2
東京から、飛行機・電車・フェリーと乗り継ぎ、牧野は彼女の地元に降り立った。離島といえど、小学校もあるし、病院もある、なかなか活気のある街並みが広がっていた。真ん中には大きな山が聳え立っており、その麓に街がある、というような場所である。
船付き場からコンクリートの道路を歩くと、ガードレールがちょうど始まるところから、一人の男性が手を振っていた。50歳に達しないくらいだろうか、体全身が日焼けしており、腕の筋肉はかなり大きい。作業服なのだろうか、ところどころ擦り切れたズボンに、白いタンクトップ姿だった。
「牧野くん、こっちこっち。よく来てくれたね」
半ば強制的だったくせに、と内心思いながらも、スーツケースを引きずりながら、礼をする。
「この度は、お招きいただきありがとうございます」
普段使いなれない言葉だったためか、自分の口から出た言葉はあまりにもぎこち無かった。それを感じ取ったのだろう、
「そ、そんな堅くなくていいよ、大丈夫。みんな歓迎してるから」
と堀木は慌てて言った。
本当に歓迎しているのだろうか。まず、そこが怪しい。葬式の参列に東京の人間を誰一人として参列させなかった人々が、そんなに簡単に俺を招待するだろうか。懐疑心はますます深まるばかりだった。
「私が堀木克美です。よろしく。じゃあ、行こうか。」
「はい」
二人は、海沿いを歩き出した。
「かなり大きな街ですね」
「そうでしょう。最近あのフェリーができたから、本土から来る人が増えたんです。最近はここで取れる海鮮を目当てに、観光客も増えてるんですよ。」
「住民はどれくらいいるんですか?」
「ざっと2000人くらいでしょうかね、最近は元々向こうに住んでいた人も住むようになって来てるんですよ」
向こうと言って、堀木は海の方を指した。畑も多く、大きな島であるから、食べるものには困らないだろう。おまけに小学校も、病院もあると言った感じであるから、人が多いのも納得である。
「堀木さんは、なんのお仕事をされているんですか?」
「漁師をしております。地引網漁と、蛸壺量を。お盆のご馳走にその魚介を…あ、牧野くん魚介は大丈夫?」
「大丈夫です。自分で釣りとかも行くので」
「ああ、良かった。今日は、カレイの刺身をご馳走しようと思ってたんです。」
「カレイの刺身?」
キョトンとした顔をしていると、堀木は嬉しそうに語り出した。
「聞いたことがないでしょう。ヒラメの刺身はよく聞くと思いますがね。実はこの島、海底から真水が出ているスポットがありましてね、真水と海水が混ざったところのカレイは、泥臭さや雑味がなく、美味しいんです。おまけに、カレイは生きたまま刺身にしないと、どんどん身が固くなってしまう。水槽の中で死んだものでもダメなんです。だからこそ、カレイの刺身はとても貴重なんですよ。ほのかに甘くねっとりとしていいて、それでいてしっかりとした噛みごたえがあって…」
堀木の話に、牧野はかなり引き込まれた。そもそも知らないことだったし、何よりとても魅力的であった。本来の目的を忘れてしまうような気がして、慌てて元に戻った。
「それは楽しみですね」
少し緊張がほぐれた様子を堀木も感じ取ったのだろうか、安堵の表情を浮かべていた。気づけば、街の中を抜け、少し山を登っていた。東京のような蒸し暑さはなく、爽やかな暑さだった。ふと思い立って、牧野は堀木に尋ねた。
「失礼かもしれないんですが…」
「うん?」
「浜崎さんのお父さんなんですよね、苗字が…」
「ああ…」
さっきまでの上機嫌の顔とは打って変わって、少し影を落としたような表情になる。感情が表に出やすい人なのだ、と思った。
「そうですよね…実は彼女、本当の私たちの子供ではないんです。戸籍上は。」
「そうなんですか?」
衝撃を受けた。彼女と関わりがなかったとはいえ、そんな話は一切聞いていなかった。葬式の参列を一方的に拒み続けていたのも、彼女の実の親ではなかったのだ。
「彼女が小さい時にね、二人とも彼女を残して失踪してしまったんです。向こう(本土)に行ったまま、それっきり…音信不通になってしまってね。それで、私たちが引き取ったんです。」
少し俯いていた。寂しいような、後悔をしているような、そんな顔だった。なるほど、この人は本当のことを話している。いや、それは分からないが、少なくともこの人に誰かを陥れようとか、そんな気持ちがないことを悟った。牧野は生まれ育った環境もあり、そこの判断には長けている。
「この話は、ちょっと落ち着いてからにしましょう。ほら、着きましたよ。」
砂利が敷かれた竹林の中を歩くと、急に大きな日本家屋が現れた。立派な門までついている。まさに森に入る一歩手前、のところであり、家の向こうには先ほどの山が聳え立っている。立て直しをしたのだろうか、ところどころ木が新しくなっているが、屋根や玄関はそのままで、厳かな雰囲気がある。
「堀木家はこの島ではいわゆる名家というやつでしてね。ここは資源が豊富だから、一時期はかなり力を持っていたんです。この家は、その時期に建てられたものなんですよ」
堀木家の日本家屋に圧倒されている牧野を見て、堀木は言った。家のそばには、幾つもの車が並んでいる。外からは見えないが、中には大勢の人がいるのだろう。
「あれらの車は全て親族のものですか?」
牧野は車を指差して言った。
「いや、全部親族、というわけではありませんよ。この裏の山を神城山というんですが、ここの人は昔から、この山を通じて、先祖様や神様が対話をしておられると考えているんです。お盆の時期には、盛大に迎え火を焚いて、山から降りて来られる神様を迎えるんです。今日はその準備のために親族の方だけではなく、地元の人も、ここに集まっていると言った感じですかね。ましてや、今回は娘の新盆ですからね。」
立派な石段を登り、堀木が引き戸を開けると、フワッと木の香りがする。中はひんやりとしていいて、外のカラッとした暑さを微塵も感じさせない。
「お帰りなさい。」
慌ただしく提灯やら飾り付けやらを持って移動する人たちが、堀木の帰りを認める。奥には子供までもが、何やら飾りを作っている。
「その方は…?」
その中の一人が堀木に言った。地元の人間だと思ったのだろうか、完全に警戒心はなかった。
「東京から来られた、牧野理君。美智子の学友だよ」
ピキっと、空気が揺れた。誰もの顔が一瞬硬直し、奥の子供でさえ牧野を見た。階段の上からも、人が降りてきた。そして、次の瞬間ー誰もが笑顔になった。
「いらっしゃい!待ってましたよ!」
「美智子のお友達でしょ?きてくれて本当にありがとう!」
「短い間だけど、本当によろしく!」
矢継ぎ早に人がやってきた。この広い日本家屋の中の、人という人が玄関に押し寄せてきて、握手をせがんでくる。堀木も、「ほら、歓迎されているだろ?」と言った顔でこちらを見ている
ー冗談じゃない。
咄嗟に思った。笑顔だらけの表情の中で。
この人たちは、俺を歓迎してなどいない。何かーその何かは分からないが、裏がある。
牧野はこのような表情を幾度となく見てきた。その表情は、彼の両親が内心、勉強ができない子供の親を見下しながら外面は愛想よく振る舞う、PTA会での顔にそっくりだった。
牧野は激しく後悔した。なぜ、ここに来てしまったのか。浜崎美智子が死んだ理由など、関わりのない俺には何の関係もない。知らなければ知らないで、済んだ話だ。いつまでもあらぬ憶測で何かを憎み続ける人々など、関わりたくはない。
とは言っても、あくまで憶測の話だ。この人たちに裏がある、と判断するのはまだ早い。しかも、外見は招待されているのだから、拒むこともできない。整理がつかないままに、
「よろしくお願いします…」
と牧野は答えた。再び、笑顔に包まれた空気が揺らいだ。