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送り火  作者: Toshiro take
3/10

3

夕暮れ時だった。儀式の準備も一段落ついたようで、今度は夕飯の準備が始まった。堀木がトラックに乗って何処からか帰ってくると、子供達がトラックの荷物を見せてとせがむ。中には、タコやサザエ、カレイやイサキ…とにかく様々な魚介が発泡スチロールの中に詰められており、子供達は目を光らせていた。

 「お兄ちゃん!一緒に見ようよ!」

 何人かの子供が縁側に座っていた牧野を呼ぶ。堀木父と子供達、それだけが張り詰めた牧野の心を解いてくれた。

 「お兄ちゃんは何が好きなの?」

 「俺はねー、サザエ。」

 「うえーっ、サザエ!?めっちゃ苦いじゃん!全然美味しくないよ!」

周りの子供達もそうだそうだと口々に言った。

「大人の味なんだよ、あの苦さが。君たちにはまだ分かんないかもねー」

そう言っても、子供達は苦い苦いと言い続ける。堀木と牧野は、お互いに顔を見合わせて苦笑いした。

 「真志!こっちでお手伝いしなさい!」

夕飯の準備をしている居間の中から鋭い声が飛んできた。酷く慌てたような声だった。

 「ええーでもまだ…」

 「ほら、堀木さんも牧野さんも困ってるじゃない」

今度は少し冷静さを取り戻した声だった。子供は渋々居間の方に歩いて行く。同じように、何人かの親が子供を居間に呼ぶ。表面上は牧野をもてなしていても、子供は近づけたくはない、ということだろう。

 少し不貞腐れていると、堀木がタコの入った発泡スチロールを持ち上げながら言った。

 「牧野君ごめんよ、これ、家に運ぶの手伝ってくれないか?」

 牧野は頷いて、サザエの入った箱を持ち上げる。その時だった。牧野は居間にちょうど自分と同じくらいの年齢の青年がいることに気がついた。横に広がった長机の上に御馳走を並べながら、こちらを睨んでいる。背中でその視線を感じながらも、目は合わせないようにした。大きくても子供達は中学生までしかいないと思っていたが、初めてこの時自分と同年代の人がいるのだと知った。

 牧野が明らかな敵意を向けられた事はこれが島に入って初めてのことだった。

ー他の人もこれぐらいあからさまならいいのにな。

そんな事を思いつつ、苦い気持ちで発泡スチロールを運んだ。


 夕飯は7時過ぎに始まった。襖を2個開け放ち、横に三つ、連なっていた子部屋は一つの大部屋となる。ざっと40人くらいだろうか。ずっと奥まで続いている。浜崎も、大した家に住んでいたもんだと思っていると、客人だからか、かなり上座の方に座る事になった。子供は一番端っこの方に座っている。できれば近くが良かった。

 もちろん、一番上座には堀木が座っているーその隣には、もう一つ座布団があり、誰だろうかと思っていると、部屋の入り口が空いた。

 長い髪をひとつ結びにした、堀木と同じような年の女性が入ってきた。目力がかなり強く、すっきりとした顔立ちをしている。

堀木の妻だ、と悟るや否や、牧野は自分が冷や汗をかいていることに気づいた。

 この家の実権を、この堀木妻が握っていること、牧野がこの家に入って感じた人々の笑顔の裏に隠された敵意、それを操っているのはこの女性だということを一瞬で牧野は悟った。他の人のように笑顔で、しかし遥かに強かにー彼女は話し始めた。

 「今日は、明日の新盆に向けての準備を手伝ってくれてありがとう。今年も無事、神城山から多くの先祖様を迎え入れることができそうです。また、今年はー特別な年です。美智子の霊もやってくるでしょう。不可解な死から一年、片時もあの子のことを忘れる事はできません。あの子が東京で味わった途方もない苦しみを思うと、親としては胸が張り裂けそうな気分になります。どうか、この家に来る時だけでも、おいしいものをたくさん食べて、安らかな思いをしてほしい。一年間、そればかりを考えてきました。」

この家に集う40人全員が、心の底から堀木妻の話に聞き入っていた。ただ一人、牧野を除いて。

不可解な死、東京、親としての苦しみ。

どの言葉も、重く、切実に、牧野の上にのしかかってくる。いや、正確に言えばのしかけてくる。浜崎を悼んだ体で放たれた言葉は明らかにー牧野に「逃がさない」と言っているような気がした。

 「そこで、今日は美智子の学友である、牧野理君をお招きしました。彼女がどういう状況だったのか。どういう関わり方をしていたのか。そんな思い出を、たくさん話していただきたいと思ったからです。牧野君、皆に挨拶をお願いします」

 側から見れば温かいおもてなしの風景なのだろうが、気分としては堀木父と子供を除く全員から銃口を向けられているような気分だった。

浜崎の死について探るためにこの島に来たが、これでは立場がまるで逆だ。俺は確かに彼女の死に関与していないが、やはりどうしたってここの人たちは東京にいた俺を疑わざるを得ない、それはおそらく遺書で書いてあったであろう内容を根拠にしているのだろう。だからこそ、自分が原因の一つだったのではないかーそんな考えが頭をよぎってしまう。

 結局、形式上は優しくもてなされているのだから尚更タチが悪い。牧野は、ため息をついてから立ち上がった。

「ーご紹介に預かりました。牧野理と申します。この度は、このような機会に呼んでいただけたことを大変嬉しく思っています。みなさんと一緒に、彼女の死を悼みたいと思います。短い間ですが、どうぞよろしく。」

何人かは、少し表情が揺らいだものの、すぐに笑顔に戻って拍手をした。その中でも、ただ堀木母だけーぴくりともその笑顔を動かさなかった。

 ー早くこの時間が過ぎてくれ。

牧野はそう願わずにはいられなかった。


 夕食は賑やかに進んだ。皿と皿がぶつかる音、グラスとビンがぶつかる音が広い部屋の中にこだまする。

 目の前に置かれたサザエは、棘があるものばかりだった。堀木父によると、サザエは潮の流れが早いところで育つとそうなるらしい。棘のないサザエばかりを見てきた牧野にとっては、最初はサザエかどうかも分からなかった。

 「やっぱ東京の人だから!食材の元の形とか知らんのよね!」

最初にサザエのことを尋ねたときに、上座の方にいた30歳ぐらいの男性は大きな声で言った。周りもそれに同調する。

 「こうやってみんなでご飯を食べるってことをさ、東京ではしないんだよね。そう思うと、やっぱうちらはここでよかったと思うよね〜」

 「人とのつながりが一番大事やからね。自然に感謝して、山の恵みを受けて、人と手を取り合って生きる。これをしなくなったら人間終わりだ ね」

 完全なアウェー状態であることは承知していたが、ここまでくると流石に鬱陶しくなってくる。しかし、誰かに助けを求めるのも癪だから、黙ってサザエの壺焼きを食べていた。

「だいたいよお、お前さん美智子とはどういう関係だったんだよ」

 早くも酔っ払った男性が問いかけてくる。ここの人は豪快な見た目のくせして、アルコールには弱いらしい。

「あんまり接点はなかったです。話したこともそんなに…」

 面倒臭いながらもそう答えると、うへぇ、つまんねぇとかなんとか言ったのであろうか、何かを口走りながら縁側から庭へ出た。今度は気の強そうな女性が訪ねてくる。

 「いじめとかは?あんた何か知ってんじゃないの?」

 明らかに懐疑の目が向けられていた。今までは笑顔で取り繕っていた本性も、酒の力によってだんだんむき出しになってくる。

 「知ってて何もしなかったとか、そういう口でしょ?ほんと、貧弱な男が多いわよねぇ、都会は」

 「やっぱり美智子はあたし、ここにいた方が幸せだと思ってたのよ。だってそうじゃない…」

 どれもこれも、俺に向けられた言葉じゃない。俺という、浜崎を失った喪失感を解消するためのサンドバックに攻撃しているだけだ。そう言い聞かせていないと、やりきれないほどに彼らの攻撃はしつこいし、何より俺自身が彼女の死に何も関与していない、という確証が持てていない。だからこそ、これらの攻撃に対して下手に回ることしかできない。

 「牧野さん」

 甘くねっとりした声が聞こえてきた。堀木妻だ。牧野は一瞬で身構えた。

 「生前の美智子ー娘の様子を聞かせてもらっていいかしら。」

 そう言われても。俺はあまり喋ったことがないから分からない。遠目から見ていただけだから。その旨を伝えると、

 「何も隠さなくていいのよ。あなたと美智子が友達だったことは知ってるんだもの、」

 と言う。一体何を根拠にこんなことを言うのだろうか。それを聞かないことには話が進まない。

 「あの…失礼かもしれないですが、遺書には僕についてどんなことが…」

 堀木母は、やはり笑顔を崩さない。内容によっては、俺はこの場から逃げ出すことを選択するかもしれないと思い、自然に足に力が入る。

 「ただ一言、あなたに「頑張れ」と伝えて、と」

 「え?」

 牧野は酷く拍子抜けした。

 「あの、他のクラスメイトには、何かー」

 「いや、何も書かれていなかったわ。私達への感謝と、謝罪。それだけ」

 酷く混乱した。牧野自身が何か彼女の死因に関与してないことは明らかになり、安堵する一方で、なぜ関わりのなかった牧野だけ、しかも他のクラスメイトのことを無しにして、浜崎が遺書に記したのか、全く見当もつかなかった。

 「そう。あなたにだけメッセージがあるの。だから、あなたと美智子の間に何かあったことは知ってるの。話してちょうだい」

 どんどん語気が強くなってくる。隣でそれを堀木父も感じたのだろうか居心地が悪そうである。もう酒で酔い潰れてないのは、堀木母と堀木父、車を運転して帰るだろう大人たちだけであった。

 「本当に…何もなくて。俺は、親が勉強第一、みたいな家だったから、学校でもあんまり友達と喋っちゃいいけないって言われてたんです。だから、彼女はもとより、あまり他のクラスメイトとも関わりがなくて…」

 堀木妻は、俺の言うことを何一つ信じていない顔をしていた。むしろ、まだシラを切るのか、とでも思っていそうな表情だった。それでも、本当の事なのだ。本当のことを言うより他はないのだ。これは長引くな、と思っていると、意外に早く彼女は溜飲を下げた。

 「そう…まあこんな話ばかりしていても何だから、今日は終わりにしましょう。」

 まるで自分に言い聞かせているような口調だった。「今日は」ということは、まだ明日もあるのか、と気が滅入っていると、堀木妻は何やら部屋の外に出て行った。一気に肩の力が抜ける。しかしここで、「待てよ」と、牧野は考え直した。

ーじゃあなぜ、ここの人は俺を責め立てたんだ?

 俺についての記述は「頑張れ」という旨だけで、他のクラスメイトのことは何も記されていないとしたら、東京の環境に関しては疑うところは何一つないはずだ。それなのに、なぜあの人たちはあんなに自信満々に俺を責めることができたのか?そんなことを考えていると、堀木が神妙な顔で話しかけてくる。

「ちょっと、外に出ようか。」

 人もまだかなりいる。主催者二人が抜けて大丈夫かと思いながらも、言う通りに座席を離れる堀木の跡を歩いていった。呆れるほどに長い廊下を抜け、浴場のところで曲がると、裏庭についた。と言っても、ほぼ山の入り口のような景色で、横に広がっている木々の真ん中に一箇所だけ、大きな空間、道が存在している。

「ここは…」

「明日迎え火を炊くところ。この道から、先祖様とか、神様がやってくるんだよ」

 そう言って堀木は森のトンネルを指差す。この裏庭には何個か提灯がぶら下がっており、ナスやきゅうりを使った飾りが、いくつも置かれている。

「ここではきゅうりは足の速い動物を表していて、これに乗ってご先祖様の霊が早くここに来れるように、またナスは足の遅い動物で、長くここにいてもらえるようにお願いするために置いているんだ。地方で風習が違うもんでね。」

 そのような意味がある事は知らなかった。確か家庭科の授業でやったかなと思いながらも、内容は思い出せなかった。

「ごめんね、みんな悪気はないんだけど、やっぱり美智子が死んでしまった衝撃が大きくて」

堀木父はそう言って縁側に座ったので、牧野もその隣に座った。

「私が君をここに呼ぼうと思った時、私は反対されると思っていた。彼らは美智子の葬式の時は学友の参列をかなり激しく拒んだからね。ところが、今回君を新盆に呼ぶことを申し出た時に、周りの人たちは割とあっさり受け入れたんだ。だから変な事はするまい、と思っていたんだが…まずはすまない。謝らせてくれ。」

牧野は何も言わない。自分ではあまり気づかなかったが、この時牧野は明らかにイライラしていた。

「いや、全然。こちらもそれを承知で来ましたし」

「一つ…あの人たちが、俺たちを疑う理由はなんですか?遺書には彼女の自殺の理由、書いてあったんですか?」

堀木は静かに首を横に振る。ひどく焦っているような様子だった。

「…書いてなかった。ただ、分かってくれ。彼らは、誰かに…」

「誰かに、責任を押し付けていないとやっていられないってことですか?」

 そう言うと、堀木は黙ってしまった。少し言いすぎたかな、と牧野は内省する。あの親族や、堀木妻がどんなに俺のことを虐げても、この人は俺を歓迎してくれていたのだ。

「…ごめんなさい。でも、俺は絶対彼女の死に関与してないですよ。裏付けのない疑惑とか、向けられる意味がわかりません」

「そうだよなあ」

そう言って黙り込む。この人は、根は悪くはないのだろうが、悪くいえば八方美人な所がある。

「先程、美智子は私たちの子供ではないと言ったね。」

「ええ、両親が失踪したと…」

「あれは嘘なんだ。本当は、彼女の両親は、煽り運転にあったんだ。」

急な展開に頭が追いつけなくなってしまいそうになった。煽り運転なんて、久しく聞いたことがない。

「本土の高速道路で、全長10キロメートルにわたって、煽り運転をした。最後に急に、運転手がブレーキをかけてね。美智子の両親の車が追突した。

前の車の運転手は無事だったが、二人は間も無く死んでしまった。彼女が3歳の時だった。」

あまりにも居た堪れない話である。浜崎の両親は死んだと言うのに、煽り運転をした運転手は、罰を受けたと言えど、今もまだこの空の下でのうのうと生きているのだ。もう15年も間の事件だから、もしかしたら釈放されているかも分からない。

「そこで、一人残された美智子を、経済的に余裕のある私たちが引き取ることになった。」

「親族の方ではなかったんですか?」

堀木は、少しため息をついてから、話し始めた。

「もちろん、最初は親族が引き取ると言ったさ。でも、私の妻が、どうしても譲らなかったんだ。経済的余裕はうちにあるし、きっと大切に育てると。辛い目にあった美智子の親代わりになってあげたいとね。親戚も、そこまで言うならって譲ったんだ。それで美智子は私たちの子供になった。」

「そのことは浜崎さんには言ったんですか?」

堀木は首を横に振った。

「いや。本当のことは言わなかった。妻が、美智子に知らせたら受け止めきれないだろうと言って、失踪したとだけ聞かせたんだ。周りの人にまで根回ししてたよ。学校にも、近所の人にも、子供たちにも。本当のことを言ってしまえば、彼女は不幸になると言って。彼女が東京に出るまで、一言も言わなかった。でも…」

「でも?」

「俺は、妻に、彼女を傷つけない事以外の理由があった気がしてならないんだ。洋子ー私の妻は、美智子両親の悪口を美智子に聞かせていた。あなたを置いて無責任な親だったとか、あなたがかわいそうだ、私達が本当の家族だからとかー。それを言う度に、私には「彼女に本当の家族と思ってもらえるように」と言っていたが…洋子は女の子を欲しがっていたんだ。うちには息子が一人しかいなかったからね」

 ストンと腑に落ちた気がした。堀木洋子の異常なまでの執着。それは、浜崎美智子という堀木洋子の念願の一人娘の喪失に対してだったのだ。だから、葬式があったときは、彼女の周りにいた人々の参列を拒んだ。何かに責任を押し付け、憎んでいないと整理しきれなかったのだ。

 急に熱が冷めたような気がした。彼女の死について、もう分かることは何もない。遺書には何も書かれてはいないし、ここの人たちの俺に対する懐疑心が晴れることはもうない。ここにいてもやるべきことは何もないのだ。牧野は静かに口を開いた。

「明日ー、もう帰ろうかと思うんです。お世話になっておいてなんですけど。」

「それはダメだ!」

急に堀木は大きな声を出して立ち上がった。焦って、目が泳いでいた。

「や、ほらせめて明日まで。明日は、美智子もやってくるから。」

ほぼ泣いているような顔だった。おそらく堀木洋子に、帰さないように言われているのだろう。情けないなあ、と思いながらも、おもてなしをしてもらった立場でもあるので、何も言えない。

「ー明日までですよ」

堀木はほっと息をついて、何度も小さく頷いた。厄介な家に拾われたもんだと、心の中で浜崎に同情した。

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