第二十三話
エリオスが蒼の騎士団の詰所に行くと、そこには珍しく忙しそうに働くランスの姿があった。いつもは顔をしかめるばかりの書類仕事もこなし、てきぱきと処理を進めている。
(……いつもこうだといいんだがな……。何かあった時は有能なんだ、本当に)
入室したはいいものの、入り口で渋い顔のまま立ち尽くすエリオスに気づいて、ランスが声をかけてきた。
「お、エリオス! 昨日は大変だったな。報告はきちんと他の奴らから受けてる、安心しろ。お前もライラも大丈夫か?」
「……ああ、心配をかけてすまない。姉上もお怪我はなく、今日は屋敷で休まれている。さすがにお疲れのようだが、それ以上の問題はないようだ」
「そうか、ライラが無事でよかったよ。こっちも大方の決着はついたしな。アドルフ様とベルンハルト様には世話になった」
「父上が?」
「おう。昨日な……」
ランスの話によると、昨日のアドルフは連絡を受けた後、すぐに城に乗り込んだという。
王弟の立場を前面に押し出し、半ば無理やり入城したアドルフは、城内で働いていたベルンハルトに話を通し、王宮で一騒ぎ起こした。
その間にランスが前々から当たりをつけていた王宮の内通者を捕縛した、というわけだ。
「守備隊のベルンハルト様は俺らと別組織だから、今まで俺らだけで動いてた話を通すのが面倒でな。アドルフ様には助けられたよ。かなり手間が省けた」
「そうか。父上はベルンハルト様とは長い付き合いだからな」
「ああ。阿吽の呼吸を見せてもらったよ」
ランスのほめ言葉に、やはりこっちが「面白いもの」だったか、とエリオスは納得した。珍しく権力を駆使し、珍しく城内で一働きした。確かに「面白いもの」と評するべきかもしれない。
ランスが捕らえた内通者とは、闇貿易で旨みを得ていた貴族だ。王都に住む貴族が情報を流していたため、町衆の緩衝地帯である死路街の情報などが犯人に漏れたのだ。
これらの情報は、いずれもランスの兄のお陰で明らかになった。――ただ、そのやり口はランスですら目をそらすものだが。
しかし貴族であるからには、死路街の実行犯より前に捕らえるわけにもいかず、騎士団の突入と同時に捕縛する必要があった。
そんな面倒を王弟として育ったアドルフは理解していて、ライラの危機の一報を受けてランスへ連絡を寄越したーーというより、どうせ王宮にも協力者いるんだろ、そいつの情報を寄越せ動いてやるからさっさと寄越せ、と半ば脅してきたのだという。
そこでランスは使えるものは大公でも使え、とばかりにアドルフへ協力を願い、アドルフの伝手でベルンハルトを動かしたのだ。
そして、その詳細は。
闇貿易に通じていた貴族は、死路街に捜査の手が及ぶことを敏感に察し、すぐに逃亡しようとした。恐らく緊急連絡網を用意していたのだろう。だが、その時にはベルンハルトが動き、城内を封鎖していた。
貴族がいた部屋近くの警備兵は詳細も告げぬまま、とにかく城からの出入りを一時禁止する、と機械的に繰り返すだけで、その先に貴族を進ませない。その態度に貴族は怒り、とにかくどけと怒鳴りちらしていたところに、アドルフが登場した。
『よう。何の騒ぎだ?』
『こ、これはオスト大公……! いえ、この兵が、その……』
突然のアドルフの登場に、貴族は慌てふためくも、どうしようも出来ない。滅多なことでは城に来ない大公だが、その権力は絶大であり、無下にするわけにもいかず、対応に四苦八苦していた。
この頃には死路街の地下で、すでに騎士団が大立ち回りをしている。
そこにランスが率いる隊が到着し、貴族を捕縛しようと声を上げた。
『伺いたい事がたくさんあります。王太子殿下の名の下に、ご同行願おう』
『ち、ちくしょう!』
貴族は自分の不利をさとると、何とも小物臭のする捨て台詞を発し、その場から逃走を図った。
『おい、待て!』
『あー、いいから動くな。ーーおい、行ったぞ!』
何故か騎士の追走を止めたアドルフは、男が走り去った方向に声をかけた。
そこにはベルンハルトが潜んでいて、すっと影からあらわれるや否や、一撃をふるって貴族を昏倒させた。
『次はきちんと退路を塞げよ。じゃあコレの処理よろしくな 』
そう言ってアドルフとベルンハルトのお陰で、騎士団は楽に貴族を捕縛することに成功したのだった。
「いや、王宮内だから簡単に逃亡出来ないだろうと油断していたのは確かだが、まさかベルンハルト様を一兵卒みたいに使うとは……。流石はアドルフ様だ、恐れ入ったよ」
「そうだな。いくら王宮時代、ベルンハルト様が父上の騎士だったとは言え、今もアゴで使うのは駄目だろう……」
「ま、仲はいいみたいだからなー。あの後、ベルンハルト様の屋敷で飲んでたみたいだぞ」
「そうか。それなら昨夜のことは、祝杯として見逃すべきだな……」
しかしどれだけ関係者を捕らえようとも、誰一人として事件の全容を把握しているものはいなかった。
捕らえた貴族も一応のまとめ役ではあったが、結局はその権力を利用されただけであり、真の黒幕は不明のままであった。
ただ、オリバーの父に儲け話を流していた男は未だに捕らえられていない。つまり、その男こそ黒幕、または黒幕に通じる重要人物だと推察される。
そこまで言ったランスは、エリオスの表情の変化に気がついた。
先ほどまではアドルフの思わぬ活躍に顔を綻ばせていたというのに、一転、とても陰鬱な暗い顔をしている。
「……オリバーは」
「……うまく逃げおおせたらしい。あの扉を何とか破壊して後を追ったが、その先も迷路のようになっていた。あれは単なる下水道じゃなく、古王国時代の王族脱出用の地下道だ。王都の先に続いていた」
オリバーは最悪の犯罪者として、全国に指名手配されてしまった。見つかったら処刑されるのは確実である。
その家族であるクラウド家は、犯罪に荷担したとして財産、領地の没収を余儀なくされた。
さらに当主である父と継子の兄は、厳しい取り調べの上、重罪犯の処刑方法である縛り首を宣告された。
母と妹はランスとエリオスの嘆願により処刑は免れたが、犯罪者の焼き印を押された上で、修道院での一生を送ることとなる。
こうしてクラウド家は、その歴史を最悪の形で終えることとなった。
事件から数日後。信頼する仲間の裏切りと逃亡に、未だ蒼の騎士団の空気は陰鬱であった。
誰もが訓練や仕事に励み、ランスまでもが残務処理に精を出しているが、それは仕事に逃げているあらわれでもあった。
そんな中、団長の執務室で二人きりになったエリオスは、ずっと思っていた疑問を口にした。
「何で、あいつは逃げたんだろう……」
あの下水道の、あの一時。確かにオリバーは自分とライラに剣を捧げ、誓いまで立てた。あの一時は、オリバー自身が願った通り、彼は騎士であった。
確かに捕まってしまえば、家族を騙した男に復讐は出来ない。しかし、あんな状態で逃亡したところで、何か出来るとも思えない。だから全てを自分に託し、罪を償って欲しかった。
エリオスは沈痛な面持ちに、ランスは確証はないままでも、己の考えを言うことにした。
「……逃げたんじゃ、ないんだろうな」
「え?」
ランスはエリオスを含め、詳細な報告を受けている。そこから導き出した答えを少し、伝えようと思った。
「オリバーはお前を信じなかったわけじゃない。信じた上で、待ってるんだろ」
「どういう意味だ?」
「自分で考えろ。それより、ライラは落ち着いたか?」
「ああ、もう大丈夫だ」
「それなら良かった。大仕事が済んだからな、団員には順番で特別休暇を出すことにしたんだ。やっぱ、お前は早めがいいよな?」
先ほどまでの真面目な顔とは打って変わって、ランスはいつも通りのにやにやとした腑抜けた顔になる。
「なっ……」
「女の不安な心につけこむってのは最悪な手だが、最高の手でもある。もうすぐライラは王都を離れるんだろ。言いたいことはしっかり言っておけよ」
ランスの続く言葉に、エリオスは沈黙する。体中の血が音をたててひいていく気がした。
これは「いつも通り」ではない。これは、これは違う。
「俺は、とにかくお前らの幸せを願ってるんだ。どんな形であれ、納得できる終わり方をしろよ」
「……わ、かった」
ランスは、理解している。自分の唾棄すべき邪な感情に、気がついている。
ライラへの愛情を悟られていた、と理解したエリオスは、困惑しながら頷くしかない。ランスは他言するような人間ではないし、お節介をやくような人間でもない。ただ見守っているだろうから。
「……貴族って、面倒くせぇよなぁ……」
オリバーのしがらみも、エリオスの愛情も、ランスの立場も、クルトの掟も。
貴族の特権は自分たちを生かすけど、代わりに心を緩やかに殺していく。それを知っているランスは、静かにそう呟いた。
窓から空を見上げるれば、綺麗に晴れ渡った、澄んだ青空が広がっていた。