第十六話
(……あ、れ?)
目を開けると、そこには見たことのない天井。
ライラは戸惑った。王都の自室に比べ、随分と粗い造りの天井。見たことのない景色に違和感を感じながら身を起こそうとして――。
「っ!!」
途端、後頭部に鈍い痛みが走る。おもわず手で患部を抑えたが、あまりの痛みにすぐ手を離してしまった。どうやら患部は腫れ上がり、たんこぶになっているらしい。
それにしても、なぜ自分の頭には、たんこぶなどできているのだろうか。そして、ここは一体――。
「あ、の……」
「!」
誰もいないと思っていたのに、急に後ろから声をかけられたためライラはとても驚いた。しかし、その人物も随分と驚いたらしい。勢いよく振り向くと、ビクリと体を竦ませてしまった。
相手は、まだ幼い少年だった。
「ああ、ごめんね、驚かせて。……君は?」
「僕、グレイ……。お兄さんは?」
「私は――」
ライラだよ、と素直に名乗ろうとして、動きを止めた。待て、とライラの直感が訴えてきたのだ。
――このグレイという少年は、私をみて「お兄さん」と言った。ならば、男の名を騙ったほうが面倒がないのでは?
(そうだ、私はあの廃屋に入って意識を失ったんだ。それに――)
落ち着いて、辺りを見回せば。
ここはあの廃屋の地下室だろう。漆喰を塗った土壁には窓がなく、光源が数本の蝋燭だけ、というのがその証拠だ。天井の隅に、子供の手首くらいの太さの、小さな排気口があり、空気の流れだけは確保されているらしい。
室内には、ライラが寝かされていた寝台と、小さな椅子と机、その上に空の食器が数点のみ。唯一の扉には当然、鍵がかかっている。
どうみても「誘拐された人物が留め置かれる部屋」である。大事な双剣の片割れは取り上げられてしまったようだ。
(参ったな……)
見事に敵のふところへ飛び込んでしまったらしい。こうなることを危惧して注意してくれたエリオスに、何と言って謝ればいいのか……。
――その謝る機会すら、二度と無いかもしれない。
そこまで考えて、ライラは自分を見つめる少年の視線に気がついた。よく考えれば、相手だけに名乗らせて、自分は名乗っていないままだ。子供相手とはいえ、これは失礼というもの。
「ええと、ごめんね。私は――」
男の名前。そう考えてはじめに浮かんだのは、当然、自分の半身の名前だった。
「エリオスだよ」
「エリオス、さん。エリオスさん……」
「?」
自分の――エリオスの名を、宝物の名のように何度もつぶやく少年。その行動は不思議だったが、グレイの顔を見て、すぐに合点がいった。グレイの顔は、すでに泣き腫らして真っ赤だった。
「もう大丈夫。一人じゃないよ。――私がいる、我慢はしなくていい」
「……っ!! エリ、オスさ……っ!!」
「何が出来るか分からないけど、グレイを助けられるように、私も最後まで足掻いてみせる。約束だ」
「――う、う、うわあああああんっ!!」
グレイはライラに縋り付き、涙が枯れるのではないかと思うくらい、思い切り泣き始めた。よほどここに一人でいることが不安だったのだろう。
見たところ、まだ十にも満たない。グレイがカタワレを連れていないのは、大型の獣のため家にいるのか、それとも誘拐犯に引き離されたのか。
何にしろ、己の半身の安否がわからない状態など、どんなに恐ろしいだろう。
そんな不安に苛まれ、グレイは泣いていたのだ。そして、誰かがそばにいる安心感から、また泣いている。
「小さいけど、確かに君の声が聞こえたよ。だから私はここに来た。私がどこまで力になれるか分からないけれど――。絶対、諦めないからね」
エリオス。エリオス。私も、そう簡単に諦められない。もう二度と会えないなんて、考えるだけでも恐ろしい。
だから。
「グレイ、落ち着ついて聞いてほしい。ここに私を連れてきたのは、どんな人物? 何人ぐらいいた?」
「ひ、ひと……?」
「そう。君や私をここに閉じ込めた悪い人たちのこと、覚えている? 少しでもいいから教えてほしいんだ」
犯罪者の巣窟から脱出したことなど無いが、大公の館からエリオスと揃って抜け出したことなら何度もある。
見張りに敵意がないとはいえ、その有能な目を盗み、いつもお忍びに出掛けていたのである。感覚は違えど、おおよその手順は同じなはず。何より、まずは情報収集だ。
そこでライラはグレイにいくつかの質問をするのと同時に、辺りの様子をくまなく調べた。
まず、扉は開かないが、鍵穴はない。これは外側――廊下側に閂があるのだろう。
次に、土壁の厚さ。数か所をたたいたり、耳を当てて音を聞いたりしてみたが、かなり分厚いようだ。これを壊す、ということは不可能と考えるべきだろう。
また、食器はすべて木製で、その他も武器に使えそうなものはなかった。
「――そうか、ありがとう、グレイ。だいぶ状況がつかめてきたよ。今は少し、様子を見よう」
「はい……」
グレイの話とライラの記憶を総合すると、事態はこうだ。
まず、ここはやはりライラが怪しんだ廃屋の地下室。二階へ上る階段の下の空間、物置なんかに利用されることが多いその場所に、地下への入口が隠されている。
ライラをここに連れてきたのは三人。グレイの時は違う人物で二人。その時、仲間がいるような素振りだったということ、また、足跡の多さから見るに、全体では少なくとも十人は居るとみて間違いないだろう。
剣の腕に多少の覚えがあるライラとはいえ、無頼漢どもを十人、しかも少年を守りながら相手する、というのは困難だ。ここはライラの様子を見に来るだろう誘拐犯と話し、少しでも情報を引き出す必要がある。脱出でもその他の手段でも、情報があまりにも少なすぎる。今動くのは、あまりにも危険だ。
そう考えたライラは寝台に腰掛け、扉が開くのを、じっと待った。
その間、地上ではエリオスが団員たちと合流し、着実に情報を集めていた。
やっぱりさっきの隊長だったんだー、などど言う団員に「それは姉上だ!」と悲鳴に近い声で叫んだため、その場の団員たちはすぐに異常を察知した。
エリオスの姉上至上主義や普段の冷静さを知っているからこそ、こんなにも動揺したエリオスが信じられないのである。
――しかし、今日は特別な日だ。
その事もまた、団員たちにとって周知の事実である。普段と違う行動をとって相手に気付かれれば、全てが無駄になってしまう。
動揺が団員たちに広がる中、冷静さを取り戻しつつあるエリオスが、一つの命令を下した。
「今日の聞き込み内容に加えて、『買い物に出掛けたエリオスを見なかったか』と市場で聞け。理由は団長がまた逃亡したとでも言っておけばいい」
こうすれば、偽物のエリオス――つまりライラの情報も集まる。しかもこの質問はよくある事なので、不審に思う者はいないはずだ。
こうして集めた情報を取捨選択していけば、きっとライラの足取りが掴める。エリオスの言葉に団員たちは力強く頷き、足早にその場を去っていった。
しばらくして、一人の団員が重要な情報をもたらした。
何とライラは死路街に向かったというのだ。
「なんでも店主が言うには、身なりのいい人物なので珍しいと思い、良く記憶に残ったそうです。少し癖のある黒髪の青年であったと。更に、反りのある珍しい剣を持っていたと」
近くの怪しげな店の店主の言葉とはいえ、これは貴重な証言だ。
今日、蒼の騎士団は一人で死路街に向かう予定など無いし、他に剣を持つ者ーー他の騎士や軍人が死路街に近寄るわけもない。
(――姉上)
すでにエリオスの心は決まっている。
その心は悲鳴を上げている。早く姉上を助けに行けと叫んでいる。
それでもこの場を走りださないのは、理性が感情に勝っているからだ。がむしゃらに突っ込んで解決出来るわけが無い。理性が――知識と経験だけが、今のエリオスを抑えつけている。
その上、今日の作戦との兼ね合いもある。先ほどのランスの言葉、あれは身に染みた。
ライラから逃げるために入った騎士団とはいえ、責任ある立場に収まる判断をしたのは、確かに自分なのだ、ならば、その責任は果たさなくてはならない。だから作戦も考慮した上で、自分の心が壊れないよう、最速で最善の策を練らなければならない。
「今日の作戦に、変更を加える。いいか、よく聞いてくれ――」