第六話
星が煌めき宴も佳境、広間にはゆるやかに管弦の音が響き始める。これからは踊りの時間が始まるのだ。
「姉上、お手を」
「ええ」
一通りの挨拶を済ませた二人は、他の男女と一緒に広間の中央へ、文字通りに躍り出た。華やかな、それでいて緩やかな音に合わせ、軽やかに二人は舞う。
夜会で一曲目と最後だけは、必ずエリオスがライラの相手をつとめる。それがいつの頃からか、二人の間で決まり事となっていた。
その決まり事に口を出そうとする不粋な輩は、いつの間にか社交界から消え失せるという不思議現象つきだが。
「姉上」
「なあに、エリオス」
「今宵は……良き日でした。久し振りに夜会を楽しいと思えたのです」
「そうね。私も楽しかった。ランスにも久し振りに会えたもの。それにクルト殿もオリバー殿も、素晴らしい方だったわ」
「……ええ」
管弦の音に導かれるように輪の中央に進み出た二人に、人々の視線が集まる。
国の中枢を担う大貴族が集まる夜会。その中でさえ、二人は特別だった。身分も血筋もさることながら、その幸せに満ちた様子が人々の視線を集めていた。
やがて曲が変わり、周囲が踊る相手を入れ替え始めた。二人はいつまでも踊り続けるわけにはいかず、新たな相手を探すことになる。
「姫君、次はぜひ私と」
「いえいえ、どうぞお手を」
二曲目からはライラと踊れる。そのことを理解している青年貴族たちが、我先にと集ってきた。
エリオスは早々にその場を離れると、踊りにかこつけてライラに不埒なことをする輩がいないか、壁の花となってその集団を睨みつけた。自分に寄ってくる令嬢たちは丸無視である。
ライラは次の相手を探そうとするものの、多くの候補が集まってしまい、どの手を取るべきか迷っていた。
このままでは二曲目が終わってしまう。そう焦り始めたとき――。
「一曲お願いいたします、ライラ様」
青年たちより一段高い声の持ち主が手を差し出してきた。周囲の青年たちも、その人物が相手では分が悪すぎる。潮が引くようにライラの周囲に場が出来上がった。
「ええ。ありがとう、クルト殿」
「もう二曲目も終りです。よろしければ、次もお相手いただけますか」
「ええ」
クルトは物言いたげな青年たちの輪からライラを連れ出すと、その手を取って優雅に踊り始めた。
クルトの背丈は女性のライラとさほど変わらない、むしろ少し低いくらいだが、踊りはとても軽やかで安心して身を任せられる。武骨なノルト家の男性にしては珍しい腕前だ。これも天賦の才の一つということか。
「今日の宴は気が進まなかったのですが、皆様に会えたのはとても嬉しかったです。どうしてもそれをお伝えしたくて」
「あら、それは私もよ。エリオスも気の合うお友達ができて嬉しいみたい。素直に顔には出さないけれど」
「そうですか。それは良かった。先ほどエリオス殿がおっしゃっていた騎士団の件、考えてみようと思うのです。最初は姉上をノルト家で支えていれば、それで十分だと思っていたのですが……」
そこでクルトの無表情に、ぽっと明かりが灯ったような暖かな笑みが浮かんだ。
(う、うう……!)
撫でたい。おもいっきり撫でまわしたい。
(クルト殿、可愛すぎる……!)
女として敗北を感じないわけでもないが、小動物的なこの可愛さに勝てるものはないだろう。ライラは必死に自分の欲望を抑え込み、そつない笑顔をなんとか作りだした。
「エリオスやランスのこと、少しでも気に入ってくれたなら嬉しいわ。騎士団は王国中の騎士なら誰もが憧れるところよ。後の糧にするためにも、経験して損はないと思うの」
「はい。すぐには難しいでしょうが、父上と話し合ってみようと思います。騎士団はこの国のことを勉強するいい機会にもなるかと」
「そうね、クルト殿は長く外国におられたんだもの。王族の皆様のお側に仕えるのはいいことだわ」
はにかむ様な笑みを浮かべたまま踊るクルトに、ようやく素直に踊りを楽しめるようになってきたライラ。音に合わせてくるりと体を反転させれば、壁際からこちらを見ているエリオスの姿があった。
その顔を見て、クルトが何かに気付いたらしい。どこか困ったような、何とも言えない顔になってしまった。
「……少し、はしゃぎ過ぎました。姉上以外の女性とあまり話したことがなかったもので」
「え?」
エリオスはずっとライラを見ていたようだが、ライラと目が合うときは、すぐに視線を逸らしてしまう。そのためクルトの態度が変わった理由が、ライラにはいまいち掴めなかった。
やがて三曲目も終盤に差し掛かる。クルトとの時間も、もう終わりが近づいている。
「本日はありがとうございました。どうか最後まで宴をお楽しみください」
「ええ。あの、さっきのことだけど……」
「ああ、それならばエリオス殿に『貴方と同じなので』とお伝え願えますか。ライラ様からのほうがいいと思うのです」
「え? それはどういう……」
「言えば分ってくださいます、絶対に。エリオス殿も私も、先ほどは互いに気まずい場面に出くわしただけ、問題はありません」
「そう、ですか」
「はい」
(貴方と同じで、私も姉上が第一なのですよ、エリオス殿)
クルトはそうエリオスに伝えてほしかった。おそらく、エリオスはもう分かっているだろう。
確かにライラは素晴らしい女性だが、自分の姉が至上の女性である、という考えに揺らぎはない。
だが、エリオスがこの考えに気付いていても、やはりライラが異性と親しくすれば気に障るだろう。
クルトは素早く思考をめぐらし、判断を下した。何を考えているのかわからないと言われがちだが、表情に意識を向けない分、思考能力に長けている――と揶揄されたことがある。独自の方向に突っ走り気味だが、それだけクルトは頭の回転が速かった。
弦楽器がひときわ高く響いてむかえた終わりに、クルトはライラの手を取り、その甲に軽く口づけ、別れをつげた。
そうしてクルトとの踊りを終え、ライラが後ろを向けば、そこには次の相手が笑顔で待ち構えていた。
「一曲踊っていただけますか、姫君」
「ええ、オリバー殿」
クルトに遠慮して遠巻きにライラを見ていた他の青年貴族たちと違い、オリバーはライラをすぐ傍で待っていた。身分の低い彼が確実にライラと踊る機会は、今しかないと判断したのだろう。
「本当に、来て良かった。姉姫様と踊れるなんて」
「機会さえあれば、いつでも踊りますわ。オリバー殿、エリオスのこと宜しくお願いしますね」
「え、ええ。けど、俺は部下ですから。せめて邪魔にならないように――。努めたいと思います」
一瞬、オリバーが苦しそうな顔をしたことを、ライラは見て見ぬ振りをした。
実力と、経験。本来は騎士として――剣を授かる者として、それらを最重要視しなければならない。けれど現実問題、そんなものは身分と権力の前には無意味だ。
団長のランスはまだ若いが、その地位に相応しい実力がある。多少言動に問題はあるが、その実力を疑う者は国中どこを探してもいないだろう。王太子のみならず、国王からの信頼も厚いのだ。
だけどエリオスは。
(――弱くはない。だけど、まだ十八才だわ)
エリオスは、幼い。確かに父譲りの剣の腕は、国で十指に入るだろう。そのことは姉の贔屓目を差し引いても、疑いようはない。だが、それだけだ。
姉離れ出来ていないのは事実だし、ランスなどにからかわれると、すぐに激昂する。上手くかわせないのだ。親類も友人も年上の環境で育った完璧な末っ子気質なだけに、どこか思考が甘えがちだ。
同じ四家のランスの実力が折り紙つきなだけに、そんなエリオスへの評価はとても厳しい。エリオスの地位について『四家だから』と陰で囁かれているとライラも知っている。
そんなエリオスは、実力によって入隊したオリバーから、どう見られているのか――。
「隊長はエリオス様が相応しい。これは騎士団の総意です」
「えっ――」
ライラの考えを見抜いたのか、オリバーは諭すような優しい声で言った。
「ご心配なく。確かに隊長はお若い。けれど人の上に立つべき人間です。俺みたいな人間相手でも、ちゃんと『中身』を見てくれる。それに自分の弱さを認めて努力を怠らない、素晴らしい方だ」
「オリバー殿……」
「俺は団長よりも年上なんですよ。他にもお二人より年上の団員は何人も居ますが、全員お二人を尊敬しています」
「……ありがとう、オリバー殿。嬉しいわ」
星が煌めく。月が輝く。緩やかに、曲が流れていく。
ライラの胸の中は優しさに満たされ、とても暖かかった。