第十七話
ライラが地下室に閉じ込められてから、二時間ほど経過した頃、ついに扉が開かれた。
しかし、そこにいたのは――。
「オリバー……?」
何で、どうして。
混乱したライラに、とても優しい声でオリバーは言った。
「良かった、姉姫様がご無事で。心配したんですよ」
その言葉に、グレイはあからさまに安心したようだ。騎士の制服を着た青年を、助けが来たと思ったのだろう。
しかしライラは、差し出された手を振り払った。
「何故あなたがここにいるのです、オリバー!」
「……」
手を振り払われたオリバーは、とても悲しそうな顔をした。だが、ライラに拒まれた驚きはみられない。
一方のグレイはオリバーに駆け寄ろうとしていたが、このライラの怒声に足を竦ませた。何か自分の予想を上回ることが起きている、と考えたのか、とにかく味方だと判断しているライラに縋り付いた。
「……流石は、姉姫様だ。私が騎士団の一員として来たのではないと、すぐに見抜かれるなんて」
「当たり前でしょう。騎士団が踏み込んだなら、もっと騒がしくなるはずです。それに室内に敵がいるかもしれないというのに、貴方は何の確認もせずに入ってきた。それを助けと思うほど、私は愚かではありません」
それに。ライラは口にすることはなかったが、オリバーを疑う一番の理由は、他にあった。
(エリオスが来ないなんて、ありえない)
最後の最後で部下のオリバーにライラ救出を任せて、自分は隊長としての職務を遂行する――。
普通の兄弟であり、真面目な隊長なら、そんなこともあるだろう。でも、エリオスのことだ。自分の半身は、そんなこと出来ないし、やらない。
それが理屈抜きでわかるからこそ、ライラはオリバーの手を受け入れることは出来なかった。
「……姉姫様、貴方を傷つけたくありません。貴方だけは逃がせるよう計らいますから、どうか大人しくしていて下さい」
(これが、オリバーが一人でここに来た理由……)
ライラに与えられた提案は、安全の保証を意味している。ただし、その対価は――。
「断ります。この子を見捨てて一人で逃げるなど、有り得ない」
「なっ……」
ライラの拒絶に、今度はオリバーも驚きに目を見開いた。まさか逃がしてやるという提案を断られるとは、夢にも思わなかったのだろう。
オリバーは初め、ライラの言っていることが理解できず、次は虚勢かと疑った。しかし、ライラの言葉は真実だ。彼女が怯えている様子などどこにもない。怯える子供の手を握りしめ、しっかりとこちらを見据えている。
(――なんで、あなたたちは、そんなにも……)
「流石、流石は姉姫様。もう本当にそうとしか言いようがありませんね。この場で見ず知らずの子供をかばうなんて。子爵の姫君など、気もふれんばかりだったというのに。貴方を見てると……本当に、自分が情けなくなる」
「オリ、バー……?」
くしゃりと顔をゆがませて、泣きそうな顔でオリバーが言った。そのカオに見覚えのあるライラは、少し動揺してしまう。
子爵令嬢の誘拐も自ら認めたのだ、もはやオリバーの罪は揺るぎない。そんな罪人が、まるでひとりぼっちの子供のようで――。
(そっか。オリバーのカオ……。グレイと同じなんだわ)
オリバーと知り合ってから、数回しか言葉を交わしていない。それでもその口調から、エリオスによる評価から。オリバーは根っからの悪人ではないと信じることができた。
――だからこそ、言わなければならないことがある。
「……オリバー殿。先ほども言った通り、私はグレイを置いて一人で逃げる気はありません。ですが、そうすれば私もいずれ、子爵令嬢と同じ運命になるのでしょう?」
「……ええ、間違いなく。今はあいつら、あなたを女性だと気が付いていませんが、すぐにバレて、女性としての尊厳など無残に踏みにじられますよ」
「脅しは結構。本題はここからです。――本当に私に危害を加える気がないというのなら、ここに騎士団の捜査の手を入れさせなさい。それが最善の策です」
「なにを――!?」
ライラの提案に、オリバーは信じられないというカオをした。思わず叫びそうになった口を手で押さえたところを見るに、万が一にも仲間に聞かれてはいけない会話だと察したのだろう。
声を潜めながらではあったが、オリバーは語気を強めてライラに言った。
「それはできません。俺は捕まるわけにはいかない。捕まったら、俺は、俺はもう騎士団にいられない――!!」
誘拐犯であるオリバーのほうが、まるでライラに縋るかのように――。
絶望、悲壮、恐怖。その声には全てが詰まっていた。
「不可抗力とは言え、オスト家の私を攫って逃げられるとでも? それに――」
ライラは青ざめた顔のオリバーを見つめながら、己の半身を想った。
「エリオスが、絶対に来てくれる」
それは確信だ。だからライラは、何も不安を感じない。
多少の時間がかかって、自分の身に何らかの不幸が訪れたとしても、必ずエリオスは来てくれる。だから大丈夫。
「貴方は必ず罪人として裁かれる。けれど協力すれば、何らかの恩赦はあるかもしれない。それに賭けるしかないでしょう?」
「いいえ、いいえ……。それでは、それでは駄目なのです。恩赦で命を永らえたとしても、騎士団にいられなければ、何の意味もない――!」
「オリバー殿、貴方は何故そこまで――」
蒼の騎士団に固執するの?
そう問おうとしたライラの言葉は、乱入者の登場によってかき消されてしまった。
「おい、大変だ! 騎士団にここがバレたぞ!」
「何だと!? 嘘だ、何でこんなに早く――!!」
そこまで叫んだオリバーが、ハッと何かに気付いた顔でライラを見た。
そう、ライラはオスト家の人間だ。オスト家のカタワレは――。
「……狼であるエルの能力、甘く見たのが敗因ね」
獣としての能力を保ちながら、人間の言葉を理解するモノ。それがカタワレだ。
狼のカタワレをもつオスト家にとって、人探し――しかもカタワレに身近な人物が対象――など雑作もないことだ。
「黙れ小僧が! ちくしょう、金になりそうな奴が来たと思ったのに……! とにかく、さっさと逃げるぞ!」
「くそっ……。二人とも、一緒に来ていただきますよ。今度こそ断ることは許さない!」
「やっ――!」
オリバーはライラの腕を乱暴につかむと、無理やり引っぱって歩き始めた。もう一人の乱入してきた男はグレイを小脇に抱え、部屋を出た先に続く地下に逃げ込んだ。
王都の地下は、古王国時代に作られた下水道が広がっている。その多くは今も使用されているが、死路街の周辺は劣化や市街地の移転に伴って使用されなくなった。そこを中心に地下の抜け道として利用しているのだ。
ライラはこれが最後と思い、オリバーに必死の説得を試みた。エリオスを、ランスを信じろ、と。しかしオリバーは聞く耳を持たず、能面のような無表情のまま、返事すらしてはくれなかった。
右に左に、いくつもの間が角を曲がり、分かれ道を進み、そのうちライラはここが王都のどのあたりなのか、全く分からなくなっていた。
歩いた距離だけなら王都を出ただろうが、下水道は王都の外にはほとんど繋がっていない。それを考えると、複雑に張り巡らされた下水道を使って騎士団を撒き、王都のどこかで地上に出るつもりなのだろう。
それともこのまましばらく下水道に身を潜めるつもりなのだろうか。
ライラが少しでも手がかりはないかと辺りを見回していた時、どこからか足音が響いてきた。一瞬、新たに敵が増えたかと考えたが、どうやらそうではないらしい。オリバーと男の顔がそれを物語っていた。
「ちっ、下水道の中なら狼の鼻も無駄と踏んだが……」
「おい、お前! やっぱりお前が裏切ったんだろう?! こいつを引き入れて手引きしたにきまってる!」
「おい、静かに……」
「黙れ、最初から無理だと思ってたんだよ、いくら身内が面倒に巻き込まれようが、騎士を取り込むなんて!」
男の突然の抗議に、オリバーは対応に苦慮していた。男の大声を聞きつけたのだろう、騎士の足音がどんどんとこちらに向かっている。
「……なら、お前とはここで分かれる。俺は逃げなきゃならないんだ。好きな道を選べ」
ギャーギャーとわめいていた男が、ぴたりと動きを止めた。オリバーの言葉は男にとって予想外だったのだろう。自分は仲間だ、裏切っていない。そんな言葉を並べたてると思っていたに違いない。はたまた、裏切りを告げる残酷な言葉か。
どちらにしろ男が逃げるためには、ここでオリバーを責めても無意味、むしろ失策だ。迅速な行動こそ、この先を左右する。
進行方向には、二手の道が。後方には、騎士団が。男は何度も何度も進行方向とオリバーの顔を見比べて――そして、右の道へ飛び込んだ。