」
了はそう言いながら歩く。階段を登ったあと、二人は森の奥へ奥へと逃げていた。非常事態ということで、神社にあった用具を拝借していた。いいのかと了に尋ねると、あそこの神主と自分は知り合いだからという。荷物はかなりの量があったが、バックと懐中電灯は一つづつしかなかったので、どちらかが懐中電灯、もう一方がバックを持つことになり、ものの見事に牧野はジャンケンに負け続け、重いバックを背負い続けている。
「てかさあ、お前の方が体格いいんだからこっち持てよ。」
と愚痴をこぼすと、
「お前がジャンケンって言い出したんだろ。」
と了は静かに嗜める。そう言われると何も言えない。もうこの流れを3回ぐらい繰り返している。
「なあ、もう追手はここまでは来ないと思うぞ。そろそろ休まない?」
「もうちょっとだから。」
了は後ろを振り向かない。牧野も嫌々ながら歩く。ふと思い立って、
「ねえ、あそこの神主の人、どういう人?なんか不思議な人だなって思ったんだけど」
そういうと、了は振り向いた。
「お前、加藤さんと喋ったのか?」
どうやら、あの老人の名前は加藤というらしい。そういえば名前は聞いてなかったなと今さら思った。
「うん。なんかまずかった?」
了は再び前を向いて、歩き始める。
「別に。ただあの人ボケてるからあんまり言うことあてにしない方がいいぞ、霊が何だとか言って…」
ー今夜はあの子に会えるけ。
急に牧野は加藤の言ったことを思い出した。
「了!加藤さん、そう言えば、今日は浜崎に会えるって言ってた!」
「だからあの爺さんボケてんだって。偶然だろ?それなら昨日母さんも言ってたし」
あ、そうかと呟いて、牧野は再び黙り込んだ。
ーでもなあ、ボケてるって感じとは違うような気もするんだよな。
それを言おうか迷っているところ、了の足が止まった。急に止まったので、牧野はぶつかりそうになる。
「着いた。あそこだ」
了は小さな洞窟を指差した。そこまで奥行きがあるわけではないが、二人は余裕で入れるくらいの洞窟だ。
「とりあえずここで休もう。」
了は手でバッグを渡せ、という仕草をする。やっと肩の荷物が下ろせた牧野は、軽く飛び跳ねた。
「ああ、体が軽い。」
了はてきぱきとランプを取り出し、ブルーシートを広げる。軽く伸びをしながら、牧野は尋ねた。
「こんなとこ、よく知ってたな。」
了はブルーシートの端に錘を乗せた後に、よっこいしょと言って座った。二人ともスーツは土だらけになっていた。
「子供の頃、美智子に連れられてよく来た。ここを見つけたのは美智子だよ。」
牧野もブルーシートに座った。いろいろなところを虫に刺されたので、カバンからムヒを取り出して塗った。
「さて、何から話そうか。」
了は非常用のクッキーを取り出して、二つに割っていた。
「まあ、美智子のことからだろうな。」
「あ、てかさ、この洞窟見つけたのは浜崎なんだよな?じゃああいつ、森の中で探検でもしてたってこと?なんか俺の知ってる浜崎とイメージ違うんだよなぁ。」
生前の浜崎を思い出すと、全く男らしさは感じなかった。休憩時間はいつも女子と自撮りを撮ったり、化粧をしたり、年頃の女の子という感じだった。
「まあ、そうだろうな。少なくとも家では女の子らしくしてたよ。母さんがいたしな。」
そう言われて、堀木母を思い出す。先ほどの叱責を思い出して、そうだろうなあ、と漏らす。了もそれに頷いた。
「母さんはもともと東京の人だったんだよ。バリバリのキャリアウーマンだったって。」
「そうなの?」
「うん。母さんの実家は母さんにめちゃくちゃ勉強させたらしい。その代わり、女の子らしいことは全くさせてもらえなかったんだってさ。」
ーははあ、その反動で。
何となく合点がいった。自分が両親に女の子らしいことをさせてくれず、勉強ばかりやらせてきたから、自分が子供を持った時にはそれをさせたいと思っていた。しかし、生まれたのは男の了一人だけ。本人からしたら、計算違いもいいところだろう。そこで、両親を亡くした浜崎が現れた。
「あいつ、本当に美智子にしか興味なかったんだよ。俺なんかまるでいないみたいにさ。そう思うと、親子って大したもんじゃないよな。」
牧野も自分の両親を思い出す。成績が落ちる度に怠け者、落ちこぼれ、穀潰しとヒステリックに罵られたが、おそらく関心すら持たれなかった了の方が辛かっただろう、と思う。
「でも、お母さん東京にいたんだろ?よくここにこようと思ったよな。」
「その理由は俺にもわからん。でもこっちに来てから、かなりここの島の事業を頑張ったらしい。あのフェリーも、母さんの呼びかけで実現したらしいし」
ーそれであの村人達はへこへこしていたのか。東京から来たということは、スタート地点としては牧野と同じということだ。そこから、信頼を得て、あそこに上り詰めたのだと考えると、かなり優秀な人材なのだなと思うと共に、逆らえる人などいないだろうなとも思った。
「でもなんで、こんなど田舎に来たんだろうな。対して店もねえし、よっぽど能天気な性格じゃなきゃこんなとこ来ないぜ」
了は牧野をギロッと睨む。牧野はあ、やべというふうに舌を出し、頭を下げる。
「ー申し訳ない。失言致した」
「別に良いけどな、俺もここ好きじゃないし。どいつもこいつも性根が腐ってて、小賢しくて、共感力が無くて、死人を悼むほど人ができてないやつばかりだよ。」
と了は吐き捨てる。この島に入り、あの親族と関わり続けて分かったが、この了がここまで自立した意見を彼らに対して持っていると言うことは、実はすごいことなのだと思う。彼らの理論は完全に堀木洋子によって種付けされており、その理論に誰も疑問を抱かないーそうするのが、堀木洋子という強者にしがみつくのが楽ではあるのだろうが。
「ーなんだ?」
俺が考え事をしていることが分かったのだろうか、了が怪訝な顔で俺を見てくる。俺はその顔を見て安堵する。俺は嘘で固められた世界で生きてきて、このままだと俺自身も嘘をつく生き方しかできなかっただろう。あの喧嘩で明確に俺の中で何かが変わったわけではないが、了という人格、人間が、ある。それだけで、俺はー何か救われるような心地がした。
「別に。ー浜崎の事、聞かせてくれ。」
浜崎は頷き、ゆっくりと話し始めた。ランプがチカッ、チカッと点滅していた。