第十九話
勢いよく決闘を申し込んだエリオスだが、本人が言った通り、剣の実力はオリバーのほうが上であり、普通に考えれば勝ち目はない。
しかも今のオリバーは、犯罪者であり逃亡者だ。もはや守るべきものもなく、決闘を受ける理由はない。さっさと逃げた方が得策なのだ。
それでもオリバーは、くしゃくしゃの顔で泣き、笑い、言った。
「お受けいたします。騎士エリオス」
家族を見捨ててでも最後まで守りたかったもの――。
「騎士オリバー」を認めて決闘の相手にしてくれたエリオスに、オリバーは剣を抜いた。
「……姉上、見届け人となっていただけますか」
「え」
「お願いします、姉姫様。決着はきちんとつけますので」
確かに、ここには決闘を行う二人以外、ライラしかいない。となれば決闘の結果を判断する見届け人をライラいが請け負うのは当然の流れと言えた。
しかし、簡単に返事などできるわけがない。これは模擬試合でもなく、刃をつぶした剣で行われる慣例化した決闘でもない。怪我をするだろうし、最悪の場合は死んでしまうだろう。
返事に窮したライラを心配したのか、エルが駆け寄ってきた。その暖かい体を抱きとめたとき、ライラの心は決まった。
「ライラ・フォン・オスト。……この決闘の見届け人として、勝者には栄誉を与えることを誓います」
ライラはエルを抱きしめながら、しっかりと二人を見つめる。その言葉を受けて、エリオスとオリバーは互いに向き合った。エリオスが剣をかめようとしたところで、オリバーがそうそう、と何かを言い出した。
「例え俺が勝っても、隊長の怪我が浅ければ俺を追うことは可能だ。ま、そんな真似をする人じゃないのは知っています。でも、きちんと条件を決めましょう」
「……条件?」
「この決闘の勝者が、姉姫様を得るということです。敗者は勝者を追わない。俺が負ければ大人しく捕縛される。いかがですか?」
「その程度のこと、当然だ。何の問題もない」
オリバーの申し出をエリオスは快諾した。
その心境を推し量ることはライラにはできない。けれど、きっとオリバーがこんな条件を言い出さなくても、エリオスは同じようにするつもりだったのだろう。
条件が整った二人は、互いに剣を構えた。その張りつめた空気に、ライラは泣きたくなってエルを抱きしめる。何も言わずとも己の心に寄り添うカタワレは、ライラの頬をぺろりと舐めた。
ライラは見届け人としての役目を果たすため、開始の合図を出す用意を進める。ライラは金属製の帯飾りをはずすと、それを高く掲げた。
「この帯飾りが床に落ちた音、それが開始の合図です。いいですね?」
この言葉に二人は静かにうなずき、数秒、無音の時間が流れた。そして。
――カシャーン――。
あまり大きくはない、けれど甲高い音が下水道の中を反響する。その音を合図に、まずはオリバーが動いた。オリバーは見事な跳躍をみせ、たった一歩でエリオスとの間合いを一気につめ、肩のあたりを狙って剣を突き出した。
「はっ!」
「――っ!」
エリオスはその攻撃を後ろに跳ぶことで避け、危機を脱する。しかしここは下水道、足元が悪い。水が流れていないとはいえ、床や壁には苔が生え、段差もある。それはエリオスとオリバー、どちらも動きが制限されることを意味していた。
後ろに避けたエリオスを追って、オリバーはさらなる追撃をしかける。しかしその攻撃をエリオスが一閃した。後ろに引いた反動を使い、バネのように前に飛び出したのだ。
剣を下から上へ振り上げる。ただそれだけだったが、もう一歩踏み込もうとしていた瞬間だったオリバーの体幹をずらすことに成功し、痛恨の一撃を与えた。オリバーは何とか剣が弾き飛ばされるのは防いだが、剣を上に跳ね飛ばされ、構えがとけてしまう。
その隙を逃さず、エリオスは右上に振りかぶっていた剣を切り返し、真上から思い切り振り下ろした。
ガギィン、と金属がぶつかり合う音が響く。
オリバーはエリオスの一撃を、何とか防いだ。オリバーの剣は手元に覆いのあるレイピアだ。この覆いがなければ、間違いなく指を切断することになっていただろう。それだけエリオスの剣には勢いがあった。
そんな強い衝撃を受けた後でも、蒼の騎士団に実力一つで上り詰めたオリバーのこと、ひるむことなく次の手を打つ。
ぶつかって跳ねたエリオスの剣をからめ取ると、そのまま剣先を叩き落としたのだ。
無理やり剣の方向を変えられたエリオスは体勢を崩し、オリバーは剣の切っ先を、今度は肩ではなくエリオスの喉元へと突き出した。
(これで、終わりです……っ!!)
ライラも、オリバーも、その勝利を確信した。
しかしエリオスは剣を避けることなく、逆にオリバーに突っ込んでいった。これには流石のオリバーも動揺し、剣先がぶれる。
その剣はエリオスの喉を切り裂くことはなく、首筋にわずかな赤い線を引くだけに終わった。エリオスは首の怪我などものともせず、体当たりをしたのだ。
オリバーは弾き飛ばされ、下水道に転がっていく。
そうして、その喉元にエリオスは剣を突きつける。
「――ここまでだ、オリバー。この勝負、私の勝だ」
首から赤い血を流しながら、エリオスは勝利を宣言した。万が一にも抵抗しないよう、オリバーの剣を届かない位置まで蹴り飛ばす。
そんなエリオスを見つめて、オリバーは静かに笑い、そして小さく頷いた。
しばし無言の時間が流れた後、見届け人として最後の責務を果たすため、ライラはエリオスの勝利を改めて告げた。
「この決闘の勝者は、騎士エリオス・フォン・オストとなりました。気高き騎士として、互いに事前の申し出を守るように」
二人の騎士はその言葉にうなずき、エリオスはオリバーから剣をひいた。オリバーもよろよろと身を起こす。
ライラはそこでエリオスに駆け寄った。
なにが恐ろしいかも分からないままだが、エリオスが無事なのが嬉しいことだけは理解していた。エリオスに駆け寄って、力いっぱい抱きしめる。
「エリオス、首の怪我、手当しなきゃ……っ!」
「このくらい、大したことはありませんよ。でも、そうですね。血を止めるために布でも当てておきましょう」
そういってエリオスは、自分の手巾を首に巻こうとしたが、それでは長さが足りない。
どうしようかと思案していたら、オリバーが一枚の布を差し出した。
「これ、使ってください」
「いや、しかしそれは……」
「いいんですよ、もうこれに意味はないから」
そう言って差し出されたのは、オリバーの襞襟だった。何重にも襞を作って美しく胸元を飾るそれは、貴族が好んで身につける衣装だ。他の騎士団では、制服に採用されている。
それを迷わず差し出すオリバーの顔は、すっかり憑き物が落ちたようであった。その顔を見て、エリオスも布を受け取り、首に包帯代わりに巻いていった。
「……姉姫様。本当に、すみませんでした。貴方をこんなことに巻き込んでしまった」
オリバーの謝罪に、ライラは思わず泣きそうになる。
確かに怖かった。裏切られて悔しかった。エリオスが怪我を負って悲しかった。でも。
「もういい、もういいの」
首を振って、そう答えた。
オリバーの身の上話に同情したから――というのは少し違う。確かにそれも少しあるが、どんな場合でも、罪は罪だ。オリバーたちは罪を――死罪を、受け入れなければならない。
わずかな時間だったが、既知の間柄となった人物がこの世を去る。それが寂しくてライラは泣きそうで、苦しい。
こうしてオリバーとの決闘を制したエリオスは、他の騎士団員との合流を目指して歩き始めた。オリバーの剣はライラが一時預かり、三人と一匹はオリバーの案内で最初の地下室を目指す。
その途中、エリオスはオリバーの裏切りをとにかく悲しんだ。はっきりとした恨み言も、遠まわしな誹りも、数限りなくぶつけ続けて。
オリバーは、はい、すみません、などの返事を返しながら、その負の感情を受け止め続ける。
ライラは弟のそんな態度を止めることもできず、かといって同調することもなく、無言のままもくもくと歩き続けた。
そんな途中で、エリオスがぽつりと呟いた。
「こんな時しか四家の力は役にたたないのに」
その言葉に、オリバーは初めて返事をしなかった。いや、出来なかったのだ。
オリバーのためなら手をまわして、権力で罪をうやむやにすることもした。そう暗に言っているエリオスに、返事をすることなど出来なかったのだ。
「……そんな優しい貴方だから言えなかった」
初めて兄から事実を知らされたとき、四家出身で仲がいいエリオスやランスに相談する、という手段がちらりとでも浮かばなかったと言えば嘘になる。
もしかしたら力になってくれるかも、と期待しなかったと言えば、それも嘘になる。
けれど裏から手を回してもらった後、それが発覚したら。そう考えたら、相談なんか出来なかった。
万が一でも、エリオスやランスの輝かしい経歴に傷は付けたくなかったのだ。自分を騎士団に迎えてくれた、大恩人のランス。年若いことを受け入れ、努力を怠らなかったエリオス。
しかし今、事実が判明して騎士団の一大不祥事となるのは間違いない。一団員が勝手に行った悪事とはいえ、エリオスたちに『部下の大不祥事』という傷を負わせてしまった。
それが何よりオリバーの心をえぐる。
「ん?」
そんな時、エリオスが何かの音に気がついた。それはすぐに大きくなり、ライラたちも何の音か判別出来た。
どうやら別の道で騎士団が逃亡中の誘拐犯を追っているらしい。その激しい足音と怒声は下水道内に反響して、はっきり聞き取れないが、逃亡犯は子供を連れているようだ。
(グレイ……!!)
ライラは思わずオリバーを見た。あの分かれ道の後、少年はどんなに心細い思いをしているだろうか。
そんなライラの顔を見て、オリバーは心を決めた。
「ご覧の通り、ここは複雑な造りをしています。俺は道を熟知している、お役に立てるかと」
その言葉に、エリオスも覚悟を決めた。周囲に人の目が無いからこそ出来た突然の私的な決闘。その次はコレだ、と。
「オリバー。最後の、仕事が出来るか」
「――心得ました。エリオス隊長」