第五話
「そうだ、お前ら今日の主役は見つけたか? どうせノルト公爵から言われてんだろ?」
「ああ、そうだ。まだ見つけられていないが。ランスはどうだ?」
「俺も目下捜索中。アドルフ様は?」
「もう見つけたらしい。父上は、アレでもやはり凄いんだな」
「でも、難しいわね……。カタワレは連れていないでしょうし」
子息のカタワレはノルト家の標、熊だということは周知の事実だ。
だが、標であるカタワレを連れていたら、ノルト家の子息だと一目で分かってしまう。それでは『選別』の目的が果たせない。公爵のあの言い分では、顔立ちもあまり似ていないのだろう。
「かったりーなぁ。ま、仕方ねぇ。まずは十五才くらいのヤツを順番に探すか」
その時、三人から少し離れたところで、宴に似合わぬ険悪な事態が勃発した。
三人が騒ぎに気づいて様子を見に行くと、中心には二人の男がいた。一人はまだ幼さの残る十三、四才くらいの少年だ。見覚えのない顔なので、少年は今夜が初めての社交界だろう。
もう一人は宮廷で屈指の権力を持つ、壮年の大臣だ。この大臣は多少横柄なところはあるものの、文武両道で礼節を弁えた人物だ。その大臣がこの大事な宴で声を荒げるなど、いったい何があったというのだろう。
「あの坊やもいい度胸してるぜ。無謀と無知は若さ故……、か」
「ランス、その言い方はないでしょう。まだ子供なんだし、助けてあげて」
こんな場所で揉め事を起こせば、主催者であるノルト家にも無礼を働いたことになる。いくら子供でも、それは許されない。
(ま、その度胸だけは買ってもいい。……面白れぇ奴だ)
ランスは僅かに口角を上げると、横にいるエリオスに話を振った。
「エリオス、お前はどうする?」
「姉上のお言葉には従いたいが、あの大臣が相手だ。下手に手出しは出来ないから、様子を見る。だが万が一、抜刀するような事態になれば即刻制止する」
「そうだな、それが最善だろ。ま、あの坊やが鍵なんだが、さて……」
最初は周囲の人々しか事態に気づいておらず、他の人々は歓談に忙しく、渦中の二人の声が聞こえないくらい広場は騒がしかった。だが、ライラたちが様子見を始めてすぐ、大臣のさらなる怒声が響いた。その声に驚き、ざわめきが静まりかえる。
やがて広間全体が、奇妙な緊張感に包まれていく。
「そなた、自分の言っている意味を本当に理解しているのか?」
「はあ。とりあえずは」
見たところ、事の発端はともかく、この言い争いは少年の淡々とした返事が原因で続いているらしい。
あまり変化しない表情で変化しない返事ばかり返されては、誰でも声を荒げたくなってしまうかもしれない。
「いい加減にしろ、私を誰だと思っている! まさか私を知らぬとでも言うのか!」
――ああ、この言葉が出てしまったら、もう終わりだ。
ライラたちも、周囲の人々も、少年の一方的な敗北を悟った。
このような場に来るとき、権力者の顔と名前は最初に覚えなければならない。親兄弟が付き添い、子弟を周囲に紹介しつつ、頭に叩き込ませるのだ。そうすれば何かあったとき、円滑に話を進められる。これは貴族として、最低限の礼儀と言ってもいいだろう。
今回の場合、相手を『知っている』と言えば、知っている上で無礼を働いたということになり、将来は見えてしまったようなもの。逆に『知らない』と言えば、礼儀知らずとして、自分のみならず一族の恥となる。こちらも出世は望めない。
どちらにしろ、少年はもう黙って耐えるしかない……のだが。
「はい、存じ上げません。どなた様で?」
「な、……っ!」
完全に予想外の返事に、大臣はもちろん、耳をそばだてていた全員が絶句した。
しかも言った本人は事の重大性を全く理解していないようだ。相変わらず表情に変化がなく、無表情というより、何を考えているのかわからない表情だ。
「あ、あり得ねぇ……。何者だよあの坊や……」
「……! おい、ランス! 笑ってる場合か!」
「わかってるよ。お前はあの坊やを頼むぜ」
「任せろ。姉上、しばしお側を離れます。ここでお待ちください」
「え、うん?」
一瞬ライラには理由がわからなかったが、大臣の様子を見てハッとした。
大臣は顔を真っ赤にして、体をわなわなと震わせている。中央の大貴族として、生まれた時から出世街道を歩んできた人物だ。このような問答は屈辱以外の何者でもない。
「こ、の若造が…っ!」
怒りに震えた右手が剣の柄を握りしめた。
そして大臣は剣を抜こうとして――その手を横から割って入った人物に封じられた。
「これ以上は庇いきれませんよ。抜刀は場を汚したとして罪になる。しかも重罪だ。よくご存知でしょう?」
「お、前は、ズュート家の……」
「貴方も構えを解くように。抜刀の意志ありと見なされるぞ」
「……心得ました」
二人の間に入ったエリオスとランスが、双方の動きを止めたのだ。周囲から安心のため息と感嘆の声が漏れだす。
その時初めて、ライラと周囲は少年も抜刀の構えをしていたことに気がついた。大臣が目立っていたということもあるが、あまりに少年が自然体だったため、全く気づけなかったのだ。
渦中の二人が冷静さを取り戻し、騒ぎが収まると、周囲を取り巻いていた群集は何もなかったかのように、方々へ散っていった。
下手に残って巻き込まれたら、何があるか分からない。遠巻きにして聞き耳をたて、噂話に華を咲かせるほうが何倍も安全で愉快なのである。それが貴族の生き残り方だ。
その中で取り残されたように佇む大臣に、ランスが声をかけた。
「大臣、落ち着かれましたか?」
「む、うむ……。私としたことが、浅慮であった。礼を言うぞ」
「お。それじゃあ今度、礼として、うちの騎士団にうまい酒でも届けて下さいよ。それでチャラにしましょう」
「ははっ。そうか、是非そうさせて頂こう。詫びの品で言うのもなんだが、楽しみにしていてくれ」
「ええ、俺もエリオスも楽しみにしてますよ。なあ?」
「え、ええ」
ランスのおどけた物言いに、沈んでいた大臣の顔に幾分か明るさが戻った。
やがて平静を取り戻した大臣はこちらに軽く頭を下げると、この場を去って人混みに紛れていった。
「……俺は別に酒なんてどうでもいいんだが……」
「あのな、そんなこと、今更どうでもいいだろ。――っと、忘れるとこだった」
逃げるそぶりも見せずにこの場に残っていた――いや、単に手持ち無沙汰なのか、ぼうっと立ち尽くしていた少年に、ランスはため息交じりに声をかけた。
「あのな、いくらなんでも知らなすぎの関心なさすぎだ」
「……」
少年は四家の子息に囲まれているというのに、まったく怯む風でもない。ここまでくれば、この態度の原因は三人とも簡単に理解できた。
「そうよ。いくらあなたがノルト家のご子息でも、もう少し考えて動かれるべきじゃないかしら」
「姉上のおっしゃる通りだ。よろしいか?」
ここに来て、初めて少年はわずかに目を伏せる、という表情の変化を見せた。それはこの瞬間から、自分をノルト家の子息と認め、そう在るという証。
「ご教授痛み入ります。確かに私がノルト家次子、クルト・フォン・ノルトです」
クルトは深々と頭を下げる。よく観察すれば、クルトは母親の公爵夫人に面差しが似ていた。
アドルフは何か他に前情報を得ていたかもしれないが、この容姿と、そのどこか浮き世離れした雰囲気でクルトを判断したのだろう。幼い頃から外国を巡っていたためか、同年代の青年たちとは纏う空気が違う。
こうして三人は見事、ノルト公爵からの課題を果たしたのだった。
その後四人は宴の中心から離れ、しばしの歓談の一時を過ごすことにした。
が、クルトはさしたる表情の変化を見せないままで、話も聞けば返す、といった程度。そのためエリオスと同じく社交的ではないなぁ……、というのがライラのクルトへの印象であった。
しばらくしてランスが四人での歓談の輪から離れ、広間の中央に戻って行くと、すぐに周囲の女性たちが我先にと群がっていく。まるで砂糖に群がる蟻のような様子が、ライラたちの居場所からよく観察出来た。
「……ランスロット殿は愉快な方ですね」
そんな様子を見て、クルトがようやく自ら口を開いた。
「あれで王太子殿下の近衛騎士団、蒼の騎士団の団長なんだ。……俺の上司でもある」
蒼は晴れ渡る空の色、次代の王となる者の色。
ラミナは王族それぞれに近衛騎士団を設けているが、それらはすべて通称として色を用いていた。
国王は天上に輝く太陽の色、黄。王妃は生命を支える、命の源の緑。王太子の妹である第一王女は、次代の生命――無垢を象徴する白。
かつて第二王子であったアドルフは、国を守り抜く者の色、紅を己の騎士団に冠していた。その時の団長はベルンハルトで、クルトの叔父にあたる。
「エリオス殿も殿下の……蒼の騎士団に?」
「ああ。俺は第二部隊長で……。仕事は出来るくせに真面目にやらない、その上変なことを考えついた端から実行する団長のお陰で、いつも面倒なことになる」
いつの間にかエリオスのクルトに対する語調は、よほど親しい人だけに使うものになっていた。
先ほどまでのやり取りだけで体裁を気にしなくなったのか。それにしてもこの短時間でここまで打ち解けるとは、クルトとは気が合うと直感したのだろう。
人付き合いが苦手な弟を持つ姉として、ライラは心中こっそり喜んで、笑った。
「そうなのですか。――あ、父上が……」
振り向けば広間の中央で、ノルト公がクルトに手招きをしていた。そろそろ『お披露目』の時間ということなのだろう。
クルトの表情が、わずかに曇る。
「お話の途中に申し訳ありません。……残念ですが、呼ばれては行くしかありませんので」
「ええ、お元気でね。よかったら今度、姉君と一緒に大公領に遊びにいらして」
「それがいい。それと、ノルト公はお考えがあるようだが、騎士団に志願してみてはどうだ?」
「はい、是非。では失礼します」
ここで本日初の笑顔を残し、クルトはその場を去って行った。その笑顔を見て、ライラはどこか嬉しくなった。思わず笑みがほころぶ。
「……ねぇエリオス。あの笑顔を見ると、何というか……。その、クルト殿に失礼なのだけど……」
「大丈夫、わかりますよ姉上。……動物が懐いてくれたみたいで嬉しい、と仰りたいんでしょう」
「う、うん。その通りなのよ。ふふっ、でもよくわかったわね」
「姉上のことなら何だってわかります」
(だから、今回はいいんです。少し悔しいですが、クルト殿ではなく、クルト殿から連想できるものが愛しいんですから)
誰よりも大事な姉だから、誰よりも幸せであってほしい。そのためにエリオスは姉にまとわりつくお邪魔虫――ろくでもない男どもを、普段から徹底的に排除していた。
クルトの笑みにライラが笑みで返したことは悔しいが、ライラの幸せに変えられるものはない。なのでクルトへのお咎めはなしだ。今後の付き合いも許可する。
「さあ、私たちも方々に挨拶をして参りましょう」
「ええ」
ノルト公がクルトを正式に紹介したことによって、広間にざわめきが広まる中、二人は知り合いの貴族たちとの会話を順調に進めていった。
今回は四家の中で、王都から最も遠い西のヴェスト家は王都にいる縁戚を代理人として派遣しただけで、本家の人間は誰も来ていなかった。ただ、大公領と王都は近いし、ズュート家はランスが王都に住んでいる。そのため、この対応は当然といえる。
やがて挨拶回りを一段落させた頃、一人の青年がエリオスに声をかけてきた。
「どうも、隊長。そちらが噂の姉姫様で?」
「オリバー。お前も来ていたのか」
話しかけてきた青年は、ランスと同じくらいの年齢や体格をしていた。エリオスやランスと同じく、左胸に騎士団の紋章をあしらった衣装を身に纏っている。紋章は本人以外の使用は許されない。つまりこの青年も二人と同じ、蒼の騎士団なのだ。
「本当は来られるような身分じゃないんですが、偶然お会いした守備隊長に、騎士団員なら構わないって言われまして。話の種にと思って来ちゃいました」
快活に話す青年は少しくすんだ金髪に緑の瞳をしており、スラリとした体つきで、なかなか見目麗しい。畏まった態度ではないが、それがまた好感をもてる。
「姉上、こちらは第二部隊の部下で……」
「オリバー・フォン・クラウドと申します。ま、しがない貧乏子爵の三男坊ですがね。隊長にはいつもお世話になっています。噂通りにお美しい姉姫様にお会い出来て幸福です」
そういってオリバーは身分が上の者に対する礼を綺麗にとった。略式だが、それが宴の主役ではない貴人への礼としてはもっとも相応しい。よく場を踏まえたうえでの行動だ。
「まあ。お上手ですね」
「いえいえ、隊長ご自慢の姉姫様に一目お会いするのは、騎士団員全員の夢ですから。これでみんなに自慢できます」
「オリバー!」
「やだなぁ。俺、誇張はしても嘘はついてませんよ?」
「誇張もするな! お前はランスか!」
「えっ、団長と同じ? それは嫌だなあ……」
にこやかに笑顔で応対するオリバーは、明るく人好きのするところがどことなくランスに似ている。
ライラはそんな年上の部下にからかわれる弟に、つい苦笑してしまった。
「ふふっ、エリオスったら。王宮であんまり私を持ち上げてくれなくていいのよ? こうやってからかわれちゃうんだから」
「いえ、私は……」
エリオスは顔を赤らめると、ライラから顔を背けた。
「はははは! 流石の隊長も、姉姫様には敵わないんですね。こりゃあいいもん見たな」
「……オリバー」
「おっと。すんません、つい本音が――じゃなかった。ま、ご自慢の姉姫様にお会い出来て良かったのは本当です。ではまた王宮で」
羞恥と怒りから体を震わせているエリオスを尻目に、オリバーはその場を足早に離れようとした。
しかし三歩と行かないうちに、何故か慌てて戻ってきた。
「オリバー殿?」
「すみません、実は隊長に連絡があって探してたんですよ」
「連絡? まさか……」
「ええ、あの一件です」
「そうか」
エリオスとオリバーが、ライラの顔をチラリと見た。仕事の話なのだろう。どこか言いにくそうな二人の顔を見ればわかる。
そこで自分に気を使わなくてもいいよう、ライラがその場を離れるため、エリオスに声を掛けようとしたときだった。
「姉上に全く関係のない話ではありませんから、聞いていただけますか」
「え?」
ライラはエリオスの、思いもよらない言葉に驚いた。
それも無理はない。二人が所属するのは近衛騎士団であり、主な職務は王太子の護衛だ。それなのに、滅多に王宮に出入りしないライラに、一体何が関係するというのだろう。
「姉上、これから話すことは、どうか御内密に。……我々は殿下の勅命により動いております」
そう切り出したエリオスの話によると、最近、王都では行方不明者が増加しているという。
元より王都は人口の流入と流出が激しい。成功を夢見てやって来た若者が失敗して全てを失い、人知れず命を断つことも少なくない。また、貧民街を抱える側面もある。
そうした事実が重なり、一連の行方不明事件は、ただ家出や蒸発が重なっただけとも言い切れないらしい。
「けれど殿下や団長は、誘拐の線が濃いと見ています。その理由として、失踪者の大抵は平民ですが、子爵家の女性も一人、失踪しているんです。ですが調べた結果、彼女は自ら失踪する理由がありませんでした。長年の恋人との結婚が、ようやく親に許されたところだったとか」
「その上、我々が掴んでいる数は一部に過ぎません。我々が調査しにくい下層の者達は、もし一連の事件が誘拐目的ならば、格好の餌食でしょう。膨大な人数になるはずです」
貧困から我が子、我が身を売る。また、利益を得るため無理矢理売り飛ばす。それはどの領地でもある話だ。
ラミナでは人身売買は何代も前から禁止されているが、先王の失態を契機に今も闇取引は続いている。
(そっか。だからエリオス、昨日は珍しくあんなに怒ったんだわ。余計な心配をかけちゃったわね……)
「そうだったの……。わかったわ、私も気をつけます。あの、けど何で町の事件を騎士団が……?」
「先ほど申し上げた通り、殿下の勅命です。何か気になるところがあるようで……。第一・第二部隊が交代で街での職務に当たっています」
「へえ……。珍しいわね、殿下が動かれるなんて」
「ええ、まあ」
エリオスが思わず、と言ったふうに苦笑した。
王太子はよく言えば優しい、悪く言えば優柔不断な人物だ。彼は決して能力が低いわけではないが、その性格から、自ら動くことは滅多にない。今回はよっぽど事件が気になったのだろう。
「私には何もお手伝い出来ませんから、せめて早く解決できるよう祈っています。頑張って下さいね」
「ええ、ありがとうございます。それじゃ隊長、今度こそ失礼します」
「ああ、また宮廷で」
そしてオリバーが二人のそばを離れたのを機に、ライラたちは再び人の輪に加わっていった。