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第十五話

 グレーテの悲鳴にも似た叫びに、数名の使用人が部屋に駆け込んできた。

 口々に何があったと問う同僚に、グレーテは自分に落ち着け、落ち着けと言い聞かせながら、ライラに何かあったのだと事の顛末を伝えようと、何とか声を絞り出した。


「何があった、姫様はどこだ!?」

「ひ、姫様は、今日もお出掛けに……。私のカタワレは付けてあるけれど……」

「な、何だって!? 今日は若君から外出するなと……! 何で許したんだ、今日に限って!」


 使用人の中でざわめきが広がる中、一人の男が身を乗り出すようにして言った。


「そんなことは後回しだ! とにかく姫様の安全を確保することが最優先だろう!!」


 男の必死の言葉に、使用人一同がハッとした顔つきになった。顔を真っ赤にしながら声を張り上げたその男は、グレーテとともにライラを見送った御者であった。

 御者は後悔していたのだ。もしもあの時、止めていれば。せめて付いて行けば。自分のカタワレを見張り代わりに追いかけさせれば。


(ああ、姫様……!! 王都で暮らし、その恐ろしさを良く知っている自分が、大公領育ちの姫様や侍女を諌め、止めるべきだった!)


 御者の一喝で冷静さを取り戻した使用人たちは、各自のやるべき事を模索し始めた。ある者はグレーテから情報を得て、ある者はロイの手当てをして。またある者は伝達を行う隼の一族を呼びに行って。


「マルガレーテ、もう少し詳しく話してくれないか? ロイはどうしたんだ」

「分からないわ、だけどロイがいきなり悲鳴をあげたまま、意識がないの! お願い、大公様と若君に連絡してちょうだい!」

「わかったわ、落ち着いてマルガレーテ。すぐに連絡させるわ。それに若君や大公様のカタワレだって何らかの異変を感じ取ってるはず。どうか先走らないでちょうだいね」

「ええ、ええ……」


 年長の侍女頭に手を握り締められて、グレーテは思わず涙を流しかけた。

 しかし、自分がここで泣くわけにはいかない。いまこの時、ライラがどんな様子なのかも分からないというのに!


「マルガレーテさん。俺、他の使用人にも伝えてきます!」

「お待ちなさいな、これ以上の大事にしては駄目よ。いま連絡するから、若君たちを待って」

「でも……!」


 年若い使用人が部屋から出ようとしたところを、グレーテの手を優しく握ったままの侍女頭が止めた。年若い使用人は部屋の入り口でたたらを踏んで足を縺れさせる。


「姫様のお立場を守ることも必要なのですよ。私たちが騒ぎ立てれば、無用な噂がたってしまうわ」

「……分かりました。あの、俺に他に出来ることは他にありませんか?」

「大公様と若君の返事を待ちましょう。必ずや何らかの解決策を見出してくださるわ」

「……はい」


 二人の会話が途切れると、何とも重苦しい沈黙が訪れた。

 グレーテは床に座り込むと、未だに目を覚まさないロイを抱きしめた。その確かな命の温もりだけが、今は心の支えだった。

 そこに、一人の少年がバタバタと大きな足首を立てながら部屋に飛び込んで来た。そばかすだらけの顔を真っ赤にさせ、息を弾ませている。


「あ、あの、お話は伺いました! ――さあ、来い!」


 少年が一声かけると、開いていた窓から黒い影が飛び込んできた。その影は少年のカタワレで、鳥類最速級の隼だ。

 この少年は伝令役として昔から大公に仕えている一族の出身で、大公領には少年の両親たちが仕えている。

 同時に、また別の鳥のカタワレをもつ使用人も準備を始めた。彼女のカタワレである雲雀は、速さも体力も隼に比べるべくもないが、王都にいる大公に文を運ぶくらいなら十分にこなせる。


「よし。さあ、王宮の若君に大至急この文を運んでくれ!」

「ギィィ!」

「あなたも大公様に、急いでね!」

「ピィ!」


 そうして館から二羽、ライラの急を知らせるカタワレが飛び立っていったのだった。



 ――その少し前、ライラが廃屋に足を踏み入れた頃、エリオスは城で鬱々としたまま業務をこなしていた。

 重厚な造りをした立派な机だが、度重なる団長の逃亡により、今日もエリオスが書類の山に埋もれていた。

 普段ならば即座にランスを連行してくるところだが、今日のエリオスにそんな余力はない。特に今は、重要な報告を待っている、という理由もある。

 エリオスはその報告を待ちながら、昨日の失態を思い返していた。一晩明けた今でも、昨日の自分が信じられない。自分が弱いばかりに、この禁忌の想いがライラに知られてしまったかもしれない。


(ああ、どうしよう。姉上、姉上、姉上……!)


 知られたくない。気付いて欲しくない。だけど、だけど……。


(応えて、ほしい……)


 矛盾した想いが、自分の胸の中でせめぎあう。

 その時、傍らで眠っていたカタワレのエルが、まるで何かに呼ばれたように顔をあげ、急にせわしなく動き始めた。


「……? おいエル、どうしたんだ?」


 こんな不安そうな動きは見たことがない。エルはエリオスを見るなり、クーンと寂しげな鳴き声をもらした。


「なあエル、何が……」


 何かを伝えようとするカタワレの鼻先に触れかけ、ぞっとした。

 エリオスはその可能性に気がついてしまったのだ。


(ま、さか……。まさか)


「あね、うえ……?」


 今日は騎士団が動くため出掛けないように、とは言ったものの、昨日の自分ではライラを納得させる話は出来なかっただろう。楽しみにしていたお茶会も無理やり欠席させてしまった。

 そのためにライラが反発心から出掛けてしまい、喧騒に巻き込まれたのだとしたら――!


「!!」


 コンコン、と窓を叩く音に驚いて振り返れば、そこには手紙を脚に括り着けた隼が一羽。


(なぜ、あいつがここに)


 緊急時の連絡役である隼が来た理由。それを半ば理解しながら、一縷の望みを託す思いで窓を開け、隼を迎え入れた。

 そしてエリオスは手紙を開き、絶望した。


 最も大切な人が自分のせいで――!!


「――来い、エルッ!!」


 エリオスは駆け出した。このまま部下の報告を待っている暇はない。

 しかし王宮を出ようとしたところで、蒼の間に戻ろうとしていたランスと鉢合わせてしまった。


「おい、エリオス。どうした? お前は待機役だろ?」

「通してくれ! それどころじゃない!」


 そう言ってランスをはね除け、外への扉に向かおうとしたが、行く手を剣の切っ先に阻まれてしまった。

 その剣の主は――ランスだ。


「もう一度言ってみろ、エリオス。……騎士団の職務が、何だって?」 

「――っ!」


 ランスの表情からは、いつもの飄々とした軽い雰囲気は消え失せていた。今は気兼ねない幼なじみでも、頼りになる兄貴分でもなく、優秀で冷徹な上司――蒼の騎士団長がそこにいた。


 若干二十一歳でありながら、その家柄や剣の腕前以上にランスを団長足らしめるもの――。それは、王太子への絶対的な忠誠だった。

 いくらエリオスが相手とは言え、隊長という立場を考えて動かねば、ランスは迷わず、この場で自分を罰するだろう。


「わる、かった。ランス……だが、だが聞いてくれ! 姉上が大変なんだ!」

「ライラが?」


 エリオスの慌てぶりをいぶかしんだのか、ランスは剣を引いた。しかし、まだ鞘には収めない。

 その態度はまだエリオスを許してない、ということ。胸に迫るものはあるが、今のエリオスには些末な問題だ。


 エリオスは緊急の手紙を見せながら、ランスに事の次第を説明した。

 一秒でも早く駆け出したい気持ちに駆られるが、ランスを目の前にして職務を放棄するのは不可能。

 今のエリオスは騎士団の隊長でありながら、王太子への忠誠と、ライラへの愛情を天秤にかけている。それすら本来は、騎士としてあってはならないことだ。しかもその秤は、ライラへ大きく傾いている。


「――だから、行かせてくれ! エルがいればすぐに居場所はわかる!」

「……」

「ランス、頼む! 姉上に何かあったら、俺は、俺は……!!」


 間違いなく、気が狂う。

 言葉にはしなかったが、必死の思いはランスにも伝わったのだろう。小さなため息の後、ランスが口を開いた。


「さっき、蒼の間に戻ろうとしていたのはな、街でお前を見た、って報告が上がったからだ」

「は……? 俺は今日、ずっと書類を……」

「大通り、市場の中だ。――もう分かるだろ?」

「――!」


 答えは聞かないままだが、今度こそエリオスは外に向かって駆け出した。

 求める人、探すべき場所の目星はついた。


「三番組の奴らに詳しく話を聞け! 待機組もすぐに動く!」

「すまん、恩にきる!」


 後ろからの声に、エリオスは振り返ることなく応えた。

 そんなエリオスを見送りながら、ランスは頭をかかえた。本当は、止めなければいけなかったのだ。何よりも職務を優先する、それが騎士団員の――ましてや隊長であるエリオスの務めだ。

 姉を守るためとはいえ、個人行動などもってのほか。冷静な判断を下すなら、今回の事態は大公の私兵や軍に任せるべきだ。


 だが、あの表情を見て、行くなとは言えなかった。時には友として、時には弟として可愛いがってきたエリオスが、あんな顔面蒼白の、追い詰められた表情をしたら――。


(その上、理由がライラだしな)


 ライラもエリオスと同じく、大切な妹のような存在だ。危険な目にあっているなら、自分だってすぐに駆けつけたい。

 しかし、今は駄目だ。エリオスを行かせたのが、自分に出来る最大限の譲歩だ。


 ランスは部下からの報告と、エリオスから渡された手紙を持ち、蒼の間に急いだ。エリオスから返事を貰えぬまま、ずっと待ち惚けを食っている可哀想な伝令役がいるはずだ、と考えながら。


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