第二話
ライラ・フォン・オスト。
それがライラの名前だ。「東の高貴なライラ」の意。ラミナでは四家だけが「東西南北」を意味する古語を家名として、他の貴族のような長いセカンドネーム、サードネーム、といったものは存在しない。
その単純さこそが、力の証。
ライラは大公女として、何不自由なく育った。しかし、生来の活発さはライラを屋敷に留め置かず、街で弟と一緒に庶民の子供と駆け回ることを選ばせた。
そうなると必然的に、動きやすい服装が好まれる。そこで簡易的なドレスではなく、シャツとズボンに走るのが、ライラの奇天烈なところである。
幼くして母を失った反動か、父である大公もライラにベタ甘なので、誰もライラを止めなかった。それがライラの奔放さを加速させた原因であろう。姫としては型破りどころか、型を燃やして川に撒いたくらいのぶっ飛びようだ。
そんなライラが王都に来た理由は、数日後に開かれる夜会に参加するためだ。いくら男装で毎日駆け回っているライラでも、どうしても断れない夜会はきちんとドレスを着て参加している。
今回はオスト家と同じく四家で、「北」を家名に冠する、ノルト公爵からのお誘いなのだ。昔から色々とお世話になっていることもあり、流石に断れなかった。エリオスもわざわざ仕事を休んで出向くのだ。
(あーあ、まともにドレス着るの、何日振りかしら……)
公式な場ではしっかり大公女として振る舞うので、まだ化けの皮は剥がれていない。決してドレスや着飾ることが嫌いではない。だが、普段は気楽に暮らしている分、一晩だけでもドレスはライラに物凄い疲労をもたらすのだ。
ライラは夕食を済ませて部屋で休んでいたのだが、数日後の夜会が今更面倒に思えてきた。
(せめて明日は王都で少し遊んで行こうかな)
そう考えたとき、部屋に一人の侍女が入ってきた。
「姫様、失礼いたします」
名をマルガレーテ。大公一家からグレーテと親しみを込めて呼ばれる彼女は、ライラより一つ年上だ。彼女は幼い頃からライラの側にあり、姉妹のような関係を築いていた。
「あ、グレーテ。ちょうど良かった、頼みたいことがあったの」
「いつもの格好で出掛けたい、なんてことでしたらお断りですよ」
「うっ……」
主従でありながら友人のような侍女は、ライラの望みをバッサリ切った。何年も一緒にいれば大体の言動は予測可能である。
「いいじゃない! 久し振りの王都なのに、休みは明日だけなのよ? 明後日にはまた移動だし……。男の格好で歩いたって大丈夫よ」
「若君の顔はよーく知られています。双子なだけあってそっくりなんですから、問題大アリですよ」
騎士として仕えるエリオスにも迷惑がかかる。グレーテは暗にそう言ったのだったが、逆にライラに閃きを与えてしまったらしい。ライラの目がキラキラと輝いた。
「ならエリオスのフリをしていればいいのよ! 外套を着て体を隠せば大丈夫だわ。ね?」
「姫様……」
「ずっと同じ姿勢の馬車に疲れたから、歩いて気分転換すればすっきりすると思うの。ダメなら実力行使あるのみ! ――抜け出します!」
「……」
これでは侍女として、選ぶ道はない。この姫は言ったことは必ずやる。断ったら抜け出すに決まってる。
グレーテは思わず、主の前だというのに頭を抱えてしまった。
そんなグレーテを見て、ライラは思わず心中で詫びた。自分がどれだけ「異常」かは自覚しているつもりだ。
自分には大人しく部屋にこもっているような、そんなお淑やかさはない。自分の足で歩き回り、自分の目で確かめたい。
(そんなこと認めてくれるの、うちだけだってのもわかるけど……)
大らかなのは家族や家臣だけではない。大公領民だってそうだ。
領民は街を歩く自分のことを、『姫様』と親しげに呼んでくる。お忍びと称した男装でのお出かけも慣れたものだ。
そんな優しい人たちがいるからこそ、仮初めだろうと、大公女に相応しい振る舞いをする義務が自分にはある。だから無茶をする場合でも、限度を知らなくてはならない。
「――明日は昼から出るわ。疲れたら元も子もないもの。少しだけ王都の街を見物してくるわね」
「はー……、分かりました。動きやすい御衣装を用意させていただきます。若君にも上手いこと言っておきます。……だから、お土産買って来て下さい。甘いもの」
「ええ、任せて! 王都の一番人気のお菓子を探してくるわ!」
「お願いしますね。あ、確か屋敷付きのエマが美味しいお店があるって……」
こうして明日の予定を女二人が楽しそうに話を弾ませている間、扉の外には――エリオスがいた。思わず耳に入った計画に、眉間の皺を深くしていた。
明日は午後から出仕なので、午前中だけでも一緒に過ごせるかと思ってライラを訪ねて来たらコレだ。
(全く、姉上ときたら……。仕方ないな、姉上にそれと分からないよう、見張りをつけるか)
とても楽しそうなライラの声。
本当は危険な一人歩きなど止めさせたいが、その声を聞いてしまえば、止めることなど出来ない。やはり自分はライラに甘いと再確認させられる。
扉の外で大きな溜め息をもらしたエリオスは、明日の人員を確保するため、信頼の置ける使用人のもとへと向かった。
翌日の午前中、ライラはエリオスとお茶を飲みながら、大公領や王都での出来事をそれぞれ話して過ごしていた。
しかしエリオスが出仕すると、それを合図にお忍びの準備をいそいそと始めた。ライラは男物の服など着なれているので、着替えに時間はかからない。グレーテを味方につけていることもあり、すぐに準備は整った。
「さ、参りましょう姫様。市街地までは馬車でお送りします。お屋敷にこの格好で出入りするのはまずいですから、途中まで」
「えっ? それはいいけど、ここに家紋が入ってない馬車あるの? 家紋入りだと目立っちゃう……」
「ご心配なく。若君が姫様がお使いになるだろうと、ご購入されていたそうです。流石は若君ですわ」
「そ、そう。エリオスには敵わないわね。帰ったらお礼を言わなくちゃ」
一応「お忍び」なので、グレーテ以外の使用人に見つからないよう気をつけつつ、ライラは屋敷の裏口へと回った。
裏口には目立たないよう、わざわざエリオスが買ってくれたという馬車が用意されていた。御者もすでに準備万端だ。彼もグレーテが説き伏せてくれたという。
(これは最高級のお土産が必要ね……)
「じゃあグレーテ、行ってくるわ」
「はい。行ってらっしゃいませ、姫様」
裏口からライラを見送るのは、グレーテただ一人。大公領なら時々は連れて歩くカタワレのロイは、王都では無理だった。
何故ならラミナ人で狼のカタワレを持つのは、オスト家の三人だけなのだ。しかも全員毛色が違う。連れて歩けば、すぐにライラの身元がバレてしまう。
そのためロイは今日、屋敷でお留守番である。ライラと同じく活動的なので、置いてきぼりが不満らしく、見送りには来なかった。屋敷で不貞寝しているのだろう。
しばらく馬車を走らせると、大通りが見えてきた。その入り口に着くと、ライラはいそいそと馬車を降りた。
「姫……いや若様、お迎えはどうします?」
「そうね……。あまり遅くなると困るし、三つの鐘にここへ迎えに来て」
「わかりました。三つにお迎えに上がります」
日が暮れる前に帰らなくては――。
そう考えてライラは御者と別れ、右の大通りを歩き始めた。
昼過ぎの今は、あまり人通りはない。ここは夜の店が多い通りなのだ。そのため、ここが賑わい出すのは日が暮れてからだ。エリオスを知る人に出くわす危険性や自分自身の安全を考えたら、昼間に歩くのが上策である。
(さーて、まずは……)
――やっぱり、お菓子屋でしょう。
自分も甘党、エリオスも意外に甘党。ついでに父も甘党なのだから。
店の位置は問題だが、後日エリオスにバレても問題が少ないだろう。なにせ「歓楽街」、潔癖の嫌いがあるエリオスが「自分も知っている」と主張出来ないに決まっている。
「ごめん下さい」
「いらっしゃいませ~」
屋敷の使用人に聞いた店名と場所を頼りにその店に入ると、お菓子独特の甘い香りが漂った。
さすが歓楽街だけあって売り子の女性はとても美しい。だが、仮にも王都の大通りに店を構えているだけあって、見事な品々が並んでいる。
女性の美しさだけで客を引き付ける店とはわけが違う。むしろ、女性の美しさなどおまけのようなものだ。これなら後ろ指をさされる危険を犯してでも、甘党なら通いたくなるだろう。
「何かお勧めは……」
「はい、今日はこちらの……って、あら嫌だ。オスト家の若様じゃありませんか」
「え」
「どうなさったんです、そんなに着込んで」
(――えぇ~~っ!?)
クスリと艶やかな笑みを向けられて、ライラは動揺を悟られないよう、平静を保つのに必死だ。
(ちょっと待てちょっと待て、ちょっと待て。このご婦人は何を言ってるの? もしかしなくてもエリオスはお得意様? 堂々と歓楽街のお菓子屋でお買い物? しかもオスト家の身分を隠さないままで!?)
時に堅物とも称される我が弟。意外と――いや、昔と、自分と変わらずに破天荒らしい。
ライラに自然とこぼれる笑み。幸せな感情が胸に満ち満ちていく。
(何だ、やっぱり変わってないんだ)
自分のことを諫めつつも、一緒に城下へ繰り出し遊んだあの日々と。
「今日は、少しワケありなんだ。悪いが急ぎで頼めるか。二箱欲しい」
「はい、承りました。ご注文はいつもので?」
「あ、ああ」
エリオスの振りをしてお気に入りを買って行ったら、どんな顔をするだろう。
楽しくて、嬉しい。会計を待つ間、悪戯心よりも、その気持ちがライラの中で上回った。
弾む気持ちを抑えられないまま会計を済ませると、ライラはそのまま次の店に向かった。目指すは――。
「いらっしゃいませ。――ああ、ご注文の本が届いておりますよ」
そう、本屋だ。
双子は中身まで似るのか、ライラとエリオスの好みは大抵同じだ。その一つとして、二人とも趣味は読書、である。
流石に本屋は歓楽街ではなく、食料品店なんかも並ぶ左の通りだろうと考えた。そこでエリオスの行きそうな店に当たりをつけて入ったのだが、一軒目で大当たりだったようだ。
店主の老人は白い髪を後ろになでつけ、とても清潔で品の良い身なりをしている。店の雰囲気も店主の人柄がそのまま表れ、いかにもエリオスが好みそうな雰囲気だ。
「そうか、ありがとう」
「いえいえ、今後ともどうぞご贔屓に」
エリオスが予約までして買った本、というのがどんな本かと内心ドキドキだったのだが、受け取ってみると特に変哲もない、ただの歴史書だった。
(まあ、『男性が喜ぶ本』だったら、それはそれで困るけど……)
そこまで考えて、ふと思う。
エリオスはランスと違い、女性関係の話を一度も聞いたことがない。けれどエリオスも、この華やかな王都で暮らす身だ。もしかして、すでに想う女性がいるのだろうか。
先ほどのお菓子屋に常連なのは、もしかしてあの美しい女性に会いに――?
(――そんなの、嫌だ)
自然と浮かんだ言葉に、ライラは絶句した。
(今、私は何を……?)
「エリオス様?」
「――っ」
店主の言葉にハッとしたライラは、そのまま店を飛び出した。
「あ、エリオス様――!」
自分、いや弟を案じてくれた店主を振り切り、ライラは大通りを無我夢中で駆け抜けた。
何を、何を考えた。自分は今、何を……?
堅物と称される弟に好きな人がいる。それは喜ばしいことではないか。
でも、嫌だ。離れてほしくない。どこにも行かないでほしい。
(だって、寂しいんだもの。ずっと一緒だったから。そうよ、これは子供の我が儘。それだけのこと)
胸の中でぐるぐると渦巻く『何か』に、ライラは無理やり理由を付けて自分を納得させた。真実の一端ではある、その言い訳。全てではなくとも、偽りでもない。
あんなに姉思いの弟に、これ以上自分の我が儘で迷惑をかけてはいけないのだ。
そして約束の時間よりだいぶ早く、ライラは待ち合わせの場所に到着した。胸の痛みは収まったが、鬱々とした気持ちが晴れず、これ以上お忍びを楽しむ気になれなかったのだ。
「ひ、じゃなくて……若様!」
「良かった、早めにに来てくれていたのね」
「ええ、万が一でもお待たせするわけには参りませんから。……さ、どうぞ」
「ありがとう」
早めの帰りや憂いを帯びたライラの表情などに、御者は何か言いたげであったが、一言もライラに問いを発することはなかった。その無言の優しさが、今のライラには嬉しかった。