第二十二話
※本文には残酷描写が含まれます
事件が一応の収束をみせた後、エリオスとライラは馬車で屋敷へ向かっていた。
エリオスはライラと分かれて仕事を続けようとしたのだが、部下たちが「明日でいい」「ライラ様のおそばに」と押し切ったのだ。
今回はかなり強引な手口で押し進めた自覚のあるエリオスとしては、せっかく仕事を優先しようとしたのに、なにかスッキリしない気分である。
だが部下としては、エリオスがこれ以上ライラを放っておけば発狂する可能性有り、と判断を下しただけだ。その原因は勿論、これまでのエリオスにある。今回の強制送還は自業自得といえよう。
しかもランスの許可もすでに取り付けてあり、部下の手回しの良さに、エリオスは苦虫を噛み潰したような顔をするしかなかった。
二人は新しい外套を借りて汚れた服をとりあえず隠したものの、同じ顔、同じ剣、同じような格好が並んで歩けば、どうしても目立ってしまう。
何より大変な目にあったライラを、エリオスがこれ以上歩かせるのを断固反対したため、辻馬車を借り上げて急いで帰宅することになった。
その馬車に乗っている間、わずかだが二人だけの時間が生まれた。
ライラ自身、ようやく安心したのだろう。ポツポツと事件の最中の心境を語りはじめた。
「……殴られたって気付いた時、とんでもなく馬鹿なことしちゃった、と思ったの」
エリオスはしっかり注意してくれたのに、つまらない意地で屋敷を飛び出したのは自分だ。グレーテたち使用人にも迷惑をかけてしまった。
「凄い怖かった。本当に馬鹿だったわ。ごめんなさい。……でも、絶対に来てくれると思ってた」
「はい、姉上。何があっても、必ず助けに行きます」
万感の思いを込め、エリオスは頷く。何よりも大切な、至高の人。己の全てを捧げる人に。
やがて屋敷が見えてきたころ、エリオスがふと、ライラに「覚悟して下さい」と言い出した。何のことかとライラは首を傾げたが、その答えはすぐに判明した。
ライラたちが屋敷についた途端、グレーテがぐしゃぐしゃに泣きはらした顔で飛びついてきたのだ。グレーテのカタワレも興奮して、ピイピイさえずりながら辺りを飛び回っている。
「姫様ぁあああ~! ご無事で、よくぞご無事でぇえええーっ!!」
「グ、グレーテ。落ち着いて」
「落ち着けませんんん! 良がっだ、本当に良がっだぁあああ!!」
ライラにしがみつくグレーテほどではないが、他の使用人も、主たちの無事を喜び、泣いて抱きしめあっていた。屋敷でライラの帰りを待っていたロイも、勢いよくじゃれついてくる。
みんながライラの安全を喜び、エリオスの活躍も賞賛する。屋敷の玄関周りは騒然となっていた。
「さあさあ、みんなそこまでですよ。お二人は大変お疲れなのです、早くお部屋にご案内なさい」
そんな二人を救ったのは、屋敷のメイド頭だ。パンパン、と手を打った彼女も、年老いた顔に泣いたあとが残る。
しかし、すでに表情は仕事人のそれである。いつまでも疲れた主を玄関に立たせたままの使用人に、次々と檄を飛ばしていく。
エリオスとライラをとにかく一休みさせるため、それぞれの寝室の用意。他にも風呂、食事、着替えなど仕事は盛りだくさんだ。グレーテも寝室の用意を言いつけられた。
「あ゛い、お任せくだざぃいい~!!」
流石はライラの侍女。まだ泣きはらしているが、すぐに仕事に取りかかるため、部屋へ走っていった。
そうしてエリオスとライラはそれぞれの寝室へ向かい、とにかく一休みすることになった。
グレーテも手伝い、楽な部屋着にライラが着替え終わった頃、寝室にエリオスがやってきた。こちらも騎士団制服を脱ぎ、ライラと同じように楽な服装をしていた。
「姉上、少しお話しをしてもよろしいですか」
「ええ、いいわよ。入って」
エリオスの入室とともに、入れ替わりでグレーテが退室する。
今回はとても恐ろしい出来事にライラは巻き込まれた。その心を落ち着かせるにはエリオスに任せたほうがいい、と空気を呼んでの判断だ。
ライラは広い寝台に腰掛けると、エリオスもその隣へ座り、ライラの手を優しさ握りしめる。
「一眠りする前に、姉上の顔がどうしても見たかったのです。今日は……互いに、色々とありすぎましたね。ゆっくり休んで下さい、姉上。私がそばにいます」
「うん。エリオス、一緒にいてね」
その言葉に、エリオスは胸が締め付けられる思いがした。恋心などという綺麗なものは、きっと自分の中にない。けれどライラが大切なのは間違いなく、愛しくて狂おしい。
エリオスは静かに、ライラの頬を撫でる。愛しい、愛しいその人の。
「エリオス……?」
「姉上、ではまた明日」
子供の頃のように、眠る前のお休みの口付けを額に贈る。
突然のことに、ライラは目をパチクリするしかない。
「お休み……なさい」
部屋を出ていったエリオスの後ろ姿を見送りながら、ライラはしばし考える。
その結果、今日があまりにも非日常だったので、エリオスが自分の心を気遣ってくれたのだ、と解釈するにいたった。
子供扱いなのが少し不満だが、姉の自分を大切にしてくれるエリオスが愛しかった。
暗闇の中、下水道の蓋が開けられた。
そこから、薄汚れた男たちが何人も抜け出してくる。男たちは、うまく騎士団の追跡を逃れた者たちであった。
こそこそと身を潜め、暗闇のなかで地上へ這い出してくる男たち。周りに民家も人の気配もは無く、ようやく逃げ切ったと判断し、地べたに座り込んだ。
「ちくしょう、これで計画は頓挫だ。もうこの手は使えねぇ」
「まだまだ足りねぇのに、使えねぇ奴等だ」
言葉の端々にあらわれるのは、オリバーや捕まった男たちへの侮辱だ。
「最後に囮には使えたんだ。とにかく引き上げるぞ」
ーーウォオオオン。
その時、どこか近くから犬の遠吠えが聞こえてきた。
ギョッとして振り向くと、騎士団や軍ではないようだが、剣を持った酔っ払いの中年男が二人、こちらに向かって歩いてきた。
(ちっ、面倒だ……!)
万が一でも、騎士団に情報が伝わるのはまずい。
男の一人が口封じを図るため、こっそりと懐から短刀を取り出した。そうして二人のうち、小柄なほうに声をかけた。
「おい、あんた」
「なんだ?」
「なに、ちょっと死んでほしいだけさ」
言うや否や、男は短刀を酔っ払いに向けて繰り出した。すぐに他の男たちもそれに加わる。
しかし、男たちの刃が酔っ払いに届くことはなかった。
「ーーはっ?」
小柄な酔っ払いは目にも留まらぬ速さと技で、男の両腕を切り落としたのだ。男が痛みを自覚する前に、その半端な腕から真っ赤な血が吹き出す。
「う、うわぁああああああっっ!!!」
酔っ払いは血飛沫を上げる男には目もくれず、次々に他の男たちを剣のサビにしていく。強烈ながらも一応は致命傷を避け、相手を斬り伏せていく。
その陰で、もう一人の大柄な酔っ払いが隠し持っていた縄で男たちを捕縛していく。ただ、応急処置はする気がないようだ。
全てが終わったあと、小柄な男は紅く染まった剣を振り、血を地面に叩きつけた。
「俺の宝物に手出しした罰だ」
「……相変わらず容赦ねぇな……」
「そんなもの『あの時』に捨てた。知ってるだろ?」
「……ああ。だから一緒にいるんだよ」
人通りの少ない王都の郊外、その道端に血みどろで呻く男たちを蹴り飛ばし、酔っ払いたちは暗闇の向こうへ去っていった。
しばらくして、その場に匿名の連絡を受けた自警団がやってきた。騎士団が取り逃がした男たちがたむろっている、とたれ込みがあったのだ。
その現場をみた団員たちは、あまりに異様で凄惨な光景に目を疑った。血みどろの道、千切れた手足、死にかけの男たち。
「一体、誰がこんなこと……!」
多少の荒事に慣れた自警団すら目を背ける。
思わず口をついた問いの答えは、どこからも帰ってこなかった。
翌朝、オスト家ではアドルフも揃って三人で朝食をとっていた。
昨日のライラの一大事に、アドルフにも確かに報せはいっていた。しかし、アドルフは何をしていたのか、結局夜遅くまで帰ってこなかったのだ。とどめに酒臭かったことにエリオスは怒り心頭で、朝からアドルフを責めたてた。
「エリオス、もういいから。父上だって心配してくれたんだもの。それで十分よ」
「それは当然です! 何も現場に駆けつけろとは言いませんよ。それは私たちの職務です。しかし、なにも深夜に帰宅しなくても……」
ライラの必死のとりなしにも、エリオスは矛をおさめない。その言い分は正しいだけに、アドルフも苦笑いするしかなかった。
「あのな、俺もさすがに遊び歩いてたわけじゃねーぞ。まあ仕事終わりに酒を飲んだのは反省しているが……。お前が現場に出るから、ライラを任せたんだ。今日は出仕したら面白いもんがみれるから、それで勘弁してくれよ」
「面白いもの?」
「そ。ランスに聞いてみろ」
アドルフの口からでたランスの名に、エリオスは不満気ながらもそれ以上の叱責をやめた。ランスの名を出す以上、昨日の件で何か城内で一働きしたのだろう。
そう考えたエリオスが出仕すると、予想外の出来事が起きていた。昨日、エリオスたち騎士団が逃した男を五人、自警団が捕らえていたのだ。
しかし、それだけではない。逃亡者は一様に大怪我を負い、両腕を失った一人は連行途中に失血死する有り様だった。
しかもその怪我は、自警団が負わせたものではなく、謎の二人組みが犯人だという。男たちは切り刻まれて道端に転がっていた、と。
謎の二人組みの正体は不明で、男たちも容姿に関しては「酔っぱらいの中年男二人」としかまともに証言できなかった。恐怖で記憶が混濁しているのだ。それと同時にーー。
「あんな剣をふるう男は人間じゃない」
と口を揃えて言った。
アドルフの「面白いもの」はこれか、と考えたエリオスだったが、すぐにその考えを改めた。
あの父が過去に「剣聖」と呼ばれた身であっても、ここまで残酷なことができるとは思えなかったのだ。
(恐らく、どこかの町衆が手を回したのだろう)
死路街での出来事とは言え、誘拐事件は随分と王都の町衆の機嫌を損ねた。
王太子エドゥアルトとの連絡を取り次ぐ中で、それは一目瞭然であった。王都を荒らしたばかりか、子分にまで手を出したのだ。裏家業の人間を怒らせて無事でいられるわけがない。
それにアドルフは、ランスに聞け、と言った。これはランスが直接関わった案件ではない。
エリオスはいくつか報告を受けた後、足早に蒼の間に向かった。